ゾードの機体が全て沈み切ったのを見届けた。金属の塊が落ちたのも忘れてしまったかのように翡翠色の海が静まり返る。灼熱の海は落ちる存在を拒絶せず、命を皆等しく溶かし尽くす。ある意味では何よりも残酷であると同時に、誰よりも慈悲深い死を与える存在と表現できるのではないだろうか。
エーテル流が波の一つも立たなくなったところで身体の力が一気に抜けた。立つこともままならず後ろ向きに大の字で倒れ、硬い床に背中を預ける。
焦ったラインの声が近づいてくる。何とか寝返りを打ち右半身を下にして横向きになる。多分回復体位になれている、はず。
「らい、ん、だいじょ……だよ。ちょっと……つかれただけ、だから」
「大丈夫なわけあるか!! お前今顔真っ白だぞ!! カルナ、来てくれ!!」
最早真っ青を通り越しているらしい。自分の顔色は自分では見られないがシュルクのやらかしたことは理解している。冷や汗は止まらない、吐き気はする、視界は心なしか若干暗い。これで大丈夫だと言ったシュルクがおかしい。
ジュジュは無事に目を覚ましており身体に異常も無いらしく、カルナと共にシュルクの下へとやってきた。ラインの背後ではオダマも多少の困惑を滲ませているものの、見た限りでは怪我の一つもなく無事に生きている。それが叶ったならこの身体の辛さも許される——。
『なんて思うなよシュルク』
『でもこうしなかったら誰かが死んでただろ』
『お前が死にかけてどうするんだ』
シュルクが何をしていたのか。簡単に言えば常時バトルソウルを発動させていたのだ。
モナドは一つのアーツを放つのにその都度エーテルの充填が必要になる。基本的にはモナドを振ることで大気中のエーテルに刀身を触れさせて回収する仕組みだ。意外と単純で結構驚いた。天の聖杯達のようにゲートから直接エネルギーを取り出すわけではなく、仕組みさえ知れば他の武器でも再現できそうなやり方だ。
——あ、この仕組みってモナドレプリカか。
さてゾードとの戦闘においてシュルクはほとんどの時間モナドアーツを発動させていた。"
大気中からのエーテル回収が出来ない場合、それを補うのがバトルソウルというシュルク自身の持つアーツである。いつの間にか身についていたそれは自身の体力を削ってモナド発動までの時間を短縮する効果を持つ。
もう少し詳しく説明すると、自身のエーテルをモナドに吸わせることでモナドアーツの発動に充てている。この世界の全てを構成する根源元素のエーテルを吸わせている。つまり比喩でもなんでもなく直接命をモナドに与えているのだ。
『道理で消耗が激しいわけだ。お前が弱ってる時と同じ種類の怠さだから危険だって分かるだろう』
『ああ、覚えがある苦しさだなって思ってたけどそれかぁ』
『分かってなかったのか……』
そもそもバトルソウルは自身の体力に余裕がある時や回復役と連携して発動させたり、窮地に追い込まれた際の最終手段としての使用が基本だ。隙あらばバトルソウルなんて戦法は、リスクが大きい割に得られるリターンは思いの外小さい。但し今回は常時発動した上で辛くも勝利した状況の為、あまり頭ごなしに否定は出来ない。俺もあまりモナドアーツに頼りすぎないで勝利への糸口を探れるようにしたいものだ。
カルナが手際よくライフルに回復用のエーテルシリンダーを詰めているのをぼんやりと眺めながら二人だけで会話をしている。こういう時は俺達の身体の仕組みが便利だ。物理的に声を出す気力はないが、思考は出来る余裕があれば内側でのやり取りはそこまで負担にならない。
『あれシリンダーの量多いぞ、普段の二倍は詰められてる』
『そんなに要るかな』
『顔真っ白にしてる奴がよく言う』
宙に向けて放たれた濃度の高いエーテルの雨が降り注いでくる。雨といっても雫が落ちてくるというよりは霧が肌に触れている感覚の方が近い。顔や手、足といった肌が露出した部分から回復エーテルが吸収されて怠さも徐々に薄まっていく。
とりあえず上体を起こそうと手を床について腹に力を入れる。完全な回復には睡眠も必要だろうが、軽く動くだけなら問題ないくらいには身体が楽だ。流石衛生兵。
「ライン、これシュルクに飲ませてちょうだい」
カルナが手渡した小さなシリンダーは飲用の回復エーテルだ。シュルクが持ち歩いているものよりも高濃度で純度も高い。
「いや自分のあるから大丈夫……」
「飲め」
「んぶっ」
有無を言わせずラインの手が回復エーテルを口の中に突っ込んできた。カルナもラインも対応が大正解すぎる。シュルクに断られる可能性を見越してラインに渡し、遠慮なく飲ませられるラインがシュルクの体内に流し込む。シュルクの性格はカルナにもこの短い間でかなり把握されているようだ。反省しろ。
「んぐ……っ、げほ、こほっ……。ライン! ひどいよ!」
「はははっ、いつもライトヒールを容赦なく俺の顔にかけるお返しだよ!」
「もう……。でもありがとう、カルナも」
