翌日の皇都アカモートは何やら妙な喧騒に包まれていた。
朝食を摂った後、シュルクが読書に勤しんでいると誰かが右肩を二度軽く叩いてきた。振り向いて顔を確認すれば昨日強引に寝かしつけてきた親友ではないか。相手を認識したシュルクは不機嫌さを微塵も隠すことなく思い切り顔を
「なに? 今肉体再生技術についての大事なところなんだけど。身体の一部を欠損しても残っている細胞の情報から元通りに再生してくれるっていう凄い技術なんだよ、上手くいけば身体を半分以上失っても元に戻る可能性があって——」
「見てみろよ、ハイエンター達が皇宮の前に集まってんだよ」
「はぁ?」
「俺ここまで機嫌悪いシュルク見たことない……」
でも気になるので本を閉じてとりあえず立ち上がる。
『あっ、端まで行くな。何も窓に張りつかなくても十分見え——』
『うるさい。一番透明度が高いところに立ってやる』
『ああああーっ!!』
俺にも憤慨していらっしゃった。
皇宮前に集まったハイエンター達は揃って啓示の間を見上げている。場の空気は疑問の色も窺えるが割と賑やかであり、決して重たいものではない。
少し待つと威厳に満ちた雰囲気を持ち、それに相応しい大きな羽と顔立ちを有する壮年の男性が一人現れた。同時に離れた場にいる民にも見えるように何枚ものホログラムのモニタが出現する。おかげで白翼宮にいるシュルク達にも彼の姿がよく見える。
「忠心篤き民よ。ソレアン・エンシェントである」
彼こそこの皇都アカモート、そしてハイエンターを統べる長、皇主ソレアン・エンシェント陛下だ。余談だが声が良い。
ソレアン陛下はある報せを民に告げる。陛下が即位してからはまだ二十年と少ししか経過していない。ハイエンターの寿命から考えてもソレアン陛下の治世は今後も長くであろう。皇都は不穏な気配を見せてはいないし、陛下の身体も至って健康そのものだ。しかし命あるものは等しく終わりを迎えるのが世の摂理である。皇主としてハイエンターが永き未来に渡って繁栄する為の礎、未来の希望となるものを今日ここで指名する。
次代の皇主、即ち皇太子だ。その名を——。
「メリア・エンシェントである」
仮面を着けて素顔は見えず、服装も俺達が知るものではない。だが告げられた名は二つとない
「あいつお姫様だったのか!」
「お前今頃気付いたのかよ?」
ダンバンの突っ込みがラインに飛ぶ。そのダンバンは椅子に腰かけてはいるが足をテーブルの上に置いている。英雄殿、少々態度が悪いのではないでしょうか。
シュルク達はメリアがあのように正式な場で皇女として現れたことで驚いているが、民衆もまた騒めきを一際大きくする。予想でしかないが今日という日が何らかの特別な日ではないにもかかわらずに皇太子が指名されたか、単純に皇太子が指名される時期が早すぎるか。もしくはメリア以外にも有力な皇太子候補がいたかのどれかだと思われる。ハイエンターにとってもメリアが正式に皇太子になるという発表は驚倒に値するものらしい。
民衆の騒めきが収まらぬ内に陛下は次の句を告ぐ。
「これより我が子メリアは墓所詣での儀に臨むことになる。我が栄光ある皇祖に認められ、皇女は皇太子となるであろう」
——墓所詣で。
その言葉が
未来視が終わると陛下やメリアは啓示の間から去ってしまい姿を消していた。残されたのは民衆がハイエンターの未来への希望を込めて高らかにメリアの名を叫び上げる声だけ。
『メリア……!』
『恐らく今見えたのが墓所のはずだ。急がないと皇太子になるどころかメリアが死ぬ、急ぐぞ!』
『急ぐって、墓所がどこにあるかも分からないのに!?』
『そんなもの皇宮にいるハイエンターに聞けばいい!』
慌てる俺達の声は周囲には分からない。仲間達はメリアが公的な場において素顔を晒していない理由が気になるようだった。
「それにしてもメリアの奴、何だってあんな仮面を着けてるんだ?」
「俺あんまあの仮面好きじゃねえや。いつものメリアの方がずっといいだろ」
「彼女、お姫様って以外にもどこか他のハイエンターとは違うようにも見えるけど……」
「メリアちゃん、鳥のヒトにあんま似てないも。お前達ホムホムに似てるも」
「そうかぁ? ホムスとハイエンターだって頭に羽があるくらいしかでかい違いないだろ」
「そうじゃないも! ちょーっとだけニオイが違うんだも! ガサツなラインには分かんないんだも!」
「んだとおっさん!」
