『そこの本、古代ハイエンターに関しての記述あるから読んでおけ』
『あんまり趣味じゃないんだけど……。それにしても意外と博識だよね。本当に自分のこと何も覚えてないの?』
『伝えた通りだ。俺だって思い出したいさ。あと趣味に合う合わないじゃなくて役立つ知識だから損はない』
『そうかなぁ……』
『確認したら実際にマグ・メルドの遺跡で実地調査だ。あれが何なのか一発で分かる』
研究棟の地下にあるモナドの——と言うよりシュルク専用の研究室にて。
シュルクは防衛隊の兵器開発局所属であり、主に武器開発とモナドの研究を行っている。だがシュルク本人の性質もあってか、今や機械絡み全般を担っている気がする。本業に差し支えない範囲でやってはいるのだが、防衛隊内では「機械のことはシュルクに聞こう!」といった風潮が出来上がってしまっている。そんな日常である。
俺という存在がシュルクの中に宿ってから半年は経った。
最初の一ヶ月は俺もシュルクも事態の把握に精一杯で毎日がてんやわんやだった。何より"俺"がシュルクに対して敵意や害意を持たないことを信じさせるだけでも一苦労を要するのだ。誰もを納得させられるような証拠は勿論存在しない。どこからやって来たのか、どうやってシュルクの体内に入ったのかを理論立てて説明もできない。加えて碌に記憶さえ持っていないのである。
幸い一ヶ月も過ぎた頃には慣れや自分達の体の調子も感覚的に掴めるようになり、自然とシュルクの俺への警戒は薄れて自然と消えてくれた。
それからは俺達の体と精神のルールを一つ一つ確認し、生活への影響が出ないような立ち回りを決めていった。体の主導権、精神的な部分とも呼べる内面世界の仕様等それなりに細かくルールは存在した。しかし俺はこの"ゼノブレイド"という作品の知識だけは記憶に残っていた。おかげでシュルクよりも状態を理解するのは容易だった。
一つの肉体に二つの魂が宿る。この状況はシリーズにおいて分かりやすい事例が三つも存在する。フィオルンとメイナス、ホムラとヒカリ(厳密には彼女らは人格だが)、そしてシュルクとザンザのペアだ。
俺達の場合はフィオルンとメイナスのパターンとほとんど変わらない。互いの存在を知覚し、声に出さずとも意思疎通を可能とする。さっきの会話がそうだ。俺達はどちらも声帯を一切震わせていない。
しかし体の内側で即座に意思疎通が可能でも、心の奥底は靄がかかったようにはっきりと見えない。意識の切り替えも簡単に行えるがプネウマのパターンではないので姿は一切変化しない。でもフィオルン達とは異なり、現実でどちらが体の主導権を握っていても俺達から出る声は同じだ。
——正直、ザンザが既にここに"い"るのだけは厄介だが。
シュルクの年齢は現在十六になる。物語の開始の約二年前であり、大剣の渓谷での決戦を含めてもまだ一年の猶予がある。
それでもシュルクの内に巨神の魂が宿ったのは十二年も前の話だ。"俺"なんかよりシュルクとの付き合いはザンザの方が遥かに長い。付き合いとは到底表現できないが。どちらかというと寄生だろう、これ。
俺が恐れているのは"俺"の個の意思全てがザンザに伝わっているかもしれない点だ。理由を述べる前に大前提として俺のある想いがある。信念と言い換えてもいい。
「古代ハイエンターとは随分と研究熱心じゃねぇか」
「ディクソンさん!」
いつの間にやら研究室に訪れていた男が不意に声をかけてきた。第一印象を挙げれば十中八九まず金の髭になるだろう男——ディクソンは普段と何ら変わらぬ声色でシュルクの抱えた本に興味を示した。
当たり前だが"俺"は彼の正体を知っている。オセの塔に封印されていたモナドの下でたった一人息をしていたシュルクを発見してコロニー9へ連れ帰り、事実上の育ての親として十年以上シュルクの面倒を見続けている。しかしそれは全て後に訪れる巨神復活の依代として育て上げる為に過ぎない。ザンザの使徒として長い時間を、自我を持ったまま数千年を生き続ける巨人族の——恐らくは——最後の一人だ。
物語の上で悪役としての立ち振る舞いをするディクソンに対して俺が現時点で何らかの働きかけをすることは可能だ。
でもその選択肢を取るつもりはない。単純に力で敵うわけがないのもあるが、最も大きいのは"俺"はゼノブレイドという作品が好きなのだ。味方も敵も関係ない。あの物語を構成する役回りとしてどの登場人物も俺は皆等しく好きであり、ヘイト的感情は基本的に湧いてこない。
つまり俺はこの物語が好きであるが故に、俺の知る流れのままに事が進むのが何よりだと思っている。俺がシュルクの体の主導権をほとんど握らないのも、仮に俺が表面に出ていても本物のシュルクとして振る舞うのも、俺の存在を他の人に絶対に明かさないのも、軽率にこの世界に干渉したくないのもそういう理由だ。