声を張ったつもりだったがそれでも常時より幾分か弱々しい。それでも場の空気が軽くなったのを感じる。誰の命も失われなかったからこそだ。
ふとオダマが片膝を突いて未だ座り込んだままのシュルクに視線を合わせた。何か咎められるのかと咄嗟に身構えたが彼からそのような雰囲気は感じられない。
「シュルク、といったな」
「……はい」
オダマは一度瞼を下ろしもう一度それを持ち上げる。その目は最初に出会ってからここまでの中で最も柔らかい色を宿していた。一瞬の迷いや些細な間違いも許されない戦場にいるような張り詰めたものでもなく、年を重ねた者として厳しく皆を率いる責任を負ったものでもない。きっと一人の人間として、オダマ本来の目の色が今目の前にあるものなのだ。
「礼を言う。お前と隣の……ラインといったか、お前達二人のおかげで儂は命を救われた」
感謝されたくて動いたわけではない。突き詰めれば誰も死なせたくないという一個人の我儘でしかない。それでも心からの素直な感謝は僅かばかり心がくすぐったくて、やはり嬉しいものだ。
「ただ……一つ気になる点がある。お前達はまるで儂が
カルナもそうだったがやはりその違和感は肌で感じるのだろう。信じる信じないは別として、ここで隠してしまうのは礼を告げてくれたオダマに対して不誠実だ。変に誤魔化したりはせず、此方も素直にそのからくりを話すことにした。
「僕は少し先の未来が視えるんです。自発的には出来ないし時間や場所の指定も無理だけど、何もしなかったら僕の視た未来は現実になります」
驚いたオダマに一つずつ今回のことを説明していく。今回見た
「黙っててすみません。色々考えてそうしたんですけど、もしかしたらオダマさんは先に話していた方が……」
「いや、お前の判断は正しい。あの時の儂は教えられたり作戦を止められたりでもしたら、黙れくらいはお前に言っていただろうな」
世界で生きていく以上、いつだって正解は結果が出ないと分からない。後悔も尽きることはないだろう。未来視はあくまで最も高い確率で起こり得る事象の一端を覗き見る能力であり、時を遡って過去を改変する能力ではない。後悔を取り消すものではなく後悔を生み出さない手助けだ。
未来視を認知出来る者とそれを信じて手を繋いでいてくれる者がいたから絶望の未来は変えられた。だから今この状況は正解を選び取れた、選んだ道を正解に塗り替えられたものだと思える。
「あのシュルクさん……」
オダマの背後からジュジュが顔を見せた。
「ジュジュ、ごめ……」
「ありがとうございました」
「……え」
渦巻いていた後悔と巡っていた思考が止まる。シュルクはともかくエイルは責められたとて感謝される資格なんてない。モナドをキャンプ地に持ちもうとそうでなかろうとゾードはやってきたのだから、その点は仕方ないで何とか割り切れる。だがジュジュが少女に手を伸ばしたのは俺が余計なことを言ったからだ。戦わずとも何かが出来ると直前に教えてしまった行動は安易に許されるものではないだろう。
「止めてくれなかったら僕は勝手に飛び出してたと思います。そうなってたら、きっと僕は力不足を後悔する瞬間も無しに死んで、そこで終わってた」
「だけど、
「そこまでだ」
「ぐ、えっ」
ラインが右腕を伸ばしたかと思えば肩を組むようにして強引に引き寄せてきた。いきなりで力も強めだったから苦しげな声が漏れる。
「ジュジュは助かった、それでいいだろ。それに
ジュジュは口角を上げて頷いた。その短いやり取りでジュジュが拐われる前の状況も大方察したのか、オダマが彼の頭を少しばかり乱雑に撫でた。成長したな、と親としての言葉を添えて。
「儂らもお前の未来視の力を信じよう。それを踏まえて聞きたい。ガドを、他の皆を見てはいないか?」
視線が泳ぐ。向いた先は床に残ったままの大量の血痕だった。そしてシュルクは首を横に振り、エイルは口を開いた。
「見ては、いません。でも一つだけ、与太話くらいのつもりで聞いてほしいんですが……機神兵についての仮説があるんです」
コロニー9とコロニー6を襲撃した機神兵団には共通点がある。一つは顔を持ったモナドさえ効かない新型が投入されたこと。もう一つはホムスを殺すのではなく喰っていたこと。
一年前の大剣の渓谷での決戦の記録には機神兵がホムスを喰ったなどとは記されていなかった。巨神界よりも遥かに優れた機械技術で作られた兵達が殺戮の限りを尽くしていただけだ。
巨神界の不意を突いたり過剰すぎる戦力で攻め入ってきたのだからコロニーの一つや二つなどあっという間に焼き尽くせたはずだ。それにもかかわらず何故か人の肉を喰う——体内に収めるという手間のかかる行動をしていた。そこには必ず意味がある。
「機械が人の肉をそのままエネルギーにするとは考えにくいです。だから別の理由、人体を何かに利用する為に回収しているのではないか、死体を残したくない何かがあると僕は思っています」
