おかえり
***
——この夢、久しぶりだなぁ。
コロニー9の機神兵残骸跡地は幼い頃からお気に入りの場所だった。とっくの昔に動かなくなって、単なるガラクタと化した金属の塊が無造作に散らばったそこは他人にとってはゴミの山だったかもしれない。でも僕にとっては今も昔もずっと宝の山だ。
今——というかコロニー9が機神兵に襲われてから——はそれらは純粋な兵器であり、生まれた理由も活動の目的も徹頭徹尾人間を殺す為だと身をもって理解してしまった。だから何もかもが輝いて見えるとは流石に言えない。
それでも幼い頃は自分の知らない仕組みで出来たそれや、巨神界には存在しないであろう金属を間近で見て直接触れられることを純粋に喜んでいた。兵器ではなく単なる構造物として未知の世界と技術に思いを馳せ、いつか自分の手でもこんな凄い何かを作ってみたいと時間も気にせず部品と戯れていたんだ。
今日は何が見つかるだろう、小さなものなら持ち帰って分解してみようか、持ち帰れないなら毎日ここに来たっていい。下手したら朝から晩まで、時間も空腹も忘れてパーツの品定めを夢中でしていた。姿が見えないことを心配したダンバンさんやディクソンさんが来るまで、ずっと。
それは現実の話。現実は厳しくも優しいから門限の時刻は必ず訪れるし、誰かが僕を迎えに来てくれる。右手でガラクタを抱えて、左手は大好きな大人に握られて。今日は何を見つけたとか未知の技術が少し理解できて既知に移り変わろうとしているとか、とにかく沢山の報告をしながら家路に就く。
今しているのは夢の話。夢は時に幸せで、時に現実より遥かに残酷だ。
夢の中の僕は気になった部品を一つ持ち上げて、眺めて、持って帰ろうと決めて、そして沈むんだ。
誰もいない。誰も迎えになんて来ない。ガラクタごと廃棄物を処理するように僕は土の中へと落ちていく。
変、なんだよね。夢だからかな。落ちる僕は何の焦りや恐怖も感じない。そういうものだと受け入れて、落ちる定めだからと諦めて身を委ねる。
地上からは誰か——僕が、僕を覗いている。無感情のまま、落ちる僕も覗く僕も決まりきった未来をただ眺めているよう。互いに違和感もなく恐怖も喜びもなく何もかもが決まっていて、知った展開であると言わんばかりのつまらなそうな顔で。
変だけどいつもの夢。いつもと変わらない変な、夢。
不意に落ちる身体が止まった。
止まった? どうして?
誰かが抱き止めてくれたから。
誰が?
僕の夢、僕の空間にいるのは僕しかいない。落ちる僕と覗く僕と、あ。
——君。
***
初めにシュルクが感じたのは柔らかいという感触だった。柔らかい何かが身体に接している。
次に理解したのは触れている部位とそこから何かが流れ込んでくる感覚。普段はほんの少し乾いている唇に空気ではないものが隣り合っていた。舌に触れる心地よい冷たさの液体が意識を完全な覚醒へと引っ張り上げていく。さらさらと流れる液体が喉まで到達し反射的に飲み込んだ。
水だ、と瞼を持ち上げれば自分の顔を覗き込む誰かの顔が目に入る。
——誰かだなんて、そんな、まるで知らない人みたいな言い方。
「おはよう」
穏やかな日々が続けばいいのにと、故郷の公園で呟いた君があの日と同じに微笑んでいた。
青い空を背負うから影が落ちて暗いはずなのに、昼を照らす陽の光など比べ物にならないくらいにそれは眩しく見えた。
「フィオルン……?」
知っている人。ずっと、ずっと会いたかった、人。
もう会えないと思っていた。綺麗な思い出さえ故郷に埋めてきた。いつか辿り着くあの世で、血塗れの道を選んだ自分は拒絶されると思っていた。
「最初のキス、こんな形になっちゃった。……でも女の子からしちゃ駄目なんてのもないもんね」
故人の記憶は声から消えていくと聞いたことがある。あんなに隣で響いていた声が一番初めに記憶から消えていくなんて、人の記憶の仕組みは随分と残された者にとって優しくない。
でも自分は忘れたりしない。思い出の中にそのままの声を残し続けてみせる、残していける。自分なら出来ると根拠もなく思い込んでいた。大層な自惚れっぷりだ。
しかしいざ親しき者の死が降りかかってみると納得せざるを得ないものである。監獄島で出会ってからガラハド要塞で彼女が声を発せるようになるまで、ずっと喉を震わせていたのはメイナスという別人であった。メイナスと彼女の声は違うのにそれにさえ気がつけなかったのだ。
