大型機発着場の鋼鉄の足場は芸術的なまでに丸くぽっかりと抜けた。その足場に縫い付けられた黒い顔付き——ムムカもまた雲の遥か下、原始のエーテルの海へと消えていった。初めから何も無かったのではないかと勘違いしそうになる。まるで人が認識できない上位の存在が空間ごと恣意的に切り抜いたようにさえ見えた。
潤んだ青を見つめたままのシュルクに問いかける。彼の復讐の旅は一つの区切りを迎えた。
『
『意外と……嫌な気分だ』
『奇遇だな。……俺もだよ』
ムムカが憎いのは今も何ら変わらない。奴の身で罪を然るべき方法で償うべきであると考えているし、多数の人間の協議により死で贖うしかないと結論が出されれば是非そうすべきだと思っている。
それでもどうしてだろう。やはり寂しさが消えない。
『今の最期だって、何か少しでも変わっていたら違う未来に着いていたのかもしれないのに。……どうなんだろう。変わったからこうなったのかな、それともどうやっても変わらなかったのかな』
『分からない。ただシュルクがそう思えるってことはお前が優しくて——優しすぎて、それでいて強いからだ』
エイルだって何度か夢見たのだ。ムムカが人として生を全うして、生きて罪を償う世界線の可能性を。
ダンバンを嫌ったままでもいい。人として褒められない澱んだ感情を抱えててもいい。その中で僅かであっても光の差す道を歩いて、文句を言いながらでも誰かの救いになれる力の使い方を知れたかもしれない。幾度となくぶつかり合い殴り合い、紆余曲折を経た後に本当の戦友としてダンバンと肩を組める世界があったって良いではないか。
綺麗事と吐き捨てられても構わない。現実を知らない青臭いガキの
夢の一つくらい見たって、いいだろう。
でも彼は自らその可能性の全てを捨ててしまった。一度は向き合おうとした羨望も得たいと思った称賛も、紛い物で不必要だと引き裂いた。己の欲だけ追い求めて行き詰まれば他責思考に走った。己の力しか信じられないと凶器を振り回して他人を遠ざけた彼は世界中の誰よりも自分自身を信じられなかった。
独りとなってしまった男はシュルクの復讐の旅の要因となり、シュルクが人を斬る覚悟を決める切っ掛けとなった。多くの者から憎まれ、ほんの少しだけ憐れまれた。悪い意味で人々の心に存在を強く刻みつけたにもかかわらず、真実を知る旅に変わったシュルクの新たなる道の半ばであまりにあっさりと消えてしまった。
出来すぎた話だと思う。幾度となく見てきた
もしかしたら彼も巨神に運命を弄ばれた一人だったのかもしれない。
この時代に生まれて機神兵の侵攻の被害を受け故郷を失った。逃げ出すしか出来なかった弱さから後ろめたい感情を抱え、逃げ延びた先でダンバンという理想の自分とも呼べる存在に出会った。そこから酷い劣等感と羨望が絡み合い捻じれに捻じれた感情を形成する。そして
生まれてから死ぬまでの全ても、歪んだ欲望を有していたことも、ただシュルクにモナドを扱わせ成長させる為の舞台装置として創造されたように思えてならない。どんなに醜悪な人間であったとしても、生きたいという本能や光を求めたことは紛れもなくムムカという一人の人間が感じた想いであったのに。人として自由に感じられるものでさえも操作された因果に基づいていたとしたら、あまりに哀れで、寂しい。
『あんなに憎かったのに、許せない相手なのに……。初めはあんなに殺したいと思ってさえいたのに、命が消えるって、誰も……幸せになれないね』
『殺人は次の殺人を生む、よく聞く話だ。だがあいつは自分で自分を殺した。ムムカに連なる憎しみの連鎖は偶然にもあいつが終わらせた。俺はそれだけが救いだと……そう思いたい』
『うん。……だからあの人がこんな最期を遂げた理由、二つの世界の争いの全てを知らなきゃいけないんだ。もしかしたら死んで当然だったっていう証拠が欲しいだけかもしれないけど』
『今はそれでいいんだ……きっと』
油断こそしてはならないものの、黒い顔付きの脅威が排除されたことで要塞に侵入する難度は大きく下がった。
警戒を怠らずに進む為に簡易的な陣形がダンバンから指示された。ダンバンは何やらラインに耳打ちをしている。ラインも納得したように頷いているから陣形での役割だとは思うが、生憎小声で内容は聞き取れない。
とりあえずラインを先頭とする。単独でとはなかなか珍しいが、前方から不意に機神兵が現れた時に最初の一撃を受け止められるのは彼しかいない。
