いつしか異物は喀血となる   作:坂野

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オセの塔

 マクナ原生林は相変わらず蒸し暑い。ポッドから降りてすぐに肌にじっとりと空気中の水分が貼りついてくる。仲間達は揃って不快そうに表情を歪めていた。開放的な巨神頭部にしばらく滞在していたから、余計にマクナの高温多湿な気候が全身に纏わりつく感触が伝わってくるのだろう。

 流石にリキだけはけろりとしている。寧ろ「久しぶりのマクナだも」と嬉しそうだ。

 こんな蒸し暑いマクナの対極に位置する環境の雪山へ本当に繋がっているのかと疑いたくなる。しかし百聞は一見に如かずだ。

 ポッド発着場から少し歩けば遠くが白に覆われている光景が嫌でも目に入った。そこからはあっという間だ。流れ込む空気は白に近づくほどに冷たさを帯び、ある地点を境に地面までもが白に染まり尽くす。ヴァラク峠と呼ばれる場所に到着する頃には蒸し暑さとはまるで対照的な、凍えるほどに冷たく乾燥した空気が肌を突き刺してきた。

「寒すぎるだろ……。こんなの俺初めてだ……」

 腹部、肩から二の腕まで露出しているラインは当たり前である。彼に限らず皆が寒さによる震えを隠せていない。温暖なコロニー9と、そこよりは多少涼しいもののカルナくらいの薄着は可能なコロニー6、今さっき通ってきた蒸し暑く生命の力強さが溢れるマクナ原生林、上層に位置するが陽の光が十分に降り注ぐエルト海と我々の住んでいるのはどこも温かい場所ばかりだ。ダンバンも一年前は直接大剣の渓谷へと向かった為、ヴァラク雪山に足を踏み入れること自体は今回が初である。

 ヴァラクを覆う白いもの——雪と呼ばれる自然現象も知識では持っていても見るのは初めてだろう。案内役のアルヴィースともう一人を除いて。

「リキ、寒いとこキライも~……。もこもこの服は無いも~?」

「無いよ」

「ひどいも〜!」

 何故防寒着の類いが無いんだ。ポッドの用意をしてくれたのだからそれも何とかならなかったのか。

「仕方ない、私に任せてくれ。——星核(せいかく)たる業火よ!」

 メリアが杖を取り出して掲げる。詠唱により顕現したのは炎のエレメントだ。続けてパワーエフェクトにより効果範囲が拡張され全員をエレメントの影響下に置いた。

 召喚されたエレメントは一つであり黙っていれば少々寒い。しかしこれから歩き回ることを想定し、動いて発生する身体の熱と合わせることで非常に活動に適した温度になっている。あまり温度が高いと足元の雪を溶かして雪崩を引き起こす可能性があることも考えてある。この調整には思わずダンバンが見事だと称賛した。

『そんなに寒いかな……』

『同感と言いたいが、こればかりはこの身体の方がおかしい。どう見ても氷点下なのに震えの一つもないのは鈍いとかのレベルじゃない』

『別に病気とかなかったはずなんだけどなぁ』

 マクナでも似たようなことがあった。他の皆が暑い暑いと言う中でシュルクだけが涼しい顔で立っていた。あの時は暑さを感じにくい体質なのかと考えたが、極寒の地でも同じ反応となると話はまるで変わってくる。病気なり何らかの異常を抱えていることも考え得る。単に気温の変化に極端に鈍い体質だと結論づけるのは怖い。

 ただシュルクもエイルも心当たりは全く無かった。

 進もうとした際にアルヴィースがある提案をしてきた。ヴァラク雪山を下れば大剣の渓谷へと辿り着く。その前に通り道に存在するある遺跡に寄りたいといったものだ。何やらシュルクに見せたいものがあるという。加えて一日でこの雪山を通過するのも難しく、途中で休息を取る場の一つとしても目指して損はない。

 今立っているゾックヘッド峠からでも遺跡の上部が確認できる。遠くからでは巨大な氷のエーテル鉱床が天へと伸びているようにしか見えないが、あれがアルヴィースの案内したい場所であるらしい。リキ曰くサイハテの木よりも高そうに見えるとのことだ。急斜面の先にあるにもかかわらずその姿を視認出来ることも合わせるととんでもない高さになる。目印としてはこの上ないとも言える。

