——意識が浮上する。
紬が瞼を開けると、そこは薄暗いオフィスビルの一室だった。
安っぽいソファの上に横たわる紬の全身を、
まだ強い倦怠感が締めつける。胸の奥では、じくじくとした痛みがしつこく脈打っていた。とても起き上がれる状態ではない。
視線を動かせば、部屋の奥。
社員用の椅子に掛かっていたものだろう、
ブランケットを手にした真人が、こちらへゆっくりと歩いてくる。その足取りは重く、足を引きずっているようにも見えた。
——真人もまた満身創痍だ。
大きく移動する力は残っていない。
それでも真人は、倒れた紬を資材置き場に寝かせるのは忍びなく、この無人のオフィスビルのソファまで運び込んできたのだ。
深夜で、建物内に誰もいないのは幸いだった。
真人「……起きた?」
安堵の色を混ぜた声。そのまま無言でブランケットを掛けてやる。
紬は小さく息を整え、「……あ、ありがと」と掠れた声で返した。
だが真人の顔には、珍しく陰りが差していた。
——自分が提案した“魂の欠片による緊急脱出”作戦。
その繋がりが、分身に受けた共鳴りの衝撃を紬へも伝えてしまい、大きなダメージを負わせた。
それでも紬は役割を果たし、戦場から真人を救い出したのだ。
申し訳なさを滲ませながらも、真人はそれを言葉にはせず。
ただ、ぽつりと一言だけ落とした。
真人「……俺の呪力が回復したら、無為転変で治すから」
その声は、静かな部屋に溶けていった。
しばしの沈黙の後——
紬「……真人。こっち来て、ぎゅってして」
紬はソファの端へ身をずらし、自然と漏れた言葉を口にした。
引かない胸の痛みを、真人に抱きしめられることで和らげたかった。
そして、足を引きずって歩く真人が痛々しく、少しでも休ませたかった。
真人は何も言わず、拒む素振りも見せない。
そのまま紬の隣に腰を下ろし、横になって、静かに抱き寄せた。
——そこからは、もう体力的にも限界だった。
二人とも、一言も発することなく、互いの体温を確かめ合うように眠りへと落ちていった。
翌朝。
オフィスビルの窓からやわらかな光が差し込んでいた。
コツ…コツ… ざわ…ざわ…
通勤する人々の足音と話し声が、ビルの外から微かに響く。
真人はその音で目を覚まし、小さく息を吐いた。
真人「……あ」
使われていない会議室のソファを選んだおかげで、まだ誰にも見つかってはいない。
しかし、もし紬の姿が一般人の目に入れば、すぐに騒ぎになるだろう。
真人なら一般人の口を封じることは造作もないが——
昨日の今日、まだ渋谷に呪術師が残っている可能性は高い。
騒ぎを聞きつけて彼らが現れれば、この消耗した身体では交戦は難しい。
そのときは、紬ごと殺されて終わるだけだ。
真人「………仕方ないか」
真人はまだ眠っている紬を抱き上げ、人気のない路地裏へと移動する。
幸い、足を引きずらずに歩ける程度には回復していた。
紬「…………ん……」
紬が目を覚ます。身体のだるさも胸の痛みも、まだ引いてはいない。
真人「…おはよ。あそこにいたら見つかって騒ぎになるからさ」
紬「あ……そっか」
少し間を置いて、紬はぽつりと呟いた。
紬「……ここから、どうやって帰ろう……」
当然の疑問だった。紬も真人も、長距離を移動できる状態ではない。まだ瞬間移動も使えない。
渋谷から例のアパートまでは、直線距離で五十キロはある。
その疑問に対し,真人はあっさりと言った。
真人「それなんだけど……“アイツ”に迎えに来させようよ。助けたときの貸しもあるし、ちょうどいい。確か車持ってるって言ってたし」
その一言で、紬の頭にひとりの顔が浮かんだ。
思考のもやが晴れ,一気にクリアになる。
紬「あ、それって……!」
その紬の様子に,真人はニッと笑って言った。
真人「そ。例の焼き師」