その後ろに純粋な膂力ではどうしても男性を上回れないカルナとメリアを配置する。彼女達は女性であるからなんて今時古い考えなどは関係なく、基本的に最優先で守られるべき理由がある。純粋なエーテルアタッカーと回復役は全く替えがきかないからだ。加えてメリアは次期ハイエンター皇主である。
更にリキも入ってもらう。小柄な体格を利用し、前後の守備をすり抜けた攻撃に対処するには適役だろう。
「リキがメリアちゃんを守るもー!」
「あら、私は?」
「カルナはオカに似てるから一人でも強いも! だからリキはメリアちゃんの近くにへぶっ」
カルナの手刀が振り下ろされた。流石にカルナを咎める者はいない。
妻子を持ちながら魅力を感じる異性に鼻の下を伸ばすのはノポン族としての傾向なのか単にリキが不届者なのかいまいち分からない。リキの場合は親として立派な面もあるから余計にこの不届者っぷりが際立つ。でも家族が一番大事なのも事実なのである。よく株が上がったり下がったりするノポンである。
ついでに言うとメリアはリキを頼れる仲間兼可愛いノポン族として見ているのでリキの想いは成就しない。いや成就などされては困るが。リキのあの態度だって場を和ませようとしてほとんど冗談で言っているだけだろう。……冗談だよな?
リキのことはさておき最後尾にはシュルクとダンバンが並んでつく。先頭のラインとは逆に背後からの攻撃を気配などで即座に察せるダンバン、未来視によりダンバンの不足する部分をシュルクが補う形だ。
初めての試みながらなかなか良さげだ。巨神界を歩いていた時は何となくでも問題なかったがここは敵陣のド真ん中である。寧ろ普段から積極的にこうすべきであったかもしれない。
発着場から少し進み、遠回りする形で要塞の裏口を目指す。全員が口数も少なく全方位に気を張って進んでいく。
シュルクもその例に漏れない。時折後ろを振り返ったり空気の音にまで意識を張り巡らせていた。隣にダンバンがいると言えどもそれに甘えるわけにはいかない。
そんな状況だから少々余裕が無かったのかもしれない。無意識的に隣を歩くダンバンの速度に合わせていたら、いつの間にか前を行く四人の背が十メートル程離れていたことにも気付かなかった。
「ありがとうな、シュルク」
「……えっ?」
突然言われたものだから言葉の意味を理解するのに時間がかかった。感謝の言葉だと理解はしても、脈絡も全くないから何に対してなのかなどはさっぱりではある。
「俺を止めてくれたことだよ」
「あ……。いえ、寧ろ生意気なこと言ってしまってすみませんでした」
「気にしてないさ。言ったろ、響いたって」
ダンバンは物悲しそうに目を細めて前方の空を見上げた。
「自分が引導を渡してやるって思ってたのになぁ。いざムムカが本当にいなくなると……やっぱり複雑なもんだな」
「僕もです。少しは清々するかと思ってましたけど全然で」
「復讐だったからな。俺達は失われた命が復活した奇跡を目の当たりにしてるが、本来ならムムカが死んだとて誰かが生き返るなんて都合のいい話じゃない。現にメリアの親父さんがそうだ」
復讐を遂げても遂げずとも得るものはない。亡くなった人は何をしても戻ってこない。だから復讐を果たした方が気分的にはすっきりするのではないかなんて考えもあるし否定はしない。だが俺達は間接的であっても復讐を果たしたはずなのに胸の内は何一つ晴れなかった。もし己が手で完遂していたならば——。
「遠くない未来で後悔してただろうな。命を奪うことは相手問わずに等しく、どんなものよりも重たい。人の為だとか言っても、結局は人殺しの罪に潰されてたかもしれん」
そうしてシュルクの顔を見たダンバンは温厚な瞳で笑みを浮かべていた。
「強くなったな」
「そう、でしょうか……」
「照れるなって。感謝してる」
「えへへ……。ダンバンさんに言われるとなんだかすっごく嬉しいです」
「なら何回でも伝えないとな。
——本当にありがとうな。シュルクも、もう一人のシュルクも」
時が、止まった。
否、止まったのはシュルクの身体の動きだけだ。空間の流れは生命の鼓動と同じでただ淡々と機械的であり、毎秒が奇跡として続いていく。
「なに、言ってるんです、か」
見抜かれるのは二度目だ。一度目はラインで、しかしその時に表に出ていたのはエイルだった。現在表層に出ている意識は紛れもなくシュルクなのだ。瞳の色も雰囲気も正真正銘の
