いつしか異物は喀血となる   作:坂野

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"人"

「父上っ……父上ぇぇっ……!!」

 血の臭いが肺を満たしていく。生理的に拒絶を示す臭いは鼻から体内へ侵入して喉に引っかかり、吐き気と共に口から外に漏れ出ていく。

「そうよ、このたった一刺しでさぁ。弱すぎるぜ、人間(おまえら)はよぉ!!」

 戦利品かのように、目に痛いほどの赤に染まった爪自体が生物であるかのようにゆらりゆらりと顔の前で動く。

 揺らめく全ての爪から黒の嘲りが聞こえてくる錯覚さえしてくる。黒の全ての部位が人間という生物自体を見下し、ただ平穏に生きたいという人々の願いさえ存在してはいけないと否定している。大切な人を喪う悲しみに溺れる人を増やしたくないというシュルクの願いも、ほんの僅かであっても掬い上げたいと抗ってきたエイルの決意も黒は踏み躙る。

 何かの目的があるわけではない。ただ自分がそうしたいから、遊び足りないから。

 メリアは父親に縋りついて泣きじゃくっている。陛下は命を胸から零して倒れている。

 また誰かが哀しみの涙を零していく。救い切れなかった命が指の間から流れていく。

 君がまた救えなかったと泣いている。

 未来を求めて抗い続けると決意した結果がこれか?

 何も、何も変わっていないではないか。

 

 

「モナドを継ぎし者よ」

 魂に直接声が流れ込んでくる。その身を巨大な槍で貫かれているにもかかわらず、巨人の声には苦しみも焦りも何も感じられない。

「無事だったの……いや、お願いだ! 今すぐモナドの枷を!」

 巨人の無事に驚く暇もない。シュルクはこの場の惨状からモナドの枷を完全に取り払ってほしいと彼に懇願する。枷を解き放たなければ黒や他の顔付きを抑え込めない。このままではソレアン陛下に留まらず仲間が殺されてしまうから。

 背後から聞こえる仲間達が傷つけられる音、苦しみに呻く声。人は、あまりに弱い。

「憎いか?」

 当たり前だ。フィオルンを、陛下までも貫いて心底愉快だと笑うあいつをどうして憎いと思わずにいられようか。

「ならば思うままに振るうが良い。枷は既に解き放たれている」

 枷とはそれを振るう者の意志によりはめられ、存在する。解かれる時もまた同様である。

「そなたの意のままに。(たお)したいと思う相手を念じ力を解き放つのだ」

 巨人の肉体は形を保つ限界を超えた。翡翠色の粒子となり崩壊した肉体は未だに意志を残しているのか、風向きとは無関係にシュルクの下へと流れてくる。

「さあて、と……。危ねぇモンは先に処理しとかねぇとなぁ」

 仲間の悲鳴はほとんど聞こえない。傷の痛みに呻き、喘ぐ声が微かに鼓膜に届いて震わせるだけだ。

「ダンバンさんよぉ、ゆっくりゆぅっくり絶望に突き落とした後に殺してやるからしっかり見てろよ。そこのモナド使いをぶち殺してからてめぇらを一人一人……ってなぁ」

 力があればこの未来(げんじつ)は変わったのだろうか。初めから全てを打ち明けていたら変わっただろうか。俺の記憶も、モナドの枷も、顔付きの正体も、巨神と機神の戦争も。コロニー6で止めなどせずに枷を解き放っていたらまた違った未来に着地できただろうか。

『悔やむか?』

 いつも悔やんでいる。あの時ああしていれば、隣の選択肢にしておけばよかったと、愚かな己をいつだって呪ってここにいる。

『嘆くか?』

 どこで間違えたのだろう。

『求めるか?』

 もっと、強かったら。

『無念か?』

 ——悔しい。悔しい、悔しい、悔しい悔しい悔しい悔しい許せない許せない許せない許せない許せない許せない!!

