メリアとアイゼルを仲間に任せてその場を飛び出してからすぐに、シュルクが俺を気遣う声で話しかけてくる。
『エイル、もう交代して大丈夫だよ。テレシアの対処、ほとんど任せっきりだったから休んでて。身体は共有だけどさ』
『分かった。とりあえず結晶のありそうな場所までは俺から指示を出す。この速度を維持したまま行くぞ』
『オッケー!』
イチのつり橋を渡り終えたところでアギニの碑から左側の道へと入る。つづら折りになっている坂道をとにかく下り、道中のモンスターは相変わらず全て無視して突っ切る。
終着点、休息の岸辺には両腕を広げてもまだ有り余るほどに大きなエーテル結晶が煌めいていた。マクナ大瀑布から流れ落ちる澄み切った水がすぐそこにまで来ており、相当な蒸し暑さである原生林では貴重な避暑地になっていた。
ただマクナの暑さに鈍かったように涼しさもまたあまり感じられない。やはり身体自体が気温に対して鈍感なのだろうか。火が熱いとか氷が冷たい等の感覚は周囲同様に持ち合わせているが故に、病気か何かでそういう異常だと言い切るのも難しい。
取り急ぎエーテル結晶の採取に取りかかる。モナドで結晶の端を軽く叩き、掌に乗るくらいの大きさに砕けたそれを頂く。どの角度から見てもくすみや濁りの一片さえ無い。水の概念的な色をそのまま固体にしたかのような透明なサファイアブルーが宝石の如く小さく、それでいて堂々と輝いていた。
『こんなに綺麗ならきっと効くよね』
『ああ。連続のモナドアーツで無理させて悪いがもう一踏ん張りだ』
『これくらい誰かを助けられるならどうってことないよ』
『そう言ってくれると助かる。さ、戻るぞ——』
「こんにちは」
鼓膜を震わせたのはなんてことない、至って普通の平穏な日常で使われる挨拶の言葉だ。たったの五音に含まれた声の波は、この世界に在るどの音よりも異なった揺らぎを含んでいた。子が母の体温に安心するのと似た全ての存在の根源を辿って行き着く地点で迎える何か、はじまりのもののことば。
振り返った先には肩を過ぎる程度まで伸ばしたムーングレイの髪を持つ一人の青年しかいなかった。声から感じた本能的な畏怖と安堵は青年を視認した途端に霧散してしまった。
「え……? こ、こんにちは……?」
挨拶されたのだから此方もせねば失礼にあたると弾き出した脳がとりあえずシュルクの口と声帯に指示を出していた。青年は困惑するシュルクの様子など気にも留めずに歩み寄ってきたかと思えば、珍しいものを見つけたと言わんばかりに顔を覗き込んでくる。
「
シュルクの瞼が二度
「ボクの名前はアルヴィース」
「アルヴィース——」
飴玉の味を確認するようにシュルクが名を反芻する。初めて聞いたはずなのに馴染みのある響き。やっと知れたと、理由も分からず胸を撫で下ろすのにも似た微かな爽快感が胸に広がる。
「あ、えっと僕は——」
「シュルク——だろ?」
息を呑み警戒を強めた。今までの行動を陰から見られていたのではないかとシュルクが唇を強く結んだ。ホムスらしき見た目であっても味方である確証はない。機神兵とはまた異なった敵になり得る可能性は否定できない。
幸いというか何というか、
「モナドを振るい、コロニー9を襲撃した機神兵を撃退した英雄。ホムスで知らない者はいないさ」
ただ彼がエイルという明らかな
アルヴィースとどこかで出会った気がすると僅かにぼんやりしているシュルクの肩を叩く。尋ねたいことがあるから代わってくれと。交代の許可はすんなりと下りた。
「ホムスのコロニーは二つしかないよ。コロニー9とコロニー6だけだ。しかもコロニー6はコロニー9よりも先に機神兵の襲撃を受けて壊滅状態だった。彼らがコロニー9の状況を知れるとは思えない」
カルナやジュジュ、脱出艇キャンプにいた人達は逃げ出すので精一杯であった。避難してからは故郷で戦う家族の安否や、自分達の明日の生活もどうなるか分からない不安を抱えて辛うじて生活していたような状態だ。そんな状況で他のコロニーの心配なんてする余裕はまず無い。
彼がコロニー6周辺に住まう者と仮定する。何らかの手段で情報がコロニー6に齎されてコロニー9の惨状を知ったと多少強引だが繋げられはする。しかしまた矛盾が起こる。どうしてザトールも通り過ぎたこんな所に彼がいるかだ。カルナはコロニー6の者でさえもザトールの最深部には行ったことがないと話した。
情報をまとめてしまうと、ザトールから上層にホムスが存在すること自体がおかしな話なのだ。もしかしたら世捨て人としてひっそり暮らしている者の一人や二人はいるかもしれないが。
アルヴィースの目が細められる。意識の交代まで見抜かれているのかは定かではない。遮られはしないから聞きはする意思の表れと判断して
「……ねぇ、モナドを持った英雄って言われたらダンバンさんじゃないの?」
事実、コロニー6で出会ったオダマがそうだった。今でもほとんどの者の認識においては、モナドの使い手と言えばダンバンである。シュルクがモナドを使用していることさえ僅かな者しか知らないのだ。
——どう出る? シュルクだったらそういうものだと納得していた部分を詰められて何か察するか?