「本当にお前は小さい頃から嘘がつけないんだなぁ……。安心しろ、もう一人のシュルクに敵意なんて持っちゃいないさ」
「いや、えっとあの、そうじゃなくって、なんで知って、あっ違っ……」
「落ち着け落ち着け、順番に話してやる。とりあえず歩くぞ」
ダンバンがシュルクの違和感に気付いたのは実はかなり早かった。中央採掘場を抜けた直後に襲来した黒い顔付きとの戦闘の後、精神的に疲弊しきってしまったシュルクの意識が沈んだ時点で既にダンバンは昔から知るシュルクとは異なる空気であったことを見抜いていた。
その当時は短いながらも怒涛で濃密な旅路の中で急成長した証だと考えていた。男子三日会わざれば刮目して見よなんて言うほどであるからその類いだと判断し、子の成長を喜ぶ親の気持ちで見守るくらいであった。
しかし数日後、コロニー6にて今後の行動について話し合いをする頃合いになるとシュルクの雰囲気はダンバンの知るものへ戻っていたのだ。
これはちょうどシュルク自身の意識が覚醒したタイミングと重なる。
違和感は気のせい、もしくは黒との戦闘による緊張の糸が解けたからかもしれないとも考えたものの、更にその後の状況でやはり異変であると確信することとなる。
マクナ原生林、サイハテ村、皇都アカモート——時折思い出したかのようにシュルクらしからぬ空気を纏う何かが現れる。しかも決まって少し経てば必ず普段のシュルクに戻ってしまう。人の気配に鋭敏なダンバンからすれば、この空気の変化からシュルクの身に何かが起こっていると断言するには十分すぎた。
「変だとは感じた。でもまずい事態ではないとも思ってたんだ」
その理由は大きく二つある。まず一つはダンバンのよく知る方のシュルクに記憶の欠落や混濁が全く見られないことだ。纏う空気の変化こそあれど前後の記憶や会話は全く違和感なく成立していた。仮にシュルクがこの事態を把握していなければ易々と自然に振る舞うことは出来ないだろう。嘘をつくのが苦手な彼だからこそ余計に。つまりダンバンはシュルク自身はこの異常事態を把握、尚且つ理解して受け入れているのではないかと推測した。
もう一つはラインの振る舞いだった。
ダンバンでさえ気がつくシュルクの異変をラインが見逃し続けるなど有り得るのか。当然、否である。どんなに些細なものであったとしてもシュルクの変化を最も鋭く、素早く見抜けるのはラインなのだ。
そのラインもまたシュルク同様に何でもないように振る舞っている。となればラインも何か情報を知っているか協力者ではないかと推測できる。
『当たってるな……』
『うん……』
そしてダンバンが空気の違うシュルクがそもそも全くの別人であると確信したのは監獄島での一件だ。
言葉の選び方がいよいよシュルクらしくなくなったのもある。余談だがあれはシュルクの言葉でありエイルの言葉であった。二人の言葉と思考が混ざり合ってしまったが為に、普段のシュルクとは若干異なる言葉遣いをしてしまっていたのである。
ただ言葉よりも大きな要因はシュルクが一人で黒い顔付きを逃がすだけの結論に行き着いたことだ。純粋なシュルクの思考のみで導き出されたならば、とうとう顔付きを断てるようになったモナドを持っているにもかかわらず逃がす選択を取るだなんてダンバンには到底思えなかった。悪い表現をするとシュルクに何かしらを吹き込んだ存在がいると考えたのだ。
それこそが時折現れていたシュルクらしくない何かの正体ではないか、と。
シュルクの中に何者かが宿っていると確信はしたものの、いきなり本人に直接聞くのも白い顔付きや皇都でのあれやこれやで混乱している真っ只中では負担が大きい。幸い緊急性が高いものではない。少し間を置くのに加え、まずはラインの方から攻めてみようとダンバンは考えた。
「オセの塔で聞いてみたんだ。びっくりしてたぜ、あいつ」
「あはは……。でしょうね」
ラインもまたシュルク同様に嘘をつくのが上手い部類ではない。それに相手がダンバンでは下手に取り繕ってもどうせバレるのだし、ラインは割とあっさりと問いかけに対して肯定を示した。
ラインが協力者であったのは推測通り。しかしダンバンが思いの外驚いたのはラインからもう一人のシュルクに対しての信頼の強さだった。