そしてその知識を持つからこそ、この物語の終着点の光景をザンザに察されてはいけない。俺の存在がより良い結末に辿り着くのであれば問題はない。しかしそれを逆手に取られるのだけは避けたい。考え得る限りで最も最悪なのは未来が変わるポイントでザンザに先手を取られ、俺の知る結末が狂うことだ。
だから物語の中のある地点で試してみようと思う。俺の抱えるものがザンザに筒抜けであるのか否か。勿論結末に悪影響を及ぼさないベクトルで。
それまではこの巨神界と機神界に関する作品上では語られてこなかった情報を集めることに徹する。こんな異物が完成されている物語を掻き回すなんて気色の悪い話ではあるが、イレギュラーな事態が発生した際に悪い方向へ向かわぬ為にも知識はあるに越したことはないのだから。
それに俺だって作品を好く者として考えなかったわけではない。死んでしまった登場人物達が生き残るもしもの世界線の可能性を。
ゼノブレイドに関する知識のみを持ってシュルクの中にいる俺の存在意義だってこの半年で何度も考えてきた。それはやはりというか、結局俺自身も願っている"犠牲者を減らすこと"なのではないだろうか。言い方は悪いが作中で名を知らずに終わった者達まで救えるだなんて思っていないし、全知全能の神ではないのだからどう考えたって無理な話だ。だからせめて主要キャラクター、その周囲の人々だけでも良い未来に導きたい。
『……ル。ねえ、"エイル"ってば』
シュルクの呼びかけで意識を彼に向ける。気が付けばディクソンは退室し、再び研究室は俺とシュルクの二人——いや一人か?——だけになっていた。
『悪い。考え事してた』
『そっか。古代ハイエンターの本、勧めてくれてありがとう。ディクソンさんにもモナドの研究に役立つって言われたんだ。年代的にそれくらい昔から存在する武器だって伝えられてるから、必ず関連する何かがあるはずだって』
エイルとは俺の仮の名である。名前すらも思い出せないのは不便だろうとシュルクと相談した結果付けられた。不満はないがエイとそっくりな名前なのが不安だ。何ならエギルと一文字違いなのも普通にややこしいのでは? しかし理由も今のシュルクには説明しにくい。超重要人物と似た名前は後々に悪影響が出ないのかどうか、少し怖い。
『……嬉しそうだな』
鏡など見ずともシュルクがどんな表情を浮かべているのか分かる。伝わってくる感情もそうだが、五感は基本的に共有しているから体の動きも俺にまではっきりと伝わってくる。
『モナドの秘密にまた近づけるかもしれないからね』
それも事実だろうがシュルクにとってはディクソンから褒められたことの方が大きい。父と呼んだことは無くとも、シュルクがディクソンをそれに近しい感情で慕っているのは明白だ。子が親に褒められたのならば喜びを抱くのは当たり前だろう。
さて話を変えよう。
俺はあまり物語への積極的な干渉を望まない。しかしながら
物語のこんな展開が好きだ、このキャラクターが好きだ、自分もこんな技を使ってみたい、自分もこんな風になってみたい。
様々な記憶と感情が入り混じるが一際強く輝くものがある。
ふとシュルクがモナドを見て緩やかに口角を上げる。
『いつかモナドの秘密、解き明かせたらいいな』
——推しが可愛いッ!!
エイルはシュルク推しなのである。しかも最推し。このどことなく箱入り感のある少年が閉じられた世界を終わらせて新たな世界を拓く。そして更に先の未来では右腕義手の金髪ロン毛のイケメンおじさまになる。声も好き。顔も好き。もう全部好き。
しかも可愛いとまで思っているのだから、やはり元の俺は女性だったのか? いやでも魅力的なキャラは性別問わずにかっこいいとも可愛いとも思うだろう。最推しでないにしろダンバンさんだって物凄く好きだ。あれは男女問わずに惚れるキャラクターの筆頭だろう。3のタイオンだってファンから可愛い可愛い言われまくっているし、俺は彼が3ぶっちぎりの萌えキャラだと信じている。それに男性だけでなく女性キャラも皆好きだ。女性キャラに対しても可愛いともかっこいいとも思っている。
正直最初はシュルクの体に入り込んだことは激しく落ち込んだ。好きだから故である。こんなオタクが推しの体に入り込みあまつさえそれになりきり、推しと会話さえするなんて自分自身が許せない。
何度も消えたいと念じたが、ご覧の通りに俺は未だにここにいる。幾度かの自己嫌悪と数え切れない思考の繰り返しを経て、今となってはもう諦めて開き直っている。自分の存在意義を考えてそれを外に求めた。立場が立場なのだから物語に影響しない範囲で、推しを心ゆくまで観察できる権利を得たと思い込むことにした。そうでもしないと罪悪感で死ねもしないのに苦しみ続けてしまう。
実際のところ、物語が開始される前のタイミングであるから知らなかった情報は山のようにある。作中やモナドアーカイブスにも書かれていないシュルクの情報が漁っても漁っても尽きない。オタクの涙腺は弱いので精神で感涙しっぱなしである。この感動を話す相手もいないので自分自身にもう一度言い聞かせておこう。
