不意に寝室の扉を叩く軽い音が二回鳴る。返事をしつつ身を起こすと、開いた扉からすっかり見慣れてしまった端正で柔和な顔立ちのハイエンターが顔を出した。
「シュルク殿、お休みでしたか?」
「いえ、ちょっと横になってただけです。何かありましたか?」
「皇主陛下がお召しなのです。謁見の間まで自分が案内せよと仰せつかりまして」
アイゼルの言葉でおおよその察しはついた。監獄島の勅許絡みだろう。
柔らかい寝台の誘惑も全く気にならない。立ち上がり、そのままアイゼルに連れられて謁見の間までやってきた。皇主はシュルクのみを指定したらしく、残念なことにラインやダンバン達は同行ならなかった。一人で皇国のトップと対面とはなかなかに緊張するものだ。
謁見の間には呼び出されたシュルクと呼び出した皇主ソレアン、そしてメリアの兄であるカリアンしかいなかった。両脇に近衛などがずらりと並んでいるイメージがあったが、陛下の計らいで席を外しているのだろう。
「シュルク殿。先立ってのそなた達の監禁拘束の件、許されよ」
低く厳かであるものの、穏やかで温かみも含んだ声だった。皇都の裏面では様々な事情が絡み渦巻いているのが現実ではあるが、少なくとも表向きは平和を保っている理由の一端を感じた。紛れもなく国と民を心の底から愛している者の声色だ。
「何より異民族の身でありながら皇国皇太子——いや、我が娘たるメリア・エンシェントへの助力。子を持つ一人の父として礼を述べたい。大儀であったな」
「いえ、墓所詣では大事な儀式であったのに僕達のような余所者が水を差してしまって……寧ろ申し訳なく思います」
「果報者だな、あれは。そなたのような潔い若者に出会えたこともまた為政者として欠くべからず徳と言えよう」
皇主として、また父としての愛を感じられる。メリアが他者を思いやれる心を持ち、捻くれることなく真っすぐに育ったのも納得が出来る。
前置きはここまでとして、ソレアン陛下はシュルク達が機神兵を追っていることについて触れてくる。隠す理由も隠したい気持ちも此方には全く無い。エルト海に上がってきた時にメリアとアイゼルに話した内容を陛下にもう一度伝える。
機神兵の襲撃により自分は多くのものを失った。否、失い続けている。シュルクが生まれる何年も前から、既に両親はモナド探索隊として巨神界を旅していた。母親の胎内から出る以前、胎児である時、何なら受精卵として形成されるよりも前——もっと言えば両親が生を受ける以前から機神界との戦争は世界に存在していた。
機神界からの侵攻により人々は命を落とす。それに抵抗しようと武器を開発し、敵わなければ改良や代替手段を探した。果てには神話の伝承にまで救いを求めて、存在するのかも不明瞭な神与の剣に縋った。
在るのかも分からぬ救いを探す旅は楽なものではない。命の有無を問わず、過酷な旅に終わりを見出せずに離脱する者は少なくなかった。幸い旅の念願は——念願だけに焦点を当てるのならば——叶った。
結局ホムスは最後の最後まで多大な犠牲を払わされた。ようやく見つけた神剣モナドも、たった一人の少年を除いた探索隊全員の命と引き換えにホムスの手に収まることになる。
それでも悲劇は終わらなかった。次いで浮上した問題はモナドは使用者を選ぶという特性だ。資格を持たぬ者が振るえば、モナドは機神兵を斬るどころか使用した者を滅ぼす。
英雄の右腕を犠牲にしてやっとシュルクという適性者を見つけたのも束の間、今度はモナドでは絶てない顔付きの機神兵が出現した。
どれだけのものを失っただろう。今この時もどれだけの人が終わらぬ侵攻に怯え、未来にはどれだけの命がまた狩られるのだろう。
「復讐か?」
「はい」
「正直だな」
陛下の端的な問いにシュルクは迷わず頷いた。あまりの即答ぶりに陛下は微かに笑いを零す。
たとえ親しき者に咎められようとも、失った愛しい彼女に止められようとも、故郷を旅立つ時に立てた誓いを捨てるつもりはないし、綺麗な言葉で飾りつけるつもりもない。復讐はどこまでいっても復讐に過ぎない。血に塗れた道を別の血で上塗りするだけの道はちょっとやそっとの純水では洗い流せない。
「復讐から始まったことは否定しません。ですが結果的に……と表現してしまうと言い訳になるかもしれませんが、機神兵を追ってそれを討ち倒す道は僕達ホムスの生存に繋がると思います」
「そなたの誓いは揺るがぬのだな」
「はい」
もう一度強く肯定したシュルクを見て陛下は悩ましげに組んでいた腕を下ろし、真っ直ぐに此方を見据えてくる。
「シュルク殿、そなたはモナドを振るう。しかも
故に話しておかねばならぬことがある」