「つまり連れ去られた可能性、というわけだな?」
「はい。でもそこに肉体の生死を問わないという条件があれば少し厳しいですが……」
顔を持ち上げてカルナの顔を見た。
命に価値の差はないがここで言っているのはガドのことだ。ここで喰われて腹の中に収まりゾードと共に散った可能性、連れ去られて緑の顔付きとして利用される可能性は半々だ。
彼女は希望を信じてくれるだろうか。エイルは可能性自体は高いと分かっているから信じているし、シュルクもまた信じること自体には肯定的だ。しかしいくら俺達が強く信じ祈ろうともカルナが諦めてしまえば意味はない。ガドと再び出会うのを願うならば、大前提としてカルナの祈りが要る。それを補強するように他の者の同意や同調があれば可能性は引き上がる……とどこからどう見ても精神論でしかないが、人の想いは馬鹿にできないので大真面目に考えている。
「……私もシュルクの言うことを信じたいわ。こんなに血が残っているのにどうしてかしら、ガドが死んだとは思えないの」
——ああ、良かった。
思わず力んでいた肩の力が抜けた。ここで拒絶されたら何と説得しようかと頭を抱えていたところだったが杞憂で済んだ。
「そうじゃな。儂も息子が死んだとは思えん、奴は足が無くなって地べたを這いつくばろうと生き抜く男だ。愛する者が帰りを待っているなら尚更な」
「僕もそう思います。二人の結婚式でリングボーイをするって約束、まだ出来てないから」
カルナの祈りを更に強く支えるようにオダマとジュジュもガドの生存への希望を語った。ガドの帰りを待つ者は沢山いる。彼らの想いを無駄になどしない。緑の顔付きとして出会ったならばあの最期を絶対に変えてみせる。
だからまずは、どうか肉体だけは残っていてくれ。
搬出用のエレベーターで採掘場に侵入した排水口とは反対の出入り口へと向かう。その際にオダマからカルナへガドの愛用していたカスタムライフルが託された。預かったままコロニー6に残り続けるよりカルナと共に連れていってほしい。ガドの生存を信じる想いを乗せて、再びこのライフルが本来の持ち主の手に戻る願いを込めて。
ゆっくりと地上へ向かうエレベーターに揺られながら、オダマとカルナは一度脱出艇キャンプに戻りコロニー6が解放された旨を伝える打ち合わせをしている。ジュジュはラインと気が合うのか、互いのコロニーの日常の様子など他愛無い会話を楽しんでいた。
シュルクはただ一人徐々に小さくなっていく溶鉱炉を眺めていた。未だに鮮やかなエメラルドグリーンに光るそれは波打つ様子もなく、来る前と同じように採掘されるエーテル結晶の精錬の為にただそこに在った。
『……ゾード、もう溶けたかな』
『流石にあの大きさは数時間かかるだろうが……心配か?』
『少し、ね。どこに逃げ隠れても追いかけてくるって分かったから、もしまだ生きてたらあそこから飛び出してきそうな気がして』
エイルの記憶では実際その通りになっていた。見るも無残な姿になろうともゾードはシュルク達に牙を剥いた。エーテル流で溶かされた機体はもう"人"としては扱われず、封印されたままのモナドの刃もあっさりと通してしまった。
記憶にあった出来事が起こらない。それが意味するのはただ一点だ。
ゾードはモナドに頭を叩き割られて死んだ。
モナドの形は変わっていない。枷は嵌められたままのはずなのだが、あの時にゾードの頭は砕け散っていたのを
矛盾している。人を斬れないという枷が外れるのならばモナドは姿を変える。姿が変わっていないのならば枷は外れていない。なのに顔付きを砕いた。枷の有無さえ正確に判断できないのは厳しい。
『ねえエイル、モナドの封印って聞いたことある?』
『……いや。今まで調べてきた資料では見たことがない』
『だよね。でもゾードがさっき"封印の解けてないモナドじゃ俺は斬れない"って言ってたんだ』
ゾードも余計な情報を残してくれたものだ。シュルクくらいの頭脳の持ち主ならば、現在持ち合わせている情報だけでも簡単に「顔付きは人ではないのか」と推論が立てられてしまう。
寧ろ好都合と捉えるべきだろうか。早い段階で顔付きがホムス、即ち人間であるという考えに至れれば機神界側についての調査が先であると優先順位が変わる可能性があるかもしれない。復讐を一度止めて過去に二つの世界に何が起こったのかを知り、機神兵が巨神界へ侵攻してくる理由を突き止めたら恐らくシュルクは考えを改めてくれる。
しかし現時点で悩む時間はあまりない。
ラセン谷でゾードとの遭遇という事象を避けても大筋は大して変わらなかった。ジュジュは連れ去られ、中央採掘場の最深部で決着をつけた後にゾードは息絶える。まだ俺の知る流れに対し大きな干渉までには至れていない。
つまりこのエレベーターが地上に出てしまえば、次に起こる事象は十中八九
俺達の歩む旅路はまだ不穏の雲の真っ只中、青空を見てほっと一息などと甘いことは言っていられない。