巨神界では
『……今何時だ?』
目の前の大問題にようやく気がついた。
『……え? ……あ、あぁぁっ! 夜に出てきてそのまま寝ちゃってたからもう朝になってるんじゃ!』
『戻るぞ! 大騒ぎになってるんじゃないのか!』
弾けるようにして流刑の砦から飛び出した。正面の入り口から出てしまうと領地内の他のイグーナに気付かれてしまう。砦内に相当な数のイグーナの死骸が散乱してはいるものの、これが領地内全ての個体ではないだろう。群れのボスであろう無謀なゴドウィンが既に息絶えていても、賢いイグーナの軍勢を一人で相手取ろうとするのは飛び抜けて卓越なる実力の持ち主か、よっぽどの阿呆しか出来ない。
シュルクは覚えていないだろうが、緊急事態なので何故知っているかなどの説明を一切省いて玉座の後ろ側にある隠し通路から砦を後にする。
外の状況は夜に煌めいていたエーテルがかなり弱まってきており、鮮やかな燐光の地から薄暗い霧の湿地に戻りつつある。つまり夜明けが近いか、もう陽が昇りつつある早朝のどちらかだ。
"
『ごめん、僕が散歩に行ったから……』
『過ぎたことは仕方ない。今回は事故みたいなものだし俺も別にお前に怒ってはない』
『うん、ありがと——』
『但し、今後集団から離れる時は俺も起きている時にしろ』
『……はい』
一割はシュルクのぼんやり防止、九割はザンザにこれ以上好き放題させない為だ。シュルクは少々しょんぼりと己の行動の浅はかさを後ろめたく思っているものの、彼に大きな非はない。俺が今怒りの矛先を向けているのはザンザのみだ。
程なくしてディクソン、ダンバン、カルナ、ラインの順で続々と起床となった。
ディクソンに「寝付き悪そうだったのによく一番で起きたな」と軽く笑われた時には冷や汗が背筋を伝った。眠りが浅いまま朝になってしまったと取り繕えば特に疑われることもなく、無理は控えとけよと肩をぽんと叩かれて終わったのが幸いであった。イグーナに囲まれた砦の中で寝落ちしてましたなどと口を滑らそうものなら、あまりの警戒心の無さを長々と説教されたに違いない。
『まだ添い寝してやらないと駄目なお子ちゃまかって怒られそう』
『何の話だ』
準備を整えて再び出発する。光球のオベリスクから最深部へ向かうには二つのルートがある。一つは小さな崖に上がり、自然に作られた橋やハイエンターのソーテール遺跡などを経由していくもの。もう一つは川の中に入って流れに逆らい上流へ向かっていくものだ。
快適さや歩きやすさを考慮すると崖上に上がる陸ルート一択だ。しかしながらその圧倒的な利点を全て捨ててでも川ルートを選ばざるを得ない理由がある。ゴゴールの縄張りなのである。巨神脚にいた縄張りバルバロッサや不動のゴンザレスと同種族のあいつらだ。ユニークモンスターとして名を馳せるこの二体と比べると身体は小さいものの、ホムスからしたら見上げるほどに大きなことに変わりはない。それ以外に選択肢が無い状況でもない限り相手にしたくない存在である。
よって泣く泣く川の中を進むことになった。腰付近まで水に浸り、ズボンはおろか下着の中までびっちゃびちゃだ。
気持ち悪い、冷たい、乾かすのが面倒、もう水着になった方が早い、我慢しろ、今なら小の方は漏らしてもバレねぇぞ、絶対にしないでよ! 様々な文句が飛び交う。でもゴゴールよりはマシなのだと言い聞かせながら、何とか辿り着いたモーク水門の紋様の美しさが幾分か不快感を拭ってくれた気がする。
やっと陸地に上がれたと喜んだのも束の間、眼前に広がる巨大な遺跡とその一部である姉妹像が圧倒的な存在感を放っている。これも古代ハイエンターの遺跡であり、ここを通過してようやく巨神の上層であるマクナ原生林へと入れる。目指すべき監獄島はマクナ原生林よりも更に上にある。
ディクソンは右手をひらひらと振りつつ言う。