遥か昔、長命であるハイエンターの始祖がこの国を建国する時期をしても更に以前、我らにとっての世界神である巨神と異界の神である機神との間に激しい戦いがあった。戦いの果てに二柱の神は相打ちの結末を迎え骸となった。二つの世界の生物も多くが死に絶えた。そこからは骸となった神を大地として巨神界の生物は徐々に数を増やし、やがてハイエンターやホムス、ノポンといった今の種族が誕生したと伝えられている。これはホムスもハイエンターもよく知るこの世界の成り立ちの神話だ。
「その巨神が今、目覚めようとしているのだ」
いくつか根拠となる理由がある。例えば予言官であるアルヴィースも既に巨神が目覚めようとしていることを予見している。
他にはマクナ原生林での一件がそうだ。テレシアは巨神と共に誕生した最古の生物と言われるほどに歴史が古い。テレシアはエーテルの乱れを生む。その乱れが続けばどうなるか。陛下はその先を言わなかったが予測はつく。
ただシュルクは何故今になってエーテルの乱れが発生するようになったのかが疑問であった。テレシアがもっと頻繁に巨神上層から抜け出していたのならハイエンター側ももっと対処はスムーズであったはずだ。今回の件は皇国皇太子候補であったメリアを向かわせていた。なかなかに考えられないことである。本来であれば、言い方は多少悪いがもっと下の身分の者や兵士達のみで討伐するのが一般的に思える。皇家の者が討伐するという伝統があれば話は変わってくるけれども。
つまりはハイエンター側もテレシアを打ち倒すだけの術が確立されていない。数十年や数百年単位で何も起こらず、テレシアの件だけを見ると平和であった証拠になる。
陛下は振り返り、シュルクの疑問への答えとして玉座の後ろにある碑文に刻まれた伝承を読み上げ始めた。
「万物の祖、エーテルの乱れる時巨神は目覚める。その兆しを見落とすなかれ。兆しは巨神の剣に現れるなり。万事に留意しこれを封ずること、永劫の繁栄を約束するものなり」
エーテルの乱れに繋がる要因は様々であるが、巨神界の生命の生き死にもその一つである。直近では機神界の侵攻により夥しい数の命が消えていったことが乱れの大きな原因だろう。
そうなれば兆しは巨神の剣であるモナドに現れるはずである。本来であればハイエンターは始祖が封じたモナドを見て兆候を判断できた。しかし現状は見ての通りだ。モナドの封印はホムスの手によって解かれて機神界との戦いに使われている。
陛下もその点を責めることはしなかった。ホムスの生存にモナドが不可欠であったのは事実だ。仮にハイエンターがモナドの様子を見たいから持っていくなと干渉していたならば、少なくとも巨神界の下層はとっくの昔に焼き払われていたに違いない。
「この碑文はつまる所、機神界との戦いを指しているように思う」
巨神は完全な骸となったわけではない。今も巨神は生きている。ザトールからマクナに上がる際に巨神胎内でシュルクが感じたものは間違っていなかった。
このまま機神界の侵略が続き、これ以上に多くの命が奪われてしまえばいよいよ巨神は目覚めるだろう。巨神が目覚めたならばどうなるのか。今度は対になる機神もまた目覚めるだろう。そうなってしまえば神話に語られる二柱の神同士の戦いが再び勃発し、巨神界で生きる全てのものが滅んでしまうことを示していると陛下は考えている。
「兆しもモナドの封印が解かれることやホムスの手に渡ったことを指しているとは考えにくい。寧ろそなたの手にあること、そなたが紙の上に筆を走らせるが如く未知の力を引き出している今の状況こそが兆しに思えるのだ」
「僕が……」
「事実は神と未来しか知り得ぬ。どちらにせよ機神界の侵攻は止めなければならない」
「ならばその想いは僕らも同じです! だから僕は監獄島に行かなければならないんです。陛下、メリアから監獄島へ行くには陛下の許しが必要であると聞きました。その許しを頂くことはできないでしょうか?」
ようやく飛び出したシュルクの本来の目的に陛下は数秒の沈黙を挟む。迷っているようにも、逆にその問いを知っていたかのようにも見える。
「そなたは行って何とする?」
「見たんです。
——僕は、あいつらを
「……そうか。
"そなたも"。その言葉にシュルクは気がつかなかった。だがその言葉一つで、陛下もアルヴィースとの予見の儀式でやはり同じ未来を垣間見ていたのだとエイルは確信できた。ぼんやりしていては何の抵抗も出来ずにソレアン陛下——メリアの父の命は散る。
「シュルク殿よ、監獄島にはモナドと同様に皇家の始祖達が封じたもう一つのものが眠っていると伝えられている。当時の記録も失われ、それが何かまで確かめる術は無いがな」