少なくとも彼は以前に一度夢の中で俺達二人分の魂を認識して接触してきた。
シュルクらしからぬ答えだからもう一人が喋っているのだと判断するだろうか。婉曲に「お前が只者でないと知っている」と伝えているこの言葉に対して知らぬ振りを貫くか、確信めいた発言の一つでも飛び出すか。
アルヴィースは一度地面を見つめたかと思えば、今度は顔を上げて緩やかに口角を上げた。それはもう見事ににっこりであった。そして口を開く——ことはなかった。
不意に空を見上げた彼は俺達にではなく、単なる事実の確認として「来たか」とだけ呟いた。
状況を飲み込めていないシュルクに対して彼はモナドの特性を話し出す。モナドは抜刀状態ではない時、即ち基底状態でも完全に沈黙しているわけではない。モナド特有の波長を持つエーテルが微弱ながら発せられている。ホムスは元々エーテル感知能力には鈍い為勿論分からないし、ホムスの使用する計器にもこの波長は引っかからない。ハイエンターであっても基底状態のモナドの波長を捉えるのは困難である。それほどまでにごく僅かな波長なのだ。
しかしハイエンターよりもエーテルに敏感な種族はそれを感知し、本能的に惹かれる特性がある。かつて巨神界が生まれたばかりの頃にいたとされる原生生物達は特にそうだったらしい。多くは絶滅してしまったものの、彼らのごく一部は未だこの巨神界に現存している。
「例えば——」
突如として風を切り裂く鋭利な音がしたかと思えばターコイズ色の身体と檸檬色の羽を持つ生物が三体飛来してきた。人の姿と大きさに近いものの、明らかに異形の姿をしたそれは数刻前に対峙した生物と同じ特徴を有している。
「……テレシア!? アルヴィース、君は逃げて!」
帯刀していないアルヴィースに後ろへ下がるようにシュルクが告げてモナドを抜く。身体の主導権も再びシュルクへと戻った。
高速で此方へと空気と空気の間を突き抜けてくるテレシア目掛けて走り出せば、奴の危険性に反応したのか
右腕を振り上げての攻撃動作、ということは此方から見て左側にそれが来る。右に身を動かせば簡単に回避できる。
「——え。……っぐ、アぁァァっ——!」
——はずだった。
テレシアは凄まじい速度の突撃にもかかわらず、シュルクの数メートル手前で振り上げていた右腕を下ろした。その代わりに左の爪を下から突き立て、的確に
シュルクの軽い身体は容易に吹き飛ぶ。地を滑りつつ数度跳ね、砂との摩擦が後退を停止させた。
「げほっ……。うえ、え、ぇぇっ……」
あまりの衝撃に胃液が逆流して喉を軽く焼く。迫り上がってきた胃液を強引に戻すのも不快な為、ほとんど固形物のない少量の吐瀉物を一度吐き切った。
この場でのテレシアとの戦闘においては、今後幾度となく奴らと戦うことへの備えとしてあまり口出しはしないつもりだった。一度はテレシアに翻弄されておいた方が変に驕ることもないだろうと考えてのことだったが、この一撃でその予定はひっくり返った。こんなの何発も喰らってはシュルクの身は耐えられない。感覚は共有されているから自動的に
『前に文献でテレシアの特徴について読んだだろう……! ぐぅ……これ、どこか内臓やられてないだろうな……!?』
『多分、大丈夫……すっごく痛いけど、なんとか……! えっと、テレシアの特徴……』
太古から存在する原生生物の一種。エーテルの扱いに長けており古代ハイエンターの祖先と遺伝子的に近しい。周囲のエーテルを吸収してしまい枯れ果てた地へと変貌させてしまう。何より最大の特徴は——。
「そうだ、人の思考を読むんだ……!」
