いつしか異物は喀血となる   作:坂野

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黒い顔付き

 外は冷たい夜雨が降る世界だった。採掘場の内部は地下にある灼熱のエーテル流のおかげで常時一定の温度が保たれている。採掘場内に長く滞在した上に、ゾードとの戦闘を終えたばかりの身には肌に降り注ぐ雨が細かな氷の針にも感じられるのだろう。シュルクの身は大した刺激を感じていないものの、他の皆は程度の差はあれどやはり雨の冷たさに反応を示していた。

 晴れていれば紺青の空に白磁(はくじ)月白(げっぱく)の星々が瞬く美しい景色が見られただろう。生憎今の空は厚い雲が紺青から紺鼠(こんねず)に染め変えていた。

 遠くでは雷の低い音が身体の芯を弱く揺らしている。ゾードを打ち倒すのは到着点ではなく通過点だ、まだ手放しで喜ぶ状況ではないだろうという天からの警告にも聞こえる。

「コロニー6の人達の(かたき)は討てたんだ。それは変わんねえよ」

 空と同じで晴れぬ表情のシュルクを気遣ってかラインが励ましてくれる。気持ちは嬉しいがエイルもシュルクもそれぞれ別の理由で素直には笑えない。エイルはすぐそこに迫る次の事象、シュルクはまだ自分達の仇は討てていないことに対して。

「あの黒い顔付きはここにはいなかった。僕達はまだ何も出来てないよ」

「そうだな。また別のところで情報を探すしかないか……」

「とりあえず今はもう少しだけコロニー6の手伝いをしようか——」

 

「その必要は無いぜ?」

 

 すぐ背後から聞こえた覚えのある声、同時に感じるブースターが生んだ空気の圧。反射的に振り返ればほんの一時も忘れたことのない、眠っている時さえも忘れられぬ憎い(フェイス)が寸分たりとも動かぬはずの機械の表情筋を歪めて笑っている——ように見えた。

『シリンダー一本取って飲め!! 回復しないと死ぬぞ!!』

 シュルクの身は万全ではない。カルナの応急処置があったとはいえまだ全快には至っていない。驚愕で強張ったシュルクの意識を掌で叩くようにして現実に戻させる。緊急時用に持ち歩いている左腕のアームカバーに装着されたエーテルシリンダーを引き抜き、中身の高濃度の回復エーテルを口から喉、そして胃へと流し込んだ。

 ヤツ——黒い顔付きの浮上で草が舞い、(つゆ)の匂いが鼻の奥を刺激する。風圧で堪らず目を閉ざすも右手を背中に回してモナドを引き抜いた。

 どのようにして戦うべきか。全員が激戦の直後で回復しきっていないこの状況下において、誰の命も失うことなく乗り切る方法を考えようとして瞼を開き、その先に広がっていた光景に絶句した。

 小型機神兵がざっと見ても二十機以上、今さっき倒したばかりのゾードと同等の型式が五機、そしてそれを統べる黒い顔付きが一機。対して此方は戦闘員が四名、非戦闘員が一名である。

 これが小型機神兵のみならば恐るるに足らなかった。"(エンチャント)"で仲間と共に確実に潰すも良し、"(バスター)"で全て薙ぎ払うも良し。油断せずにいれば確実に勝てたのは間違いない。

 しかし——前提として枷が外れていないものとするが——今のモナドの唯一にして最大の弱点は顔付きの機神兵を断てない点だ。一機倒すのだって一苦労どころの話では済まないのに、顔付きが六機も同時に襲いかかってこられては、使い手がモナド適性を有したダンバンであったとしても勝利するとは言い難い。

「こんなゴミみてぇな連中に倒されるたぁ、ゾードもとんだハッタリ野郎だぜ。ちょーっといい役割与えられたからって調子に乗りやがって、所詮量産品の型式に過ぎねぇのによぉ!」

 最後に聞いた肉声とは大違いだ。故郷を捨てて逃げ出した罪悪感も無ければ、英雄になれぬもどかしさも輝かしい戦友への嫉妬も無い。今の状態が満たされていて、人一人を優に超える大きさの爪を軽々と振り回し鮮血を飛び散らせることを心底愉快に感じている声だ。その上"黒"という自分のみの機体を所有することであったり、人の命を容易に奪えるだけの力と間違った立場を得たことから来る優越感が、生前満たされることのなかった彼の英雄願望を歪な形で埋めている。

 彼を救う手は無いのだろうか。人の命を遊戯事として奪った罪は許されずとも、死ぬ時まで償わせることで今を生きる人へ出来る何かはある。悦楽や幸福を受け止める器を人から流れ出た血で満たすのは間違っている。

