テレシアの消滅を確認してモナドを基底状態に戻した途端に身体の力が急激に抜けた。腹部に強烈な一撃を喰らったダメージに加え、張り詰めていた緊張の糸が緩んだことで踏ん張るだけの気力が底を突いてしまった。
倒れるならせめて背中から大の字にと、
「ね、出来ただろう?」
微笑んでそう告げたのはアルヴィースである。彼に支えられてそのままゆっくりと地面に腰を下ろした。
「うん、ありがとう……って、そんなことよりも! あ、っ……いてて……」
「無理して立ちあがろうとしない。座ったままでも話は出来るよ」
腰を下ろして楽な姿勢を取ったことで自覚したが、腹部の痛み以外にも軽い頭痛もある。恐らく短時間とは言えど、連続したテレシアとの戦闘でエーテルを奪われたからだろう。エーテル欠乏症患者三人目である。
そんな自身の身体の状態も簡単に忘れて、目の前にある興味を持った対象にすぐ意識を移してしまうのはシュルクの悪い癖だ。それをアルヴィースに柔らかく指摘されながらも、シュルクはその彼本人がモナドを自在に操れたことに対して驚きと感動の両方を伝えようとはしゃぎながら語った。
アルヴィースもまた何故か嬉しそうに笑ったが、シュルクの語りに含まれる疑問への返事はしなかった。質問に対しての答えをどうしてか彼は発してくれない。
答えの代わりとでも言いたいのか、今さっき戦ったテレシアは本体ではなくプエラ・テレシア——言うなれば分身と呼ぶべき個体だったと話し出した。本体はまだマクナ原生林のどこかに身を潜めているとも。
「それって、もっと大きい……獣みたいなの?」
「知っているのかい? そうだ、レオーネ・テレシアと言ってね。恐らく"彼女"から受けた傷を癒しているんだ」
シュルクの頭に浮かんでいるのはメリア達が戦っていた巨大なテレシアだった。アルヴィースの肯定と"彼女から受けた傷を癒している"という呟きから点在していた情報同士が繋がっていく。
今のプエラ・テレシアはメリア達が戦っていたテレシアの分身であったのだろう。モナドの波長に釣られてやってきた分身がやけに攻撃的であったのは、本体がシュルクの姿を目撃していたからと考えられる。姿形は異なれど奇しくも同じテレシアを相手したことになる。
「あの本体を倒さないと分身がまた来る……その間に本体が回復してしまえば、きっとまた
思考の海に潜るシュルクを見てどこか満足した表情を浮かべたアルヴィースは唐突に立ち上がり数歩下がる。何をするのかと思っていれば、彼は舞台上の役者が観客に物語のあらすじを語るような声音で話し出した。
「
彼の胸元の赤い宝石が煌めいた気がした。シュルクの視線は言葉を語るアルヴィースの口ではなく、その宝石に自然と惹きつけられて離れない。
彼の声はしっかり耳に届いている。彼の言葉も何一つ未知の単語などなく、文章そのものは問題なく理解できる。それなのに彼の声は口でも喉でもなく、どうしてか宝石の奥底から響き出ているような感覚がして、シュルクはその赤い宝石に投げかけるように疑問を口にした。
「君はどうしてモナドにそんなに詳しいの……? 君は一体何者なんだ?」
「それは追々、ね。それよりも君は何かを探しにここに来たんじゃないのかい?」
「え……? あ……あぁぁっ! そうだった! 急いで戻らないと!」
疲労困憊の身体に鞭打って何とか立ち上がる。エーテル結晶も確保したのだからさっさと戻らねばならないのだった。エイルもプエラ・テレシアの攻撃が想像より鋭かったことに慌てたせいで目的を忘れていた。二つの意識が宿る特異性を持ちながらそのダブルチェックをすり抜けたのは流石に反省したい。人命もかかっているので尚更である。
「アルヴィース、ありがとう! 君も気をつけて。じゃあ、またね!」
行き同様に"
「——またね、か。再会は遠くないと知っていたのかな、
帰りは何ら問題も起きずに済んだ。かなり待たせてしまったことに謝罪しつつカルナに結晶を渡して準備に入ってもらう。
準備が整うまでの間に、帰りが思いの外遅くなった理由をラインやダンバンに問われた。テレシアの分身体の襲撃と、奴らには対策をしない限り思考を読まれて勝ち目が極端に薄くなることは包み隠さずに共有した。メリアに何かしら言われるかと構えていたが、彼女はアイゼルを心配し続けており此方側の会話は耳に入っていないようだった。
アルヴィースと名乗る青年との遭遇についても打ち明けたが、ラインはあまり信じてくれずダンバンも素直には頷かなかった。
ダンバンはマクナ原生林にホムスが現れること自体が考えにくいと首を捻った。この付近にもなるとそもそもホムスのコロニーが存在していた歴史自体がほとんど無い。マクナ原生林の気候が厳しいのもあるし、モンスターの強さもザトールを上回る。単純にホムスが住むには適さない環境なのだ。
