しばらくはジュジュの行動を警戒していた。先程の反応と表情からして暴走した正義感で飛び出す可能性はほぼゼロではあるが、万が一を考えて念の為にだ。幸いすぐにカルナと共に食事の用意に取りかかっていたし、バギーも湖側に寄せられておりその心配はすぐに無くなった。
そこまで確認してやっと一山越したと肩の力を抜いた。シュルクも内で安堵の息を吐いた。俺達の中でのやり取りだから比喩ではあるが、二人で拳を突き合わせて密かに口角を上げた。
空を見上げれば陽の位置はまだほとんど頭の真上だ。カルナの厚意にも甘えて、昼食を頂いてから改めてコロニー6へ向かうことにする。
恐らく彼女はこの旅に同行しないだろうが仕方のないことだ。キャンプ地を飛び出してしまった弟を追いかける事態が起こらなければ、彼女がシュルク達と共に機神兵と戦う物語は始まらない。当然少しでも光に満ちた未来を目指して足掻きはするが、戦うことが必ずしも良き未来に繋がると断言は出来ない。
機神兵に占拠されているコロニー6を何とか解放して、その状況と結果次第でここへ戻ってきて報告するかを決めれば良い。優秀な回復役がいなくなるのは辛いがそこは別途検討するしかないだろう。エイルの記憶から生じる我儘でカルナを危険な戦いに晒すのはあまりに身勝手だ。
「シュルク、ちょっといいか?」
カルナ達が未だ昼食の用意をしている最中だった。ついさっきまではカルナと何やら楽しげに会話をしていたラインがシュルクを呼んだ。
何か気になる点でもあったのだろうか。ラインはああ見えて人の変化をしっかりと見ている人だから、俺やシュルクでは見逃している違和感でもあるのかもしれない。
断る理由もなく彼についていけば、ちょうど停泊している脱出ポッドのすぐ横に位置する小さな高台で足が止まった。キャンプ地が一望でき、狭いながらも中々良い景色である。周囲に人もいないから会話の内容を聞かれる心配もない。
「どうかした? まだジュジュが心配?」
「いやあいつなら大丈夫だろ。ちょっと気になることがあってさ……なんつーか、えっと……」
右手でぽりぽりと頭を掻いている。肝心の内容もすんなりと出てこない。そこまで言い出しにくいことなんて現時点であるのだろうか。
疑問符で埋め尽くされる思考回路を何とか働かせるが、弾き出された答えは「もうカルナに対して恋心でも抱いたのか」だった。いくらなんでも早すぎるだろう、そもそも相手は何事もなければ既婚者になっていた女性だぞくらいのツッコミはとりあえず用意した。
シュルクにこっそり聞いてもみた。この世界に落ちて約二年しか経験していない新参者のエイルよりも、本来の身体と魂であるシュルクの方が詳しいのは間違いない。この世界の人間としても、ラインの親友としても詳しいシュルクならば予想の一つくらいは付くだろう。しかしながらシュルクもまた特に心当たりは無く、二人して——見た目は一人だが——小首を傾げた。
十秒くらいもじもじもがもがと彼らしくない迷いっぷりをした後にやっと彼の内で覚悟が決まったのか、真剣な顔つきでやっと口を開いた。
告白の手伝いならしないぞ。ぼんやりと思っていたが、そんな伸び切ってしまったゴム紐のように緩い思考の全ては次の発言で吹き飛ばされることとなる。
「——お前、誰だ?」
——は?
今何て言った?
『違う、僕も聞いてた!』
そうだ、証人がいる。証人がいるからこそ聞き間違いでないという現実だけが変えようのないものとして突き付けられている。
どうする? 誤魔化すか? 全て打ち明けてしまうか? そもそも信じてくれるのか……!?