「フィオルン……ほんとに、ふぃおるん、なんだ、よね……?」
だからやっと聞けた声が嬉しかった。本当の彼女だと頭が痛いくらいに記憶を呼び覚ましていても、どうしても彼女の口から聞きたかった。
君に頷いてほしかった。君の声で、僕の名前を呼んでほしかった。
「——うん。遅くなってごめんね、シュルク」
両腕を伸ばした。
物か何かに背を預けている状態のシュルクが強く抱き込めばフィオルンはそれに寄りかかる形になってしまう。それでも彼女は何の文句も言わなかった。啜り泣くシュルクを彼女もまた抱きしめて、確かにここにいるのだと伝えようと頭を撫でる。
血の通わぬ金属となってしまった掌であろうともシュルクにとっては世界に存在するどんな物質よりも温かかった。だって彼女はここにいる。彼女の魂が腕の中にある。
どんな身体であっても、フィオルンであることが何よりも大事だった。
波打ち際を黙って眺めていると焚火が小さく爆ぜた。海に落ちた身には有難い炎だった。衣服も随分と水分を含んでおり、完全にまでとはいかずとも多少乾かさねば行動に支障が出る。膝を抱えて火に当たるシュルクとは対照的に、フィオルンは立ったまま水平線を静かに見つめていた。
「私ね、ずっと起きてたんだよ」
海の果てから目を離さずに彼女はゆっくりと口を開いた。
コロニー9で黒い顔付きの爪に貫かれたあの瞬間、見ていたシュルク達も貫かれたフィオルン自身も死んだと思っていた。当たり前だろう。爪で貫かれた挙句、小型の機神兵に身体の肉を裂かれ引きちぎられたのだ。あれで生きている方がおかしい。音、光、痛みの何もかもを感じなくなり意識も記憶も確かにそこで一度途切れている。
しかし彼女は気が付いた。何故か感覚を取り戻した。
機械の身体とされて知らぬ場所にいた。同時に自分ではない誰かが自分の中に存在していた。
「それがあのメイナスって人なんだよね?」
「うん。身体を動かしてたのはあの人だけど、私もこの身体を通して見たり聞いたりしてたの。監獄島もヴァラク雪山の時もちゃんと見てたよ」
メイナスの話ではまるでフィオルンの意識は沈んでいるかのようだった。掬い上げるのは難しいと話していたのを覚えている。てっきり存在こそすれど眠っているのかと思っていた。
「心ではずっと呼びかけてたんだけどね。伝わらないよね、そんなの」
「そんなことないよ。メイナスはフィオルンがいるって言ってくれたんだ。信じてた」
「ありがと。でも無理しなくていいんだよ。逆だったら私だって分かんないもん」
「えへへ……」
背伸びして格好つけてもやはり彼女にはお見通しである。少しばかり情けなくてくすぐったいが胸の内はじんわりと温かかった。思わず頭を掻いたのも照れ隠しであると見透かされていただろう。
「でも……メイナスって一体誰なの?」
「分からない。人と話してる声は聞こえたけど考えてることまでは分からなかったし——」
自分達とは違うのだろうかとシュルクは己の内に宿る姿の無い友人を思い浮かべていた。自分達は態々言葉にして身体の中でやり取りせずとも、なんとなく考えていることは互いに感じ合える。フィオルンとメイナスの関係は自分達のそれと似ているから同じものだと考える方が自然だ。
そういえばその彼の声がしない。要塞から落下した衝撃でまだ目覚めていないのかもしれない。起こそうかと迷いもしたが、実行に移す前にフィオルンが言葉の続きを紡いだ。
「だけどやらなきゃいけないことがあって必死に頑張ってた。それだけは伝わってきてた。まさか巨神界と機神界の戦いを終わらせるなんて凄いことだとは思わなかったけど」
「それは僕もびっくりしたな。機神界側の人がそんなこと言うなんて考えもしなかったから」
「ふふ、確かに。でもね、メイナスがとっても優しい人なのは間違いないと思う。私の身体を使う時にすごく気を遣ってくれたし、私も身体が勝手に使われてるのにあまり嫌じゃなかったんだ」