「あとは上へ上へと向かえば何とかなる。俺は一旦ここで別れさせてもらうぜ」
露骨にシュルクが残念がった。
「一緒には行けないんですか?」
ディクソン曰く、機神兵の前線基地となっていたコロニー6が解放されたとはいえ危機そのものが去ったわけではない。ガラハド要塞に関しては全くの手付かずで無傷のままであり、近々また襲撃を仕掛けてくる可能性は非常に高い。コロニー6とも連絡を取り合いコロニー9の防備も固めておかねばならないだろう。攻め入るベストなタイミングが今でない以上ホムスは守りに徹する他ない。
「やっと防衛隊長としての職務を果たすってわけか。もう降りて正式にヴァンダムに座を譲った方がいいんじゃないか?」
「あいつがトップだったら若手が潰れちまうだろうが。帰ったら泣きつかれるぜ、チョッカクヒゲがひどいんです〜ってな。人気者は困るねぇ」
「で、弱いのは違いない、もっと鍛えろって脳天に手刀を落とすんだろ、お前は」
「分かってんじゃねえか」
相変わらずディクソンには少しだけ厳しいダンバンである。この悪友のやり取りもしばらくお預けかと思うとそれはそれで寂しいのは確かだ。
「ま、なんだ」
ディクソンがわしゃわしゃとシュルクの頭を豪快に撫でる。細い金糸が絡まって折角の艶が少しだけ損なわれる。
「その内追っかけるからよ。それまで踏ん張って監獄島まで辿り着ければ——」
「はい。コロニーのみんなの為にも必ず」
「……いい顔してるぜ」
頭に置かれていた掌がシュルクの頬に触れたかと思えば程良い力強さで撫で付けられる。シュルクの体温よりも高く、節くれ立った指はこの険しい世界を生き抜いた逞しさを物語っている。
こうして育ての親として接される度にこの人の本心が分からなくなるのだ。記憶に刻まれた知識は黙って見ているだけならば彼はシュルクの心臓を撃ち抜くと叫んでいる。同時に親離れをする子の背を乱暴で不器用に、そして力強く押した事実もまたそこに在る。
たとえどれだけ真剣に問い詰めたとしても彼は本心を明かしはしないだろう。狡猾に数千年の時をホムスの振りをして生きてきたのに——数千年を生きてきたから、かもしれない——自分の想いを他人に伝えることに関しては酷く不器用だ。だから俺はこの人を心の底から憎むことも出来ず、救いきるだけの覚悟も未だ決まらない。かと言って駒として利用するまでに非情にもなれない。現状と凶弾が放たれるまでの時間的猶予に甘えて決断を先延ばしにし続けている。
ラインやダンバンとも何度か言葉を交わした後、ディクソンは今まで来た道を引き返していった。当然下半身がずぶ濡れになるあの川の中をだ。少々可哀想だった。
シュルクは名残惜しげに去っていくその姿を見つめていた。シュルクよりも僅かに赤みを含んだ金の三つ編みが霧の中へと消えきる前に、仲間の誰でもない声が不意に背後から飛んできた。
「こんな場所にホムホムが来るなんてすんごく珍しいも!!」
ダンバンを除く全員が大袈裟なまでに肩を跳ねさせて勢いよく振り返った。ほぼ反射的に各々の得物に手を伸ばしかけたものの、足元にいた紫の毛玉——商会所属のノポンだと理解した瞬間に一気に緊張で強張った身体の力が抜けた。
「脅かすなよ……」
ラインの小さな文句が耳に入っているのかいないのか、商会のノポンは妙に敵意の籠った視線で此方を見上げてくる。
「この辺りは古代ハイエンターの遺跡が数多く残る場所だも。ここでしか入手できない物を仕入れて高く売るつもりも!?」
どうやら商売敵だと勘違いされている。そのことをいち早く判断したダンバンがノポンに話しかける。
「俺達はただ巨神上層に行きたいだけだ。あのでかい遺跡を通らなきゃならんのは見て分かるが、何か詳しいことは知らないか?」
「も? そんなことならタダで教えてあげるも!」