「それも巨神の目覚めと何か関係があるのでしょうか?」
「分からぬ。……分からぬが、始祖達が封じた以上我々はその意思を継いでいかねばならぬ。
——今少し、考える時間をくれはしまいか。我々とて今の巨神界を憂慮はしている。同じ大地に住み、生きる同胞としてホムスを蔑ろにはしない。どうか信じてほしい」
言葉の節々から否寄りの曖昧な回答であるのはシュルクも理解していた。本心としては何としてでも監獄島へと赴きたいだろうが、たった一人の我儘でこの国や何よりメリアに迷惑をかけるのはシュルクも望んでいない。
だから素直に陛下の言葉を受け入れるしかない。ゼロではない可能性を信じて待つことが己の出来る精一杯だ。
「分かりました。たとえ監獄島へ行くことが許されなかったとしても、その時は陛下やメリア達に迷惑がかからないところで別の道を探してみます」
「感謝する。……すまぬな」
申し訳なさそうに俯くも、陛下は直前の悲しげな表情を和らげてもう一度シュルクを真っ直ぐ見つめる。
「それと——これは皇主ソレアン・エンシェントではなく、一人の父親としての願いなのだが……」
メリアの支え——つまりは恋人だとか伴侶の類い——となってほしいとまでは言わない。でもせめて。
「あれの友としてこの先も懇意にしてやってほしい」
立場や身分を明かした以上何も気にせずというのが難しいのは分かっていても、一方的な願いであることも承知していても頼まずにはいられない。
「はい! 勿論です!」
純粋な温かい親心を拒む理由などない。笑顔で即答したシュルクを見て陛下だけでなく、陛下の隣にいたカリアン殿下もまた微笑みと共に小さく頷いてくれた。
『シュルク。悪い、代わってほしい』
『え? メリアのことで何かあった……? 仲良くしたくないとか言わないよね?』
『その話じゃない。安心しろ、また別のことだ』
『うん……?』
怪訝そうな声ではあったが交代はさせてくれた。どれだけ小さくとも現時点で打ち込める楔は打ち込んでおきたい。
「陛下、監獄島への許しとは全く別のことなのですが……」
「申してみよ」
「はい。若輩者であり立場を弁えぬことと重々承知しているのですが、どうか……どうかどんな未来が待ち受けていても、生きることを簡単に選択肢から外さないでほしいのです」
ソレアン陛下もカリアン殿下も僅かに目を丸くしたのが見えたが気付かぬ振りをして話し続ける。
「一国の皇主として民を守る選択をすることも多いと思います。機神界の侵攻がこのアカモートに伸びてしまえばよりその頻度は高まるでしょう。それでも陛下はメリアにとってたった一人の父親なのです。だから……民も娘も守って、その上で陛下自身も生きられる未来を諦めないでほしいんです」
そこまで一気に言い終えると場に沈黙が下りる。気まずくなり唇を弱く噛んで床に視線を落とした。
変に怒りを買って勅許の可能性を無にする恐れもある。でもここしか伝えられる機会がないのだ。ほんの少しでも意識の隅に何かがあれば未来は変わるかもしれない。メリアを悲しませたくないと願うなら、自ら動いて未来を変えようとしなければ絶対に叶わない。
「……
「え……」
視線を上げて見えた陛下の表情は先と変わらず穏やかな笑みのままだった。
「そうだな。そなたの言うことは
——ただこれも忘れないでいてほしい。親とは時に、子を守る為に己が命を盾にすることを厭わぬ生き物なのだ。そなたが生き延びたように、きっとそなたの親もこれから先を何より子に生きてほしいと願ったのだろう。未来はいつだって若者達の手にある。その輝きを失わぬように守り抜くことこそ親の役目でもあるように思う」
——ああ、敵わないな。
率直にそう思ってしまった。愛に溢れる親心の前では俺のちっぽけな懇願も大した意味をなさない。
だから俺達で守るしかない。黒い顔付きの爪に貫かれる未来視が見えようと見えまいと、誰かを守ろうとして犠牲になることを繰り返させてはいけない。
謁見の間を出ると律儀にアイゼルが待っていてくれた。道のりも大まかには頭に入っているし、戻るのは一人でも問題ないと伝えたのだが彼は首を横に振った。
「シュルク殿に何かあってはいけませんから! 陛下や殿下もすぐに対応はしてくれましたが、巨神教の魔の手が伸びないとも言い切れません。メリア様の為にも自分がお守りいたしますよ」
呆気に取られた。彼の人の良さはもう分かっていたつもりである。それとはまた別にさらりとかっこいいことを、しかも全く鼻につかせることもなく言ってのける点に驚いた。
この人、心身共に魅力的だったんだな。
