フィオルンが歩ける程度に回復するまでもう少し休息を取ることになった。ラインとカルナも落下地点からここに来るまで昇り降りの繰り返しで若干の疲労がある。フィオルン以外は万全の状態であるのが望ましいだろう。
腰を下ろして四人で向かい合い、談笑して時間を潰す。情報共有やカルナの紹介、旅立ってから再会するまでのことなど話の種は山ほどある。その中で最も盛り上がったのは人が見ていないところではダンバンは泣くことだった。あの英雄ダンバンがである。
切っ掛けはフィオルンと再会したら泣いたりしてというラインの軽い冗談からだった。ラインはすぐに「でもダンバンは強いし早々泣かないか」と笑って否定するつもりだったところをフィオルンから多分本当に泣くと言われてしまったのだ。
これには付き合いが長いシュルクとラインも驚きを隠せない。フィオルン曰く昔から涙もろいくせに他人に涙を見られるのは大嫌いなのだそうだ。
しかし考えてみれば感情的だからこそあの強さを持ち合わせているのだろう。己の感情の波が大きくなければ他人に寄り添ったり導いたり、時には叱咤して背中を押すなんてことは不可能だ。人情に厚い人物と考えれば涙もろいのは寧ろ納得である。
「さて、と。もう大丈夫そう。お兄ちゃんにも早く会いたいし」
「あ、待ってフィオルン。根本的な解決にはならないけれど、今日一日活動するくらいならこれで何とかなるかもしれないわ」
カルナが差し出したのは経口摂取用の回復エーテルシリンダーだった。ゾード戦の後にシュルクが飲まされたものと同じである。先ほどの会話の最中に簡易的にフィオルンの身に起こっている状態と可能性について共有はしておいた。カルナならば何かしら行動を起こしてくれると勝手に期待していた部分もある。その期待が見事に当たったので彼女には心底感謝だ。
「ほとんどは機械の身体になっているけど部分的にはホムスのままよね。少しは楽になると思う」
「いいの? こういうのって貴重なものじゃ……」
「こういう時にこそ使うべきものよ。目の前で辛い思いをしている人がいるのに放っておくなんて出来ないもの。シュルクも前に飲んだわよ」
無言のままフィオルンの瞳だけが動き、視線に込められた静かな圧がシュルクを射抜く。
「仕方なかったんだってば……。今は無茶する時はちゃんとカルナに事前に言ってるから倒れないし……」
「無茶はしてるのね」
「あっ」
墓穴を掘るな。
「まーまー、とりあえずカルナに甘えとけって。歩けなくなったら俺がかついでやるからさ」
「——重くなったよ、私」
「——筋肉ついたぜ、俺」
努めて明るい声でラインが返した。
元々幼馴染三人の中では飛び抜けて体格が良く、身長も巨神界の中では高い部類に入る。防衛隊でも何かと緩んでいた若手の中でも、鍛錬を欠かさず取り組んでいた貴重な人物でもある。しかしあくまでも普段のそれは訓練の域を出ない。この平和だった一年において、新人のラインは実際に戦場に立ったことはなかった。
そんな彼は訓練とは質も密度も桁違いの実戦をコロニー9を発ってからの短期間で、文字通り死に物狂いで駆け抜け乗り越えてきた。
ずっと近くにいたシュルクとは異なり、久しぶりにラインの姿を見るフィオルンには彼の体躯の違いは非常によく分かった。ライン自身の成長であり、何よりずっとシュルクを護り続けていた証拠でもある。テフラ洞窟へエーテルシリンダーを取りに行く時に交わした約束は今もずっと胸の内にある。傷一つ負わせない点は守れなかったけれど、シュルクが五体満足で心も壊すことなく生きているのは間違いなくラインのおかげなのだ。
「どっちかっつうと俺の方が護られてた気もするけどな」
「そんなことないよ! ラインがいなかったら僕……」
「その背中でよく言うぜ」
