どうして上手く進まないのか。
モナドの枷が本来よりもずっと早くに解放された。あんなに警戒や忠告を念入りに行って下地を整えたはずだった。それなのにソレアン陛下は黒の凶爪に貫かれ、メリアの父を呼ぶ悲痛な声が鼓膜を震わせる。
また誰かが哀しみの涙を零していく。救い切れなかった命が指の間から流れていく。
むせ返るくらいの血の臭いが肺を満たす。それに拒絶を示す前に視界は陛下の胸を貫いた爪とその本体——黒の
多少の寄り道こそあるが、物語は用意された道筋のままに突き進んでいる。確かにこのまま進んだとしても、迎える結末は不幸一色で塗りつぶされているわけではない。しかしそれをより高みへ、より幸せな結末へ向かわせると決意したのだ。
あと一歩、ほんの指の先でも良い。予測された因果律を越えて手が伸びてさえいれば充分に救えた命がこの世界にはある。両手、両腕で抱えても足りないくらいの多くの命は、未来を知る者が何も行動を起こさずにいれば必ず散っていく。
「モナドを継ぎし者よ」
体の中心、魂に直接響く声は苦しみや焦りもないが喜びも感じさせはしない。声は
シュルクは槍で身を貫かれたザンザの無事に対して驚くものの、この場で起きている惨状からモナドの枷を取り去るように懇願する。しかしそれは叶わない。枷はザンザによって外される物ではない。何より——。
「既に枷は解き放たれている」
中央採掘場を抜け出した直後での戦闘では苦し紛れに放った一撃しか刃は通らなかった。モナドの形状に変化もなかった為に、シュルクはあのタイミングで"人を斬れる"ようになったことに気が付かずにここまで来てしまった。
それなのに俺達は監獄島におり、シュルクは顔付きを斬りたいと願っている。
何の為に。もう解き放たれるのを待っている力はモナドに無いのに。
考えるまでもない。シュルクを怒らせ、憤怒と憎悪に魂を染め上げる為。
「振るうが良い。そなたの意のままに」
ザンザは言葉で誘惑し続ける。シュルクという器を完成させ、最適な依代として誕生させる未来を
崩れ去り緑の粒子となったザンザの肉体が流れてくる。数千年も前から単なる抜け殻と成り果てた肉体に本当の意味でザンザはいない。
「……僕らは
しかしシュルクはその事実を知る由もなければ、そもそもどうだっていいのだ。彼の魂は深紅を通り越した赤黒いものに
斃すべき存在、顔付きの機神兵——"人"を斬ると決めた意志はモナドの形を変えさせた。
共に戦ってきた仲間は黒や他の機神兵に少なからず傷を負わされている。気力を振り絞ればまだ戦えるだろうが、武器を取るくらいならば先にカルナに治療を頼む方が賢明だ。
「シュルク!」
明らかに様子がおかしい親友に待ての意を込めてラインはその名を呼んだが、シュルクは振り返ることも些細な反応さえ見せることもせずに黒い顔付きに向かっていってしまった。少し離れた場所から聞こえてくるネメシスの声も当然今の彼には届かない。
"
「どけぇェッ!」
"
ここで俺はようやくシュルクの様子が明らかに異常であるのに気がついた。
確かにシュルクは穏やかな性格とそれに違わない見た目をしていながら、一度内に火が灯れば誰よりも高い温度に到達する怒りを抱ける人物ではある。そもそも幼馴染の少女を殺されたことへの復讐だけで即座に旅立つ決断を下せるのだ。
それにしても、それにしたってだ。
幾度となく機神兵と対峙してきてもこんな
つまりはいくら機神兵相手と言えどあまりにも非人道的なことはしない人物のはずなのだ。
——上手くいくいかないじゃない! 一番おかしいのはこいつだ!