 これ以上、愚か者に与えられる底のない空間へと堕ちていってほしくない。人間としての自我を有する彼を止めたい気持ちはまだ俺には残っている。どれだけ机上でしか語られない理想論であっても、黒が救いようが無いほどに堕ちぶれたように見えても、戦友と何一つ分かり合えずに記憶の通りの最期を辿るのはあまりに寂しすぎる。

 エイルもそうだが、それよりもシュルクの怒りの温度が上がりきらぬ前に考えたかった。現実は黒の煽りはあまりに容易くイグニッションスパークとなり、シュルクの心臓に深緋(こきあけ)の火柱を噴出させてしまった。

 皆が黒もゾード同様に言葉を話すことに驚きを見せる中、噴き上がった炎に呼応するようにモナドの輝きが増すのを視界の端で捉えていた。

 顔付きとして産まれ直す過程の違いからか、量産型の一体であるゾードには記憶の空白や混濁が発生する。生前ホムスであった点まで覚えているのか、覚えていても同族を手にかけることへの躊躇や良心は欠落してしまっているのかまでは不明だ。しかしどちらにせよ人の命を奪う行為への罪悪の感情を持っていないのは確かだ。

 "黒"は違う。厄介なことに奴は記憶をほぼ残した上で殺戮を本心から楽しんでいるのだ。

「いつ思い出しても笑えるぜ、シュルク(そこのガキ)が必死こいて叫んでたザマはよぉ」

 フィオルンの名を呼び自走砲での突撃を止めさせようとした無様な姿を、大切な人の命を失いたくないという想いを、こいつは無駄に大仰な動きで真似て踏み躙る。

 あの時の俺達(シュルク)の行動自体が嘲笑されるのは一向に構わない。無様であればあるほど内に抱えた想いは本物である証明だと知っているからだ。全く恥ずべきことではない。

 但し——。

「気持ちよかったなぁ、あの女の感触ゥ……」

 黒の右の爪がゆったりと持ち上がったかと思えば、今度は重力に任せてすとんと地面の土に突き刺さる。切れ味の良い包丁が調理する食材を真っ二つにする様子に似ていると、あまりに場違いな連想をした。それくらいにあっさりと、機神兵が斬って当然、ホムスが斬られるのが因果だと言わんばかりの軽い動きだった。

「サクぅッ——てなぁ」

 死者の尊厳まで、シュルクにとって最も愛しい者の死さえも弄ぶのは、たとえそれが見え透いた挑発だったとしても。

 生きる者として、相手が"人"だからこそ抱く感情として。

「お前だけは……っ! お前だけはァァァッ!!」

 ——シュルクも、(エイル)だってその行為を許せるわけがないに決まっているだろうが!!

 噴出した怒りがそのまま身体を動かす推進装置(ブースター)となった。今度こそあの顔面を粉砕しようと駆け出して力任せにモナドを叩きつけた——が、右の爪のたった一本で容易く受け止められてしまう。数秒だけ力が拮抗したものの、あっさりとモナドの刃は弾かれてシュルクの身は後ずさった。

「懐かしいよなぁモナド! けどよ、効かないんだよなぁ!!」

 今の一撃は黒に全く効いていない。モナドの枷は外れていなかったのか、ゾードの頭を割ったのは本当にただ叩いた衝撃で運良く割れただけに過ぎなかったのか。

 一瞬でもモナドの枷に意識を割いたのは誤りだったと気付いたのは、腹部に鈍さと鋭さ両方を含んだ痛みが走った時だった。辛うじてモナドで防いで致命傷には至らなかったものの、シュルクも黒の素早い爪の動きにまともに対応出来なかった。身体は軽々と宙を舞い、落下の衝撃を殺せずに雨粒で濡れた地面を滑る。

「そんなナマクラでもモナド使いは邪魔らしいぜ? 始末しろって命令が出てんのよ。ま、この間みたいなこともある。それに——」

 黒が首を右に傾ける。あの仮面の下が直接搭乗席ではないと分かっていても、機械の能面を憤怒に任せて殴りつけてやりたい気持ちは湧いてくる。人を殺めた罪を罪だと自覚するまで、償う気が起こるまで、己の拳が砕けようとも殴り続けてやりたい。拳が駄目になれば脚で蹴りつければいい、それも駄目になれば己の脳天で叩いてやればいい。原型を忘れるほどに潰して、壊して、謝ろうとも泣き喚こうとも真に罪を認める言葉が出てくるまで殴ればいい! それが出来たら苦労しないではないか!! 出来ぬから憤っている!! 出来るのは枷が外れたモナドしかない。それならば、それならば……!!

