俺は大きな勘違いをしていた。その上途轍もなく自惚れていた。割れる寸前の風船のようにただ大きいだけで中には軽すぎる気体しか入っていない、針一本さえあれば呆気なく破裂して無に還るあまりに滑稽な自己満足。
自分の存在があるだけで根拠もなく何かに影響が出ると本気で信じていたのか。なんて哀れだろう、なんて愉快なのだろう。
どうか笑ってくれ。否、もう神は俺を嘲笑ったのだ。
ザンザは俺の腹の中を見透かしていたのではない。シュルクが視認する未来よりも更に先を見た上で俺を放置していただけなのだ。ある地点に至る道のどれを選ぼうとも結末は変化などしない。どの道も全く同じ地点に辿り着くと予め定められているのだから。
俺が矮小な足掻きをしたところで"フィオルンが黒の手によって殺される"運命は変わらないと定められていた。
だからこそ放置したのだ。二年前にしたムムカへの働きかけだって、彼は黒い顔付きとなりコロニー9にやってきたのだから元々の展開と何も変わっていない。この先の物語に良くも悪くも影響など与えない。
初めからザンザは全て分かっていた。実験と称した行動も繰り返した思考も無駄でしかなかった。有ろうが無かろうが因果の流れに干渉どころか波紋の一つさえ発生させない弱いものだった。
俺の行為は全て無意味だった。それはつまり何をしたってこの世界の因果は本来の物語を辿るのと同義でもある。俺の知る物語より多くの人は救えないが、少なくともシュルク達は笑顔で終えられることは確定している。フィオルンだってメイナスの依代として命を取り戻し、最後にはホムスとしての肉体を取り戻すのだ。
素晴らしいハッピーエンドではないか! これ以上何を求めると言うのだ! こんなに素晴らしい物語が描かれるのに俺は何を偉そうに振る舞おうとしていたのだろう!
何もする必要なんてない。この世界の異物は異物らしくただ黙っていればよかった。存在などしてはいけなかった。流れを多少知っているからと、ほんの僅かだとしても出しゃばる真似自体が大きな誤りだった。
もう何もしないでいよう。もう何もシュルクに伝えないでいよう。
俺に許された権利は愛する物語を最も近くで見守ることだけ。それだって余りある程に恵まれているのだから、それ以上を望むのはただの我儘だったのだ。
***
次に気が付いた時に目に飛び込んできたのは、一部は劣化等で黒ずんではいるがそれでもまだ十分に白と呼べる色をした天井だった。
自分は何をしていたのだろう、どうしてここにいるのだろう。シュルクもエイルもよく思い出せない。
その答えに自力で辿り着くよりも先に親友の声が鼓膜を震わせた。
「シュルク! 気が付いたか……!」
声のする方へゆっくりと首を捻った。そこにいたのは想像した通りの人物であり、彼の顔や露出された腕には絆創膏や包帯が所々に見られる。
何故と思ったのも束の間、そこでシュルクは記憶の最後にあった光景をやっと思い出した。
「ぁ、フィオルンっ……!! あ、ぐ、ぅ……」
勢いよく身体を起こした。そこでやっと自分は
「無理すんなって。まだ寝てろ」
そのまま倒れ込むかと思ったものの咄嗟にラインがシュルクの背中に手を回して支えてくれた。そこから数秒かけてゆっくりと再び程良い柔らかさの寝台へと下ろされる。
「ねぇライン。ここ、どこ? それに……なんで、僕は……」
「あ〜……えっと、何だったかな……」
ラインは
シュルク及びエイルの最後の記憶はフィオルンが黒い顔付きの爪に貫かれた瞬間で止まっている。彼女の断末魔の悲鳴と吹き出した大量の血液は辛うじて覚えているものの、その後どうなったかは碌に覚えていない。
ラインの話を聞く限りではあの直後、自走砲の操縦席に小型の機神兵が群がり小鳥が餌を食べるかのようにフィオルンの肉体を啄んでいた。どれだけ良い方に考えたって彼女の肉体は原型を留めていないくらいに引きちぎられただろう。加工品にでもするかのように細かく、ぶちぶち、ぶちり、ぶぢ、ぐぢ、みぢみぢぢぢぢ——。肉と肉が離れて切れる音が記憶に無くとも聞こえてくる。