 強い力の無い腕が、的確で最善の判断を下し続けられない脳みそが、誰かの危機に間に合わない脚が、大事なものを落としていくこの手が、届かない指先が、人間の命を奪う黒い顔付き(アイツ)が、考える頭も持たずに攻め込んでくる機神兵が、理由を並べて侵攻を止めない盟主が、それを存在させる機神が、膂力の無いホムスが、己の安全だけ考えて引き籠り平和の中で笑うハイエンターが、他種に媚びて戦いの前線にも来やしないノポンが、目の前で死んでいく人々が、考え抜くことを放棄して自己犠牲に走る人が、君を泣かせる人々が、君を守れない自分自身が!!

『そなたの思うままに、この先の後悔を消し去る為に身を委ねよ。されば手に入ろう。そなたが真に守りたいと願うものを失わぬ力が』

 何もかもが許せない、君を苦しめるありとあらゆるものが憎い、この世界に在る全てが、全部、全部が、君以外の全てが!! 君を守れるだけの力が手に入るならば俺がどれだけ傷つこうと構わない! 他の者の血が流れようともう知ったことではない! 君を守るならどんな罪だって犯せる。人の道を外れたっていい、人でない何かに身を堕としたっていい。

 だから、だから——!!

 

『エイル!!!』

 

 君が、これ以上、泣かなくて済むのなら。

『違うっ! 違うよ! それは"君の願い"じゃない!!』

 ちがう、だって、きみがかなしむのは。

『君の理想は"みんな"がいる世界だ! みんながいて、笑って生きている世界が君の理想で、その中に君自身がいることが"僕の理想"だ!』

 そう、だから、きみがなかないように。

『僕の理想が"君の願い"だ!! みんながいなかったら嫌だよ! 君がいない世界だって嫌なんだ! そんなところで僕は泣かないかもしれないけど絶対に笑えないよ!! 僕の望む未来に連れていくって約束してくれただろ!!』

 きみが、わらえない、せかい。

『怒りに呑まれちゃ駄目だってエイルが言ったんじゃないか! 負けないで、君に君であることを失わせようとする何かに負けないでよ!! 君を(いか)らせるものの思い通りになんかなるな!!』

 きみがわらわないせかいは、そんなの。

『——ザンザァアァアアァッ!! あなたが枷を解いてくれたことには感謝する!! だけど僕らは怒りで枷を解き放たない!! 大事な人達を守りたい想いで外すんだ!! 怒りで進んだらその先の事実を知れない!! 黒い顔付きだってあいつを殺す為に斬るんじゃない!! あいつを止めたいから斬るんだ!! 腕を、足を斬らなきゃ止まらないからだ、それ以外に方法がないから斬るんだ!!

 力を持つ相手には相応の力が必要だ!! 暴虐の限りを尽くす相手に斬れぬ刃で何を抵抗するんだ!! だから僕は抗う為にそれを傷つける!! それの手で奪われる命が存在するのなら、それの腕を斬り落とす罪などいくらでも被ってやる!!』

 そんなの、俺の望む世界じゃない。

『コロニー6で君が僕を止めてくれて良かった。僕が誰の首も落とさないように止めてくれたから僕は君の手を繋いでいられる。だからこそだ! "人"を傷つける罪は"僕ら"で背負う!! エイルにだけ手を汚させるなんてしない!!

 君の痛みを、君の苦しみを、君の悲しみを、君が僕の記憶を飲みこんだみたいにっ……僕に分けてくれ!!』

 ぎゅうと強く、握り込まれた手が。

 

 

「死に晒せぇええぇぇああアアアあアッ!!」

 君は俺が思う以上に強くて、俺は驚くくらいに弱かったんだな。

「"(シールド)"」

 違うよ。二人とも弱くて、きっと二人とも強いんだよ。

「な、あァ……ッ!?」

 何だか偉そうなことばかり言ってきたけど、全部自分に跳ね返ってきたな。忠告しておいて自分が怒りに呑まれるなんて終わってる。墓所詣での前くらいからずっと情けない。

 人って案外そういうものかもよ。強い部分で誰かを助ける、弱かったら補い合う。後悔して、反省して少しずつ埋めていくんだ。この前は君が僕を止めた、今回は僕が君を止めた。ただそれだけ。そうやって、何回も繰り返して埋めていこう。汚いものは一緒に受け入れて、また歩いていこう。