「うっ……」
墓穴二度目。
「でもいいんだ。俺は俺で自分のやること見つけたからな」
揃って首を傾げた。別に今のラインが頼りないなどとは誰も思っていない。新たに役目を見出さずとも彼が仲間の中で最も強固な防壁であることに何ら変わりはないのだ。
「シュルクがいくら強くなったって後ろに目玉がついてるわけじゃない。だったら俺がその背中を護る。護る盾なのにさ、シュルクにこんなでっかい傷負わせたら何も意味ないだろ。
——もうこんなことさせねえよ、絶対に」
「なんだかライン、知らない人みたい」
「何だよそれ! 結構決まったと思ったのによ!」
「もう、それ言わなきゃもっとかっこよかったのに。頼もしくなったって褒めてるの」
「そんなに頼りなかったのかよ、昔の俺……」
「そう後ろ向きに取らない!」
一拍。視線が宙でぶつかり二人同時に吹き出した。
「ちぇ、やっぱり敵わねえな。やっぱりフィオルンだ」
「ふふっ。さ、行きましょ。お兄ちゃんが泣くとこ見たいんでしょ?」
「——ああ!」
カルナのおかげでフィオルンも幾分か楽そうに歩いている。衛生兵であり、何より同性であるカルナがいてくれるおかげでちょっとした不調でも気軽に相談しやすいらしい。いくら幼馴染で、しかも特殊な状態と言えど身体の相談は異性のシュルクとラインには抵抗があるのだろう。その点は信頼などの問題とは別なので仕方ない。
強力なモンスターや機神兵とも鉢合わせなどはせず、かなり順調に先へと進んでこられた。そして第5動脈管区を通り、ちょうど機神の手首付近に到着した頃合い。不意にフィオルンが立ち止まりある音を捉えた。シュルク、ライン、カルナの耳には聞こえないほど低い音を彼女だけがはっきりと感知していた。機械化されたことで普通の人間では聞き取れない周波数の音を拾えるようになっているのだ。
周囲にいくつも、単なる生き物とも機神兵とも違う何かの音。全員腰を落とし警戒態勢を取り注意を張り巡らせる。
危険なもの? 敵襲? 否、そのどれでもない。
正面から現れた人型の何か——間違いなく人だ。肌や身に纏うものこそ金属質で機械的な印象を与えはするものの、顔は我々ホムスやハイエンターと大差ない造りをしている。意匠だって単に見慣れぬだけで未知の文化と言われれば十分に納得が出来る。
誰だとシュルク達が問うよりも、謎の人物達が敵ではないと示すよりも先に——
「助けてください!
***
機を逃してなるものかと叫んでからはあっという間だった。
血相を変えた見慣れぬ人達は顔を見合わせ、一人が慌てて道を引き返し他の二人は敵意は無いと言葉で伝えてくれた。勿論言葉だけで全てを信じるのは難しい。それでも彼らの本心からの心遣いは演技などではないと直感が訴えていた。巨神界から離れてしまった今、頼れるものがほとんどない状況下では恐ろしくとも目の前の存在を信じなくては始まらない。
彼らに案内されたのはドーム状になりかけ、もしくはドームの一部が崩落してしまったとも表せそうな壁にぐるりと囲まれた集落であった。その集落——マシーナの隠れ里に足を踏み入れたのは空が茜色に染まり出そうかという時間だった。
迎えてくれたのは外で我々を見つけてくれた人達と一人の女性だ。彼女こそが隠れ里の医師にあたるリナーダである。フィオルンは彼女のラボにて預かられることになった。全く見知らぬ人しかいないのではフィオルンも不安であろうし、この中でホムスの医療に最も詳しいこともありカルナも同行する。
リナーダから連絡が来るまで男二人は里を見て回って良いとのお達しを受けた。フィオルンの方はすぐに終わりそうにもない。カルナも一緒に行ってくれたし、そもそも医師に預けたのだから酷いことをされるわけではない。不安で早打つ胸を右手でそっと押さえ、少しでも気が紛れればという気持ちでとりあえず散策をすることに決めた。