『どうしよう……!』
心臓の鼓動が一度強く脈打った。それを自覚した途端に速度が増す。背中がじっとりと湿り気を帯びてくる。息が上手く吸えない。
後から振り返ってみれば、ラインを誤魔化すだけならさっさとシュルクに交代してしまえば良いだけの話ではあったのだ。ただエイルもシュルクもあまりに唐突なラインの問いに気が動転してしまい、そんな簡単なことさえ気が付かなかった。加えて二人揃って慌ててしまうと、身体の主導権の切り替えが上手くできないという地味に困った仕様が俺達を構成するルール内に存在していた。
どの道この瞬間に二人ともが"初めて秘密が見抜かれてしまった"という事象のみに意識を持っていかれてしまい、とにかく大混乱であった。
さて話を戻そう。その大慌て台風が巻き起こる最中で、未だ身体の主導権を握っているエイルの最初の選択はシュルクの振りを貫き通すことだった。
「何言ってるんだよ。僕だよ、シュルク。ちゃんとモナドも持ってるし心配しないでよ」
声は震えていなかったと思う。シュルクとしての口調も一人称も守れていた。何より俺達はフィオルンとメイナスのペアとは異なり、どちらの人格が表に出ていようと発される声は全く同じなのだ。ホムラとヒカリのように声こそ同じでその雰囲気や姿が全く違うわけでもない。少なくともエイルは行動などを徹底的にシュルクに似せることを必ず守るべきものと決めて表に出ているのだから、早々にバレるわけがまず無いのだ。
「いや、それは分かってんだけど……。なんか違うんだよ、シュルクだけどシュルクじゃねえ。理屈とか上手く説明できないけど"今"のお前は俺の知ってるシュルクじゃないのは間違いないんだ」
——駄目だ。
血の気が引く時は「さっ」や「ざぁっ」などの擬音で表現されることが多いが、それは事実なのだと頭の隅で妙に感心していた。
『エイル……話そう、話しちゃおうよ……! 隠しきれない……!』
『でも信じてくれると思うか!?
『ラインなら分かってくれるよ! だって僕の友達だよ、一番の親友なんだ! 未来視だって信じてくれた、協力してくれるなら心強いだろ!』
実際シュルクの言う通りだ。協力者は多い方が良い。
本当に何をそんなに心配していたのかと今となっては笑えるのだが。シュルクが知るラインも、エイルの記憶の中にあるラインも簡単に近くの存在を見限るような人物ではないと分かっていたのに。
『僕が話すよ。僕ならきっと……!』
『……分かった。頼むぞ』
このまま誤魔化したり黙りこくっていても埒が明かない。シュルクの賭けに乗る方がずっとマシなのは明白だ。
「……ライン。びっくりすると思うけど今から話すこと、信じてほしいんだ」
表と裏を切り替えてシュルクが話し出す。
「……あ、シュルクだ」
何故分かるのか。一瞬の切り替えさえも見抜いたことに尊敬を通り越して恐怖を感じ始めた。シュルクも少し引いている、親友なのに。
それからは二年前からシュルクの内に全く別の誰かが宿ってしまったことから始まり、害をなす存在ではないことや今は協力して絶望の未来を避けようと尽力していることをシュルク自身の口から語ってくれた。
二年の間誰にもエイルの存在を知られずにいた大きな要因はそもそも表に出てこない部分が大きい。未来視を現実にしない為にここ最近になってようやく頻繁に表で活動することも増えはしたが、それでも未だに数えるくらいしかない。これに関しては自惚れではなく本気でバレないと俺もシュルクも考えていた。
「分からないことも多いよ。エイルだってこうなる前のことは何にも覚えてないんだって。でもね、僕は彼が悪い人だとは思わない。いっぱい助けてくれた。色々あったけど真剣に誰かを助けたいって考えてくれてる。一番近くにいる僕は彼を信じてる。信じてもいいって本気で思えるんだ」
ラインは黙って話を聞いてこそいたが、浮かぶ表情は驚きを基本としつつ疑念や不安で様々に彩られていた。
無理もない。いくら親友の話と言えども得体の知れぬ存在をいきなり信じて受け入れろなんて易々と出来ることではない。
「エイル、って言ったよな。代わってくれるか?」
「え……うん、いいけど……」
再びエイルの意識を表へと出す。何と言われようとも否定するつもりはもうなかった。せめてもの礼儀として彼の瞳を真っ直ぐ見て言葉を待った。
「やっぱりなんか違うんだよな……」
「否定しない。"俺"はどう足掻いたってシュルクにはなれない。シュルクに成り代わってその座を奪おうなんて大罪を犯すつもりもない」
「そっか、それがお前の本来の喋り方なんだな」
静かに首を縦に振った。
場を沈黙が支配する。俺は弁解を持ち合わせていないしそもそも余地さえも無い。
「未来、変えようとしてくれてるんだよな。いつからだ?」
