誰も迷わなかった、躊躇わなかった。
誰であると視覚で認知する間さえなく、ねっとりと鼓膜に纏わりつく声は一人しか思いつかなかった。
奴の言葉の終わりを待たずして得物を抜く。奴——ムムカと歩み寄れるなど考えられない。メイナスという身も心も純白の存在を知ったが故に、以前よりずっと、強く。
「お前らのことだ、ここを通るんじゃねぇかってな。期待して待ってたんだ。ちゃぁんと通ってくれて嬉しいぜ」
「本気なのか? お前は本気で、俺達ホムスを!」
ただ一人、ダンバンだけは刀の柄に手を当てたのみで切っ先をムムカには向けなかった。ここが武器を交えずに対話できる正真正銘の最後の機会だと感じたのか、もう一度だけあくまで人間として言葉でムムカの真意を確認したいように見える。
「ホムスなんて関係ねぇよ。俺は最高ぉに充実しているんだぜ」
「本心なのか。その身体になり、あの機神界盟主とやらに望まない思考を植え付けられたとは考えないのか! かつての自分と変わってしまったとは思えないのか!」
ムムカの顔が忌々しげに歪む。直前まで余裕に満ち溢れた笑みであったのが嘘に思えるほどにぐにゃりと、鼻の奥に汚泥を直接塗り込まれでもしたかのように。
「節穴もここまで来たら滑稽を通り越した何かだよなぁ!! 変わっただ!? 故郷だ!? 家族だ!? 英雄だ称賛だ人道だ正義だ悪だごっちゃごちゃぐちゃぐちゃうるせぇんだよ!! 俺は俺でしかねぇ!! てめぇが勝手に矯正だの断罪だのほざいてるだけだろうが!!
ムカつくモナド使いをぶち殺せることが楽しい!! これで十分答えだろぉおぉおお!? 盟主が何をやろうとしてるかなんて知ったこっちゃねぇんだよ!! 俺のしたいことと奴の手段がたまたま同じだっただけだろうが!! 俺は初めっから好きにやるって決めてんだからなぁあぁああぁああああッ!!」
ムムカの咆哮と同時に俺達の周囲に何本もの槍が降り注ぐ。槍は鋼鉄の地面を轟音と共に震わせて突き刺さった。物それ自体には見覚えがある。監獄島で巨人ザンザの肉体を崩壊させたものと同じだ。
次いで発着場の下から槍の数に対応したゾード型の顔付きが現れた。顔付きである以上、ゾードもまた"人"だ。
「き……汚ねぇぞ!!」
叫んだのはラインだった。ムムカはもう此方の言葉には何も動かなかった。くるりと背を向けて自身の愛機を呼び出す。
元から強力である顔付きを複数投入してくるという数の暴力という意味合いでもそうであるし、顔付きの真実が暴かれた今となってはこの上なく汚い手段だ。
「モナドの小僧——いいや、シュルクさんよ。斬れるか? 斬れるのかぁ?
「斬るさ」
「おっとぉ、即答かよ。さっすが人殺しは言うことが違うなぁ」
「黙れ。僕
「……ひ、ひひっ、ひひゃーァハッハッハ!! 随分怖い顔するじゃねぇかよ!! 顔付きなら機神兵だから同じですってか!? 純粋な肉じゃねぇから人間じゃないってかァ!? それとも正当防衛だとでも言い張る気かァ!? 傲慢だなァ!! 神にでもなったつもりかよォ!!」
機体に乗り込んだムムカは爪を大きく振り抜く。あるべき顔付きの姿となった黒は機械でありながら相変わらず滑らかに生々しく関節を動かしている。真の機械生命体とはこういうものなのかもしれない。
「だ〜れが乗ってるのかなぁ、この中にはさァ!? 死んだのが何年も前だからって安心してんなら教えてやるよ!! 量産型なら脳みそがありゃ作れるんだってよ!! お前達の親父か? お袋か? 可愛がってくれた奴がてめぇのことぜ〜んぶ忘れて量産型にされてるかもしんねぇぜ!! 兄貴に姉貴、弟……妹が乗ってる奴ならそこにいるしなァ!! もしかしたら恋人だったりしてなァあぁあああ!?」
カルナの肩が跳ねる。嫌らしいことにムムカはその僅かな反応を見逃さなかった。
「該当者一名ってか! 最高だな!! 恋人同士での殺し合い、さぞ悲劇的な脚本になるだろうよ!! 殺し終わってから愛する人の亡骸を抱える絵面ってのはいつの時代も映えるってもんだ!!」
砕けんばかりに歯を食いしばってカルナが黒に近づこうとする。弾丸で、ライフルで、拳で黒を殴ろうと。しかし冷静さを欠いた状態では勝てるものも勝てなくなる。咄嗟にラインが彼女の肩を掴んで行動を制止しようとするも、それさえも振り払ってカルナは進む。
「……カルナ、ガドさんはこの中にいない。断言してもいい」
「ガドさんは優秀なスナイパーだったんでしょ。カルナが一番知ってるはずだ」
「ええ……勿論よ……」
「この中に銃を持った顔付きはいない。もしも
視界の中で黒の爪が動いた。話している最中だろうと構いやしない黒の姿勢には一周回って安心感さえある。
もう一々奴の動きに慌てなどしない。すかさず"
「言うじゃねぇかよ。じゃあなんだ? 人間だけど仲間の身内がいないから存分に戦えるってか? きっひひひ……見事なダブルスタンダードだなァ……」
世界から色が抜け落ちた瞳に
未来視が終わりを告げると同時、"
四肢を失ったゾードは重力に従い地面に激突する。胴体と顔付近は軋みながらも動いていることからまだ生きてはいる。
「斬る、倒す。——でも殺さない!