「——"(バスター)"!」

 そうだな。"それ"を斬る覚悟はエイルだけのものでもない、シュルクだけのものでもない。

 うん。二人の覚悟、二人の罪だよ。

 生きるのも一緒。未来も一緒に、か。

 汚れるのも一緒に、ね。

 

 

「あ……?」

 黒は目に映る光景を理解出来なかった。否、理解したくなかったのかもしれない。機神兵の中でも特に強力で、装甲においても一際頑強である顔付きが傷つくなどと。

 目の前のちっぽけな小僧を突き刺そうとした爪が、(なまくら)だと思っていたモナドに手首ごと断たれるなどあり得るのかと。

「い、てぇ……? 痛ぇ……っ、痛ぇ、痛ぇ痛ぇ痛ぇェェエエエエッ!!」

 機械の身体となった際に忘れたはずの感覚が黒を襲う。戦場において味わいたくないもの、殺し合いが遊びから本物へと変貌する為の最重要部品が再び黒の身に取り付けられた。

 おおよそ一年ぶりに神経が直接捩じ切られるかのような痛みに支配された黒は気がつかなかった。赤子の手を捻るよりも簡単に殺せたはずのクソガキの持つ武器に自身も、ホムスも、機神界盟主さえも見たことのない紋様が浮かび上がったのを。

 巨神の剣、その姿がより長く、より鋭く変わったのを。

「ク……ッソガキャァアアアアアア!!」

 まだ片方がある。どこだっていい、左の爪で目の前のガキの身を切り裂いて圧倒的な力の差を示さねば気が収まらない。

 あまりに大振りな黒の動きはシュルクに容易に見切られる。"(スピード)"や"(アーマー)"なども発動せず、最小限の身の捻りのみで爪の一撃を避けてしまう。だがそれは黒の誘導であった。本命は脚部による機体の重さを乗せた蹴りである。内臓を潰す威力でシュルクの腹を蹴り飛ばし、無防備な状態へと追い込んだところへその顔面に爪を突き刺すのが狙いだ。

「……ハ、ァ……?」

 確かに蹴った、蹴り抜いた。モナドの青い光を。

 黒の脚はモナドの刃をすり抜けた。

 すり抜けて、落ちた。

『次! 左の爪は手首からではなく肩から断て!! 残った腕部を振り回されでもしたら面倒だ!!』

「モナド"(ジャンプ)"!!」

 黒の思考が追いつかぬ間にシュルクは跳び、黒の左肩を吹き飛ばす。

「ガァあああァアァアッ!! ……んで、なんでッ! モナドが痛ぇんだよおおおぉおォォッ!!」

 黒の悲鳴にシュルクは微かに唇を噛む。どれだけ覚悟していても枷の外れたモナドが顔付きを傷つける意味を理解してしまえば、博愛の彼の心は辛いと涙を零す。

『本体があるなら仮面のすぐ下の胴体部分しか考えられない! 逆に言えばそれ以外はただの飾り! 寧ろ無傷のまま、痛みだけを味わうことこそがお前の咎だ!!』

「その痛みが、その苦しさが! お前が傷つけてきた人達の痛み!! フィオルンが……ッ、陛下が受けた痛みだああぁぁッ!!」

 苦しくても、辛くても迷いはしない。血は流れずとも悲鳴は上がる。でも俺達はその悲鳴を背負うと決めた。真実を知るまでに犯す罪から逃げないと覚悟した。

 ——僕達(シュルク)は"人"間を斬る事実から逃げない!!