シュルクもラインもダンバンも怒りのままに武器を握って立ち上がり再び黒に向かっていった。普通の武器は勿論、やはりモナドの刃も顔付きには通らずにただ蹂躙されるだけだった。
ラインとダンバンは激情こそ収まりはしていなかったが早々に防戦へと切り替えた。根拠は全くないものの粘れば去ってくれるかもしれないと自身の命を守る行動に舵を切った。しかしシュルクは
それでも黒は全く痛みや苦しみを思わせる
「……ああ、だからなんか頭ちょっとキツいんだ」
「あんまり包帯いじんなよ。傷が浅いのと骨が折れてないのが不幸中の幸いってやつだな」
その後、黒はダンバンを一瞥して飛び去っていった。時を同じくして他の機神兵全てもコロニー内から消えてしまい、現在は一応の確認作業中ではあるが稼働している機神兵は一機たりともいない。
「……お前さ、頭から血出てるし地面に思いっきりぶつかったのに
血反吐どころか内臓ごと
戦闘でのダメージの蓄積に加え頭部からの出血、そこに大声で叫ぶなんてことをしては身体への負担は大きい。叫んだ直後にシュルクは糸が切れたように倒れ込んで意識を失ってしまった。
あとはこの通りである。ラインに背負われて防衛隊本部内にある医務室に運び込まれて手当てをしてもらった。
ラインの様子からも判断出来るように負傷したのはシュルクに限らない。この場にはいないがダンバンも顔付きと相対したのだし包帯の一つや二つはあるのだろう。
それでも自分達は生きている。沢山の人が機神兵に喰われたのに、フィオルンはあいつに殺されてしまったのに。
——僕なんかが生き残った、生き残っちゃった。
あれから数日が過ぎた。傷が浅いのが幸いとラインが言ったように頭の包帯はあっさりと外れた。
早朝の見晴らしの丘公園でシュルクは一人茫然と長椅子に腰を下ろしてコロニー9を見ていた。眼球こそ現実の景色を映してはいたが、シュルクの意識はつい先日に隣で穏やかに談笑したあの時のフィオルンにのみ向いていた。
どうしてフィオルンはあの時自走砲に乗っていたのか。
途中で彼女の気が変わり居住区側に残された自走砲へ向かったのではない。そもそもあの時最短ルートで向かう道は塞がれているから無理な話だ。居住区にあった自走砲を使うならば、彼女はシュルク達をどこかで追い越す必要がある。
彼女は間違いなく避難シェルターへと向かっていた。その際にシェルター前で潜んでいた小型機神兵に襲われそうになっている親子を発見した。防衛隊員も一人いたのだが比較的若手で実戦経験にも乏しく、ほとんど腰が抜けた状態だったらしい。
彼女は勇敢だったからそれを助けた。武器を手にして小型機神兵を相手にし、見事に倒した。そこまでは良かった。
そんな状況を知ってしまったフィオルンがただ黙って安全な場に向かうだろうか。
居住区で放置されていた物とは全く別の、本来はその隊員が乗るはずだった自走砲に乗り込んだ彼女は結局ああしてやってきてしまった。
助けられた親子や隊員はフィオルンに対して本当に感謝していたが、誰よりも勇敢だった彼女の死に少なからず責任も感じていた。襲われていなければ、自分が出撃するだけの度胸があれば。どれだけ"もしも"を考えても彼女の失われた命は決して戻ってこない。
親子のように単なる不運で済むなら彼女の冥福を祈ることに多少の時間を費やしてもいいだろう。しかし不運で済まない要素に関わる隊員はさっさと現実を見て鍛錬に勤しみでもしたらいい。あの場に居合わせた隊員だけではない、機神兵を見て逃げ出した大多数の者にとって嘆いたり悲しむ時間は無駄なのだ。残念なことにこれを最も理解しているのはダンバンといった既に実力のある者ばかりだが。
「……よう」
いつの間にかラインが長椅子の傍に立っていた。数分は互いに言葉も無くただそこにいるだけだったが、ラインが先に切り出した。あれからダンバンに会いに行ったのか、と。ラインは踏ん切りが付かず、まだ行けないまま防衛隊周りのことを片付けている。