みんな! 爪と他の機神兵の槍に気をつけて! あれは今までの武器と違う!」
言い終わるが早いか、シュルクが他のゾードに向かって走り出し"
ダンバンは黒の注意を全て自身に向けさせるのが戦法としても理に適っていると判断し、一人で真っ向から黒の爪と鍔迫り合いを開始する。
その中で黒は全く変わらぬお喋りな悪癖が出てしまっていた。聞かれてもいないのに爪と槍に流れる緑のエーテルについて話し出す。単に改良された武具についての機能をひけらかしたいのではない。そんなの誰だって分かっている。
巨人ザンザを貫いたものと同じその武器は巨神界の生物を腐らせる機能を有している。巨神から奪い取ったエーテルに、機神界側で手を加えることで生み出された特殊な液体が武器の中心に組み込まれているのだ。爪なり槍なり、武器自体が相手を斬り裂き傷を開かせる。そこへ液体が触れることで肉体は即座に腐敗を始め、ホムス程度の体長ならば数分で絶命させるだけの効果がある。小柄なノポンなど更に短い時間で済むだろう。
我々ホムス、ハイエンター、ノポンにとっては小さな傷さえ許されない戦いだ。それなのに機神兵側は全員が顔付きであり、俺達が何も考えず全力で武器を振るえば組み込まれた人間が死ぬ可能性がある。つまり俺達にとってこの戦いは圧倒的に不利でしかない。何なら勝ち目も無いと圧をかけているのだ、
「イカすだろォ!? 腐って逝きやがれェェェッ!!」
戦闘はシュルクに一任し、敵味方問わずに誰一人命を落とさない為の立ち回りを必死に考える。俺達に要求される条件は馬鹿みたいに単純な話だ。死ななければ良い。問題は顔付きどもだが答えは
ゾードはそれで良いが一番面倒なのは黒の方だ。ダンバンが相手取ってくれているが、だからこそだ。あの人はいざとなれば最終手段の選択肢を躊躇なく掴み取れる。故にこの戦いには時間制限が存在する。ダンバンの刀がムムカの喉元を斬り裂くまでに十体近くいるゾード全てを無力化しなければならない。
黒は現状通り一旦ダンバンに任せる。腐敗させる武器の存在もあり、完全に黒の動きを見切って攻勢に転じるまでは少なからず猶予があるはずだ。
『シュルク、今共有してる作戦で行こう。シュルクはとにかくゾードの処理に集中しろ、ダンバンさん側は一切気にするな。視界の端にダンバンさんが映った時に俺がそっちに意識を向ける。まずいと思ったらゾードの処理は中断、最良はその時が来る前までにゾード全機の無力化。いいな?』
『了解!』
メリアとカルナを中央に配置させる。守るようにして彼女達に背を向け三方向をシュルク、ライン、リキが向く。
メリアのエーテル攻撃は機神兵相手でも効果が変動しない。彼女が攻撃に出ると火力が過剰になりすぎて顔付きを完全に沈黙させかねない。だから今回は純粋な後方支援に徹してもらうことにした。各属性のエレメントを同時に顕現出来る最大数を常に引き出し続けてもらう。特に防御面に力を入れてもらわねばならない。土と氷の強固な防壁があれば傷を負う確率は大きく下がる。
カルナには普段通りに回復を一任する。一際強力な攻撃に対してはメリアの防壁に加え、シールドバレットで一時的に更なる防御の底上げが出来るのは非常に有難い。
シュルクがモナドアーツで防御に手を回しても良いが、今はそちらにアーツ発動用のエーテルを回す余裕がない。攻撃用と機動用に全てをつぎ込み短期決戦を仕掛けねばならないからだ。
「ライン、リキ! 二人は脚部の切断を狙って!」
攻撃を担う三人全員分の"疾"を放ちながら指示を飛ばす。"機"の乗ったラインのバンカーであれば一回の攻撃で切断は出来ずとも、何度か殴りつければ無理やり捩じ切ることは不可能ではない。リキも"ココだも"が機神兵の側面からヒットすれば行動を混乱させることが出来る。仕組みは知らない、ビンタか。
とにかく地上は二人を信じて任せるだけで安泰だ。
「シュルク! お前はどうすんだ!!」
