世界を変えるまで...そして変えてから... 作:ペンギンって可愛いですよね
黒い車から次々と降りてくる男たち。
非常口を抜けた新一と灰原は、瞬く間に包囲されていた。
「工藤くん……」
灰原が小さく呟く。
その声に、新一は短く返す。
「大丈夫だ。俺が前に出る」
男の一人が踏み込んできた。
新一は小柄な身体を生かし、相手の足元へ滑り込む。
次の瞬間、携帯型のスタンガンを叩き込んだ。
「ぐっ……!」
倒れる影。
「灰原、今のうちに!」
彼女は迷わず頷き、抱えていた端末をコートの内側へ隠す。
それを守るように走り出した。
―――――
しかし敵は容赦なく追ってくる。
灰原の背後から腕が伸びた瞬間、
「させるか!」
新一がその手首を蹴り払った。
「……どうして、いつもあなたが前に出るの」
灰原の声には焦りが滲む。
「探偵は依頼を守るもんだ。それに――」
短く息を吐き、敵を睨みながら言う。
「お前を守るのは、依頼なんかじゃなく……俺自身の選択だ」
灰原の胸に一瞬、熱いものが走った。
だがその余韻を遮るように、別の男が棒状の武器を振り下ろす。
―――――
「危ない!」
灰原が思わず新一を突き飛ばした。
金属音が夜に響き、灰原の腕に浅い傷が走る。
「灰原!」
新一が駆け寄り、その身体を支えた。
「……工藤くん。守るって、こういうことよ」
苦笑を浮かべる灰原に、新一は唇を噛む。
「バカ野郎……俺が守るんだ。お前にそんな真似、させるかよ」
怒りを帯びた瞳が、次々と迫る影を射抜いた。
―――――
博士から渡された新型の閃光弾を取り出す。
「目を閉じろ、灰原!」
叫んだ瞬間、白い閃光が夜を切り裂いた。
男たちの悲鳴が重なり合い、その場に混乱が広がる。
「今だ、走れ!」
新一は灰原の手を掴み、夜の路地へと駆け出した。
―――――
息を切らしながら二人は走り続ける。
背後の足音が遠ざかり、ようやく人気のない路地にたどり着いた。
壁に背を預け、肩で息をする新一。
隣で端末を抱えたまま座り込む灰原。
「……相変わらず無茶するわね」
震える声で呟く。
新一は息を整えながら、小さく笑った。
「お互い様だろ。俺が守るって言ったのに……お前まで俺を庇いやがって」
「ふふ……仕方ないじゃない。あなたは無鉄砲すぎるから」
目が合う。
数秒の沈黙のあと、二人はわずかに笑みを交わした。
だがその影に潜む危機は、まだ去ってはいなかった。
新一と灰原の知らぬところで、さらに大きな計画が動き出そうとしていた――。
人気のない路地裏。
石畳に背を預け、灰原は深く息を吐いた。
抱えた端末の熱が、未だに腕に残っている。
「……ふぅ」
隣では新一が壁に手をつき、呼吸を整えていた。
子どもの体で全力で走ったせいで、肺が焼けるように熱い。
だが、その瞳はまだ鋭さを失っていなかった。
「追っ手は……撒いたな」
その言葉に、灰原はかすかにうなずく。
だが表情は強張ったままだった。
「工藤くん。どうしてここに?」
短い問い。
だがその裏には――「なぜ私を追ってきたのか」という感情が透けていた。
新一は一瞬、答えを迷った。
だが、視線を逸らさずに言う。
「……研究所に怪しい資金の流れがあるって依頼を受けた。調べてみたら、お前の研究所だったんだ」
「そう……」
端末を抱きしめる腕に、力がこもる。
灰原の瞳は揺れていた。
「私は……大丈夫よ。あなたが関わる必要なんてない」
冷たい声。
けれど、その奥に潜むのは――「関わってほしくない恐怖」だった。
「灰原……」
新一は一歩、彼女の方へ踏み出す。
その瞳は真っ直ぐだった。
「お前がどんなに一人で頑張ろうとしても、俺は見て見ぬふりなんてできない。だって……」
言葉を切り、喉が詰まる。
胸の奥に溜め込んでいた感情が、今にも溢れそうだった。
「……俺は、お前に生きていてほしいからだ」
――静寂。
灰原の呼吸が、一瞬止まった。
瞳が大きく見開かれ、言葉を失う。
数秒後、ようやく小さな声が零れた。
「……ずるいわね、工藤くん」
かすかな笑み。
それは彼女の「ありがとう」の代わりだった。
―――――
遠くでパトカーのサイレンが鳴り響く。
二人は顔を見合わせ、小さくうなずいた。
「行こう。ここに長居はできない」
「ええ」
並んで歩き出す。
だが互いの心臓の鼓動は、まだ速さを取り戻してはいなかった。
―――――
夜明け前の工藤邸。
新一は机に資料を広げ、目を走らせていた。
襲撃で奪われそうになった端末は、灰原がしっかり守り抜いた。