建物への被害は想像以上に少なく、生き残った人々で頑張ればすぐに元の生活には戻れる見立てだった。当然一部が破壊されてしまってはいるが、建て直すなんて話は特に出ていない。物資も機神兵に略奪などはほとんどされず、食料などもしばらく困らないのは逆に驚く点だろう。
その代わりとにかく人が喰われたのだ。喰われ方も決して綺麗とは言えなかった。基本的に頭と胴体はしっかりと機神兵の腹の中に収まったが、それ以外の部位は放置されたものも多い。商業区、居住区、軍事区と場所を問わずに動かなくなった脚が、引きちぎられた腕が、時折回収し損ねたのか首から上が——数日前までは確かに人間だったパーツがぽつりぽつりと落ちていた。
こんな惨状を見せつけられてしまっては幼い子でなくたって正気を保つのは難しい。回収作業はこれに耐えられる者だけで良いとの指示は出ていたのだが、シュルクはこの作業を自ら進んでやっていた。途中で何度も目を背けていたし嘔吐した回数も片手では収まらない。それでもやり続けたのは腕の一本、指の一本でもいいからフィオルンの痕跡を見つけたいからだった。
しかし見つかったのはやはり自走砲の操縦席にべっとりと残された
生き残ってしまった。命があることを喜ぶべきなのにそれがどうしても許せなかった。
遺体の回収作業が済んでからはダンバンへ会いにいった。シュルクも俺もどうしても謝りたかった。フィオルンを守りきれなかったこと、この展開を知っていたのに阻止できなかったこと。どんな言葉も受け入れる覚悟だったのに、モナドを握った後に身体に不調はないか心配された挙句優しく強く励まされて終わってしまった。
一年前の決戦でも多くの大切な仲間の命を失った。護りたいものを護って戦った彼らの死を嘆いて涙を流すことはしないと決意した彼は、今回も人の死に対しての涙を見せなかった。たとえそれが最愛の妹であってもだ。
フィオルンもまたきっと彼らと同じ想いだったはずだ。コロニー9の皆を護りたくて、そして何より"シュルク"に生きていてほしかった。もし彼女へ何か贖罪をしたいのであれば今ある命を大切にして生き続けるのが一番だ。
「フィオルンがくれた命だと思って生きていってほしい」
そう告げたダンバンは誰が見たって今にも泣きそうだったのに、涙の一粒も嗚咽の一つも見せることなく笑った。
「……まだ分かったとは言えません。でもいつか……分かりたい、分かれるようになりたいです」
「そうだな……それでいいんだ。俺だってまだ、ずっと分かろうとしてる途中だ」
英雄も完璧な存在ではない。ダンバンだってフィオルンに限らず失った大切な人々が大勢いる。彼らの想いを受け止めるのであればもう戦場に立たない方が良いと理解している。でも彼は身体に鞭打ってモナドを握ったのだから、やはりシュルクと同じ気持ちなのだ。
その事実はほんの少しではあるがシュルクにとって救いだったのだろう。
そんな話をシュルクの口から聞いたラインはやっぱりダンバンは強い人だと零した。同時にシュルクも彼に似て心の強い部分があるから、言われた通りにこれから静かに、それでいて確実に天寿を全うできるように生きるのだろうと思い込んでいた。
しかしシュルクの選んだ道は全くの逆だ。
「僕は命の使い道を決めた。顔の付いた機神兵を追う」
コロニー9を灼き、フィオルンの命を奪ったあいつを追いかける。どこにいようと必ず見つけ出し倒して、機械部品で構成された脳みそを引き摺り出してやる。機械の臓物全てを陽の光の下に余すことなく暴き出し、その部品の一つ一つで命を奪った罪を贖わせる。
——復讐を果たす。
そこまで聞いたラインは突如として腹を抱えて笑い出した。どう考えても笑うところではないとシュルクは憤慨したが、ラインは内容に笑ったのではない。
「まさか先に言われるとは思ってなかったぜ」
彼もまた全く同じ考えだったのだ。