「謎も多いけどいい奴だとか、初めは警戒心もあったが今はもう全く思ってないとかさ。ラインからあそこまで信頼される奴なら俺も信じていいんじゃないかって思えたよ。名前だけは礼儀的に本人から聞いた方がいいぜって教えてくれなかったけどな」
不意の嬉しい言葉だった。
初めてラインに存在を明かした時のことは今でもよく覚えている。受け入れてくれたことも、その時はシュルクが信じている相手だからとりあえず信じていると言われたことも。そして共に過ごす時間を重ねていけばエイル自身を信じられるようになるとも。
俺はシュルクの一番の親友にそう言ってもらえるだけの存在になれていたんだ。
「だからさ、挨拶くらいはさせてくれよ。仲間なのに知らないままってのも寂しいだろう?」
『……いい、よね?』
『ああ。構わないさ』
表情筋は動かずともシュルクの心がにっこりと笑ったのが伝わった。
「今交代しますね」
一秒にも満たない小さな瞬きさえあれば裏と表は簡単にひっくり返る。幾度となく繰り返して、互いが身体を使って妙なことをしないと心の底から言える。これもまた嬉しい信頼の形なのだと改めて感じた。
「初めまして……でいいんでしょうか」
分かっていても、シュルクとしてではなくエイルとして接するのはやはり少々緊張する。
「そうだな。やっとシュルクの振りをしていない本来の姿と会えたって感じがするよ。——名前、何て言うんだ? おっと、聞くなら先に名乗れってやつだな。俺はダンバン……ってまあ流石に茶番か」
「あはは、そうですね。ずっと見て、聞いて……"知って"ましたから。
——俺はエイルといいます。二年前にシュルクにもらった、大切な名前です」
「ほう……?」
ダンバンが親指と人差し指で軽く顎に触れる。続く言葉におおよその察しはついている。
「偶然だとは思うが……機神界盟主とそっくりな名前だな」
「『そうなんです……』」
「二人とも困ってるんだな……」
今までは俺が一人で困っているだけだったのだが、いよいよエギル本人と接触してしまったので今後ややこしくなるのは間違いない。叫んだらどっちがどっちだか咄嗟に分からないと思う。早々俺の名が表で呼ばれることは無いだろうけども。
「ま、なんだ。振る舞い方や対応なんかは大体ラインから聞いてる。改めてよろしく頼むぜ、エイル」
「はい。俺もまた信頼を得られるように努力します、ダンバンさん」
「ところでだな」
「はい。何か不都合な点やシュルクらしくない振る舞いがあれば直しますが」
『それラインの時も聞いてたよね』
シュルクではないと見抜かれているのだから不安にもなる。出来る限り本物に近づけたいと考えるのは自然なことだろう。
「いや、そんなんじゃないんだ。ラインからシュルクより物怖じしないというか、相手問わずきっちり話すタイプって聞いてな」
「はい……?」
「簡単に言えば敬語とか使わないタイプかと勝手に思ってたんだ。別に生意気って意味じゃない。対等に、堂々とした態度で対話をしようとするしっかりした人物かと想像してたから、俺に丁寧な物腰でちょっとびっくりしてるんだ」
ライン、俺のイメージどうなってるんだ。
『割と合ってるよ』
そうか?
「ダンバンさんは……シュルクは勿論、俺も物凄く尊敬しています。中身も性別問わずに惚れる英雄としての強さもありますし、それに人は見た目が全てはないですが十分に男前ですし……。敬意を持って接するのが当然だと思います。全人類そうすべきですよ」
「……シュルク、さてはこいつ結構面白い奴だな?」
「はい」
あっ、主導権を奪われた。
「因みにエイルは地味にノポンが好きなんです」
『その情報は要らないだろう。ノポンは全人類が好きなんだから仕方ない』
「あと時々主語が極端に大きくなります。それに足元が透けてる高い場所が苦手なんですよ。アカモートやハイエンター墓所では目を回してて少し面白かったです」
『その情報はもっと要らないだろう!』
『ダンバンさんにも色々とエイルのことを知ってもらわないと』
「ダンバンさん! シュルクなんてザトールで——むぐっ」
『言わないでよ!! 怒られるだろ!!』
「お前はぼんやりしすぎっ——君が気にしすぎなん——その気にしすぎが予測に——それとこれは別っ——」
「はははっ! お前達、兄弟みたいだなぁ。俺には聞こえない二人のやり取りもきっと愉快なんだろうな。
——いつか二人がそれぞれ身体を持って並んでるのが見てみたいもんだな」