 メリアの出してくれた炎のエレメントを暖の拠り所としてひたすらに急斜面を下った。慣れない雪道に何度も足を取られたり、時折吹雪が酷くなってしまって小さな洞穴で落ち着くまで耐え忍んだり、下層のノポンキャンプで物資の補充をしつつ交代で一眠りしたり、危うくリキがジャクト間欠泉で吹き飛ばされそうになったり……。過酷な雪山の洗礼をこれでもかと喰らいながらも、誰一人欠けることなく目的の場所にまで辿り着いた。

 アルヴィースの言うある遺跡——オセの塔とその内部にあるハリクト礼拝堂の入り口は氷で覆われてしまっていた。氷は炎のエレメントの出力を上げてから発射、続けてシュルク達の武器で強引に力を加えることで簡単に壊せたので問題はない。

 崩壊した氷の向こうにあったのは遺跡の中へ至る為の扉である。そこに描かれていた紋様にメリアが反応を示した。

「掠れていて読めないがこの扉の文字は古代ハイエンター語だ」

「そういえば……あの監獄島の碑文にも似てるわよね」

 カルナも紋様に既視感を覚えていた。つまりここはかつてハイエンターによって作られたものと考えられる。全員の脳裏に「また面倒なセキュリティでもあるのだろうか」と一抹の不安が過るもそれは良い意味で裏切られた。様子を窺おうとダンバンが近づけば扉は独りでに左右へと開いた。自動ドアかと内心で思わず突っ込んだのは仕方ないと思いたい。

 遺跡内部は薄暗かった。白を基調とした作りに曲線美を活かした紋様が刻まれている典型的なハイエンターの遺跡だ。最奥にある円環の模様にはアクアグリーンのエーテル光がいくつか灯っているのが唯一の光源らしい。暗く窓はなくとも最低限の視界は確保できる。

 これだけならば雪山に残された美しいハイエンターの遺跡の一つで済む。しかしシュルクはこの光景に心当たりを感じていた。

 絶対に初めて見たものではない。自分はこの場所を何かで知った。夢で見たのか伝聞で得た情報なのか。分からないのに知っている。記憶の底に確かに存在するのに、伸ばした指の先には触れているはずなのにそれが掴めない。大切な何かがそこだけくり抜かれているよう。綺麗だと思ったガラス質の石ころを小さな手で拾ったのに家に帰るまでに落としてしまった。それなのに何を拾ったのかも忘れてしまって、ただ拾ったことだけを覚えている時に似ている。

『本当に思い出せないのか』

『うん……。けど、どういうこと?』

 いくら十四年も前の話とは言え、全てを失った現場に来て何も思い出せないのはどうも違和感がある。仮にシュルクが仕舞い込んできた理不尽な暴力や悪意と同様に意図的に封じていたとしてもだ。寧ろ同じならばもっと怯えたりする方が自然なはずだ。

 良くも悪くも何もない。幼い子の心に痛烈に刻まれているはずの傷跡が疼かないどころか、まるで初めから存在しないかのようにシュルクは振る舞っている。肌に突き刺さるヴァラク雪山の寒さも、ただ一人残されて生命の気配さえない空間に閉じ込められた孤独と恐怖も、どうしてか今のシュルクには"無い"のだ。自然にこうなったとは思えない。誰かが恣意的に介入したとしか——。

「掻き立てられる感覚も無理はない。ここは君にとって深く関係する場だからね」

 思考の海に潜りかけていた俺達を遮るようにアルヴィースが前へと出る。視線を奥の円環とその中央にある台座に目を向けたまま彼は続ける。

「ここは古代ハイエンターがモナドを保管する為に造った祭事施設。ボクも予言官の儀式を行う為に以前ここへ来たことがある」

 そういえば予言官はそんな仕組みで指名されているのだったか。

 だが今重要なのはそこではない。

「そしてシュルクのモナドはここからホムスによって持ち出されたんだ」

 驚きの声が礼拝堂に響いた。シュルク自身も含めて。

 

 礼拝堂の中に小さな焚火を設置した。今晩を乗り切るには十分な温かさだ。目立ってやるべきことも無いので仲間達のほとんどはさっさと眠りに就いている。ラインとダンバンは火を囲みながらのんびり談笑しているようだったが。

 シュルクは一人で台座を見つめていた。見るからに何かが存在したそこにかつてモナドは安置されていたのだ。ホムスにとって最後の希望と呼ぶべき神与の剣を手にし、その引き換えとしてシュルク以外の命を失ったのが正しくこの空間である。

「辛いかい? それとも……憎い?」

 いつの間にかアルヴィースが右隣に立っていた。問うてくる表情はいつもと何も変わらない、微笑みながらもどこか全てを見透かすような瞳で真っすぐにシュルクの顔を覗いている。