まず一つ、シュルクの誕生月は師星期と言われている。これはメリアとカルナの皇都アカモートでのキズナトークから得られる情報である。
だがこれは微妙に正確ではない。正しくは"シュルクがコロニー9へやってきたのが師星期"である。
モナド探索隊に所属していたシュルクの両親は、そのモナドを探す旅の最中にシュルクを産んでいる。そこから更に四年が過ぎてようやくオセの塔に辿り着いたものの、結局全員その場でモナドの内にいた巨神に全エーテルを吸われて死亡した。シュルクのみが偶然か必然か、巨神たるザンザの依代に選ばれ、か細いながらも息を吹き返してディクソンに保護された。
そんな状況に置かれた四歳の小さな子どもが、果たして誕生日を正確に覚えているだろうか。誕生日どころか保護される以前の記憶はシュルクの中にほとんど残っていない。何ならシュルクの年齢だって本当にフィオルンやラインと同い年なのかすら怪しいのだ。
両親の顔も声も、自分が産まれ落ちた場所も、自分の本当の年齢さえも。彼は何も知らぬまま生きている。
そんな彼を憐れんだのはダンバンだった。
世に産まれ落ちたことを祝う日は誰もが平等に持っている。分からないのなら決めてしまえば良いだけの話だ、と。
シュルクもフィオルンもラインも、コロニー9の幼馴染として育ってきた三人は皆幼い頃に両親を失った。悲しいことに機神兵の襲撃が長く続く巨神界では特段珍しい話ではない。そんな世界だからこそ、ダンバンは直接血が繋がらないシュルクとラインも弟として、妹のフィオルンと同じくらい大切に扱うと決めていたのだろう。後にシュルクにとっては義理とはいえ本当に兄になる訳だが。
兄として、保護者として。彼の提案でコロニー9へやってきた日がシュルクの誕生日として祝われるようになった。
もう一つ、シュルクは年に数回体調を崩す。崩すと言うよりもっと酷く、衰弱してしまう。
単なる風邪や感染症ではなかった。高熱が出るわけでもない。
しかし数日、長くとも一週間もすれば元に戻る。初めから何もなかったかのように後遺症の一つもなく健康体そのものとして回復する。
原因は現時点で誰にも分かっていない。原因が分からないのだから治療法も無い。シュルクは耐えることしかできず、周囲の人間は祈るしかできない。
半年前に俺の意識が入り込んだ時もそうだった。ちょうど回復に転じ始めたタイミングであり、直前までのシュルクは死んだかのように眠っていた。フィオルンが泣きそうな顔で安堵していたのも今となっては痛いくらい理解できる。
『シュルク、そろそろ帰ろう。病み上がりなんだから早めに休んだ方がいい』
『大丈夫だよ。怠さなんてもう何にも残ってないんだからもう少しくらい……』
『駄目だ。ずっと横になってたんだから体力はどうしたって落ちる』
『体力なんてラインと比べたら勝てないんだから大して変わらないよ』
『拗ねるな。フィオルンに要らない心配かけたくないだろ』
で、つい数日前までまた衰弱していた。
そんな設定あったのか!? という驚きよりも辛さの方が遥かに大きい。俺にも体の感覚は全部伝わってくるのだから、シュルクの体が弱れば俺も物凄く苦しい。最推しの体調リアル体験を喜ぶオタクはそこそこいるだろうが、さすがに死の直前まで追い込まれる状態を喜ぶ奴はいないだろう。
そんなこんなでシュルクの内にいる謎の存在のエイルとして何とかこの世界での生を謳歌している。未だに困惑や罪悪感もあるが、大好きな作品の中でこれまた大好きなキャラクター達を間近に感じられるのは間違いなく幸福だ。
そして近々物語に影響を与えるある出来事が控えている。
モナドの使用者の選定、防衛隊所属の者による争奪戦がある。形式はシンプルにトーナメント戦で、優勝した者が神与の剣モナドを携えて戦場に赴くこととなる。
結果はどう考えてもダンバンの圧勝になるのは目に見えている。あのレベルの剣技を持つ兵は易々と生まれないし、そこに干渉するつもりもない。
代わりに俺が接触を試みるのはダンバンに敗れる相手——ムムカだ。
ムムカの運命を変えると、コロニー9を襲撃する機神兵団を率いるのが黒い顔付きでなくなる可能性がある。そうなるとフィオルンの死亡回避の確率も上がり、メイナスの依代の変更など本来の物語の流れからは大きく離れていく。
これらはシュルクが旅立つ理由の消失に直結する為、自身の復活を目論むザンザにとっては変えてはならない分岐点のはずだ。でも前述の通り、あまりに大胆に動いては意思を読まれるどころか行動そのものから俺の目的が勘付かれる可能性も大きい。
だから大きく動くつもりはない。ほんの少しだけ、ムムカの心に小石がぶつかるくらいの軽い衝撃を与えるだけでいい。
ザンザの妨害があるか否か、シュルクに伝えていないことはザンザにも伝わっていないのか、俺の腹の底は隠し通せているのか。
俺はまずそれを確認せねばならない。