そこから白翼宮に戻るまではメリアを中心とした話題で思いの外盛り上がった。十歳ほどしか変わらない——ホムスの感覚だと二歳になる——がアイゼルの方が年上だとか、存命だった頃の母親と遊ぶ幼き頃のメリアは正しく天からの贈り物かのように可愛らしかったとか。
「自分が話したとはメリア様には内緒にしておいてほしいのですが……」
その中で彼はメリアの母親及び彼女の生まれについて教えてくれた。
メリアはハイエンターである皇主ソレアン・エンシェント陛下とホムスの
皇主はハイエンターの
今では差別意識を持つ者は多くはないがゼロでもない。翼の大きさも純血は長く、混血は短いということから見た目ですぐに判明するのも差別意識の根絶に対しての壁になっている。
「数世代前の皇主が積極的にホムスと関わりと持とうという政策を発表したこともあったのですが、生憎長続きせず……。その代の皇主も若くして亡くなったと聞いております。今となっては巨神教の手によるものだったのでしょうね」
どうやらハイエンターも巨神に与えられたテレシア化という宿命に大々的に抗おうとしていた時代もあったらしい。それも結局はハイエンター内部からの差し金により失敗に終わったとは寂しいものである。考えれば巨神教単体ではなくロウランの暗躍もあったと見た方がいいだろう。ハイエンター達は俺が思うよりも長く、またしぶとく抵抗を続けていた。
「でも自分も混血児ですよ。曾祖母がホムスでした」
「本当ですか!? でもアイゼルさんの羽、純血の人達と同じで長いですよね」
「混血だからといって必ず短くなるとは限らないんです。親がホムスだとほとんどの場合で短くなりますが、ホムスとの世代が離れるほど今度は長いまま生まれてくる確率が上がります。今は完全な純血の方が少ないと思います。程度の差はありますが七割くらいは混血ですよ」
「ちょっと意外というか……ずっと純血だと思ってました。これじゃ頭の羽が短いから混血だって差別する人と変わりませんね……」
「いえいえ! 見慣れぬものを相手にしては最初は誰でもそうだと思います。自分だってハイエンターは同じように見ていても、まだシュルク殿や皆さんをまずホムスであると思ってしまいますからお互い様ですよ」
このアイゼルの素晴らしい価値観の構成にはやはり家族の影響が大きかった。曾祖父がホムスを伴侶としたように、その子孫である彼の祖父母や父母も他民族であろうとまずは理解しようとする姿勢を忘れぬ人達であった。巨神教のように過激な者にとっては邪魔な思想ではあり、実は少なからぬ負の影響をアイゼル自身も受けていた。
彼は現在メリアの側仕えの騎士を立派に務めているが、実はもっと上のカリアン殿下の護衛や、経験を重ねれば陛下に直接仕える立場にも抜擢されてもおかしくないほどに高い実力を持っている。何故メリアの下に仕えることになったのかという点が混血の家系であることだったのだ。同期などからは勿体ないとか古い価値観が無ければと残念がられはしたものの、彼本人と家族は全く気にしてはいなかった。
「ハイエンターにとっては寧ろメリア様が希望なのです。種族の壁など取り払い、全ての者が手を取り合える世界の
「僕はメリアやアイゼルさんと出会って少ししか経ってないですけど……でもきっと、メリアにとってアイゼルさんはとっても心強い存在だと思います」
「そう思っていただけていれば自分も光栄です。——しかし本当の意味でメリア様の手を取り、支えになる存在は自分には務まらないと思うのです。仮にホグドやダミル、ガランが生き残っても同様です」
「そんなことは……」
「自分にとってメリア様は護るべき希望で、心優しきメリア様にとっては自分は護るべき民なのです。それは易々と変えられるものではありません。
……シュルク殿、貴方にとって我々と共にいる時のメリア様と、皇家の者として振る舞うメリア様はどちらが本当のお姿に見えますか?」
一人の少女として笑い、友人と他愛無い会話で盛り上がり時には涙を流す。一方では皇家の者として皇国と民を護り導く、凛とした皇女として堂々と立つ。
どちらが本当でどちらが嘘なんて他人である俺達には分からない。メリア本人もきっと曖昧な境界で立っているのだと思う。でも
「どっちも本当だと思います。どっちもメリアという一人の人間で、僕らの大切な仲間に変わりはないです」
答えを聞いたアイゼルは穏やかに、それでいてどこか泣きそうな表情で微笑んだ。
「そう言ってくださると信じていました。……きっとシュルク殿のようなお方が隣でメリア様を支え、白百合のように美しく何よりも強い手を握るのに相応しいと思います」
シュルク
——僕なんかより素敵な人がいる。
——彼はメリアに恋心とその先の感情を抱けない。