何ならシュルクから「命を大切に使うってそういうことじゃない!」と説教さえされると思っていたのだ。そんなシュルクがまさか復讐という手段を取るなんて、幼馴染であり一番の親友のラインであっても意外だったのだろう。
実際普段のシュルクであれば復讐なんて手段は取らない。
「頭の中に二人……三人かな……? 僕が何人かいるんだ」
一人はダンバンの言うことを聞けと訴えている。命を大切にして生き延びることを最優先とし、護ってくれたフィオルンの命をも背負って笑顔で過ごすのが最良だと提案してくる。
もう一人は基本的に前述の思考を肯定してくれる。相談を持ち掛ければ真剣に対応してくれる友人のような存在——要するに
最後の一人は機神兵を許すな、一機残らず殲滅してしまえ、奴らの住まう場所があるのなら突き止めて滅ぼせ、殺せと怒鳴りつけている。エイルとは異なり自分が抱えるもう一つの感情なのだろうとシュルクは分析している。
「そりゃきっとシュルクの中に棲み着いた俺なんじゃないか?」
……ラインはこう言っているが実際は想像以上に宜しくない状態なのである。
「……あははっ、納得。道理で声でかいわけだ」
シュルクがやっと笑ってくれたので一旦は良しとする。ラインも何の考えもない発言をしたのではなく、暗い顔ばかりしていたシュルクの気分を少しでも軽くしてやりたくて冗談を言っただけだ。そんなところがラインの優しさだとシュルクも知っている。
往く道は決まった。なれば次に決めるのはいつ旅立つか。
「勿論、今」
「……だな」
鉄は熱いうちに打てとはよく言ったものだが、この心の内にある鉄は己の身までもどろどろに溶かそうとしている。ちょっとやそっとの冷気や時間経過では易々と冷めることもない。打たれた鉄が熱さを保ったまま刃となり、顔付きの機神兵を討ち倒すその日まで赤どころか真っ白に燃え盛り続けるのだろう。
きっとこの行動をフィオルンは止めるだろう。私は復讐なんて望んでいないと言うと断言さえできる。だからこれは彼女に捧げる為の復讐ではない。誰かの為でなく自分の為に果たす復讐だ。
この復讐が完遂された時、死後にあの世が存在するのならば自分達は決して彼女に会えないのも分かっている。何かを得るものでも何かを生み出すものでもない。どこまでいっても虚無しかない、永遠に満たされもしない。
それでも、やり遂げる。
各々の武器を取りにだけ戻り、身支度もそこそこに早朝である内に旅立ってしまおうとコロニー9正面口で再び合流する。商業区には店の準備をしている者はいるが作業に追われていて通行人程度は大して気にもしていない。別に誰かに目撃されようと構いはしないが、戻らない覚悟もまた持ち合わせている。あまり多くの人に見られないに越したことはない。
「……行くか」
「……うん」
——ごめんね。
一度だけ振り返った。
綺麗な思い出だけを故郷に残して、君の想いを公園の土に埋めていく僕達を許さなくてもいいから。僕を護ってくれた君の透明な想いをこんな返り血に
君が死んでしまった瞬間に、根拠もなく明日も幸せだと信じ込む甘え切った自分も死んだんだ。もう君が笑いかけてくれるような僕じゃないから、これからの僕を見て悲しまないで。
頭の中の別の自分がうるさいんだ。このままコロニー9にいてはおかしくなってしまいそうなくらいに。だから大丈夫。君がどこかで僕のやることを悲しんで泣き叫んでも聞こえない。君の悲鳴をもう二度と聞かないで済むから僕は大丈夫だよ。
過去の美しい部分を自分から取り出して旅立つ少年の背を見つめる大人が二人いたが、当人は気が付かずに親友を追いかけた。
一人は未だ自由の利かない右腕に触れて必ず追いつくと決意した。その時が来れば共に未来を掴もうと、見送るという行為で背中を押した。
もう一人は腕を組んだままただ黙っていた。果たしてそれは前者と同じ想いであったのか、もしくは初めからこうなると決まっていたという驕りであったのか。
それを確かめる術は俺達に無い。