早速ラインがゾード一機の右膝関節を砕き、リキがカムカムだもでその関節から下を切り離すことに成功する。
「僕は腕をやる! 空は任せて!!」
"翔"ぶ、着地する、また"翔"ぶ、左肩を断つ、背後からの攻撃を"翔"んで回避しシュルクの上を取ろうと飛行していた別のゾードの四肢を身を捻りながら同時に切断し再び着地、そしてまた"翔"ぶ。
"
『念の為聞くけど、あと今更だけど! この高さが怖いとか言わないよね!! 怖いって言ってもやめないけどさ!!』
『遅い! 問題ない! そもそも着地地点が分かってる。対象外だ!!』
"翔"を発動し続けることで地面にいる時間より宙を舞う時間を長くし、擬似的な空中攻撃を実現させた。エネルギー源となるエーテルはいつも通りバトルソウルによる自身のエーテルであるが、そこは何も言わずとも次々にカルナから回復エーテルが撃ち込まれてくる。
飛行能力が無いからと言って機神兵に遅れを取るつもりはない。むしろ図体だけデカくて挙動の一つ一つが大振りで、しかも内部の推進器に頼りきりなゾードより俊敏に動ける俺達の方がずっと有利だ。
一機、二機……着実にゾードは鋼鉄の床に倒れていく。半数が行動不能にまで追い込まれたあたりで戦闘続行が不可能になった機体は胴体のブースターで上昇を始めた。残された胴体で身を犠牲にした特攻でも仕掛けてくるのかと一瞬焦ったが、幸い杞憂に終わる。命令が下ったのか自己判断なのかは不明だがゾード達は要塞側へと飛んでいった——逃げたのだ。
上手くいった。シュルク達の手は人殺しの咎で
逃げ去るゾードを見てライン達も作戦の目的を理解した。誰かにとっての大切な人であった者達が目の前の人間を殺さず、また殺されもせずに済むと知れたおかげで全員の表情に希望の色が差す。希望は武器を振るう腕と地を駆ける脚をも軽くし、更なる勢いで残されたゾード達の無力化へと突き進ませていく。
ゾード達の槍は当たらない、もしくは完璧に防がれる。シュルク達は目にも止まらぬ速度でゾード達の関節を切断していく。今まで機神兵に辛酸を舐めさせられてきたのが嘘のように我々が圧倒的に優勢だった。
そうして残ったゾードは目の前のたった一機だ。
三人で同時に攻撃をしようと飛び掛かろうとしたその瞬間、最後のゾードは持っていた槍を妙な姿で持ち直した。穂の付け根にある腐敗エーテルの貯蔵部を強く握りしめたのだ。強い力を加えられたそこはびしりと音を立ててひび割れる。あれではエーテルが外部に漏れてしまい折角の槍の能力が無意味になるではないかと混乱したのも束の間、ゾードは槍を空へと投擲した。
そこでシュルクの視界が白む——
投擲された槍はシュルク達の頭上を軽々と越えていく。予測落下地点は最早遥か下の海である。しかし頭上を通過するその瞬間に腐敗エーテルが溢れ、薬剤でも撒くかのように散布される。俺達は誰一人として傷こそ負っていないが、霧状となったエーテルは鼻、口、耳……身体の穴という穴から体内へ潜り込んでくる。その結果どうなるかなど言わずもがな。全員の身体は真っ黒に黒ずみ、見るも無残な腐敗死体と成り果てしまう。
『まずい!! 監獄島と同じなら"鎧"でも防げない!!』
『いいや!! 守り切る!! 守り切れる!!』
"斬"を発動しかけていたモナドの刃が
シュルクは迷いも恐れも絶望さえも全く見せず、誰一人死なせてなるものかという断固たる眼差しのままモナドを下から上へと振り上げ、漆黒のオーラを腐敗エーテル目掛けて解き放った。
「喰らい尽くせ! モナド"
モナドより放たれた漆黒はアーツの名に違わず、腐敗エーテルに触れた瞬間からまるで喰い尽くすかのようにその色を奪っていく。降り注がれるはずだった翠の雨と霧は水滴一つ、粒子一つさえ残らない。