厳密には人に限らない。それでも超常的な能力と相違ない力を持つが故に、奴らは気の遠くなる年月が過ぎ去ろうとも種を保ち続けてきた。しかし記されていた情報としてはただ単に"テレシアは他生物の思考を読める"としか残っていなかった。どのような仕組みであるとか身体のどの部位で感知しているかは全く情報無しである。
これでは対処のしようがない。いくら未来視で先を見て行動を決定してもテレシアはその行動自体を読んでくる。未来視にとって最悪の相性と言っても過言ではないだろう。
「勤勉だね」
小さな温もりが触れる。それがシュルクの背を撫でていると理解したのは温もりがゆっくりと、愛しい我が子に触れているかのように動いたのを感じ取ったからだ。
「確かに思考を読む相手では"君の未来視"も無駄になってしまう」
シュルクの目が見開かれるも、アルヴィースはシュルクの驚きには何も反応を見せない。
「君は、どうして未来視のことを……?」
「でも打つ手がないわけではないんだ。動きを封じて知覚手段を断てば恐れる相手じゃない。
シュルクの右手に辛うじて握られていたモナドがアルヴィースの手に渡る。あまりに当然かつ自然に使おうとするものだから理解が遅れた。アルヴィースの駆け出した背を見てようやく我に返り叫ぶ。
「待って! それを使っちゃ駄目だ!」
脳裏に過ぎるのはモナドの適性を持たぬ為に右手の自由を失った英雄の姿。親友だってただ起動だけしてみたいという気持ちで触れただけで文字通りモナドに振り回された。
出会ったばかりで謎だらけの彼であっても誰かがモナドで苦しむ姿など見たくない。シュルクは人物像を表現する際に態々"優しい"と言われるくらいの人間だ。完全には信頼していなくても、アルヴィースが傷つくなんてあってはならない気持ちからくる叫びだった。
モナドが起動する。"
その隙を見逃さずアルヴィースが跳躍する。思考を読むはずのテレシアの真正面から堂々と攻撃の姿勢へと移る。右から左へと大きく薙ぎ払う振りでテレシアの頭部に生えた触角と呼ぶには太く、角と呼ぶには細い知覚器官を斬り飛ばした。そこから彼は着地することもなく、今度は振り抜いた剣を逆方向へと斬り上げて宙で一回転する。その斬撃は核を斬りつけたのか、テレシアの胎内から
「すごい……」
先刻までのアルヴィースの肉体の負担への心配などどこかへ行ってしまった。アルヴィースの動きは儀式で披露される舞にも似た優雅さを持っていた。一見無駄に見えるものの一挙手一投足に意味がある。視線の誘導や回避、非力な者であっても効果的に力を加えられる身体の使い方と、様々な要素が含まれているのがあの僅かな動きを見ただけでよく分かる。
無駄な動きを削ぎ落とした武人であるダンバンとはまた別のベクトルではあるが、彼に引けを取らない剣技に思わず感嘆の声が漏れた。
「何をぼうっとしている、シュルク!」
華麗な着地に見惚れていたシュルクを現実に引き戻したのはアルヴィース当人の声であった。それと同時にモナドが投げられて宙に弧を描く。さながらブレイドがドライバーに武器を渡すように。
慌てて両腕でモナドを抱き止めれば、今度はアルヴィースに左肩を叩かれる。いつ移動したんだ。
「これは"君が使うべきもの"だ。大丈夫、君にも出来るさ。いや
シュルクの瞳を見ているようでその奥を射抜いている。シュルクは気がついていないがエイルには痛いほどに伝わってくる。だってその視線を向けられているのは俺の方なのだから。
アルヴィースの問いに言葉ではなく行動で返す。上空を飛び回りながら此方を窺う二体のテレシアを見上げてモナドを構える。