「……よく分からないんだ。小さい頃のことはもうほとんど覚えてなくて……父さんと母さんがいたのも、僕が存在するんだから産み落とした人もいるっていう知識くらいでしかない。あとは勝手にモナドが形見だと思って、時々あるかも分からないあの世について考えるくらいかな」

「忘れ去られないだけ良いさ。君が今も生きて、時折思い返してくれるだけでも立派な供養だと思うよ」

「そうだったら嬉しいかな。——ねえ、さっき予言官の儀式で来たことがあるって言ってたよね。君はいつから未来を見る力があったの? 生まれつき?」

「そういえば君には話してなかったね。ボクの家は代々予言官の家系なんだ」

 一応表向きには、アルヴィースはホムスでありながらハイエンターの皇家に予言官として仕える家系の出身となっている。未来を見て皇家の危難を回避するのが役割の職務だ。

 単に家系のみで任命されるのかと言うとそうではない。ある特定の血筋であることに加え、モナドに触れて加護を得られた者のみが予言官としての資格を得る。

 また奇妙であり興味深い点でもあるのが、予言官が未来を見るには儀式とも呼べる準備が必要な点だ。突発的に直接脳裏に映像が流れ出すシュルクの未来視(ビジョン)とは明確に異なる。この違いからアルヴィースはシュルクの持つ未来視の能力の方が優れていると判断している、と本人は言っている。嘘つき。

「何故未来視が見えると思う?」

「考えたこともなかった……。モナドを手にしてからずっと無我夢中で走ってきたから……」

「——未来視はエーテルの流れそのもの」

 シュルクでもそれだけでは理解出来ない。思わず首を傾げた姿を見たアルヴィースは小さく笑ってからもう少し細かい説明を話し出す。

 この世界を構成する根源元素はエーテルである。そのエーテルの個々の位置や運動量、相互に関係するものに関しては未来の振る舞いは予測が可能だ。但しあくまでも予測する行為に限った話であり要する時間や速度は問わない。一秒先の動きを予測するのに実際は一秒以上かかるとしても無視する前提だ。

 この根源元素の予測が可能であるならば、その集合体である未来も原理的には予測可能となる。

「そしてその予測結果を視覚化できる方法があるとしよう。視覚化する手段を有する可能性がある物は?」

「……モナド、しかないよね」

「そうだ。モナドは世界を構成するエーテルに干渉し様々な力を発揮してきただろう?」

 未来視もまた同じ原理だと考えるのが妥当だ。

 そうして予測された未来は誰にも干渉されなければ起こるべくして起こる確定事項となる。しかしその結果を知ってしまった何者かが干渉することで未来は変化する。

 ここでモナドが元は何を目的として創られたのかを改めて考える。監獄島で出会った巨人の話を信じるのであれば、モナドは機神に抗する為に創られた神の剣である。機神に抗する、つまり向かい合うもう一つの世界に逆らい抵抗するのが最初の目的であった。

「でも……何故そこまでして? 過去の戦いに何があったの……?」

「——君はただの言い伝えだと思っていた?」

 神話はこの世界に生きるものであれば老若男女問わずに語れるだろう。それを信じるか信じないかの差はあれど、大地もモナドも存在して当たり前のものとして何の疑いも抱かずに皆生きてきた。

 仮に神話の戦いが全て事実であったとするならば二柱の神はどんな理由で争っていたのだろうか。モナドが機神を斃す為に生まれたのならば、神話の時代にも今と同じように巨神界は機神界からの侵攻を受けていたのだろうか。まるで本能に刻み込まれたかのように機神界の者は巨神界の者を蹂躙するのが役割だとでも言うのか。

 そしてこの論理は巨神が被害者側であるという前提で成立する。巨神が善であり機神が悪であると勝手に断じていることにシュルクはおろか、今を生きる巨神界の全生命は誰一人気付くことさえない。

「いずれにせよ、君はモナドを手にしたことで本来知るべきでないもの、知ることが出来ないものを知ってしまった存在となった」

「僕は——すべきではないことをしている? してはいけないことを……?」

 アルヴィースは緩く首を横に振った。

「君は"揺らぎ"さ。揺らぎは予測結果の外にある存在だ」

 閉じられた予測世界の外側、因果律が治めるよりも高次の存在。

「その存在さえも受け入れられるほどこの世界は柔軟に出来ている——いや、そういうものでなくてはいけないんだ」

 いつの間にか随分と近くにあった瞳に射抜かれる。距離の近さを自覚して驚いたのも束の間、彼が離れたことでふわりとした空気の流れが鼻の先を掠めた。

 