「ガ、キが……っ、ぐおおおああぁああッ!!」

 右脚を失った黒はもう立てない。左右のバランスも既に滅茶苦茶になり普段の感覚で機体を動かすことさえままならない。それでもシュルクはモナドを振るうのを止めない。今度は左脚をモナドで叩きつけ、監獄の間の地面を削り取る勢いで黒を吹き飛ばす。

「近距離だけだと思ってッ……舐めてんじゃねぇエェェえぇエえ!!」

 瞬時に青白い光が集約され、圧縮されたエーテルが砲撃となり放たれる。グランショットと呼ばれる黒の遠距離攻撃だ。

 ——それもとっくに視えている。同時にシュルクのやりたいことも分かっている。

『やれる! アーツの二重使用くらい枷を外すよりずっと簡単だ!! 何よりもう出来ている!!』

「モナド"(アーマー)"!!」

 砲撃が身に届くより前にモナドを右から左へ振り抜き障壁を展開した後、続け様にアーツを切り替えて今度は逆に振り抜いた。

「——"(スマッシュ)"!! 弾き返せ(リフレクション)!!」

 "撃"を纏った障壁でグランショットは受け止められる。そして来た道を寸分の狂いもなく逆走し、黒の顔面で大きな爆発を巻き起こす。身を抉られるかのような痛みと熱で悲鳴は一層鋭さを増していく。

 量産型(ゾード)は最早黒を手助けしようとさえしなかった。理由など明白だろう。ワンオフ機である黒がホムス一人に蹂躙されているのだ。量産型である我々が飛び込んだところで首を飛ばされて終わりではないか。機械の身と言えど、たとえ脳と最小限の臓器しか人としての部位が残っていなかったとしても、痛みは命あるものにとってすべからく恐怖の対象である。死にたくないと願うのは本能である。

 黒から余裕などという言葉はとっくに消え去っていた。視界を奪われたかのように残った手足を振り回し、少しでもシュルクが己に近寄るのを阻止しようと無様に足掻いている。

 ——殺される、殺される殺される殺される殺されるッ……!!

 死の恐怖が全身を這いずり回る。機械の身体となって忘れたはずの感情が黒の全てを支配する。

 黒はシュルクの歩みがある一点で止まったことにも気付かない。辛うじてくっ付いている右腕がシュルクの鼻の数センチ先で空を切る。モナドを携えたまま、しかしその切っ先は既に地面に触れている。その姿が表す意味を愚かしい黒は認識できない。しかし仲間でさえも、シュルクが唐突にモナドを黒に向けずに棒立ちしている姿の意味を認識はできても理解はできない。

 シュルクはこの場で黒を殺すつもりなどない。だが憎しみが消えたわけではない、消えるわけない、消せるものでさえない。憎しみも血が逆流しそうなほどの怒りも無かったことになど絶対に出来ない。出来ないけれど、知ると決めた。全てを知るその時まで顔付きを完全に(ころ)さない。これ以上奴らと同じところに堕ちるつもりなんてない。

「伝えろ」

 故に、今すぐにでも顔面を殴り付けて、刃を突き立てて、耕して機械と肉の土壌にさえしたいくらい憎い相手であろうと殺さない。殺すより先にやるべきことがある。

 "俺"達はまだ人でいる。人でいる以上"僕"達だけで誰かの罪を審判できるほどに偉くもなれない。ただの私怨や憤怒でそれの首を断つ権利など欠片も持っていない。

「お前の言っていた盟主とやらに伝えろ。巨人(ザンザ)を殺した理由を、我らホムスを喰らう理由を、顔付きを生み出した理由を、巨神界を侵攻する理由を、機神界の行いの理由の全てを教えろと」

 俺達(シュルク)を除いた誰もが驚いただろう。今の今まで黒い顔付きへの復讐だけを抱えてきたシュルクが目の前の仇を絶好の機会にもかかわらず殺さないのだ。殺さないどころかはっきり逃すとさえ言っている。

「ふざ、け——」

「此方から出向くのが礼儀だと言うなら従ってやる。巨神の剣(モナド)を背負って正面から機神界に乗り込んでやる」

「っ……ざっけんな——」

「モナドの枷の解放により巨神界と機神界の力は拮抗した。……お前達の優位性は完全に失われた! 対等な立場で言い訳を聞いてやる!! その上で!! 僕が!! (ぼく)が!! 何もかもを許せないなら!! その時に改めてお前を殺してやる!!