やっと場の状況を理解した俺は以前もしたようにシュルクの
ならばと声を振り絞った。ほんの少しでもシュルク本来の博愛の精神に光が当たりさえすればこの凶行を抑えられる。
『落ち着けシュルク! 言っただろ、人を殺すくらいの覚悟じゃないと駄目だって!!』
中央採掘場でのやり取りを思い出してほしい。もしも目の前の敵が人間ならばそれでもお前はモナドを向けるのか、同族であるホムスであったとしても迷いなく首を切り落とすのか。
『言っただろ! 僕は誰であっても機神兵を許さない!! 絶対に!! 奴らがどこまでも僕達を追いかけて喰おうとするなら、逆に僕が奴らを地の果てまででも追い詰めて根絶やしにする覚悟くらいある!!』
肝が冷えた。このままでは事態は悪化するだけで好転する道筋は絶対にない。
『人だったらって聞いたんだ! 思想や文化が違うだけで同じ人間でもお前は!』
『人の命を奪って笑う奴を僕は人間だとは認めない!!』
この先の因果の流れがまた変わるからと恐れていたが、ここで渋っていては更に最悪の結末に流れ着くだけだ。シュルクが覚悟を決めているのならば、俺もこの名を叫ぶ覚悟を決めねば彼に俺の想いは届かない。
絡まった因果の糸は俺が引き受けるから、だから、止まってくれ——!
『相手が——だったとしてもか!!』
——言った、はずだった。
否、間違いなく叫んだのだ。口を開き喉を震わせて彼女の名を引き合いに出したのだ。なのに、どうして、最も肝心な名前だけに酷い雑音がかかる。
諦めるな、止まるまで叫び続けろ。彼を正気に戻すまで。
やっている、何度も、何度も何度も何度も叫んでいる、それなのに!
『いるんだ!! ここに——もいるんだ!! お前のそんな姿を——に見せちゃいけない!!』
どうして彼女の名だけ潰されるんだ!!
シュルクはもう俺の声を聞いていなかった。あんなに苦戦したゾードを雑兵と言わんばかりに一掃してしまい、黒以外の機神兵は解放されたモナドを持つシュルクには敵わないと判断したのか近寄りもしなくなった。
機神兵は単なる食い物としてしか見ていなかったホムスに対して明確な恐怖を抱いている。英雄と呼ばれた存在さえも嘲笑ってきた彼らは今、たった一人のちっぽけな存在に殺されかねない状況を本能で感じ取っている。
それは仲間も同じで、卓越した剣技を持つホムスの英雄——ダンバンでさえもこの戦いに力を貸すことはしなかった。体力が尽きたからではない。今のシュルクにはシュルク以外の力は必要ないのが火を見るより明らかであったからだ。
こうなれば黒の四肢が順番に斬り落とされるのは時間の問題であった。右脚の付け根を落とし、次いで左肩を吹き飛ばした。その度に黒は痛々しい悲鳴を上げる。どうしてモナドが痛いのか、何故モナドが自分に通るのかと困惑を織り交ぜながら。
搭乗者がいるであろう部位を直接攻撃しているわけではないにもかかわらず黒の悲鳴が止まないのは、乗り込んでいる間は痛覚などの神経にあたる部分も接続されているからだろう。本来はホムスであった時の感覚のまま顔付きを操作できるようにする為の設計なのだろうが、それがこの場では仇となった。巨神界の武器ではモナドを含めて何一つ顔付きを断てないと高を括っていた代償が全て回ってきた。
黒からこれまでの余裕ぶった態度はとっくに消え失せていた。闇雲に躯体を振り回してシュルクを遠ざけようとするも、冷静さを欠いた動きでは何一つ当たらない。このままでは殺すどころではない、逆に自分が殺される。恐怖が血管に流し込まれてあっという間に全身を駆け巡っていくように、一秒が過ぎる毎に黒の悲鳴は痛々しく響く。
そうしてとうとう黒は立ち上がることさえ出来なくなり、がたがたとその場で
エーテルの刃を本来の刀身の何倍にも伸ばしてシュルクが黒へにじり寄る。黒に本気で
「思い知れ! これが、フィオルンが、陛下が、巨神界の者が受けてきた痛みだァァァァッ!!」
振りかぶり、そして。
「やめなさいっ!」
離れた場所から発された声が耳に届く。同時に視界から色が抜け落ちる。映るのはこれから訪れる光景、ほんの一秒にも満たない先の未来、幾度となく俺達が見てきた
モナドの刃から黒を守ろうと白い顔付きが割り込んでくる。本来の物語であれば白の腰のパーツを軽く破壊する程度で済むはずのその一撃は、俺の干渉で変化したのかシュルクの尋常ではない怒りが発生させた揺らぎなのか、白の肩から斜めに切り落とすものへ変わった。
それは的確に搭乗者の頭を粉砕する軌跡を辿っている。
急激に世界に色が戻っていく。未来視は終わりを告げ、流れのままに未来が今に重なろうとする。
視界の左端に白を捉えたシュルクは確認した未来視に従い——いや、更にその先を行こうとして即座に狙いを黒から白へと変え刃の向きを変えた。
『邪魔をするならお前も!!』
踠いた。その未来だけは現実にしてはいけない! シュルクの手で彼女の命を奪うなんてシナリオだけはやってはいけない!! 俺が好きなシュルクのままでいてくれ!! 真の意味であんな神の依代になっては駄目だ!!