世捨て人的な人間が存在しないわけではないだろうが、アルヴィースの服装や髪の状態はしっかりしたものであった。シュルクの目から見ても、あれは整えられた住居を持っている者の姿だ。だからこそこんな木々溢れる場所に態々定住するのはおかしな話なのである。
ラインはシュルクやダンバン以外にモナドを扱い、その上新たなるアーツまで生み出せる存在がいるとは信じられないと眉間に皺を寄せた。そんな凄い人間がほいほい現れるならばモナドを扱う上でこんなに苦労をしないし、自分も扱える枠に入りたかったと少しばかり拗ねている。モナドレプリカが開発されればその悩みは解決するのでしばらく待ってほしい。
シュルク達が会話をしている間にカルナは準備を終えたようだ。メリアに優しく声をかけ、ライフルの銃口を空へ向けて結晶のエーテルを撃ち放った。弾けたエーテルが霧と粒子になり地上へと降り注ぐ。高気圧から低気圧へと空気が流れるように、純度も濃度も高いエーテルは低い方へと集まっていく。アイゼルに六割、メリアに三割程の粒子が流れて身体へと溶け込む。
因みにあと一割だがシュルクに向かった。
『……何で僕?』
『テレシアと戦ったんだから消耗してて当然だろう』
『あ、そうか』
加えてアーツの使用回数を踏まえるとカルナからヒールブラストの一発くらい喰らわされても変ではない。
空気中の青いエーテルが全て消えたところでカルナがアイゼルに近寄る。顔色も良くなり唇にも赤みが戻ってきているのを確認し、カルナ自身も安心したように一息吐いて頷いた。
「もう大丈夫よ。体力面は身体本来の回復機能に任せるから、しばらくゆっくり眠らせてあげて」
「本当か……! ……よかった、本当に……よかった……」
メリアの両眼から澄んだ涙がぽろぽろと零れていく。眠るままのアイゼルの手を両手で強く、優しく握りしめる光景をカルナやシュルク達は顔を綻ばせながら静かに見守っていた。
涙が止まったメリアは少し赤くなった目元を拭って、初めて俺達に正面から向き直り深々と頭を下げた。
「感謝する。情けない話だが私一人では彼を救えなかった。……いや、あの時
「気にしないで。困ってる人がいたら助け合う、お互い様なんだから。僕だってカルナがいなかったら治療らしいことなんて出来なかったよ」
「そうよ。あなたのその気持ちと彼の命がここに在る。それだけで十分すぎるくらいのお返しだわ」
実はシュルクやカルナ以上に
「そういえば自己紹介もまだだったね。僕はシュルク」
シュルクを皮切りに仲間達も順に名乗っていく。全員の名を聞き終えたところでメリアが立ち上がり一礼した。
「我が名はメリア。彼はアイゼルという。未だ目覚めぬ彼の分も改めて礼を言おう。……ところでシュルクとやら、何故私の名を知っていた?」
「え?」
——まずい。
全く気にせずに名を呼んでいたのか。何ならどこで呼んだかすらよく覚えていない。
『僕も流してたけどエイル普通に呼んでたよね?』
『
『本当……? 随分自然に呼んでなかった?』
最初から知っていたとは言えるわけがない。メリアにも未来視で知っていたと伝えようかと思ったがそうなると未来視の説明が要る。
ここで答えに詰まると怪しまれる。脳を強引に回転させてエイルが口を開いた。
「ほら、あの大きな生物に割り込んだ時にアイゼルさんが名前を呼んでただろ? それで君はメリアって名前なんだなって……」
「む……そうだったか」
すまないメリア。思い切り嘘をついた。
恐らくアイゼルは俺達が現れてから意識を失うまでの間にメリアの名を呼んでいない。あの時はメリアもかなり余裕が無い状態であったから細かくは覚えていないのだろう。俺達も覚えていないし。とりあえずこの場ではそれ以上の追求は飛んでこなかった。
「ねえメリア。ここで何があったのかしら? こんな場所でエーテル欠乏症で倒れるってなかなか考えにくいわ」
カルナが疑問を呈したがメリアは少しだけ目を逸らして答えた。命を救ってくれた恩人相手に多少の罪悪感はあるがあまり知られたくないといったところだろうか。
「……すまない、詮索は遠慮願いたい。行きずりの者達に話すようなことではないのだ」
堂々とした正論ではある。しかし俺達は皆アイゼルの身を案じて涙を溢れさせていた彼女の姿を目撃している。このまま別れてしまっては気分も良くない。各々がどんな言葉をかければ良いかと悩む中、ダンバンがこれまた正論で返す。
「望んだ状況でないなら無理して貫き通す必要もないんじゃないか? 何も洗いざらい吐いてほしいなんて思ってないさ。少しでもお前達の助けになればいいくらいの、まぁちょっとしたお節介みたいなもんさ」
ダンバンの言葉にメリアは僅かばかりはっとした様子を見せた。その後アイゼルの方を振り返り数秒悩んでいた。眠ったままの彼の身体も考えたのか、意地や余計なプライドは張らぬ方が良いと判断したらしく一つだけ彼女は助けを求めてきた。
