いつしか異物は喀血となる   作:坂野

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"(ジェイル)"

 ***

 その夜のシュルクの精神は妙に落ち着かなかった。平時と比べると確かに高揚している感覚はある。喜悦や戦闘時における内から激しく突き上げられるような昂りとはまた異なるものだ。心の水面(みなも)はそよ風に吹かれる程度のごく僅かな揺らぎしか生まれていない。

 しかし肉体は浅い呼吸と少しだけ速い心臓の拍動、未だ身体の深部に残された熱が心地良い眠りへの(いざな)いを妨げている。身体の芯が何者かの指の先で触れるか触れないかの弱い刺激で撫でられて、緩いくすぐったさを与え続けられているようだ。巡る血液は手と足先から熱を放出して眠りに向かおうとしているのに、胎内から生まれる新たな熱がそれを許さない。

 覚醒したまま横になっても眠れぬ焦りと不安で心臓は余計に鼓動を速めるだろう。焦燥感と肉体の覚醒の悪循環に陥ろうとも身体を横たえ、質は悪くとも休息を取る方が良いとシュルク自身も理解はしていた。

 それでも今のシュルクは眠れずに、ただ一人で身体を縮こめて夜を越すのがどうしても嫌だった。もっと小さな幼子(おさなご)であれば、ダンバンやディクソンといった大人達に甘えて、眠れないからと添い寝の一つでも頼めたかもしれない。でももう自分は十八なのだ。顔から火どころか溶岩が噴き出かねない。

 首を回して仲間の姿を確認する。外であっても躊躇なく寝そべったり、万が一に備えて腰は下ろして上体を起こしたりと格好はそれぞれだが、いずれにせよ既に一旦意識は手放しているように見えた。

 ——少しだけ……。すぐに戻れば大丈夫。

 大きな物音を立てぬように慎重に腰を上げ、尻に付着した草と土を右手で軽く払う。

 光球が見える範囲でだけ、少しの時間だけ。夜のザトールの綺麗な景色を眺めながら散歩でもすれば、溜まった熱と身体の緊張もきっと解けてくれる。

 己に言い聞かせてシュルクは光球のオベリスクの下を離れた。

 その背をディクソンが見つめていたなどと、当然気がつくこともなく。

 

 すぐ目の前に流れる小川を軽く跳ぶようにして越える。長い年月の中で朽ちたのか、はたまたモンスターの手で捩じ切られてしまったのかは定かではないが、すっかり乾ききったいくつもの倒木がやけに目を引いた。何かの目標(めじるし)かのように点在するそれに従って歩んでいく。帰りも倒木を辿れば迷わずに済む利点もあると考えてのことだった。

 地面から煙のようにゆっくりと立ち昇り続けるエーテルは見飽きることがない。躑躅(つつじ)色と紺碧の色彩からして根源は炎や水の元素だと思われるが、触れたり近くで吸いこんでも感じるものはない。至って普通の空気である。温度といった刺激を感じぬほどに薄まっているのだろうか。それとも色に惑わされているだけで風や地の元素から構成されているのだろうか。

 木々の枝先に見えるエーテルは藍白(あいじろ)瓶覗(かめのぞき)色が主で、大量の光る綿毛が()っているようだ。植物は大地から養分を吸い上げる為、枝先に生るエーテルの光も吸収した元素の色になるのが素直な考えだろうが、実際はほとんど白に近い。木の内部で養分として利用されて含まれる元素をほとんど失い、所謂(いわゆる)残りかすが先で光っていると考える方が理に適っているだろうか。

 そもそもザトールに足を踏み入れるまでは夜に植物の一部が光り輝く現象なんて見たことがない。ザトール特有の現象なのか巨神上層では当たり前の光景であったりするのか。そうだとするとエーテル濃度に関係している可能性が高い——。

 シュルクの頭には目に映る事象に対する疑問とそれへの考察が次々に生まれてくる。落ち着くどころか明らかに心身共に活性化してしまっているのだが本人は全くの無自覚である。だが薄らと感じていた焦燥感はすっかり忘れ消え去っていた。もうしばらく散策して満足してしまえば、やっと眠りに就けることだろう。

 

 思いの外遠くまで来てしまったことにシュルクも気がついた頃合いだった。これ以上の散策は明日に響く。踵を返そうとして視線を右に向けると広い坂道が目に入った。坂の頂上には四匹のイグーナが等間隔で規則正しく並んでいる。