ノポンの言う"タダ"とは素直に受け止めにくい。巨神界において"タダより高いものはない"という言葉はノポンの為にあるとさえ言われている。そんな一瞬の懸念など露知らず、ノポンはぺらぺらと上層へ向かう為の手順を喋り出す。
眼前に広がる巨大な遺跡——通称"岩窟の姉妹像"を抜けて上層へ向かうには古代ハイエンターの成人の儀を執り行う必要がある。かつて古代ハイエンターの男子が成人として認められる為に行われた試練だ。
商会ノポンの話だけでは古代ハイエンターの男子全てにとっての通過儀礼とも解釈が出来るが厳密には異なる。成人の儀がハイエンターの歴史において登場するのはホムスとの混血児の皇太子が実力を示し、民からの信頼を得る為の手段としてだ。成人を迎えた皇位継承者がたった一人で遺跡に降ろされ、生きて皇都まで戻らねばならなかった。ただ流石にたった一人でという点は表向きであり、実際は数名の側仕えの騎士と共に儀式を遂げたとされている。
「まずはザトールに散らばる四つの証を集めるんだも」
その一言でノポン以外の全員の顔が曇った。決して狭くはないこの地を
それでもやらねば進めないのだから……とがっくりと肩を落として嫌々ながら来た道を戻ろうとした時、シュルクが何かに気がついたように小さな声を上げた。
「……あ。ねえ、四つの証ってどんなものか分かる?」
「分かんないも!」
思わずつんのめった。
「でもザトールだから燐光かそれに因んだものって言われてるも! 集まったらこの先の成人の紋章に証を示すも」
四つの証が何であるのか。おおよそでも情報が掴めたシュルクは引き返すどころか迷わず紋章の方へと歩み出した。驚きの声を上げたのは仲間達に限らず、成人の儀の情報をくれたノポンもまた同じだった。
紋章の中央まで来たシュルクは背に担いだモナドを引き抜き、切先を紋章の中央部に突き立てた。一拍、自分の心臓の鼓動を挟むと白い光が中心から紋章をなぞり出す。八方向へ広がった光が弾け飛び、螺旋模様を描いて天空へと舞い上がった。
光が見えなくなったと思えば、次いで姉妹像の間から緩やかな階段が現れた。先に見えるのは黄色い光の輪に包まれた古代ハイエンターが使用していたであろう昇降機らしきものだ。
結果が示すのはただ一つ、成人の儀は遂げられた。
シュルク以外の全員が唖然とする中で、シュルクはやるべきことが終わったと言わんばかりにモナドを担ぎ直して振り返った。
「燐光ってことはエーテル濃度が高い物体だよね? それならモナドで代用できると思ったんだ」
シュルクが言うにはモナドは巨神の剣と言い伝えられている。それが真実ならばこの世界において最上位にある物体であると考えられる。刃やアーツからしてモナドはエーテルそのものに干渉している可能性と合わせると、神器が遺跡の仕組みを解除するくらいは易々と出来て当然ではないかという考えの下での行動だったらしい。
「ハイエンターと言えど神の力には逆らえない。大は小を兼ねるだね」
至極穏やかに笑うものだから誰も何も言えなかった。神力だから、この世の摂理だから。上位存在に世界の理を教えられたかのように誰も異を唱えられない、唱えられるわけもない。
——そうだとしても指示を出すのは普通の人間には無理だろう。
せめて
それに本来の成人の儀は四つの証を示した後、ザトールの守護者と呼ばれる大型の鳥モンスターとの戦いに勝利した上で完遂されるものなのだ。これもまた神が守護者に力を示すなど必要ないということなのだろうか。
ぽかーんとしたままのノポンに礼を告げて昇降機へと向かう。昇降機の形状は格子がスカスカの鳥籠とでも表せるか。
この昇降機はハイエンターの紋章が無ければ起動しない作りになっているはずなのだが、やはりというか問題なく動くらしい。この遺跡の壁を身一つで登るのよりは間違いなく楽である。仲間内では体力が少ないシュルクやカルナ、右腕が自由に動かせないダンバンにとっても昇降機で上まで向かう方が助かるだろう。
