世界を変えるまで...そして変えてから... 作:ペンギンって可愛いですよね
大変お待たせいたしました。これから第二章を始めていきたいと思います。
まず始めに、読者の皆さま、ここまで物語を追っていただき、本当にありがとうございます。
第一章「世界を変えるまで…そして変えてから…」では、コナン=新一と灰原=志保が互いの存在に支えられながらも、それぞれの未来を選び取るまでの過程を描きました。
新一は探偵として、そして一人の青年として、蘭と共に歩み出す決意を。
志保は科学者として、これまで背負ってきたものと向き合いながら、自らの研究に人生を懸ける選択を。
二人は別々の道を選びました。
けれど、互いの存在が心のどこかで消えることはありません。
それぞれの歩みの中で、必ず思い出す瞬間があり――そして、いつかまた道は交わる。
第二章は、その「別々の時間」を丁寧に描きつつ、やがて訪れる再会への布石となる物語です。
少し成長した彼らの姿を、どうか見守っていただければ幸いです。
工藤邸の玄関先に、慌ただしい足音が響いた。
「新一、急がないと私が遅刻しちゃうわよ!」
蘭が振り返り、制服の襟を整えながら声を張り上げる。
その隣に並んでいるのは、まだ小さな江戸川コナン――だが、今の彼女には「工藤新一」としての姿がはっきりと見えていた。
「わかってるって!」
小さな体で靴を突っかけながら、新一が軽く舌打ちをする。
飛び級し、ハーバードまで出ている彼にとって、もう「登校」の必要はない。
だが、蘭と一緒に家を出て、学校へ向かう彼女と途中まで肩を並べて歩くのが、いつの間にか二人の習慣になっていた。
「……本当は寝坊しただけでしょ?」
蘭がじろりと目を細める。
「ち、違ぇよ!今日は資料を調べたいから、図書館に寄ろうと思ったんだよ」
「ふぅん?」
呆れたように笑う蘭の横顔は、朝日に照らされて眩しい。
声と姿は子どもでも、隣にいるのは恋人――その事実が新一にとって何より心地よかった。
―――――
二人は並んで石畳の道を歩く。
通学路に立ち並ぶ店からはパンの焼ける匂いが漂い、犬を散歩させる老人が声をかけてくる。
ごくありふれた米花町の朝の風景。
だが、新一の胸に去来する思いは、穏やかでありながらも複雑だった。
(……ようやく普通の時間を取り戻せた、ってことか)
彼の中には、まだ解決しなければならない謎や、残された影がある。
だがこうして蘭と並んで歩くひとときは、それをほんの少し忘れさせてくれる。
やがて交差点で二人は立ち止まる。
「じゃあ、ここで」
蘭が鞄を持ち直し、微笑んだ。
「うん。気をつけてな」
自然に交わされる言葉。
蘭はそのまま学校へ、新一は別の道を辿る。
ほんの短い時間でも、こうして一緒に過ごせる朝が――二人にとっての何よりの支えになっていた。
―――――
その頃。
都内の大学附属研究所。
白衣をまとった灰原志保が、モニターに並ぶデータを前に深いため息をついていた。
「やっぱり……資金が足りない」
国際学会での発表を経て、彼女の研究は注目を集めつつある。
だが“元・組織の科学者”という烙印はいまだに消えず、純粋な支援の申し出はほとんどなかった。
「……まだ、私の道は始まったばかりよ」
自分に言い聞かせるように呟き、再び手を動かす志保。
彼女の隣に「工藤くん」の姿はない。
その寂しさは胸の奥にしまい込み、鍵をかけたまま――。
毛利探偵事務所のドアが軋む音を立てて開いた。
夕暮れの光の中、黒いスーツを身にまとった男が姿を現す。
「依頼をお願いしたい」
机に封筒を置いた男の声は低く、抑えられた緊張を含んでいた。
蘭が驚いたように視線を向け、新一――いや、江戸川コナンの姿をした探偵は、慎重にその封筒を手に取る。
「……研究所を調べてほしい」
口にされた言葉に、新一の眉がわずかに動いた。
封筒から取り出された数枚の写真。
そこに映っていたのは、都内の研究施設。
新一がよく知る少女――灰原が通う場所と、よく似ていた。
―――――
(……灰原?)