「アイゼルを安全な場所へ移したい。私では彼を運べぬから、どうか助力願いたい」
それで良いと皆が笑って頷いた。
アイゼルはラインが背負い、兜や武具はシュルクとダンバンが手分けをして持つ。
「この地に来てから世話になっているノポン族の村がある。そこまで同行を頼もう」
「ノポン族!? 僕達もそこを探してたんだ! あ、僕達巨神の頭に向かいたくて——」
「とりあえず進むぞ。歩きながらでも話は出来る」
「あっ、すみませんダンバンさん」
先導は勿論メリアだ。その隣にシュルク、後ろにアイゼルを担いだラインと容体が変わった際に対応する為にカルナ、
歩き出してすぐにメリアからノポン族の村を探していた理由を尋ねられた。シュルクは素直に此方の情報を話していく。
巨神の頭に向かいたいが方法が分からない。そもそもマクナ原生林に来たのも初めてで情報らしき情報を何も持ち合わせていない。だからとりあえずはこの原生林が発生地であるノポン族を頼ろうという流れだ。
「ふむ……目の付け所は良いな。実際にここ、マクナ原生林から巨神頭部のあるエルト海へ至る道は限られている。その一つがノポン族の村の最上部から向かう方法だ」
因みに他には物理的に輸送ポッドなどで飛んでいく方法がある。現代では寧ろ此方が主な手段である。ノポン族の村を経由する方法は少々古めかしいというか、伝統的な方法だ。
「エルト海……。そこにメリア達ハイエンターが住んでるの?」
「そうだ。……ホムスにしては物知りだな」
「メリアってハイエンターかよ!?」
全員の視線が一気にラインに集中する。驚き半分呆れ半分だ。
「……貴方気付いてなかったの?」
「いや羽見えないし……」
その発言でほんの僅かだけメリアの表情が陰る。慌てた俺は、まだメリアの身分や出生についてを知らないシュルクと急ぎ交代して彼女に声をかけた。
「ごめんねメリア。聞かれたくなかったことだったかな」
ホムスとの混血であるハイエンターは純血のハイエンターよりも頭部の羽が短い。後に判明するタルコのように全員が短いとは限らないが、見た目で判断がついてしまうことから一部の心無い者から爪弾きにされた経験は少なくないはずだ。それを思い出させてしまったのならば、いくら此方が無知だとしてもその点においては謝るのが筋だ。
羽をボンネットで隠している理由は俺も知らない。万が一少しでも羽に意識が向かぬようにと彼女が心を守ろうとした上での行為であったのならば、俺は普通にラインを殴ることも辞さない。悪気がないのは分かっているけれども、なんなら殴ったとてシュルクの拳では大した威力にならないことも重々理解しているけども。
「いや、いずれ知られることだ。アイゼルと同じく私もまた巨神頭部エルト海にある皇都アカモートで生きるハイエンターだ」
ボンネットから羽を覆っていた部分だけが取り外される。見ただけで柔らかく、傷もなく色艶の良い純白の羽だと分かった。
メリアの瞳は凛としていた。一瞬の陰りが俺の見間違いだったのかと勘違いしそうになるほどに真っ直ぐで、紛れもなくハイエンターとしての誇りが宿った瞳だ。
「羽の大きさの差はよく分からないけどメリアの羽、とっても素敵だと思うな」
「え……」
「
「あら〜シュルクにしてはいいこと言うじゃない」
カルナに頬をつつかれた。別に下心とかではなく実際に見て素直にそう感じたのだ。皇家の血筋などの要因もあるかもしれないが、やはり最も影響が大きいのは本人の普段の行動にあると勝手に思っている。
「私もメリアの羽、とっても綺麗だと思うわ。ハイエンターに会うのは初めてだけれど可愛らしくて好きよ」
「うん。
『今さらっと僕のこと馬鹿にした?』
シュルク本人の声はそっと無視した。後に面倒くさいの一点で髪の毛を伸ばしたい放題にするんだから何も間違ってないだろう。その割に髪が傷みすぎていないのが謎——あぁ、レックスのおかげだなあれ。ありがとう、髪の長い嫁を持つ英傑。
「あ……その……。す、すまない、ホムスと触れ合うのは久々で……」
メリアの頬が薄紅色に染まる。照れを誤魔化しているのは明白だが何も言わないのが礼儀だろう。幸い不快にはさせなかったようだし、彼女の気分が少しでもプラスに傾いたのならば俺も嬉しい。
「と、とにかく
わたわたしながらメリアは先に歩いていく。皆が抱いていたメリアが少しお堅めの人物だという印象も随分変わっただろう。いや、アイゼルを失いたくないと必死になっていた姿を見ているのだから心の温かい部分があるのなんて最初から分かっていたか。今見せてくれたのは人から褒められれば照れる面だってある、身分や立場など関係のないありのままのただ一人の少女としての側面だ。
皆で静かに笑い合って、シュルクに身体の主導権を戻しつつメリアの背を追いかけた。