己の作戦の失敗を悟ったゾードの判断は思いの外早く、そして敵ながらなかなか見事なものだった。ホムス達が腐敗エーテルとモナドの力の衝突による反応に気を取られている隙を突き、鋼鉄の拳で弱い生身の身体を粉砕してしまえば己の勝利に辿り着ける。ブースターで急発進し顔を背けたラインとリキ目掛けて拳を振り抜く——。
「——モナド"
ことは敵わなかった。突如として出現した紫紺の鎖が赤褐色の機体を縛り上げたからだ。
焦ったのだろう。確かにラインとリキはゾードから目を逸らしていた。しかしシュルクの瞳は真っ直ぐに、モナドを振り上げたままゾードの一挙手一投足を見逃すまいと捉え続けていた。
"喰"で奪ったエーテルエネルギーのおかげでアーツとアーツの発動の間に生じる隙は潰された。ただ強く願うだけ、こうしたいのだと強靭な意志でモナドの力を引き出すだけで良かった。
「
「おうよ!!」
「まかせるも〜!!」
脚部を狙った二人の攻撃のタイミングに合わせて再度"斬"を発動、そしてゾードの両腕を断ち切った。硬く重たい金属が崩れ落ち耳障りな轟音を響かせる。この巨体が何度地に伏しても落下しない発着場の頑強さには正直感嘆する。
最後のゾードもまた碌に戦えなくなった己の身体を理解し、達磨の状態のまま飛び立って要塞へと帰っていった。
ゾードのブースターの熱を顔で感じる中、高い音がシュルクの鼓膜を震わせた。反射的に音の方向を見やれば黒の左の爪の先端が斬り落とされていた。黒の動きはぎこちなく、各関節部にダンバンからの攻撃が蓄積された証が火花として散っていた。
「このっ……力はァァ……ッ! モナドォォオ! これほどだったのかよぉぉおぉお!!」
ただの刀ではこうはならなかった。枷の外されたモナドの与える"機"が付与されたダンバンの操る刀だからこそ実現し得る力であった。
「そうさ、これがモナドの力だ! 望んで手に入らなかった力で——滅んでいけ、ムムカ!!」
「見下してんじゃねぇええぇえああァアアァアアア!!」
黒が背面の砲台をダンバンへと向けた。至近距離でグランショットを当てる為の動作であったがダンバンの目には一片の驚愕も恐怖も無い。既に黒の、ムムカの動き全てを見切ってしまっていた。
閃光が弾ける。黒の頭上で。神速の太刀で斬り飛ばされた砲台が宙を舞ったから、砲撃は要塞の外殻へ当たったから。
ダンバンは今の一撃でムムカが無防備な隙を晒したと確信し刀を突き出した。機体に覆われ見えずとも搭乗者のいる位置を正確に、無慈悲に。ムムカの喉元を貫いた——はずだった。
「何故止める——シュルク!!」
モナドの刀身をダンバンの刀の鍔に当て全身全霊で突きを阻止していた。少しでも気を抜けばそのまま刀は真っすぐにムムカの喉を貫いてしまうほどにダンバンの力は強かった。
「この人は……機神兵じゃない!」
震える両手でモナドを握りしめたままシュルクは叫んだ。まるで拾ってきた小動物を手放したくないと親に訴える幼子のようにほんの少しだけ声を潤ませて。
「こいつのやってきたことを忘れたのか! こいつは——!」
「忘れられるわけないじゃないですか!! この人は……っ、こいつは憎い
「ならば刺せる時に
「だけど!!」
ぎゅっと強く瞼を閉じて、一際強い声がシュルクから溢れ出てくる。
「人間なんです!! 僕らと同じ人なんです!! ダンバンさんは平気で
「ああ、必要とあらばな!」
即答。知っていた。彼はそういう人だ。大切な人を、多くの人を守る為ならば彼は人殺しも厭わない。
「フィオルンと戦うことになってもですか!!」
最愛の妹の名でようやく彼は揺れた。
現実として今の機神界には彼女がいる。ごく一般的な考え方に則るならば愛する故に殺せないと思うだろう。けれど愛しているからこそ愛する存在のままでいてほしい。幸い今は穏やかに対話できる可能性の方が大きい。それでも機神側についてこの先で人を殺す可能性があるならば、他者を殺めて人の身から堕ち単なる兵器と化す前に人のまま殺す方がと考えることもある。