それこそフィオルンの身体を使って成し遂げたかったことに起因するものだろう。フィオルン自身やその周囲の人々、何よりもっと大きな枠組みである巨神界にとって脅威となることなど何一つ考えていなかった。ただ争いを止めたい、両世界にとって平和を齎したいと心の底から願う者が身体を動かしていたのであれば、人の優しさを丁寧にかつ細やかに見出し受け取れるフィオルンはメイナスにその身を貸すことくらい喜んでする。
「それにね、さっき要塞でシュルク達を守りたいから力を貸してって言ってくれたの。私、嬉しかった。メイナスも私と同じ想いなんだって。
だからだと思う。私も身体が動かせるようになって、メイナスと一緒に戦えるようになれた」
「……そっか。それならお礼言わなきゃ。メイナスは今どうしてるの?」
「うーん……心で呼んでるんだけど声がしないんだ。眠ってるのかな? それともさっきまでの私みたいに起きてるけど話すことも出来なくて困ってるのかも」
多分疲れて寝てるよと言いそうになったのを強引に飲み込んだ。
シュルクは感覚的にフィオルンの身に起きていることの理解ができた。一つの身体に宿る二つの心が敵対ではなく似た想いであると知っていれば意思疎通は難しくないはずだ。二人とも優しさが大きいから相手を無理矢理抑え込む真似はしないだろうし、やはり要塞崩落の衝撃か何かで一時的に消耗しているのではないだろうか。シュルクも何度かそういった経験があったから余計にそう思えてならない。
「それならメイナスが起きたら教えてほしいな。お礼も言いたいし、ちゃんと挨拶もしなくっちゃ。フィオルンがメイナスを優しい人って言ってくれて安心した。なんかやっと彼女のことを本当の意味で信じられるよ」
「そう言ってくれると何だか私も嬉しい。……彼女が目を覚ましたらゆっくり話して、それから今度は私が彼女のことを手助けしてあげたいんだ」
「うん。僕も力になりたい」
「ありがと、シュルク」
ゆっくりと水平線から昇りくる陽がフィオルンの顔を照らしていた。身体のほとんどは機械となっていても頭部だけは血と肉のある彼女本来のもので、笑みもまた本当のフィオルン自身が浮かべたものである。当たり前だったことが当たり前でなくなり、そしてようやく隣に戻ってきてくれた、夢みたいな、現実。
シュルクもまた立ち上がり彼女と向き合った。自分は笑っているだろうか、それともやはり情けなく泣いているだろうか。でも感情はただ一つだった。
「——おかえり、フィオルン」
君がいてくれることがこんなにも嬉しいことだって、やっと、本当にやっと気がつけたんだ。
「——ただいま!」
触れ合った額が溶けそうなほどに熱かった。照れなんかじゃない。君が僕の心を形が保てないくらいにとろかしてくれて、液状になってしまっても全部を抱き止めてくれて、どうしようもなく——幸せなんだ。
***
目が覚めたら砂浜に座って海を眺めていた。この流れは前にもあった気がする。
『……おはよう』
『あ、起きた。おはよ、エイル』
まずは最後の記憶とこの場の様子から現状把握だ。ガラハド要塞に乗り込んで、紫の顔付きが何やら酷い話をしてメイナスと望まぬ戦いをして、途中でエギルが来てアポクリファが展開されて……。とりあえず要塞の一部が崩落して俺達は落下した。メイナスのモナドの力によりあんな高所から落ちたにもかかわらず傷の一つもなく生きている。死んでいないのは一安心だ。
『フィオルンも帰ってきたんだよ! 起きてたけど話せなかっただけでずーっと僕らのこと見ててくれたんだって』
首が左に動かされて海から純白の身体に景色が切り替わる。
——ああ、本当だ。
やはりメイナスとは若干異なる表情をしている。見慣れたフィオルン自身の顔がそこにあった。
状況と持っている記憶の情報から合わせるにここはガラハド要塞及び大剣の渓谷の真下、落ちた腕で間違いない。結局大まかな流れは変わることなくここへやってきたようだ。
待てよ。確か落ちた腕に来て最初にシュルクが起こした行動と言えば——。
『なあシュルク……。お前、したのか』
『何を?』
『フィオルンに、その……』
『歯切れ悪いなぁ。はっきり言ってよ』
『したのか、接吻』
『せ……? あぁ、キスか。接吻なんて言い方小説くらいでしか聞かないよ。エイルの語彙ってちょっと変わってるよね』
『質問に答えてくれ。したのか』
『うーん……? してないよ。だって僕多分フィオルンから水を、口移し、で……』
首から上の肌の熱が急上昇した。