だが、その背後にある影はまだ正体を掴めていない。
灰原は椅子に腰かけ、冷めた紅茶を見つめていた。
「彼らは“未来”って言ったわ。まるで、私の研究が人類を導くみたいな言い方をして」
「未来、か……」
新一は顎に手を当て、資料を見つめる。
「組織の残党じゃない。奴らはもっと表の顔を持ってる。
投資会社、研究支援財団……名前を変えて、表向きは正義面して近づいてきてる」
「……つまり、私の研究を利用して、軍事や金儲けに繋げるってことね」
灰原の声は冷え切っていた。
―――――
そのとき、扉がノックされた。
入ってきたのは蘭と博士。
蘭は心配そうに灰原を見つめ、博士は袋を提げていた。
「哀くん、大丈夫かの? 怪我はしてないか?」
「……擦り傷程度よ。博士、心配しすぎ」
灰原が小さく肩をすくめる。
だが博士の目は真剣だった。
「哀くん。君は一人で立ちたいんじゃろうが……敵もそれをわかっとる。孤立したところを狙うつもりかもしれん」
灰原は短く息を呑み、視線を伏せた。
蘭がそっと言葉を添える。
「哀ちゃん……一人で背負わなくていいんだよ」
――その言葉に、灰原の胸がわずかに揺れた。
けれど、答えを出すことはできなかった。
―――――
夜が明け、研究所近くのカフェ。
新一は調査ノートを開き、灰原と向き合っていた。
「襲撃の時、奴らが使ってたセキュリティカード……偽造じゃなく、本物だった。
つまり内部に協力者がいるってことだ」
灰原の表情が硬くなる。
「研究所の中に……?」
「おそらくは資金難に目をつけられた誰かだ。外部の金と利権に釣られた」
新一の声には怒りが混じっていた。
「お前の研究を守るには、敵の正体を暴くしかない」
灰原はしばし黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……結局、また一緒に事件に巻き込まれるのね」
新一も苦笑で返す。
「探偵の宿命だな。……それに、お前のことだから放っておけない」
灰原は視線を逸らし、紅茶を口に運んだ。
その頬がほんの少し赤らんでいることに、新一は気づかなかった。
―――――
店を出る二人を、遠くから一台の黒い車が追っていた。
窓の奥で、あの白髪混じりの男が静かに笑う。
「……やはり、工藤新一も絡んできたか」
次なる一手が、すでに準備されていた。
研究所での一件から数日。
灰原は博士の勧めもあって、しばらく工藤邸で休養することになった。
「哀くん、ここなら安心じゃろう。新一くんもおるしのう」
博士の言葉に、灰原は小さく頷く。
「……あまり気は進まないけど」
玄関をくぐった瞬間、灰原の胸には奇妙な感覚が広がっていた。
かつて何度も出入りしたこの家。
けれど「身を寄せる場所」として訪れるのは初めてだった。
―――――
客間のソファに腰を下ろし、窓の外を眺める。
木々を抜ける陽射しは柔らかいのに、心の奥にはまだあの夜の冷たい影が残っていた。
「落ち着かないなら、俺の部屋を使ってもいいぞ」
声に振り向くと、トレイに紅茶を載せた新一が立っていた。
「……子どもみたいに扱わないで」
灰原はそっけなく答える。
だが湯気の立つカップを受け取る手は、わずかに震えていた。
「灰原。お前……まだ眠れてないだろ」
静かな指摘に、灰原は目を伏せた。
―――――
夕方、蘭が果物を手に訪れた。
「哀ちゃん、ゆっくり休んでね」
「ありがとう。……お世話になってばかりね」
微笑んだ灰原に、蘭は少し安心した表情を見せた。
蘭が去ると、リビングには新一と灰原だけが残った。
「……迷惑かけてるわね」
灰原の声は小さい。
「迷惑なんて思ったことない」
新一は即座に返す。
灰原は紅茶の表面を見つめながら、わずかに笑った。
「相変わらず……ずるい答え方をするのね」
新一も苦笑する。
だがその笑みの奥にあるのは、彼女を守りたいという確かな意思だった。
―――――
夜。
工藤邸の客間で横になる灰原の耳に、時計の針の音が響く。
眠ろうとしても、闇の中の影が頭を離れない。
(……結局、私はまだ誰かの庇護下にあるのかしら)
そう思ったとき、不意に隣室から新一の声が聞こえた。
「……大丈夫だ。ここにいる限り、何があっても守る」
独り言のようなその声。
だが灰原の胸は、不思議な安堵に満たされていった。
瞼を閉じると、ようやく浅い眠りが訪れた。
それはほんの束の間の休息だったが――彼女にとっては何よりの救いだった。