「成る程ねぇ。余人にゃ知りえない複雑な事情がありそうだな、こいつは」
振り返りシュルクが叫ぶ。
「メリアが危ない! ここでのんびりしてる場合じゃないんです!」
急に声を張り上げたシュルクに一同数秒呆然とするも、今までの経験から未来視によるものだと即刻判断しその内容を聞こうとした。シュルクも情報を共有しようと口を開きかけるが、歓迎されぬ来客によりそれは遮られた。
白翼宮の扉を乱雑に蹴り飛ばし何者かが勢いよく飛び込んでくる。割れた扉のガラス片を気にする素振りも見せず、メリアのものよりも鋭い怒りを滲ませる仮面を着けた五人のハイエンターが両手の武器を此方へと向けてくる。
「昼メシのお知らせ……にしちゃ随分物騒な出で立ちだな」
余裕のある笑みで言いつつも、ダンバンは迷わず得物を引き抜きその切っ先を襲撃者へと向ける。
「食事時の心配をする必要はなくなる、永遠にな。——死にさらせ! 汚らわしい蛮族共!!」
襲撃者達はホムスの英雄の圧に対して怯えや警戒する様子を全く見せない。精神を強く鍛えているのか、はたまたホムスを同じ人間だとさえ思っていないのか。一切隠す気もない明確な殺意と共に奴らは襲い掛かってきた。
「シュルクは下がれ! モナドでの支援に徹しろ!!」
ダンバンが指示を飛ばす。人を斬れぬモナドでは襲撃者に対処出来ないからこその見事な判断だ。おかげでモナドの枷について調査する絶好の機会が潰された。
人数としては五対五だが近接戦が苦手なカルナと人を斬れないシュルクがいる為、ラインとダンバンが二人ずつ引き付けて相手取っている。最後の一人はノポンであるリキにも容赦なく刃を向けてくる。それでも我らがノポンの勇者は軽快な身のこなしで刃を避けつつ、鳥のヒトが相手でも迷わずに背後からカムカムの一撃を的確に喰らわせる。
相手の実力は高いのだろうが、これまで戦ってきた機神兵やテレシアと比べると劣る。室内という制限のある空間であるから互角に見えているだけで、広い場所であったのならばダンバン一人で簡単に制圧出来てしまうだろう。その点に襲撃者達も戦闘から数分経過して気がついたようだった。力と技巧で攻め切る作戦を一度取りやめ、頭部の羽を利用した高い跳躍で空中から一人の襲撃者がシュルクへと襲いかかった。
「ぐ……っ! 見た目の割に重たい一撃……!」
咄嗟に皆が援護しようとするが、一瞬生まれた隙を突かれそれぞれ一対一の状況へ持ち込まれてしまった。攻撃は出来ずとも防御は問題ない、幸いモナドが斬れないのは人だけであると未だに疑わぬシュルクは真っ向から迎え撃った。
武器と武器の打ち合いと鍔迫り合い。相手は戦闘訓練を受けていても女性である。生物の肉体としてひっくり返すのが難しい雌雄の差があるにもかかわらず、効率的な力の加え方により襲撃者とシュルクの力は拮抗している。辛うじて防御を続けるだけで苦い表情のままのシュルクとは対照的に、襲撃者はどこか楽しげな声のまま殴りかかってくる。
「ホムスのくせに顔がいい」
「だからなん、だッ……!」
ぐ、と押し込む力が一段階上がる。
「その上モナド探索隊唯一の生き残りだなんて」
——顔……い……。……生き……り……てよ。
なんだ。誰の声だ。シュルクではない、目の前にいる襲撃者のものでもない。
「まるで神に選ばれた子じゃない」
——神……子ってか。……なァ。
腹の底にあった何かが伸びてくる。ぬるついていて酷くおぞましいものが蠢いている。
「純血のハイエンターだったら
——それ……汚……のが……んす……だ。
ぐぢゃ、り。
腹の底に封じていた何かの蓋が開く。
一度開いてしまったそれを押し込める術をエイルも、シュルクも知らない。ただそれが溢れ出して良いものでないと直感的に理解した。
『シュル——』
手を伸ばそうとして、先にあるシュルクの手を掴もうとして、掴んで、掴んだと思って、ぬるりとしたそれは絶対にシュルクの手ではなくて。
咄嗟に離そうと思うもぬめりを帯びた何かが弾ける方が早かった。エイルが伸ばした手の指と指の間を液状のものが流れていく。指から手首、腕を伝って胴体を掴み上げたかと思えば一瞬にして全身を飲み込んだ。
流れ込んでくるのは誰かの記憶。断片的でノイズがかった情報は古いからか、それとも。
腹、足、背中、布、鼓膜、水、手首、涙、胸、涎、手、ひと、ふたり、しらないひと。
「あ、アぁあ、あアアぁあアああァァッ——!!」