 ふとラクス沼のノポン商会で出会ったカチャというノポンを思い出した。確か彼女は巨人族の遺跡の周囲をイグーナの群れが占拠していると話していた。イグーナ達のせいで調査が進まないのだと球のように跳ねて憤慨していた姿が思い出される。

 見張りを立てていることからも分かるように、イグーナは非常に知能が高いモンスターだ。凶暴性も高く、群れによる荒々しくも理知的な狩りをする。シュルクも巨人族の遺跡に大いに興味はあったが、好奇心に身を任せて一人であの群れに突っ込むほど自分の実力を見誤ってもいない。口惜しいが今回は諦めるとしよう。

 

『——……。……、……』

 ——誰?

 風の中で一度だけ鳴らされる鈴のように微かな音だった。

 人の声だと感じたのは単なる思い込みであったのかもしれない。本当はフェリスの遠吠えや、自然が織りなす息遣いが偶然人の声が持つ波長に似通っていただけかもしれない。

 しかしシュルクは根拠もないのに不思議とその音を"声"だと確信していた。声が自分をどこかへと導いてくれるものだと理解していた。

 ——確かここに来るまでに高い岩壁があって、その(わき)に細い道が……。

 シュルクの瞳に鈍い青紫をした薄花桜の光が揺らぐ。幼児が親に手を引かれるように、親の幻を見せる人拐いに手首を捕らわれたかのように、おぼつかない足取りで意志も弱いままに歩き出す。

 もう片方の手を握って止める者はどこにもいない。

 

 ***

 

 海底に沈んでいた意識を封じた箱が浮かび上がる。色どころか光さえも無かった世界が本来の形を思い出していく。

 箱から漏れ出た意識の形を手で確かめる。そこにいる存在が幻ではないと指先が伝える。これは自分の意識だと、歪な形であろうと巨神界に在る存在だと他の誰でもない自分が自分(エイル)に教えていく。己が目的を遂げる時まで意識が霧散してしまわぬように。

 エイルの意識の輪郭がなぞり終わった時、俺はこの世界でまた目を覚ます。身体本来の魂が隣にいる木漏れ日にも似た温かさを感じながら。

 残る眠気で未だ重たい瞼を持ち上げようと力を入れる。あの美しい夜のザトールはもう終わりを告げてしまったのだろうと少々残念に思いながらも、ここに長く留まる理由はないと心の背筋を伸ばす。

「——は……!?」

 そこは瞼の裏に思い描いていた霧の世界ではなかった。

 紋様が彫られた石の壁、外へ繋がる真っ直ぐに伸びた通路、周囲に倒れる鱗を持った人型のモンスターの死骸。

 驚愕と混乱で跳ねた身体が痛みを訴えた。それもそのはず、石造りの巨大な玉座に身を委ねていたのだ。こんなに硬い物の上に長時間座っていたらどんなに柔軟な若者の身体だろうと悲鳴を上げざるを得ない。

 とにかくまずは状況の把握だ。場所に心当たりはない。痛みこそするが他者によって負わされた外傷などはとりあえず見当たらない。モナドは両腕で抱えてある。シュルクの意識は——。

『シュルク! 聞こえてるか!? 起きろ!』

 常時であれば肉体の目覚めと同時にシュルクとエイル二人分の意識もまた目覚める。時折シュルクの意識のみが先に覚醒することもあるが、これはそもそもの魂が彼であるからだろう。シュルクが意図的に長く眠っていたい時や、精神的疲労が溜まっている場合にはエイルが先になることも一応はある。

 だがそれは原因が俺でも分かるくらいに明白な場合のみだ。眠る前にシュルクから明日は遅く起きたいと告知されたり、つい先日のコロニー6滞在の数日のようなパターンだ。

 今回はそれがない。だからか妙な違和感が心臓の裏側に貼り付いているように不快であり不安なのだ。あまりに小さいのに自分の手では決して剥がせないそれが気になって仕方がない。

『ん……。エイル、おはよ……えっ!? ここどこ!?』

『お前が来たくて来たんじゃないのか!?』

『知らないよ! だって僕、ちょっとだけ散歩してすぐ戻ろうと思って……。あれ……? 戻ろうと、思って……』

 話を聞けば、眠れないから光球のオベリスク周辺を散策してすぐ戻ろうと思っていたとのことだ。記憶の最後は坂の上でイグーナが見張りをしていたところで終わっている。恐らくイグーナの領地手前まで来ていたと思われる。その後は電子機器が電源コードごと引き抜かれて電源を遮断されてしまったかのように何も思い出せない。