脳裏に浮かんだその名を、慌ててかき消す。
いまは別々の道を歩んでいる。
彼女の人生に、探偵として関わるべきなのか――心の奥で小さな葛藤が芽生える。
「この研究所で、不審な動きがあるんです。
夜な夜な出入りする人影、資金の流れの不透明さ……。どうも裏で何かを隠しているとしか思えない」
依頼人の説明は淡々としていたが、その内容は不穏さを帯びていた。
蘭が不安そうに新一を見やる。
その瞳には「危険なら断ってほしい」という思いがにじんでいた。
「……わかりました。詳しく話を聞かせてもらえますか」
新一は小さく息を吐き、探偵としての顔に切り替える。
依頼を受ける以上、私情を持ち込むわけにはいかない。
だが、胸の奥に小さな影が差したことを、自分でも否定できなかった。
―――――
その夜。
研究所の明かりがひっそりと灯っている。
白衣の灰原は、深夜の静けさの中で一人データをまとめていた。
外の闇に潜む視線には、まだ気づかないまま――。
夜風に混じって、車のエンジン音が遠ざかっていく。
灰原は研究所の窓際に立ち、無意識に外を見やった。
……気のせいかしら。
暗がりの中に一瞬、視線の気配を感じた。
しかし、誰もいない。
ため息をつき、彼女はデスクに戻る。
「こんな時間まで残業だなんて、我ながら呆れるわね」
独り言のように呟きながら、ディスプレイに映る膨大な数値を見つめる。
資金不足の現実を突きつけられながらも、彼女は諦めようとはしなかった。
もう誰の庇護にも頼らない。
自分の意思で進むと決めたから――。
―――――
その頃、工藤邸の一室。
新一は机に広げた資料をにらみつけていた。
依頼人から渡された研究所の内部図。
資金の流れを示す書類。
そして、夜間に出入りする人影の報告。
「……裏に組織の残党ってわけではなさそうだが...危ない何かが絡んでる可能性もあるな」
小さく呟いたその瞬間、胸の奥に嫌な予感が走った。
その何かが灰原の歩む場所にまで及んでいるのではないか。
(……灰原、お前は本当に大丈夫なのか?)
心の中でその名を呼ぶ。
しかし、電話を取ることはなかった。
互いに選んだ道を尊重すると決めたのだから。
彼女を信じるしかない。
―――――
翌朝。
米花町の通学路を、蘭と新一が並んで歩いていた。
「ねえ新一、昨日の依頼のこと……。やっぱり危険なんじゃない?」
「大丈夫だよ。俺に任せとけ」
軽く笑ってみせるが、心の奥では不安が渦を巻いていた。
蘭の手がそっと彼の袖を掴む。
その温もりに支えられるように、新一は前を向いた。
だが彼の知らぬところで、すでに研究所の灰原の周囲には――
確実に黒い影が忍び寄っていた。
夜。志保の部屋は、散らかった論文のコピーと冷めかけたコーヒーカップで埋め尽くされていた。
机に突っ伏し、パソコンの画面に映るグラフを見つめながら、彼女は小さく息を吐く。
「……やっぱり資金が足りないわね」
研究計画は前に進んでいる。国際学会での発表を経て注目は高まっていた。
けれど、元・組織の科学者という過去はいまだに尾を引き、純粋な支援の申し出は少ない。
信頼できる道筋を探すのは、簡単なことではなかった。
――ピンポーン。
突然のチャイムに、志保は顔を上げる。
「……この時間に?」
警戒しながらドアを開けると、そこにはスーパーの袋を提げた阿笠博士の姿があった。
「よぉ、哀くん。差し入れを持ってきたぞい。ほれ、例のコロッケじゃ」
「……博士。わざわざ来なくてもいいのに」
