真人「……死ねよ、裏切り者」
低く呟いた声と同時に、右腕がうねり,
ワイヤー状に変形した刃が紬へと振り下ろされる。
振り抜かれた一撃——。
本来の真人であれば、その刃は紬の身体を容易く切り裂いていただろう。
だが——。
刃は鈍り、軌道もブレた。
七海,虎杖、そして宿儺から受けた深い傷。
さらに、心の奥底に残る,「紬を信じたい」という迷い。
その二つが、攻撃のキレを大きく落としていた。
紬「……っっ!」
紬は地面に倒れ込むようにして、間一髪で回避。
その視界に飛び込んできたのは——
真人の左肩口から噴き出す鮮血。
深手の身体を押しての無理な攻撃で,
宿儺の一撃による傷が開き、
鉄の匂いを帯びた滴が空気を重く染めた。
さらに、振るわれたワイヤーの先端が、
残りわずかな呪力での変形に耐えきれず、ボロッと崩れて床に落ちた。
真人「……っ!」
歯を食いしばり、立ち続ける真人。
だがその足取りは、確実に限界へと近づいていた。
その瞬間,紬の胸に、ある決意が芽生えた。
(もう……話し合いじゃ駄目だ。止めなきゃ……!)
震える手で呪具のナイフを抜き放つ。
だが構えたのは“刃”ではなく——“柄”。
二撃目のワイヤーがうねりを上げて迫る——。
だがそれが到達する寸前、
紬の身体は真人の背後へと瞬間移動していた。
真人「っっ!?」
咄嗟に振り向く真人。だが、間に合わない。
ドゴッ——ッ!!
渾身の呪力を込めたナイフの柄が、
真人の額へと叩き込まれる。
その衝撃に、既に限界だった真人の意識は暗闇へと沈み込んだ。
その刹那——ふたりの視線が交錯する。
紬は、今にも泣き出しそうな表情で。
真人は、遠のく意識の中,三つの感情をその瞳に刻みつけていた。
「負けた」「殺される」「逃げられたのに」——悔しさ。
「これで紬は、俺を忘れられなくなる」——わずかな喜び。
「結局、俺は捨てられたんだな」——哀しみ。
……ドサッ。
真人の身体が背中から倒れ込む。
そして———。
紬は,昏倒した真人の前に立ち尽くしていた。
トドメを刺すなんて選択肢は最初から存在しない。
しかし、思考はもうまとまらず——ただひとつ、
(真人に……嫌われた……どうしよう……)
その考えだけが、何度も脳内で反響する。
瞳からは,音もなく涙が零れ落ち。
指先から腕にかけて、まるで感覚が消えてしまったかのように冷えきっていた。
◼︎
紬が立ち尽くしてから,数十秒後。
紬「!?」
紬が感知したのは,接近してくる七海の呪力。
時間はない。見つかったら終わりだ。
ハッとした紬は,咄嗟に,地面に倒れた真人の手を握りしめる。
その時。
———ぎゅっ。
真人の指が,無意識に握り返してきた。
紬「……真人……?」
意識を失っているはずなのに、確かに返ってきたその感触。
その一瞬で、紬の胸が跳ねる。
(真人……まだ、私のこと……嫌いじゃないの……?)
もう迷っている暇はない。
七海がふたりを視界に捉えるまで,あとわずか。
狙うは,完全な”ロスト”。
行き先はどこでもいい,最大飛距離で——
紬「瞬間移動!!」
バシュッッ!!!
視界が反転。紬と真人の姿が掻き消えた。
目を開けた瞬間、そこは普通の住宅の居間だった。
白い壁、木の床、まだ夕飯の匂いが残る空気。
だが——
「きゃああああっ!?」
そこにいた一人の女性が、
突如現れた紬に驚愕の悲鳴を上げた。
真人は一般人には見えない。
だが紬の姿ははっきり見えている。
紬「……まずい……!」
女性が叫べば、通報されれば,この場所がすぐに呪術師に割れる。
そうなれば,もう終わりだ。
そして——瞬間移動は,既に3回使用済み。
七海を振り払って真人のもとへ飛ぶために一回,
真人を止めるべく,背後を取るために一回,
そして,七海から逃げ切るために,真人とふたりで一回。
紬の身体には,
大量の呪力消費による倦怠感がのしかかっていた。
もう,次に飛ぶのは不可能。
つまり,ここがバレたら終わる。
———ならば,目の前の女性を黙らせる。
気絶させる?……いや、もっと確実性が要る。
紬「……………」
紬は,呪具のナイフの”刃”を女性に向けた。
———10分後。
真人「…ん…………」
重たいまぶたを開けた真人の視界に飛び込んできたのは、
天井の模様。
そして、背中に当たる,柔らかい布団の感触。
真人「……俺……生きてる……?」
思わず漏れた言葉。
てっきり、あの場で終わったはずだと思っていた。
顔を横に向ける。
そこには、真人の左肩の傷をタオルで押さえ、
優しく撫でている紬の姿があった。
紬は高専の制服ではなく、
白地の子花柄ワンピースを着ている。
おそらく、この家のクローゼットから拝借したのだろう。
机の上には、血にまみれたナイフ。
床には女性の刺殺死体。
その首元には大きく切り裂かれた跡があり,
床には大きな血だまりができていた。
真人「……」
目を細め、その光景を認識した真人。
心臓が強く脈打つ。
思い出す。あの時の——
(———そっちについたんだね、紬。俺を殺しに来たってとこか。
———違うの……真人! これは……!!
五条悟に捕まって、強制連行されて……“従わなきゃ死刑”だって! 拒否権なんてなかったの……!)
あの時の,紬の,必死な懇願めいた声色。
真人の中の,「紬を信じたい」という思い。
———そして,今の眼前の光景。
それらが,一本の糸として,真人の中に繋がる。
紬は真人を見下ろし、かすかに笑った。
瞳は赤く、泣き腫らしたように潤んでいる。
紬「ねぇ真人……これなら……私、君のそばにいられる?」
真人は数秒、何も言わなかった。
けれど次第に、その口元がゆっくりと吊り上がっていく。
真人「……はは」
笑い声が漏れ出した。
真人「はははっ……あははははっ!!」
声は喜びに震えていた。
それは,嘲笑でも、冷笑でもない。
心の底からの、歓喜だった。