紬が気絶し、家入硝子の病室のベッドで眠っていたその頃。
真人は——
“いつもの場所”、川沿いの地下通路にいた。
コンクリートの壁に裸電球がぽつんと灯る、
人気のない実験場。
"元人間"たちの血の匂いが充満する湿った空気の中、
真人は古びた配管の上に腰を下ろし、
無造作にぶらつかせた足を止めると、
苛立たしげに指先をカチカチと鳴らした。
真人「……今日も、来ない?」
ぽつりと落とした言葉に、誰も答えない。
昨日、紬が来なかったときは、
まだ“気まぐれ”の範疇だった。
だが、二日連続ともなると、話は別だ。
真人「まぁ、普通にあり得る範疇ではあるけど……」
そう口にしながらも、思考の裏側で警鐘が鳴る。
これまで紬は、
最初に会った日を除いても,
四日間欠かさずやって来ていた。
時間を約束した日は,時間通りに。
あれほど無鉄砲で、浮ついていて、けれど約束だけは守る少女だった。
それが、急に。
なんの連絡もなく、音沙汰もなく、来なくなるなんて。
——あまりにも、不自然だった。
真人「てか……おもしろくないんだけど」
指先でカチカチと音を立てるリズムが乱れた。
本当なら今頃、“瞬間移動ごっこ”や“お披露目小型化ショー”で盛り上がっているはずだった。
それがこの空虚な時間。退屈で仕方がない。
真人としては、文句のひとつでも言いに、
家にでも押しかけてやりたい気分だったが——
真人「……でも、紬の家知らないんだよな〜」
しかし、真人はすぐに切り替えた。
真人「じゃあ……明日、学校にでも押しかけてやろっかな」
口元に悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
もちろん、学校——"紬の高校"の場所も知らない。
だが——
真人「朝、紬が着てたのと同じ制服着てる人間が歩いてく方向についてけば……ま、そこが学校でしょ?」
あまりにシンプルな思考。
だが、真人にとっては十分だった。
“わからないものは、見て確かめればいい”——ただそれだけの話。
こうして、明日の方針が決まった。
真人は配管からぴょんと軽やかに飛び降りると、手をひらひらと振りながら、歩き出す。
向かう先は、自らの拠点——
夏油や漏瑚,花御たちと合流する、陀艮の領域。
◼︎
気分の悪さがようやく落ち着いてきた頃。
家入硝子に連れられ、紬は地下へと降りていた。
案内されたのは、小さなレンガ張りの地下室。
外界の光はほとんど届かず、壁際のテレビの明かりだけが、ぼんやりと室内を照らしていた。
そのテレビの前で、
ひとりの少年がソファに座って映画を見ていた。
ピンク色の髪に、ラフなジャージ姿。
どこかのんびりした空気をまといながら、
肩を揺らして笑っている。
家入「悠仁、ちょっといいか?」
その声に、少年がテレビから顔を上げる。
虎杖「ん?家入さん、どうかしたの……ん?」
視線が家入の背後に立つ少女に移る。
虎杖「その子、顔色めっちゃ悪いけど、大丈夫?」
紬は、何も言わなかった。
視線をそらし、ただ黙って立っていた。
昨日からの怒涛の出来事——
五条の尋問。両親との修羅場。
伏黒と釘崎との衝突。呪霊を斬った感触。
そして、気を失うほどの大怪我。
そのすべてが、紬の心を削り、凍らせていた。
もう誰かを信じようなんて、思えなかった。
新しく関わる相手なんて、もういらなかった。
頭に浮かぶのは、ただひとり。——真人の姿だけ。
けれど、今の紬に、瞬間移動で逃げ出す勇気も、度胸も、もう残っていなかった。
家入は、そんな紬をちらと横目に見ながら、
淡々と説明を始める。
家入「こいつ、さっき五条から初任務振られたんだけどさ。呪霊との戦闘で大怪我してね。トラウマになっちゃったみたい」
「しばらく任務にも出せないだろうし……。ここに一緒に置いてやって。ある程度、心が戻ってきたら、呪力操作のトレーニングから始めさせるつもり」
家入の言葉を、虎杖は真剣な顔で受け止めていた。
今の虎杖悠仁は——表向きは“死亡扱い”。
だが、宿儺の反転術式によって命を繋ぎ止められており、
秘密裏に同級生から隔離され、この地下室で、映画を見ながら呪力の放出を一定に保つ訓練を続けていたのだった。
虎杖「……そっか。わかった」
自然な口調で、すっと頷く。
そして、紬の方へと向き直り——
虎杖「俺、虎杖悠仁。……君、名前なんて言うの?」
紬「…………桐生……紬」
かろうじて絞り出された、小さな声。
虎杖は、ふっと笑って言った。
虎杖「そっか。よろしくな、桐生」
その笑顔は、ごく自然で、あまりにも無防備で。
——けれど、紬の心は。冷たく凍ったままだった。