 

 心がざわざわとするのはこの場が礼拝堂だからか、それとも十四年前にここで人が亡くなっているからか。その両方かもしれない。元よりここは祭事の場であり霊的な何かに満ちていると考える方が自然だろう。(エイル)は幽霊の類いについては割と信じている方だというのもある。

 そもそも俺の存在自体が既にかなりスピリチュアルである。人の魂や意思が物理的な形を持たずに存在している何よりの証明になってしまっている。そんな奴が幽霊など非科学的で存在するはずがないなどと言ってしまえばひどい二重規範だ。

 シュルクに幽霊や魂についてはっきりと問うたことはない。ただ神の骸の上という世界で過ごす人なのだからそうでない存在と感覚は異なるとは思う。神がいるのだから目に見えぬ何かがあってもおかしくはないと感じる者が大多数なのではないだろうか。

 これよりも外の世界——例えばアルスト、もしくは惑星ミラがある次元宇宙に関しては分からない。全次元を含めても神やら精霊といった存在を定義づけたり観測出来るのかまでは俺自身の存在はさておき知らない。

 今はただこの眠りたいのに落ち着けず、やけに興奮気味の状態をとりあえず強引に納得させようとそう考えている。精神は二つあれど肉体は一つしかなく、その肉体が眠りへと落ちてくれないので精神二つは揃って困っているのだ。

『……少し、外行きたい』

『ザトールの二の舞には?』

『ならないよ。こんな雪山でどこか行っちゃったら遭難して帰ってこれないだろ。エイルだって起きてるし。外の空気を一回吸いたいだけなんだ』

『それは俺も同意だ。気のせいでもとりあえず肺の空気を入れ替えてすっきりしたい』

『うん。行こっか』

 既に寝てしまっている皆を起こさぬようにそっと礼拝堂を抜け出す。厚い氷に覆われた部分も抜けるとヴァラク雪山にしては珍しく雪が止んでおり、留紺(とめこん)の晴れ渡った夜空が広がっていた。

 とんでもなく気温が低いことは想像できるが、やはり我慢できぬほどの寒さは感じられない。今は考えても仕方がないことであるし、一つ大きく両腕を上げて身体を伸ばした。ゆっくりと深呼吸したことで胸のざわつきも幾分かマシになったように思える。

『戻るか。寝れなくともとりあえず横になっていよう』

『そうだね。少しは寝られるといいんだけど……。あれ……? 何か聞こえない?』

『何も……いや、何か来る!』

 遠くから何かが高速で迫ってくる。高速で飛ぶ物体そのものとジェット噴射が、静寂に包まれた深夜の空気に何の躊躇もなく刃を突き立てて切り裂いている。どこから——空だ。

 見上げた夜空に輝いていると思われていた白い点の一つがどんどんと大きさを増していく。点だと思っていたそれは人の形をしてはいるが大きさは人間よりも数倍ある。

 このままでは衝突すると判断し、咄嗟にモナドに手をかけて防壁を張ろうとしたがその必要はなかった。白い人型のそれが俺達の数メートル先で急激に減速して身を翻したからである。凄まじい風圧で瞼を強く閉じるも対象を見失うわけにはいかないとすぐに持ち上げる。

 開いた眼の先、背負う黄金色の光輪の部品もあってまるで天からの遣いにも錯覚しそうなそれは鮮やかに宙を舞い、周囲の氷の綿を周囲に撒き散らしながらゆっくりと降り立つ。そこでようやく白い物体が何であったのか理解した二人が揃って声を張り上げた。

「『白い顔付き!?』」

 監獄島で出会った新たなる顔付きの機神兵。何故かホムスを傷つけようとしないどころか守ろうとさえした、今までの常識では考えられぬ個体。何よりこの機体に搭乗しているのは——。

「モナドを受け継ぐ少年——会えました」

 白の胸部が開き搭乗者の姿が露わになる。そこにいたのはやはりどうやったって見間違えるはずもない、記憶が無くてもそこに別の魂が宿っていたとしても、シュルクが彼女を見誤ることなどあり得ない。

「やっぱり……フィオルン、なんだよね……?」

 たとえ彼女の視線がどれだけ他人を見つめるかのように親愛の色を宿さぬままシュルクの胸を貫こうとも、シュルクは最愛の彼女を見間違わない。

 それだけはいかなる時も揺らぐことのない真実なのだ。

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