「最初に変えようと思って動いたのはコロニー9が機神兵に襲われた時だ。フィオルンが黒い顔付きに殺されるのを見て何とかしたかった」
多少の罪悪感はあったが少しだけ嘘を混ぜた。未来視を見る前から動いてはいたが、変に話してはラインどころかザンザにも余計な情報が行く。あくまでも未来視を見た上で変えたいと思ったことにしておきたい。
「フィオルンを……。なら、なんで——」
ああ、糾弾されるのだ。やっと、やっと俺の罪を責めて罰してくれる。
本来ならば襲撃が起こる前よりも腹を括って本気で事に当たらねばならなかったのだ。この世界は物語ではないと早い段階で理解できていれば彼女の命は失われずに済んだかもしれない。最善はどう考えたってあの時点で彼女を生かすことだった。それを果たせなかった時点で俺の足には重たい罪の枷が嵌められている。外す為の鍵なんてどこにもない。永遠に消えることのない烙印を押されたまま、たとえ彼女がこの先白い顔付きとして現れても許されてなどいないという戒め。
「……いや違うよな。動いてくれてたんだもんな」
けれど降ってきたのは俺の心臓を貫く矢でも四肢を吹き飛ばす爆弾でも無かった。
「フィオルンをシェルターに行かせようとしたの、あれお前だったんだろ?」
「そうだけど……。まさかあの時点で気が付いてたのか」
「いいや、違うなって確信したのはさっきのジュジュの説得の時だよ。今考えたらさ、シュルクだったらあんなに迷いなくシェルターに行かせるなんてしないよなぁって思ったんだ」
あの時は緊急事態で環境も各々の精神も常時とはあまりに異なっていた。だからその違和感にすぐに気が付けなかった。
シェルター側にいる防衛隊員にシリンダーを渡せば良い。一見理に適っているようだが、そこまで有用な選択ではないと少し考えれば誰でも分かる。そんな不確定要素が大きいことにシリンダーを動かすくらいならば、居住区に放置されている自走砲を使った方が役立つに違いない。あの緊急事態で効率的に機神兵を一掃したいと考えるのならば、シュルクが取る手は本来此方なのではないか。振り返ってみればあまりにシュルクらしくない発言だった。
「お前はフィオルンを戦場から離そうとしてくれたんだ。俺達にとって大事な人を守ろうとしてくれた奴を責められるわけないだろ」
どうして。ラインには俺を責める権利がある。存在を根底から否定するだけ怒ったって構わない。償いとしてこれから先のシュルクに降りかかるだろう負担の全てを請け負うことだって辞さないのに、なんで、なんでお前はそんな。
「……信じようと思う、シュルクが信じたお前を。それに俺の知らないとこでシュルクを手助けしてくれてたみたいだし。——ありがとな」
目の奥が熱を帯びたのと目頭から液体が流れ落ちたのは同時だった。
「あ、え、なんで、おれ、そんなつもりじゃ……」
止めようと袖で拭った。でも止まらなかった。大粒のそれは熱で溶かされた氷が一気に容器から溢れてしまったようで、冷たさどころか熱水と勘違いしそうなくらいに熱くて。
「あーあー泣き方はシュルクそっくりじゃねえか。やべ、ハンカチとか俺持ってねえ」
頭に置かれた彼の手が少し乱雑に撫でてきて、少しばかり揺れて目が回ったけれど怒りも不満も湧いてなどこなかった。
「シュルクって不器用だからさ、嘘つけないんだよ。シュルクの言葉に迷いとか後ろめたいのは何にもなかった。それだけで十分なんだ」
『ねえライン! 不器用ってなんだよ! 不器用な奴に君の武器が作れるわけないだろ!』
「……ライン、シュルクが物凄く文句を言っているんだが」
未だ止まらぬ涙を拭いつつ、鼻声でもあったがそれなりに落ち着いてきた。喋るだけなら問題は無さそうだ。
「え、なんでだよ」
「不器用じゃないって」
「どう考えても不器用だろ!」
『僕はラインに言われたくないね!』
「お前には言われたくないって」
「これ通訳挟むのめんどくさいな! 交代……ってもまだ泣いてるから変になっちまうか……」
決して許されたいなんて思っていなかった。許されざるべきだとしか思っていなかった。それでも外にいる誰かに受け入れられたことが、自分の行為に感謝をされたことが、信じるという言葉とそこに含まれる確かな想いを伝えられたことがこんなに。
内側に共にいるシュルクからとはまた違う重さがある。上手く表現は出来ないけれど、止まらない透明な液体こそがきっと答えなのだ。俺自身も知覚していなかった想いの表れがただ嬉しいと、幸せなのだと叫んでいる。
ラインがシュルクとエイルの違いを感じ出したのは、シュルクがバギーに触れた際にモンスターに襲われる男の子の未来視を見た時だった。