「ラインは壁の方登る?」
「俺も
冗談である。
昇降機で楽をしても姉妹像の最上部から見える景色に変わりはない。相変わらず霧は深いものの、高い場所から見るとザトールの周辺を囲うように長い年月を重ねて成長したエーテル結晶と鉱石が特に目を引く。そんな自然の作り出した美を楽しむ暇もなく、一行は奥へ繋がる道を進み出した。
白い石で作られていた人工的な遺跡は途中でぷっつりと切れた。まるで巨大な刃物ですっぱりと分断されたかのように、あまりに人為的な途絶え方をした先にあったのは有機的な生々しさを孕んだ細胞の森だった。
草木よりも蛍光的な緑のエーテルが天井から小型ランプのようにぶら下がり照明の役割を果たしている。足元は草とはまた異なる毛にも似た何か——その割に妙な湿っぽさを感じる。
幻想的で美しいと感じる者もいれば薄気味悪いと感じる者もいる。自然が織りなす草花とも人の手で作り上げた街並みともまた異なる印象を受けるのも当然である。ここは巨神の胎内にあたる部分だとダンバンは言った。
「……本当に巨神は死んでいるんでしょうか」
シュルクの発した疑問の言葉に周囲は怪訝そうな表情で答えた。
巨神界は巨神の"骸"の上の世界だ。巨神は死した存在だと誰も疑わずに生きている。そういうものだと神話でも歴史的な調査でも証明されているのだから、今更前提条件をひっくり返せるとは思えないのが大多数の考えだろう。
「生きて動き出したら大変なことになるだろ」
ラインの考えも一理ある。巨神が死んでいる、つまり動かないでいるからその上の生物は振り落とされる心配をせずに生きていける。今も巨神が生きているならば過去に動いた記録が残っていないとおかしい。
「そうだけど……。なんだろう、温かさを感じるんだ」
シュルクは右手を
「この空間が温かいからだと思う。本当に生命活動が停止してたらもっとひんやりした空気になるんじゃないかな」
「確かに寒くはないけどよ……」
下腹部の熱は温度だけ見れば確かに温かい。しかし質感とも呼べる熱源そのものから伝わってくるものは正直気持ち悪さを感じる。しかも奇妙なことに気持ち悪さを覚えているのはエイルの意識のみで、シュルクは特に違和感は感じていない。
俺からしたら明らかに胎内に何かがいるとしか思えない。早急に排除すべきものが胎内で蠢いている気がして、あってはならぬものが腹の中から世界に生まれ出ようとしている感覚がする。考えるだけで吐き気さえ込み上げてきそうにもかかわらず、シュルクは俺の感覚を不思議そうな顔をしながら否定するのだ。
『可哀想だよ』
『何がだ。むしろお前はこれが平気なのか』
『気持ち悪いって方が分からないよ。何かは分からないけど大事にした方がいい気がする』
ここまで感覚が真っ二つに割れるのは初めてだった。一つの物事への価値観や意見の思考に基づいた相違ならばまだしも、これは身体の感覚の話なのだ。
『モナドの新しい力が出る時に似てるんだ。エイルだって分かるでしょ? 身体の中で何かが弾けたような感覚がしたら新しい文字が出てきた。その弾ける前に近いよ』
『……知らない』
少なくとも"
"
『守ってあげようよ』
——恐怖。
人は己とは異なる存在、未知の範囲にいるものに対して本能的に恐れを抱くとどこかで聞いた覚えがある。
どうしてシュルクはそんなにこれを大切にしようとする? まるで母親が腹の中にいる胎児を慈しむかのような声で"それ"を呼べる? 臍の下にある己とは異なる塊に対して疑問の一つは浮かばないのか? 酷く気持ち悪いものではないのか。
分からない。何もかもがどうやったって理解できない。
答えが出ぬまま、死んでいるはずの巨神の胎内を義務的に通過する。あっという間に胎内上部気管路までもを抜け去り、肌に触れる空気の湿り気で新たな巨神界のエリアが我々を出迎えたことを知るのだった。