シュルクの腕を掴み刃の辿る軌跡を少しでもずらそうと足掻く。今の俺の全ての力とあらん限りの声を張り上げて。
望まぬ未来を変える為の未来視が最悪の未来を引き寄せるものになるなんて絶対に駄目だ!! 頼むから止まってくれ!! そこには彼女が、フィオルンがいるんだ!!
『やめろおおおぉぉおォォォォッ!!』
俺はどこで選択肢を間違えたのだろう。
***
意識が浮上する。無意識のまま瞼をおもむろに持ち上げた。目覚めたばかりで視界はぼやけているが、背中から伝わる程良く沈んだ感覚と体にかかる心地よい重みから寝台で眠っていたと判断した。
そして左手を包み込む温かい感覚。
「シュルク……! 具合はどう? 喉渇いてない?」
どうやら声の主が左手を握っていてくれたらしい。彼女は心底安堵したという声色でそう言うと、改めて
これはどういった状況なのか。どうして自分は寝台に横にされているのか。何故目の前の彼女は喜びと不安を混ぜたような表情で自分を見つめているのか。
状況を理解できずに無言のままでいたら彼女の不安気な色が強くなる。
「私のこと分かる?」
愚問だ。だって自分は彼女を知っている。
「フィ、オルン……」
絞り出した声は掠れていた。
「……うん。よかった」
「のど、渇いた、な。……お腹も空いた、かな」
「それならスープ持ってくるね。無理して起き上がらないでそのまま待ってて」
彼女——フィオルンはそう言ってこの部屋を一度出ていった。
一人残された部屋で状況を把握しようと自分の頭の中にある記憶と知識、情報を掻き集める。
加えて頭の中に存在する、この世界に関しての大量の知識と常識と歴史が既に状況の答えを物語っていた。
ここは"ゼノブレイド"と呼ばれる作品の世界だ。
ここまでで一度ある仮説を立てた。"俺"という存在が
だが今の俺はその前世らしき記憶を何一つ持っていない。転生者は前世の記憶を持っているという思い込みが既に間違っているかもしれないが。転生して更には記憶まで持っている状況など考えてみれば話が出来すぎている。自分は特別だと思い込みたい悲しい願望なのかもしれない。
今の自分にゼノブレイドという作品の知識は勿論ある。これはクロスに2、3、リマスターのDE、クロスDE、各追加シナリオも含めてだ。
他には生物の雌雄だとか1+1は2であるとか、朝の挨拶はおはようで夜はこんばんはだとか基礎的な教養はあるらしい。転生者という単語もすんなり出てきたのだから、サブカルチャーを嗜む者としてのそれなりの情報も有している。
だが逆に言えば他の情報は何一つ思い出せやしない。例えば自分の年齢はいくつであるとか、ゼノブレイドを知っているのに他の作品名は何も言えないとか、両親の名、生まれた土地、本当に命を落としたのかどうか、何より過去の己の名前さえ今の俺には分からない。自分が何者であるのか知らないのだ。
辛うじて一人称が"俺"という情報だけはある。恐らく男であったのだとは思うが、低い可能性とはいえ俺っ娘だった線も捨てきれない。性自認に対しても胸を張って男であるとどうも言えないのである。
例を挙げると男性向け作品でよく見られる主人公が女性キャラの頭を撫でるシーンは気持ち悪さを感じる。これは女性ユーザーにありがちだ。異性から不意に体を触られるのは普通に気持ち悪い。男性でもそう感じている人はいると思うが。
同時に女性向け作品における男性キャラクター同士のやりとりの距離の近さに驚きを覚える。ここまで男同士で懐の内まで入ることなんて無いだろうと考える方が先に来る。友人と恋人を勘違いでもしているのだろうか。
——と色々思考を巡らせはするが、この際これらはそこまで重要ではない。俺の身に起こっている事態が転生なのか憑依なのか、性別が男か女かを正確に判断するよりも厄介なことがある。
『ねえ!
——本当の"シュルク"の魂がこの身にしっかりと残っているのだ。