どこかの水辺で襲われると言っておきながらシュルクは迷わずに目の前の小川を離れた。場所が分からないのであればまずは眼前の小川を下るべきではないのかと疑問を抱いた。しかしシュルクの勢いと人の命が懸かっており一刻の猶予もない状況下では、心に湧いた疑問を提示し変に揉めて時間を食い潰してしまうのは流石に愚かだとラインも判断した。
その後ジュジュを助け、バギーに乗りながらキャンプ地に来るまでの間で「気のせいだったのかもしれない」とひっそりと一旦は結論付けた。すぐ隣で会話をするシュルクは至って普通の彼であり、どこも不審な点は見つからない。そんな時もあるのだろう、その程度だった。
しかしその違和感は結局のところ間違いでなかったと確信に変化する。無謀な行動をしかけるジュジュを説得するシュルクの姿は確かに彼らしくもあったが、同時に細部で何度も小石に躓いたかのように引っかかるものをラインだけは感じ取っていた。
一番の親友なのに親友に思えない。
フィオルンやダンバンでは気が付かなかっただろう。シュルクの様子に関して言えば、世界の誰よりもその変化を見抜ける自信がラインにはあった。単に長い時間をコロニー9で過ごしただけではない。大切な親友である自負がきっとそうさせている。
……物凄いけれど普通に怖い。
「ライン、一つ頼みがある。この先、基本的に俺の存在を誰かに教えたりしないでほしい」
協力者は心強いが信じさせるまでの労力はやはり大きい。今回はかなり特異なパターンであったからこうして受け入れてくれてはいるが、例えばカルナなんかは出会ってまだ間もない。まず信じてはくれないだろう。
「これからも
深々と頭を下げれば慌てた声が頭上から降ってきた。理屈では分かっていてもシュルクの見た目でやられるとやはり不思議な感覚らしい。
「頭上げろって。任せてくれよ。今はシュルクの信じた相手だから信じてるけど、その内"エイル"自身を信じられるようになると思う。……だからお前も俺のこといっぱい頼ってさ、信じてくれよ」
「……勿論だ。ありがとう」
「あ、今気づいたんだけどよ」
「違和感なら可能な限り潰すつもりだ。周囲に察されないに越したことはない」
「違う違う。目の色が違うんだよ」
「……目?」
「そ。ちょっとシュルクと代わってくれよ」
俺もシュルクも疑問符を浮かべつつ、とりあえず一度目を閉じて切り替えを行う。
「どうかな?」
ラインはぐっとシュルクの瞳を覗き込み満足げに頷いた。
「うんうん、やっぱり。もっかいエイル頼めるか?」
切り替え再び。
「そんなに変わってたのか……?」
正直失念していた。露骨に見た目が変わってしまっていたのならば、ラインに限らずかなり多くの人が気が付いていたのではないだろうか。藪をつついて蛇を出す事態を避けていただけで実は全く隠し通せていなかったのではないか。嫌な汗が首を伝った。
「ほんのちょっとだよ、エイルの方が少しだけ明るい青してる。意識しなきゃ気が付かないだろうな。……知らなかったのか?」
「『知らなかった……』」
「へー、ハモると左目だけ明るくなるんだな」
それも知らなかった。
***
涙で赤くなってしまった目も落ち着いた。身体の主導権はシュルクへと戻す。しばらくの間はこのままで問題はないだろう。
ちょうど昼食の用意も済んだようで、少量ながらも貴重なキャンプの食材を有難く頂いた。彼らの為にも早いところコロニー6を機神兵の手から解放せねばならない。復興という大きな壁は立ちはだかるだろうが、土地と人手があれば叶えられないことではないのだ。
一日でも早く故郷を取り戻してあげたい。シュルクやラインと共に決意し、早速向かおうと腰を上げようとした時だった。
何かが接近してくる音、風とは明らかに違った低い音。
「なに……?」
カルナの不安そうな声が零れる。若者は周囲を警戒し子どもは怯えた表情で親にしがみつく。老人は何かに縋るように両手を握って祈っているかのよう。
覚えのある音だった。つい最近に聞いたばかりの嫌な音、日常を嘲笑うように世界を悲鳴と炎で溢れる地獄へと突き落とす合図。
「ライン、これ……!」
「ああ、間違いねえ!」
神は越えられない試練は与えないという。しかしこの世界に本当の意味での神はいない。いるのはかつて人だった頃の記憶を失いし二柱の形骸的な神のみ。
そしてこの巨神界を司る巨神は己を全ての中心と考え、巨神が望む結末へ己の道を進もうとする人の歩みを恣意的に誘導していく。多くの道を知覚できぬように目を塞ぎ、耳元で囁いて依代を思いのままに操っていく。
だからこれは試練などではない。偽りの邪神が己の目的半分、愉悦半分で生み出した催事に他ならない。
岩壁の上に赤茶の手が伸びる。まるで幼い子が無邪気に顔を出すかのようにしてそいつは現れた。
「——見つけたぜェぇエぇええ?」
コロニー6で遊び飽きた残酷な機械の