「動きを封ずるモナドの光……」
モナドはシュルクの言葉に応じて再び若竹色の光を宿す。
『見ただけの判断だが、あの光の効果は長くて十秒と少ししか持続しない。代わりにその短時間、一定の範囲で相手のエーテルによる知覚手段を遮断するものだ』
『さっきのアルヴィースはモナドでそれを遮断して、テレシアの思考読みを一時的に封じている間に知覚する為の器官を斬った……ってことか』
『ただモナドがそんな局所的な能力をいきなり持ったとは思えない。もっと広義の——オーラとも呼ぶべきエーテル波動を封印する能力だと考えた方が自然だ』
『それが僕にも、出来る……?』
『もっと自信を持て。何度も言わせるな、シュルクなら出来る。俺はお前を信じている』
『……そうだね。君の想いを踏み躙るなんてしちゃ駄目だよね』
光が収縮し一定量のエーテルを溜め込んだところでそれが一気に弾けて放出された。同時に文字が刀身の穴にあるプレートに浮かび上がり、そこに現れた文字がやっと読めるようになる。
テレシアは新たなるモナドアーツの波長を危険と判断したのか、様子見をするように飛び回っていたのをやめてシュルク目掛けて急降下して接近してくる。
腹の中心に残る痛みが同じ轍を踏むのではないかと恐怖を呼び起こさせる。だからこそ敢えて腹の底に力を入れた。痛みも恐怖も意思の力で乗り越える為にモナドを信じて、何より
両の手で強くモナドを握り右足を下げる。一度モナドを身体の後ろに隠して脇構えの姿勢を取る。焦ることなく、迫り来るテレシアに真っ直ぐ狙いを定め射程圏内に入る瞬間、一気に斬り上げてオーラの斬撃を振り抜いた。
「モナド"
"破"の斬撃はテレシアの眼前で霧状となり放散する。直後、未来視がシュルクの瞳に映し出された。一体目はそのまま直線上にいるシュルクの腹を目掛けて頭突きの動作で突っ込んでくる。もう一体は無防備なまま宙へと吹き飛んだシュルクの身体の上を取り、腕を振り下ろしてそのまま地面へと叩き落とした。
波動に包まれたテレシアはもう此方の動きを読み取れない。シュルクは迷わずに一体目のテレシアの突進を左横に動いて回避し、すれ違いざまに角を切り落とした。次いで二体目に対して地上からエアスラッシュを放つことで攻撃しつつ跳躍を果たす。跳び上がったことで逆に此方がテレシアの上を取り、バックスラッシュで急降下しながら角どころか頭部を叩き割って絶命させる。
ここで再び未来視が発動した。回避した最初のテレシアは背中を向けているシュルクに狙いを定め直し、鋭い爪で首を刈り取ろうと迫り来る。
だがそれも分かってしまえば何ら恐れることはない。
「ストリームエッジ!!」
左から右へ流れる薙ぎ払いの動きを殺さずに右足を軸にして回転、そのまま振り返りと攻撃を同時にこなした。ストリームエッジは飛び掛かろうとしていたテレシアの顔面を見事に殴りつける。右頬をぶん殴られたテレシアは突進の勢いを強引に変えられたせいで水面へと叩きつけられ、激しい音と共に大きく水飛沫を上げた。
水面から空中へと飛び上がるだけの時間も与えず、脳を揺らされて動きの鈍ったテレシアの胸部目掛けてモナドの刃を素早く突き刺した。背中まで貫通した刃を捻り抉って確実に急所を穿つ。力任せに引き抜けばテレシアは開いた風穴から崩壊してエーテルの粒子となり、空気へと溶けて消滅していった。
初代及びDE版ではアルヴィースの一人称表記は"僕"ですが、ウーシアとしての特徴を優先したかったので拙作ではエイと同じ"ボク"表記としています。