里は入り江となった場所を利用して出来ていた。水面から少しだけ離して住居が建てられてはいるものの、未だ里の半分は水で覆われたままだ。人口としてはそこまで多くないのだろう。
「……人、なんだよな?」
里に住む見慣れぬ人の姿をちらちらと見やりながらラインが控えめな声で問うてきた。人型であるし言葉を使っての意思疎通も出来ているから、少なくとも巨神界のホムスなどに相当する知的生命体なのは間違いない。
「人だと思う。僕らはこの間までハイエンターだって会ったことがなかったんだ。ホムスが存在を知らない人間……この場合は人種かな。そんな人達がいたっておかしい話じゃないよね」
「確かにそうか……。
「大体同じ意見。ここはあくまでも機神界だから、そこに住んでる人と仮定した時に機神兵について
勿論嘘である。確信を持って助けを求めた。フィオルンの体調からして敢えて放置する利点は全くない。
「二人とも人って言うなら多分そうなんだろうな。反応的に賭けには勝ったっぽいし、一応上手くはいったかぁ」
里の者はシュルク達とは逆にホムスの存在に特段驚きはしていないように見える。寧ろ見慣れぬ生命体を前にして戸惑う此方を気遣っているようだ。此方が何かを訪ねれば丁寧に答えてくれるし、逆に余程困ってでもいない限りは
散策中に意外な出会いがあった。ホムスがこの里にいたのだ。五本の指で数えられるくらいにはごく少数だが確かにホムスだ。
話を聞くと一年前の大剣の渓谷での戦いの最中に大剣から落下してしまったそうだ。里にいるホムスは本当に運が良かったとしか言えず、落下した者自体はそこそこいただろうが命を落としてしまったのがほとんどであった。あの高さであるから無理もない。
その幸運な者達は更なる幸運に恵まれこの里の者に拾われて連れてこられた。初めはシュルク達のように見慣れぬ人々に恐れを抱き警戒もしていた。しかし今となっては随分と失礼な態度を向けてしまったとその男性は笑い飛ばした。
「ここの人達は本当にいい奴らだよ。見ず知らず、その上別の世界の人間にも親切にしてくれてる。安心しな、単なる兵器でしかない機神兵とは全然違う」
同族からこの言葉を聞けたのは非常に有難かった。シュルクもラインも知らず知らずのうちに力を入れていた肩が緩む。
「あの、ここの人達って初めて見る姿で僕ら何も知らないんです。どういった人なんですか?」
「懐かしいなぁ、一年前の俺もそんな感じだった。
なぁに単純な話だ。俺達は巨神界の人間、ここの人達は機神界の人間。
それ以降も里の者に話を聞いてみたり、壁に沿った通路を歩いてとりあえず一周してみたりと時間を潰しているとリナーダの遣いである機神界人の男性に呼ばれた。急ぎ里の中央にあるジャンクスと呼ばれる建物に入る。
二階がリナーダのラボになっておりフィオルンはその中央の寝台で横になっていた。
「どうだった? 少しくらいは信用してもらえたかしら」
「はい。まさかホムスもいるなんて思いませんでした。ここの皆さんは親切な人達ばかりだって聞けて安心できました」
「それはなによりね。——じゃあ彼女の容体について説明するわ」
結論から言うとこの状態で隠れ里まで辿り着けたこと自体が奇跡に近い。生身のホムスで例えるならば主要な器官を物理的に欠いた状態である。
驚き、怒り、悲しみ。シュルク達から零れた悲鳴にもならない小さな息には密度が高い感情群が詰め込まれていた。
「
顔付きに組み込まれる人間は単なる操縦者ではない。血液が機体とも循環する造りになっており、比喩でも何でもなく本当に部品として扱われていたのだ。つまり顔付きに共通して見られた赤い光の線こそが血液だったのだろう。だから搭乗者本体のみならず外装も人間だとモナドに判断され、枷の外されていない状態では断つのが不可能であった。