 ——ああ! まだ頭が回ってないなら言ってやるよ!! 見逃してやるって言ってるんだ!! 死にたくないならこれ以上の人殺しを犯す前にここから消えろォッ!!」

「っざけんじゃねえええぇぇえあああぁあああッ!!」

 黒の右腕が振りかぶられる。今更怖いものでも何でもなかった。そのまま喰らえば即死は免れないだろうがあまりに動作が大振りで雑すぎる。最初と違ってその先に隠した本命の攻撃も何もない。幼い子が力の敵わぬ相手に駄々を捏ねて暴れるのと同じだった。

 "鎧"で受け止めて形骸だけでも殴った感覚を伝えても良かったが、幾度となく人命を捩じ切ってきた腕を受け止める義理はない。"疾"を発動して一歩大きく下がって回避してしまおうと二人の意見が一致する。冷静さを欠いた状態では既に今のモナドに敵わないと思わせて撤退させたいところだ。

 両脚に力を入れて身体を後ろへと跳ばす。あとはシュルクの身体があった地点を黒の腕が虚しく過ぎ去るだけ——。

「やめなさいっ!!」

 視界が白に染まる。未来視か? 違う。眼前を白銀の機体が埋め尽くしている。

 金属と金属が衝突して砕ける音、黒の右腕が白を殴り飛ばす、左から右へ白銀が吹き飛ばされて地面を滑る。

 倒れる白の姿が、いつの間にか記憶の底に押し込められて、存在さえ忘れ去られていた箱の蓋をこじ開けた。

 

 ——違う。違う、違う違う違うッ!!

 

 これは"エイルの見た未来視"と違う! 何も変わっていない? 違う! 違うではないか!! 何もかもが違う!!

 シュルクが怒りに囚われていない。周囲にいる量産型の首を飛ばしていない。モナドの枷を外す意味を理解している。(ネメシス)がかばったのはシュルクで、何より最初に見たのはシュルクが白の搭乗者の頭を粉砕する最悪の未来であったはずだ!

 どうして今まで忘れていた!? いや、いつ見たというのだ! いつ、最初、目覚める前、俺が、エイルがシュルクの身体に宿る直前に、見ていた、夢——。

 

 夢は、未来視はどこで割れたのだ。割れた音なんて聞いていない。

 本当に? あの真っ白な世界で君は聞いたはずだよ。

 そんな場所どこにも——。

 君がシュルクの手を取った時、君と彼が繋がれた時。君達だけの世界にいただろう? "どこか遠く、ガラスが砕け散るような音が聞こえた気がした"のを、君達は覚えているはずだ。

 

 エイルもシュルクも、背後で地に伏せる仲間達も、殴りつけた黒でさえも白の行動に揃って驚愕の声を上げる。まるで時が止まったかのような空間の中で白だけが痛みに耐えながら立ち上がる。

「最低限の目的は果たしたはずです……!」

 白の機体は胴体部分の装甲が砕かれ、その中身が露わになっていた。覚悟はしていたがいざ目撃すると心臓が大きく鳴る。初めて己の眼で"それ"を見たシュルクが一言だけ、自分自身に言い聞かせる為に呟いた。

「ヒト……!」

「今の(あなた)、いえ、ここにいる顔付き(われわれ)が束になろうとも今のモナドには太刀打ちできません。我欲に溺れてしまえば死しかありません!」

 そう黒に訴えつつ、白は被っていた搭乗者用の兜を操作してヘッドギアに収納した。黒の一撃は兜にも少なくない傷を与えていたらしく最早頭部を保護する機能に意味はない。視界の確保を優先したのだろう。