「生きてて何があるんだぁ? さっさと死んじまった方があの世であの女にも会えるぜ。その手伝いを俺がしてやるからよ、サックリと逝っちまいなァ!!」

 ——()()()()、枷など今ここで完全に外してやる!!

 

『モナドの封印、解き方教えて』

 

 煮え繰り返っている(はらわた)から出てくる声だとは思えないほど平坦で温度も色もない声だった。だからこそ最高の冷や水になったのかもしれない。

 直前まで肉体さえ燃やし尽くさんばかりの怒りは突如として消火されてしまった。それと交代して現れたものは自分が今やらかそうとした行為への果てしない動揺と恐怖だ。

『エイルなら分かるよね』

 俺は怒りに任せてモナドの枷を自ら外そうとした。外すという行為が何を意味するのかを知っているにもかかわらずだ。

『知識もそうだけど君は与えられた情報から推察を立てるのが上手い。推論でもいいんだ、モナドが顔付きを斬れるようになる条件って何だと思う?』

 顔付きが斬れないのは部品としてホムスを使用しているから、ホムスが組み込まれていることでモナドは顔付きを巨神に連なる"人"だと認識してしまう。だから斬れない。

 モナドは人を斬ることが出来ない。

『どんな小さな可能性でもいい。僕は黒い顔付き(あいつ)を許さない、この場で斬り刻んでやりたい。お願い』

 伝えることは出来る。俺の意志で外すことだって理論上は出来る。だがそれはつまり、シュルクの手を汚すことで、シュルクに罪を背負わせてしまうのに直結して。

『推論の一つくらいは出てるんでしょ? 知らないならすぐ言うもんね。言わないってことは何かしらの手があるんだよね?』

 俺だけが罪を背負うならばいくらでもやる。でもこの身体はエイルだけのものではない。そもそもエイルの肉体ですらない。エイルが手を血に(まみ)れさせたのならばシュルクもまた赤黒い体液を両手に付着させるのだ。俺の手だけを汚すなんて都合のいい道は用意されていない。

『……モナドは使用者の意思に応じる。斬れないものをどうしても斬りたいならばそれを示さなければならない』

『分かってる。でもモナドは応えてくれない。こんなにあの顔付きを(たお)したいと思ってるのに、なんにも』

『意志とか想いと捉えるとあやふやなんだろう。必要なのは多分、覚悟だ』

 愛とは温かく優しいものであると同時に、歴史において幾度となく命を奪い惨劇を引き起こしてきた要因でもある。愛が故に人でいられる。愛が故に人の道を踏み外す。

 シュルクが今見ているのは後者なのだろう。

『……もしもだ、あくまでも仮定だ。フィオルンを殺したのがあの黒い顔付きではなくて……人だったとしたら』

 機神兵ではない、同じ巨神界に生きる存在だったとしたら。巨神界に生きるホムス、同郷の者、仲の良い隣人——シュルクにとって遠い存在ではなかったとして、お前は。

『目の前で笑う奴が、同じ血と肉を持った人間だったとしても復讐を遂げたいか』

 俺は枷を外そうとした。キャンプ地でのゾードとの戦いとは違う。あれは最後の手段に近く、ゾードそのものを斃す意味ではなくてジュジュを連れていかせない方に重きを置いた上での感情だった。

 今回はただ黒を殴る為だけに、人間をぶん殴りたいという己の身勝手な怒りと欲の為だけに俺はこの手でシュルクに殺人の道具を握らせようとした。怒りに囚われてやってはならぬことに手を伸ばそうとした。罪はいくらでも背負える想いに嘘はないが、エイルの意志でシュルクの手を()させることは世界への反逆行為だ。世界そのものの核たる心臓を破裂させて悪魔に身を堕とす者が取る行為だ。

『人、を……』

『機械じゃない、人だ。お前と同じ"人間"を殺す覚悟はあるのか』

『にんげん……』

 無機質な声に色が宿る。躊躇と呼べる染料が一滴落ちて広がっていく。

 大丈夫。まだ、大丈夫だ。シュルクはまだ"博愛"を失っていない。俺なんかよりずっと優しいから、それだけは手放してはならないから。

 

 時間が急速に流れ出す。俺達の内でのやり取りから現実に引き戻された。シュルクは即座に身体を起こし、咆哮を上げながら黒に再び向かっていった。

 たとえ人であったとしても奴は許せない、人の命は奪いたくない。相反する感情を抱えながら、同時に片方を否定しようと叫んで誤魔化して。自分の犯そうとする罪を忘れ去ろうとして。