「僕は言ったはずです。顔付きがいる理由も、二つの世界が争う理由も知りたいって。もうただ考えなしに全ての機神兵を
人がいるから! 戦っていた相手が人なら!! 殺したのも殺されたのも人ならば!! 人として僕達も向き合わなきゃ駄目なんです!!」
ダンバンの瞳は揺れている。迷いは生じている。それでも押し込む刀の強さに変化はない。
「——『ダンバンッ!! ホムスの英雄ッ!!』」
大気さえ震わせる絶叫はどこまで響いたのだろう。ガラハド要塞にいるであろう彼女にも届いただろうか。
「貴方も人間なんです!! イノシシなんかじゃない!! 許せないからだとか今後犠牲を増やさない為だとか関係ない!! 個人の感情や裁量で人を殺す権利は神でもないただの人にはないんです!! 怒りだけで殺したらそれはただの獣なんですッ!!」
どれだけ
仮にムムカにこれ以上の殺人を犯させない為に彼を殺してしまう道を選んだとしよう。そうなればこの理論は全ての顔付きの機神兵に適用される。自分達は中にいる搭乗者を問わずありとあらゆる顔付きを断ち、己の手で全員の首を刎ねるという最早義務にも等しいものを負う。
たとえそれがフィオルンであっても、戦争を終結させようと歩み寄ってくれるメイナスであっても。
ムムカは特に危険な存在だから仕方がなかった? 違う。そう言い切るのはただの思考停止だ。命の尊さに優劣をつけた罪から目を背けているだけだ。
「だから知りたいんです!!
顔付きが生み出された理由も、巨神界が焼かれる理由も、そもそもどうして戦いが始まったのかの理由も知らないで人の首なんて斬っていいはずがない!! 僕らも、こいつも!! そんな権利は持ってない!!
人は人でしかない!! 神でも獣でもない!!」
揺れて、逸らされたままだった瞳が再び前を向く。真っすぐに、シュルクを見た。
「それが、お前の戦いか?」
ゆっくりとシュルクが頷く。
「"僕ら"の、戦いです」
刀は、引かれた。
背を向けるダンバンの表情は見えない。鋭い空気は何も変わらずただ彼は沈黙している。
黒が動いた。身の危険が去ったと判断し、背を向けたままのダンバンを貫こうと大きく踏み出した。本当に——愚かだ。
誰の目にも捉えられなかった。瞬きをした次の瞬間にダンバンは黒の背後に刀を振りぬいた姿勢でそこにいた。直後、黒の左肩が根元から落ちる。
「——俺は、奴を許すことなど出来ん。だがお前の言葉……重かったよ。
振り返ったダンバンは静かな笑みを湛えていた。どこか、嬉しそうに。
「今はフィオルンを助けよう。後のことはそれからだ」
「はい……!」
ダンバンはムムカに向かって告げる。お前を殺すとしても今ではない。お前なんかよりも大きな目的があり大切なものの為に戦うことが今の自分達の成すべきことだ。
「馬ッ鹿だよなぁ……慈悲だの情けだのかけて善人ぶったつもりかよぉ……。俺はやめねぇぞぉぉおぉ……? 俺に勝ったと勘違いして見下して、見逃してみろよ……。俺はまだまだ殺すぜ……!? 巨神界侵攻作戦はまだ始まってもねえんだからよ……。傑作だなァ……お前らの薄っぺらい博愛で大勢が死ぬってこった——」
刹那、黒の右脚が吹き飛んだ。
「ア、ァ……!?」
モナドの刃の光が目に痛い。
「『誰がこのまま逃がすと言った?』」
俺達が犯さない罪はただ一つ、人殺しのみ。それ以外に手を染めないなどとは一言も言っていない。
「『もうお前に好きにさせるつもりは毛頭ない。この場で機体から引き摺り下ろして拘束する』」
「は……はっ……甘——」
「『お前の四肢を全て切断してからだ。お前を捕らえて巨神界連合軍に引き渡し機神界の情報を吐いてもらう』」
殴った拳を、斬って浴びた返り血をお前に見せれば綺麗事だけ並べて、怖いから罪を犯さないと思い込んでいるのが果たしてどちらなのか、いい加減理解するだろう。
「——ム……カ、つくんだ、よおおォォオオォオオッ!!」