 ——そんなのはどうでも良かった。

 兜の下にあったそれが、長かったプラチナブロンドがばっさりと切り落とされて今やシュルクよりも短い髪が、草木のように温かい緑の瞳が、記憶と寸分違わぬ彼女の顔が。

 

「フィ、オルン……!?」

 

 コロニー9で死んでしまったはずの彼女がそこにいた。

「言ったよなァ!? モナド使いのガキも殺せって命令だったろうが!!」

「今の貴方にそれが出来ると言うのですか、解放されたモナドに貴方が敵うとでも言うのですか! 引きなさい!! 巨神界侵攻作戦も不可能です!!」

 白が浮上する。彼女がシュルクを一瞥したがそこにシュルクへの特別な感情の色は全く感じられなかった。

「まって……っ、待って! 待ってよ!!」

 疑問は多々あれどまた彼女が離れていく。それだけは確かで、それだけは嫌だとシュルクが叫び声と共に白を追いかける。

「行かないで……待ってっ! フィオルン、嫌だ、行っちゃやだっ、フィオルンっ……!」

 彼女は答えない。

 辛うじて飛行能力は生きていた黒もようやく逃げる態勢に入る。最早黒自身の怒りを燃料にして強引に飛んでいるのではないかというほどに機体の姿は無残なものになっていた。

「チィィッ!! 次こそ殺してやらァ!! ダンバンも、モナド使いのテメェもなァァッ!! 指の一本まで挽肉にしてから量産型の餌にしてやらああああぁあああッ!!」

 黒の叫びもシュルクの耳には入らない。何度も彼女の名を呼ぶ。何度も、何度も。

「僕が分からないの、ねえ……っ、待ってよ……!!」

 彼女は振り返らない。

 シュルクの叫びは届かない。雷鳴の轟きが全てを掻き消し、もう一度二人を引き裂いた。

 

 

 雨と雷鳴。ひどくうるさく、ひどく静かな空間に弱々しい声が落ちる。振り返ればメリアがたった一人の父親に縋りつくかのように抱き着いていた。仲間達も徐々に体を動かせるくらいにはなってきていた。それでも立ち上がるまでには及ばない。シュルク以外の誰もが黒に傷を負わされて意識を保つので精一杯の状態のまま、掬い取れなかった命の行く末を目に焼き付けるのがせめてもの償いだと言わんばかりに必死に途切れそうなそれと戦っていた。

 未だソレアン陛下の息はある。しかしそれがもう途切れる寸前であるのは誰の目から見ても明らかだった。真っ赤に濡れた胸元が現実を突きつけてくる。たとえカルナが最善の治療を施そうとももう手遅れだ。

 見えていたのに、分かっていたのに。

「ちちうえっ……」

 陛下は涙を零し続ける娘の涙を右手で拭った。もう指の一本さえ動かせないほどに死がそこに迫っているはずなのに、ひどく緩慢ではあったものの滑らかな動きであった。

 最期に見る愛おしい我が子の顔が涙で終わってしまうのは嫌だという風にも、抱き着いたから頬が赤く汚れているのを困った子だと苦笑しつつも拭き取る日常の幸せを噛みしめる風にも見えた。

「メリアよ。我らが希望……泣くでない」

「嫌です! 泣いて希望となる資格を失うなら……私はそんなものになりたくありません! だって……だってっ、私でなくとも良いのでしょう!? ホムスの血が入っているだけでいいのなら……!」

 陛下は場違いなほどに優しく微笑む。やはり親が子を躾けるかのように、陛下だけが日常の一瞬にいるかのような声で言葉を一つ一つ紡いでいく。

 遠い昔から現状を憂えていつ完成するかも分からぬまま、それでも心を折らずに足掻き続けてようやくその輪郭が見えてきたハイエンターの希望。しかし希望となる者は皇祖など他人に指名され、押し付けられてなるものではない。希望となる者——メリア自身が望んで初めて"成る"ものなのだ。メリアが望みそれに相応しくありたいと想うことを忘れさえしなければ、資格も民に望まれることも後からついてくる。