『イグーナの領地……? まさか!』

 痛みで軋む身体を無視して玉座から飛び降りる。抱えていたモナドの柄を握ったところである異変にやっと気がついた。

『知らない、文字が……』

 "シュルク"は知らないし、文字本来の読み方も出来ないだろう。しかしそれがモナドアーツとして顕現してしまった以上、彼はモナドの後継者として誰に教わらずともこの世界での読みを知ることになる。

 "エイル"は知っていた。残された記憶の中にこれと全く同じ物が存在していたからだ。だがこの文字を浮かび上がらせた者はシュルクではなかった。そもそも巨神界とは異なる世界でしか見たことがないものだった。

 ——"(ジェイル)"。

 文字そのものの意味は閉じる、閉じ込める、封ずる。

 読みの意味は刑務所、収監する、投獄する。

 アーツ本来の効果はブレイド封鎖。

 そして発動者はアルストに在る天の聖杯メツ、真名ロゴス。

『なんで巨神界(ここ)で……』

 モナドは理論上無限にも等しいアーツを生み出すことが可能だ。故に巨神界でアルストでしか見たことのないアーツが生まれても特段おかしくはない。何よりロゴスの武器もまた姿こそ違えど紛れもなくモナドであるからだ。

 それでもブレイド封鎖、もっと言えば敵を拘束して無力化するという効果を持つ技をシュルクが望むかと言われると否だ。大切な人達の命を失いたくないと祈るシュルクが自力で発現させたものは"(シールド)"や"(スピード)"のように、敵を傷つけるものではなくて誰かを守るものだ。

 だからこそ"封"がシュルクの意思でこの世界に顕れたとは思えないのだ。彼自身に顕現させるまでの記憶がないこともそうだ。

 俺は外部に要因を求めた。徒歩で行ける範囲なんて高が知れている。シュルクの情報からここがザトールの中であるのは確実として、俺の記憶が間違っていなければ黒緑の岩で作られた建造物なんてザトールに二つとない。

『ここは流刑の砦の内部で間違いない』

『確か、商会で遺跡の研究をしてるノポンが話してた……』

 流刑の砦は巨人族に纏わる遺跡だ。そして巨人族はかつてモナドの使用者、巨神の依代に選ばれてしまった者がいる種族である。モナドとは浅からぬ縁がある種族だ。

 流刑の砦と分かれば話は早い。周囲に散乱するイグーナの死骸はこの玉座に座っていた無謀なゴドウィンを守護していた奴らだ。実際に死骸の中には他の個体より一回り身体が大きい個体がある。ご丁寧に頭部と胴体が切り離されているのは見たくなかったが。

 一度イグーナの死骸から視線を外し、玉座の背面側の壁に目をやる。そこには予想通りに一つの通路があった。今は解放されてしまったがここは本来隠し通路だ。何かがあるとすればこの奥から向かう遺跡の屋上にある祭壇だと思ったのだが——。

 もう一つ、別の部屋があった。

 通路を進んですぐに左に向かう道とは別に、更に奥へと至る道が存在した。エイルの記憶には一切ないその道はまるで古代の王族が弔われたかのような棺のある部屋まで繋がっていた。

 恐る恐る中へ入るが置かれているのは棺のみで他には何も無い。棺は蓋が開かれて石床に転がっている。一度深呼吸をし、小さな覚悟を決めて棺の中を覗き込んだ。

『何もない……』

『骨もないね。……盗賊が入ったりしたのかな』

 装飾品や遺体そのものとのご対面も覚悟していた身としては僅かばかり肩透かしだ。研究の側面では何かしら残っていた方が嬉しいのだろうが、俺はもっと直接的なモナド記録書に近いものを探していた。

 シュルクが実際にどのような動きをしたのかはさておき、"封"をモナドに刻んだ事実から何かしらの情報を外部から得たと見るのが最も自然だ。そうなると"(イーター)"や"(アーマー)"と同じくアーツそのものが記録された媒体がどこかにあるはずだ。壁、床、天井……どれもが俺の期待を裏切って文字どころか装飾の一つも彫られていない。この空間だけ殺風景なのが余計に不安を加速させる。