見苦しい姿のまま黒が駆けた。片腕と片脚で、背面のブースターも使って死に物狂いで突撃してくる。
『とりあえずもう片方の腕を先に落とす。その流れのままもう片脚もだ。転んだら背後のブースターを切断。機体が無力になったら本体を引き摺り出す』
『分かった。"疾"をかけて一気にやろう』
動かずに意志の力のみでアーツを切り替えそのまま発動。
「ダンバンと同じくれぇに!! 一年前から!! 偉そうに好き勝手言いやがって!! モナドの研究してるだのモナドを扱えるだのモナドと一緒に見つかっただの!! 立場に甘えるだけ甘えて!! 優等生ぶって踏ん反り返ってんのはてめぇの方だろうがァァッ!! 監獄島の時も見逃すだの何だのほざいて今みてぇに余裕ぶっこきやがって!! 戦場も碌に知らねぇガキが説教出来る立場だと思ってんじゃねぇえぇえエェエアアあああッ!!」
何一つ痛くなかった。奴が何をほざいたところで今更過去は変わらない。同時に過去から今に至るまで俺達が何も変わっていないわけがない。己の欲と悦楽のみに囚われ、世界が自分以外の多くで構成されて成立することを忘れたかつて人であった何かの、ただの怒りと理不尽な思考にはもう重みの一つも存在しない。
ふ、と映像が切り替わる。巨神の気まぐれかシュルクの博愛か、未来視はムムカの最期を見せてきた。突進してくる黒の振動で要塞の一部が落下、槍にも似た巨大なそれが無慈悲に黒を、ムムカ本体を貫く。
『見殺すのも介入して生かすのもシュルク次第だ。……どうする?』
『変わらない。死なせないよ』
『了解した。アーツ切り替え、"翔"からの"
"疾"から再度アーツを変更する。膝を曲げて一気に宙へと飛び出そうとして——。
「——いいんだ。もう、お前
背後から、左腕が、シュルクの身を抱き寄せた。
左腕の主——ダンバンは止まらぬ黒を真っすぐ見据えたままだった。優しい声色でありながらこれからすべき行為への意味を理解した瞳は大人として、これ以上若者ばかりに罪を背負わせないと物語っていた。
「ちが……ダンバンさんっ……! 離してくださいっ……!」
同時にダンバンの勘違いにも気付いてしまった。ダンバンはシュルクが膝を曲げた動作を跳躍ではなく、ムムカの四肢を斬り落とす為の予備動作だと判断していた。だから俺達を止めたのだ。その罪は自分が背負うからと抱き止めた。
未来視さえ見ていなければその優しさと強さに涙の一つでも零していたかもしれない。
しかしタイミングがあまりに悪すぎて。
これでは落下物を弾けない。未来視は現実になってしまう。
このままではムムカは——。
「……っ、『駄目だ! 動くなぁッ!!』」
叫ぶしか出来なかった。
黒は既に原型も碌に保っていない砲台から小さいながらも一発のエーテル弾を放った。まずいと思うもダンバンの左腕が更に強くシュルクの身を引き寄せ、仰向けになるようにして後方へと跳び弾を回避する。
弾は不規則な弾道で要塞の外壁に着弾、そして大きくその一帯を揺らす。金属の軋む音、見上げた先で空しくも落ちてくる要塞の一部分、それに全く気付かずにまだ這い寄ってくるムムカ。
ムムカが上空の異音を察知したのは鋭利な先端が目と鼻の先にまで落ちてきてしまっていた時だった。
槍は、真っすぐに、本当にあまりに真っすぐに黒の胸部を貫いた。搭乗者のいる箇所を初めから狙っていたかの如く、貫いて、発着場に縫い留めて、そして。
「こ……こんな……ァッ!」
足場ごと。
「こんなところでえエエえエェえエエぇぇええぇぇッ!!」
堕ちる。
慌ててダンバンの腕を抜け出して覗き込むも到底間に合わない。
考えもなしに飛び降りることも出来ない。獣ではないから。
手は届かない。どうやったってムムカの命はもうこの手では掬えない。人の手だから。神ではないから。
「愚かすぎだぜ……お前は」
戦友の言葉だけが何もかもを失い自ら全てを捨てた男への唯一で、最後の手向けだった。