前が見えない。何が起きている。俺の感情じゃない、エイルの持つ何かではない。俺の知らぬものが、シュルクが胎内に有していた何かが無秩序に暴れている。
酷い砂嵐が吹き荒れる平衡感覚が消える上が下で下が右で左が裏で表が中で内臓が掻き回される中身が外に出る知らないものが入ってくる水の中にいる水が入ってくる水が出ていく出て出て出て出て出ていっぱい、また。
***
とっても、ちいさなうみで、おぼれた。
うみの水はへんないろをしていた。いろだけじゃなくて、あじも、へんで、へん、でした。
早く、いえにかえりたいのに、水は、ぼくの手をはなしてくれなくて、ぼくの、足もつかんできて。
ぼくは、おぼれちゃったから、だれかがたすけてくれるまで、うみの中にいた、いました。だからぼくは、あのうみが、きらいです。でも水は、青いから、青いうみをいつか、見たい。へんないろのうみは、もう、いやです。
うみって、なにいろですか。これと、青と。
これは、うみですか。
僕は特別なんかじゃありません。僕はただ生き残ってしまっただけの何でもない、何者でもない存在です。
何も知らずに歩いて、引っ張られるからついていっただけで、いてもいなくても変わらない存在でした。
分からないのです。どうして僕だけがここにいるのか。父も母も名も顔も知らぬ誰かもみんな死んでしまいました。
教えてください。何故僕でなければいけなかったのですか。
僕はただの人です。人なんです。神の子でも神の遣いでもありません。貴方を救うなんて出来ません。癒すことも出来ません。僕は貴方が思うような美しさなど持ってはいないのです。貴方が欲しがる透明など無いのです。
だからどうかその手を離してください。僕では貴方を救えません。貴方を満たせません。貴方が満たされたと感じているのは貴方自身で貴方の器を満たしただけなのです。僕である必要はないのです。
もう受け止められないから。貴方はもう満足したではありませんか。貴方の器はもう満たされています。溢れてさえいるのです。これ以上は僕が溢れてしまうから、もう止めてください。もう、入りませんから、僕の器は、貴方ので満たすものではないんです。僕の器は貴方に捧げるものではないのです。
違う、貴方じゃない、まだ分からないけれど、少なくとも貴方では、ない。
入らない、から。やめて、やめてくださ、い。
も、むり、です。
***
シュルクの絶叫はこの空間においてあまりに異質だった。仲間達がシュルクに意識を引かれたのは勿論、暗殺部隊として育て上げられた襲撃者さえも、一瞬目の前の相手から意識を逸らした。
その中で誰よりも先に我に返り、尚且つ襲撃者達の一瞬の隙を見逃さなかったのはやはりダンバンであった。
今の今まで油断はしていなかったが加減はしていた。己らの命を狙ってきたとは言えど無益な殺生はしたくない。可能な限り襲撃者達の身体に傷を負わせないような立ち回りを続けていたが、シュルクのただならぬ叫びはそれを塗り潰すほどに悲痛なものだった。
神威息吹で自身の身体の速度を一時的に引き上げる。ダンバンから放出された強烈なオーラは敵の注意を引きつけるものではないにもかかわらず、英雄の持つ圧倒的なカリスマ性とでも呼べる圧により襲撃者達の意識を引くことに繋がった。
ダンバンは天地剣による二連撃でシュルクに当てがわれた以外の四人の襲撃者全てを昏倒させた。刀は振り抜く直前に握り直されており峰打ちだ。襲撃者達の命を奪ってはないだろうが、峰打ちであるが故に一切の加減をせずに放たれた。骨の一本や二本が折れるのは覚悟してもらうつもりだ。
ライン、カルナ、リキが自分達がそれぞれ相手をしていた襲撃者が倒れたと理解するよりも先に、ダンバンは疾風刃の名に違わぬ速度で最後の一人に鋭い突きを放った。しかし最後の一人はすんでのところで振り向き、手甲と武器が一つになった得物で疾風刃を咄嗟に防いだ。
「甘い! 雷刃砲脚!」
ダンバンの右脚による強烈な蹴りが襲撃者の腹部を直撃する。ダンバンの武器は左手に握られた刀のみだと思い込んでいた襲撃者にとっては、正に予想だにしない一撃だった。
加減を捨てたダンバンの蹴りは相手を崩すどころかその身を宙へと飛ばす。不意の一撃、宙に舞った身体。防御も回避の選択肢も失った襲撃者は、続け様に放たれた鉄功弾をまともに喰らうしかなかった。本来敵を転倒させる為のアーツであるが、無防備な状態かつ空中でダンバンの体当たりを喰らってしまった襲撃者はそのままガラス張りの壁に身を打ち付け、意識を失ってしまった。