『……あ。エイル、内側に何かあるよ』

 シュルクに言われて棺の内側に目を凝らす。棺の"中"には何も残されていなかった。しかし棺の"内"、唯一納められた死体が見る世界を理解した瞬間にエイルもシュルクも微かな悲鳴を漏らした。

 殺風景な部屋とは裏腹に、棺の内側には文字らしき紋様が隙間なくびっしりと刻み込まれていたのだ。

 文字らしきというのも俺達はどちらも古代の文字には精通していない。モナドに関係するものならば遺跡や文献も調査するが、文字そのものの歴史や解読は専門家に頼る方が多い。

 一応規則性や現代の文字に近しいものがないか見てみる。

 調査が進まぬ遺跡に隠された棺、その内側に刻まれた古代の文字なんて探究心と知的好奇心が刺激される事柄の筆頭だろう。それなのに心臓が嫌な音を立て続けている。見てはいけぬ何か、知らぬ方が幸せな何か。見つからぬなら見つからぬままでいい。ここで無駄な時間を浪費などせず早々に立ち去るべきだ。

 ただ一つ、読める文字を見つけた時には既に引き返す道は塞がれていた。

 ——封……封……封、封封封封封……。

『モナドの文字と同じ……!』

 何かを閉じ込めておきたかった。言葉という(まじな)いに縋ってでも封じ込めておきたかった何かがここに在った。

 人? 物? 違う。そんな形あるものなんてここには最初から存在しなかった。封じたかったのはここに書いてあるではないか。

 モナドアーツ"封"、モナドの力そのもの。

 巨神の力を畏れた存在がモナドの力を分割して各地に封印したのだ。

 かつて古代ハイエンターは機神界に侵攻した()()()を恐れ、その肉体を監獄島に縛り付けて長き封印を施した。かの巨()から奪った赤き剣はヴァラク雪山にあるオセの塔に移すことで力と力を引き離した。それでも古代ハイエンターは念には念を入れ、善良なる巨人族と協力して更なる予防線を張ったのだろう。ザトールには流刑の砦を囲うよう——まるで監視するかのようにハイエンターの遺跡が存在するのが動かぬ証拠だ。

 モナドそのものだけでなく内部に宿った(アーツ)を分離させ各地へ隠すことで、モナドと巨神の力を削ごうとこの世界に生きる命として抗った。

 その一つがモナドアーツ"封"だった。封印を解いたのはどう考えたってシュルクの手しかない。しかしシュルクはまだ巨神界と機神界の真の歴史も巨神と巨人族との関係も知らない。遺跡自体への興味はあるだろうが、イグーナの群れを突っ切る際に生じるリスクを負ってまでここに潜入するとは思えない。

 ならばどうしてなどと考えるまでもない。散らばったモナドの力を取り戻したい存在がそうさせた以外にない。その存在が何であるかもあまりに今更すぎる。モナドそのもの、巨神以外に何がいるのか。

 今までこんなことはなかった。シュルクも覚えていない不可解な行動をするなんて、この二年の間に一度たりとも遭遇していない。それはつまりシュルクの身体を直接誘導できるほどまでに、身体に宿ってしまっている巨神の力が増大している証拠ではないか。

 しかしシュルクの胎内には(エイル)がいる。シュルクがらしくない動きを見せればそれが阻止される。つい先日にモナドの枷を外させまいと俺が動いたことで巨神側はその情報を得ている。だから巨神はエイルの意識が無い時にシュルクを操った。シュルクを眠らせずに流刑の砦まで来るように仕向け、依代自身の手でモナドと巨神の力を取り戻す為に。

 長き時を経た今、流刑の砦の目的は忘れ去られハイエンターさえもザトールから去った。永劫の時に渡って存在する神にとって、数千年など昼下がりの微睡みに等しい。一掬(いっきく)の時さえ待てば巨神から擦り出た垢は過去の過ちを忘却の彼方へと葬り去る。過去の賢人が入り組んだ封印をしようとも神の力の前には塵に同じ。知恵と後悔をどれだけ記録しようと未来の愚者はその本質も、意味も、読みさえも捨て去っていく。

 巨神はその未来さえも見ていたのだろうか。因果は絶対的に神の味方であり神の手の内にあるものと信じていたから、何もせずとも己の手の中で世界と生命の全てが滑稽に踊る未来は変わらぬと笑っていたのだろうか。

 現に神の思うまま、分かたれた力の一つは再びモナドに統合されてしまった。

 

 ——この世界はどんな因果を辿っている?

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