「ヤケクソも意味ねぇんだよ!」

 全力で喰らわせたはずの一撃は軽々と黒に弾かれた。やはり迷いはモナドの枷を外させる意思の不純物である。愚かしく宙へ飛ばされても枷が外れていないことに安堵した。

 それとは裏腹に戦況としては最悪だ。考えなく突っ込み攻撃を通すことも出来ず、その挙句敵の真正面で無防備な体勢を晒している。

 モナドの枷にばかり思考を割いてはいられない。今はとにかくこの場を乗り切る方法を探し出せ。誰一人欠けることなく生き延びる道を切り拓け。"(スピード)"? 一か八か"(アーマー)"の発現に賭ける? 思考をやめなければ取れる手は無限にある。

 ここは"疾"で身を捻っての回避を取る。脳が身体へ命令を送り"疾"を発動させようとするほんの一瞬を黒は見逃さなかった。空中で防御姿勢も碌に取れていないシュルクを確実に殺そうとした黒の二撃目が振り下ろされる直前、爪への的確な狙撃による爆発が巻き起こり視界が一瞬緋の光で埋め尽くされる。狙撃の飛んできた方向——八時の方向の崖上に目を向ければ、シュルクにとって頼りになる"大人(ディクソン)"が銃口を黒に真っ直ぐ向けていた。

「突っ込めイノシシィ!!」

 その大人の左脇からこの世で最も信頼できる英雄(イノシシ)が叫び声、身のこなし、そして新たな刀で空気を切り裂いて飛び出してきた。

 英雄——ダンバンは万全な状態でモナドを持っていた時と変わらず、否それ以上の神速とも呼ぶべき速さの中漆黒の外套をたなびかせ、あまりに正確な刀捌きで俺達を囲っていた一般機神兵の関節を切り裂いた。ほんの数秒であの大量の機神兵どもをただのガラクタに追いやってしまった。

「ダンバンさ……んっ!? ってて……」

 驚きと喜びの両方を込めて彼の名を呼ぼうとしたが背中からの衝撃に遮られる。ああそうだった、俺達(シュルク)今吹っ飛ばされてる最中だった。

「危ねえなぁ! 本当に無茶ばっかしやがって!!」

「ごめん……と、ありがとうライン。受け止めてくれて」

 背中からの衝撃は硬い地面に打ち付けられたものではない。ラインがしっかりと抱き止めてくれたことによるものだ。普段ならもう少し優しく受け止めてくれなどの文句でも言いたいところだが、生憎ここは戦場の真っ只中だ。すぐに自分の足で立ち直り改めてダンバンへと向き直った。

「待たせたな」

 そう告げた彼の言葉こそコロニー9での襲撃で駆けつけてくれた時と同じではあったが、表情も佇まいも何もかもが全く違って見えた。モナドを振るうことによる身体への反動も無く、今到達し得る最も最良のコンディションだと一目で理解できる。

 そこにいるだけで人々に希望を抱かせる。かつてモナドが描いた彗星の如き軌跡が無くとも、存在そのものが一条の光となり駆けてきたのを俺達は目撃したのだ。いつだって輝いていたのは武器ではない。明日を掴み取ろうとする人の想いが何よりも眩い光を放っている。

 ホムスの英雄が本当の意味で帰ってきたのだと心で感じ取り、思わず笑みが零れた。

 

 

 見せてやろう。

 黒に、歴史の本当の意味を知らずにただ暴虐を尽くすだけの他の機神兵どもに、今を生きる人間の姿を。モナドが顔付きを断てずとも抗う姿そのもので、我欲を他の命で満たす行為が誤りだと教えてやろう。

 二度と怒りに身を任せなどするものか。己の目指す目標とそこに至る為の手段を見誤るな。

 

『鑑賞して笑い興じてしまうからこその喜劇だ。滑稽を期待して観劇に来てやっているのだ。足掻いてみせろ、この幕を貴様の行いで喜劇として成立させろ。我を満足させろ』

 時折聞こえてくる声は知覚していた。シュルクでありエイルである声はそのどちらでもない口調で囁いてくる。それが何者か察せぬほど馬鹿ではない。ただこの世界とこれから起こりうる事象に対して無知な振りをしていた方が奴を騙せると思っていただけだ。

 だが今は敢えて言おう。俺はお前の声を認識していると、お前が俺達を四六時中見張るように俺もまたお前を観測できる範囲にいてその首を狙っているのだと。

 ——お前の指揮する因果通りになってやるものか。

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