相手が完全に沈んだと確認する行為さえ必要なかった。
ほんの数秒。たったそれだけの時間でダンバンは五人の襲撃者全てを地に伏せてしまった。
「シュルク!」
だが今は彼の実力に惚けている場合ではない。
最初からシュルクの身のみを案じていたダンバンの声でやっと全員が我に返る。
シュルクは頭を抱えるようにして
モナドはシュルクの右側に基底状態で放り出されている。戦いの
それほどまでに正気を失わせる何か。引き金となったものが何かまでは予想出来ないが、この状態そのものに関してのみ言えばダンバンはある程度の推測はついていた。
背中に嫌な汗を伝わせながら己の出せる中で最も優しいであろう声でもう一度シュルクの名を呼び、ゆっくりと左手をシュルクへと伸ばす。自分はシュルクに害をなす存在ではない、お前の味方だ。
その指先が触れる数センチ前でシュルクの口から音が漏れる。空気を吸った音だったのか、漏れ出た悲鳴だったのか。判断する間もなく——音が漏れたことさえ気づかぬ内に、ぱぁんとひどく単調で乾いた音が部屋にこだました。
振り払われた? 違う、叩かれ——。
「やだ、やだっやだやだいやだいやっいやいやあァぁああアあああ!!」
先ほどと同等の——否、それを超える悲鳴が溢れ出した。
頭を抱えていた手は闇雲に振り回されて空を切る。投げ出された足が床を何度も何度も叩く。あまりに硬いそれはただのホムスの力ではびくともしない。暴れれば暴れるだけ傷つくのはシュルクであるのに彼は動きを止めようとしない。駄々を捏ねる子どものように頭を振り乱す度に涙と唾液が飛び散る。
錯乱してしまったシュルクの様相に一同は言葉を失う。それでもこの子をこの場で守れるのは、大人であり曲がりなりにも保護者を務めてきた自分しかいない。ダンバンは暴れるシュルクの身を左腕一本で掻き抱き、もうこれしかないと鼻筋に皺を寄せて声を絞り出した。
「カルナ……! 鎮静剤の類いをシュルクに……頼む……ッ!!」
硬直の魔法から解き放たれたかのようにカルナの身が動き出す。現在持ち合わせる各種回復及び攻撃用のエーテルシリンダーから一つを選び、濃度をその場で薄めたものをガドカスタムライフルにセットした。
「スリープバレット用のでいいかしら。実弾を放つものじゃないから安心して」
「助かる。……すまない、こんなことにお前の恋人のライフルを使わせてしまって」
「気にしないで。今のシュルクを救うものよ、誰かを傷つけるものじゃないわ。……シュルク、大丈夫よ。少し眠るだけだからね」
ライフルの銃口をシュルクの身にぴたりと当てカルナはその引き金を震える指で、しかし迷うことなく引いた。
びくりと一度だけシュルクの身体が跳ねる。薄められたスリープバレットのエーテルは瞬く間にシュルクを眠りへと引き摺り込んだ。やっと動きを止めたシュルクの四肢は力無く放り出され、顔は涙か唾液か分からないほどに濡れてぐしゃぐしゃであった。
あんなに騒がしかった空間が嘘のように静まり返る。何者かの襲撃もシュルクの錯乱も悪い夢だったのではないかと思うほどに。
でも、現実なのだ。襲撃者は意識を失ったまま床に転がっている。ダンバンはシュルクの弛緩した身体を抱きしめたまま、どこか後悔を滲ませて静かに歯を食いしばっていた。
ラインは下ろされた両の拳を強く握った。強張った身体のせいか、恐怖か、はたまた悲しみか悔しさか。行き場のない感情が小刻みに腕を震わせる。
何がどうしてこうなったのだ。誰が悪い、何がいけなかった。
目の前で一番の親友が泣いていた。酷く怯えていて、身内同然のダンバンの手さえも振り払って、敵も味方も自分さえも分からないみたいに叫んでいて。
あんな声聞いたことない。あんな顔見たことない。あんなの、見たくなんてなかったのに。
何も出来なかった。何が出来たのか。彼の身に何があった、何が起こった。俺はお前を守れていなかったのか。俺の手では、お前を救えないのか。
フィオルンと約束したんだ、傷一つつけさせないって。俺がシュルクを守るんだって。なのに、なのに、シュルクはこんなにぼろぼろで、なんにも、おれ、できてなかったんじゃないかって。
——誰か、教えてくれよ。
白翼宮に近づいてくる慌ただしい足音さえどこか別の世界の出来事のようだった。