『き……っ、キスされちゃった……!? え!? いやあれって口移しだからちがっ……あっ、でもでも、フィオルンも初めてのキスがどうとかって……。う、ううぅぅ〜っ……!』
『全部理解した。したんじゃなくてされたのか』
どうやら立場は逆転していたらしい。
思い出したが確かにエギルの一撃で吹っ飛ばされたのはシュルクの方で、フィオルンは受け止めてくれていたはずだ。落ちた腕に来ているから受け止めはしたがそのまま二人揃って落下はしてしまっているけれども。
要塞での戦いでダメージが大きかったのは寧ろシュルクであったし、目覚めるのは彼女の方が早いのも理に適っている。
『寝ていて良かった。お前達二人にとっての大切な瞬間に余計なものが混ざっていようものなら俺は冗談抜きで自決を選んでいた』
『どうやって死ぬんだよぉ〜……そもそも死なせないからね……。あぁううう〜……言われたら意識してきちゃった……。ファーストキス……しちゃったのかぁ……』
自分からやる分には覚悟を決められるくせに受け身の立場だと随分情けない。というかこの様子だとシュルクからした場合は口移しとしての側面の方が大きいのだろう。覚醒を促す為に水筒から水を飲ませる行為が出来ないならば口移ししかないと結論付けて、そこで思考停止してしまうのはある意味ではシュルクらしい。
「これからどうするの?」
不意に話しかけられて思い切り肩が跳ねた。
「へっ!? あ、えっと……」
「……大丈夫? 顔赤いけど、海に落ちて風邪引いちゃったかな。ごめんね、私がもっと早く気がついてたら……」
「ち、違うよ! 僕は平気!」
「そう? 無理は駄目だからね。シュルク、時々体調凄く悪くなるんだから」
「ん……。大丈夫だよ。最近は違和感とか何もないし。
そうだ、これからのことだね。みんなを捜さなくちゃ。きっと生きてる。僕らが無事ならみんなも同じなはず」
立ち上がり徐々に陽が高くなりつつある空を見る。時間帯としてはまだ午前だから、最低でも陽が沈むまでに誰か一人でも見つける。もしくは安全に休息が取れる場所に辿り着くのが理想だ。
「フィオルンが帰ってきたのを知ったらみんなびっくりして……喜んでくれるよ」
「みんな——」
「ラインもダンバンさんも、それに新しく知り合った仲間もいるんだ。カルナ、リキ、メリア——いい人達ばかりだよ。それにね、メリア——あ、ハイエンターの女の子なんだけど、フィオルンと友達になってみたいって言ってくれたんだ」
「私と?」
「うん! 二人とも優しくて人の気持ちが分かって、とっても素敵な人だから絶対に仲良くなれると思うんだ」
「ふふっ、シュルクも色々あったんだね。会えるの楽しみだな」
「これからは"みんな"の中にフィオルンもいる。ずっと、一緒だよ。——さ、行こう!」
これが箱の外から眺める立場であったならば素晴らしい光景だと拍手でもしていただろう。悲劇的な別れで始まって先行きが不穏な状態で再会し、やっと本当の意味で再び巡り合えた二人を手放しで祝福できた。
しかし現実に足をつけて立っている者としては喜んでばかりではいられない。フィオルンの負った傷は想定より遥かに軽いものの、今まで搭乗していた白い顔付きは大破してしまった。専門の知識もなく万全な整備環境もない状況では修理は不可能だ。
そうなると次に起こるのはフィオルンの体調が一気に崩れることだ。顔付きに組み込まれた巨神界の人間は免疫などにあたる機能の全てを顔付き側で担っている。顔付きから離れるのが短時間であればそこまで問題はないが、一時間もすればまず間違いなく本人が不調に気がつく。主要な内臓のいくつかが欠けた状態で歩き回っているようなものだから当然だ。
とにかく先を急ぎたい。多少無理やりな理由をつけてでも早めに隠れ里まで辿り着き、そこでなんとか応急処置をしてもらいたいのだ。
まだまだ気は抜けない。身体を持たぬから比喩ではあるが、両頬を己の手で一度ぴしゃりと叩いて改めて気合いを入れ直す。縮尺は異なれど大まかな地図を記憶の中から引っ張り出し、可能な限り効率的に進ませるのが今の俺が出来る最善だ。
ただ、一つだけ。伝わりはしないけど、彼女は俺の存在など知りもしないけど、言わせてほしい。
シュルクの隣に帰ってきてくれてありがとう、フィオルン。