呆れたように受け取りながらも、志保の口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。
博士は部屋を見回し、眉をひそめる。
「随分と散らかっておるのう。研究熱心なのはいいが……ちゃんと食べとるのか?」
「子どもじゃないんだから、大丈夫よ」
そう言いながら冷蔵庫を開けると、中は博士が差し入れた食品で半分埋まっている。
博士は椅子に腰を下ろし、真剣な表情で志保を見つめた。
「哀くん。研究も大切じゃが、君自身が壊れてしもうたら元も子もないからのう」
「……わかってるわ」
視線を逸らす志保の声は、ほんの少しだけ震えていた。
博士はふっと優しい笑みを浮かべる。
「君はもう一人でやっていけるほど強い子じゃ。じゃが、強い者ほど無理をしてしまう。だからこそ……頼れるときは頼るんじゃぞい」
志保は短く息を吐き、小さく呟いた。
「……ありがとう、博士」
博士は立ち上がり、手を振った。
「うむ! 言葉だけじゃなく、ちゃんと食べて寝るんじゃぞい」
その背中が去ったあと、部屋は再び静寂に包まれた。
差し入れの袋を見つめながら、志保は小さく微笑む。
(……やっぱり、私はまだ完全に独りじゃない)
心の奥に灯ったその温もりが、彼女の研究を支える小さな力になっていた。
―――――
工藤邸の一室。
新一は机に広げられた資料に目を走らせていた。
久しぶりに訪れた穏やかな日常のはずだったが――探偵としての勘は、静かに警鐘を鳴らし始めていた。
「……やっぱり引っかかるな」
封筒に入っていた依頼書。
そこには「都内にある某研究所を調べてほしい」とだけ書かれている。
依頼人は黒服のスーツ姿の男で、名前も名乗らずに立ち去った。
蘭が不安そうに声をかける。
「ねえ、新一……これ、本当に受けるの?」
「……ああ。怪しいことは間違いない。だけど――」
言葉を切り、写真を手に取る。
写っていた建物は、志保が勤めている研究所とよく似ていた。
偶然か、それとも――。
(灰原……まさかお前の研究に関わっているんじゃ……?)
新一は胸の奥で小さく呟いた。
蘭に余計な心配をかけたくなくて、表情は変えずに封筒を閉じる。
「大丈夫だよ、蘭。……ただの調査依頼だ」
「でも……」
蘭の声にかすかな不安が混じる。
新一は笑みを作って言った。
「もし危険なことがあるなら、俺が必ず守るから」
その言葉に、蘭はようやく小さく頷いた。
―――――
翌日。
新一は阿笠博士の工房を訪れていた。
「博士、ちょっと相談があるんだ」
「おぉ、新一くん。珍しいのう。どんな話じゃ?」
机の上に依頼の資料を広げると、博士の表情が一瞬固まった。
「……こりゃあ」
「博士、知ってるのか?」
「うむ……哀くんの研究所と似ておる。いや、下手すれば関係があるかもしれんのう」
新一の胸がざわめく。やはり灰原の研究が狙われているのか。
「博士……灰原には?」
「まだ何も言っとらん。あの子は気丈に振る舞っとるが、余計な不安はかけたくないじゃろうて」
「……そうだな」
新一は深く息を吐いた。
(灰原、お前は今も自分の道を一人で歩こうとしている……だけど、また影が忍び寄ってるかもしれない)
その思いが、胸の奥で静かに熱を帯びていく。
「博士。俺が調べるよ。どんな連中が関わってるのか……」
博士はしばし新一を見つめ、それから静かに頷いた。
「……気をつけるんじゃぞい。お主はもう、一人じゃないんだからな」
新一はわずかに目を伏せ、蘭と灰原、二人の姿を脳裏に思い浮かべた。
そして小さく呟いた。
「……ああ、必ず守る」