 しかし最も大切なのはそこではない。陛下は、ソレアン・エンシェントはメリアが希望となり得る可能性を持っていたから彼女を愛したのではない。

「愛した者に、予の何よりも大切な(メリア)に、希望になってほしかったのだ」

 メリアがこの世に生を受けてから今まで、そしてこれからもずっと愛している。それだけは揺らがぬ真実なのだ。

「モナドを継ぎし者よ……」

 陛下が首だけを動かしてシュルクを見つめた。

「そなたに、託したい。始祖が封じたモナド、そなたなら、きっと……」

「……はい。僕の力がもっとあれば、陛下をっ——」

「良い、のだ」

 俯きかけた顔がもう一度陛下の顔を捉える。陛下は、やはり穏やかなまま笑っていた。

「予の結末は……どの因果の果てでも、変わらなかった。それだけだ。そなたが責を感じる必要は、ない」

「でも……!」

「悔やむ想いが消えぬなら、せめて、嘆くだけの時を過ごさないで、ほしい……。どうか、どうか、変えられる可能性のあるものを……救ってほしい。メリアの命が、そなたによって、救われたように」

 ゆっくりと着実に命の灯火は弱まっていく。たとえ風雨から守り抜いたとしても既に命を燃やすだけの蝋はもう残されていない。

「メリア……。泣きたいのなら、今は泣け。だが、涙が乾いて後は——」

 ——また、笑ってくれ。

 火は、風に吹かれて空へと去っていった。

 

「——メリア、行こう」

「シュルク……っ、私は、私は……!」

 このまま悲しみに暮れたままでも誰も責めなどしない。しかし膝を抱えたまま、自らの流した涙に溺れて前に進むことさえ出来ずにいるのは敗北を認めてしまうのと同じだ。

 生まれも立場も何の意味も成さない。一人の人間であるメリア・エンシェントとして機神兵の蹂躙に屈してはならない。いや、機神兵という言葉は既に適当ではなくなっている。

「同じ"人間"として、人の命を奪って嗤うような奴に膝を突いたままなんて駄目だ。……見たよね、顔付きの中に何があったか」

 メリアの目が見開かれ、他の者達も怯えたように息を漏らす。

 顔付きがモナドで断てなかった理由、顔付きが喋った理由。その答えが顔付きに取り込まれていたものに詰まっている。

 そして取り込まれていた"人間"が、言ってしまえば名も知らぬ他人であったのならばもう少し話は変わってきただろう。

顔付き(やつら)はただの機械の塊じゃなかった。僕らは同じ人間同士で殺し合いをしていたんだって知ってしまった。……その中にフィオルンがいた。

 僕はその理由を知る為に行くよ。メリアはどうする? どうしたい?」

 皇主や希望は後で考えてもいい。今、この瞬間にメリアがどうしたいのか。父の死をそういう運命であったからと受け入れて、すぐにでも皇都へ戻り民の為に全てを尽くしたって良い。何故父が命を落とさねばならなかったのか、父を殺した黒い顔付きの行動の理由は何であったのか、機神界による侵攻と殺戮は何が原因であるのかを知る為に立ち上がっても良い。

 もし彼女が後者を選ぶのであれば。

「僕なんかで良ければいくらでも力を貸すよ」

「——そう、だな。それが私の為すべきことであるのなら、喜んで茨の道を進もう。だが少しだけ……少しだけ、時間をくれぬか。もう少しだけ、泣く時間を……」

 首肯を一つ、彼女への答えとした。

 

 

 嵐は近い。

 二つの世界の戦火が生み出す風はいずれ天へと届く。天に届き神の眠りを呼び覚ます時、二柱の神は真に目覚め、神話の争いが繰り返される。

 神と共に生きる、神に支配されながら生きる。もしくは——。

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