「免疫系の機能は機神兵の方で司る構造になっていたんだと思う。彼女、顔付きに乗っている間は元気だったんじゃなくて?」
「はい。……ここに来るまでに少しだけ考えてはいたんです。急に具合が悪くなったから機体の方に何かあるかもしれないって」
「鋭いわね。繰り返すけれど、その情報をすぐに伝えてくれて感謝しているわ」
顔付きの機神兵が作り出された理由は既に知っている。モナドが何よりの脅威であった機神界盟主はそれに抗する為に単なる機械ではないものを生み出す手段を取った。
理屈は分かる。戦略として考えつくのも理解できる。だが気持ちとしてこの仕組みを受け入れられるかは全く別だ。殺された人が人ではなく部品として蘇らされた挙句、意思はあるのに人としての生活も許されないなど憤激と表してもまだ足りない。
でも、違う。怒りに身を委ねるのは愚かだと散々学んできた。人道を外れ、真に求めるものを感情の霧で覆い隠す愚行はもう繰り返したくない。
すべきことは感情に任せて怒り狂うことではない。目の前には横になってただ呼吸をするしか出来ないフィオルンがいる。彼女の為だと言いながら彼女を放置してエギルを
現実を見る。武器を取るよりも先にこの手をフィオルンに伸ばす。何も持たぬ手だからこそ彼女の手を握れる。
幾度もの奇跡を重ねて帰ってきた彼女に苦しまずに、真っ直ぐ笑ってもらうのが何より大切ではないか。
「……なあ。フィオルン、治るんだよな? あんたなら治せるんだよな?」
「私からもお願い。なんとか治してあげて」
怒りを耐えたのはシュルクだけではない。ラインとカルナも同じだった。
リナーダは二人の懇願に間髪入れずに強く頷いた。機神界人の医師としてもこの方法は許せるものではなかった。人から人として生きていく術を奪い取り、単なる機械の部品として扱うのは命そのものへの侮辱だと。
但し手放しで喜べもしないとリナーダは一つだけ忠告をした。
「確かにここの技術ならすぐに彼女を動けるように出来る。でもそれは機械の身体で生きていけるようにするだけのことよ。ホムスの——生身の身体に戻れるわけじゃない。彼女の身体そのものはこのまま——」
「……構いません」
リナーダの言葉を遮ったのはフィオルンだった。呼吸も静かで胸も規則的に上下していたからてっきり眠っているものだと皆が思い込んでいた。
声ははっきりとしているが彼女の眉は苦しげに歪んだままだ。きっと話すことだって酷く辛いはずなのに、それでも彼女は自分自身で想いを伝えようと力を振り絞っていた。
「私、シュルクの足手纏いになりたくない」
「そんなことないよ! 生きてくれてるだけでもう十分だよ。僕も、ラインも、ダンバンさんだって——ううん、みんな足手纏いだなんて思わないよ……!」
「私が嫌なの。……さっき言ってくれたでしょ?」
ふわりと、温かい木漏れ日のように彼女は笑った。
「私と一緒にいてくれるって。私がこのままだったらシュルクもずっとここにいなきゃいけない。そんなの絶対に嫌。コロニー9に帰るとしても、全部を捨ててどこかに行くにしても私が動けなきゃ何も出来ないよ」
瞼を閉じ、再び開けられた瞳には断固たる決意が灯されていた。
「機械の身体でいい。ここで動けなかったらそれこそ死んでるのと何にも変わらない。だから……生きるよ。
お願いします、リナーダさん。私をシュルクの横で戦えるようにしてください」
「任せなさい。そういうことなら私も力になれる。——貴方のその生きたいという意志が何より大切よ、忘れないで」
「はい……! ありがとうございます!」
リナーダはこれから一晩かけて免疫系の循環システムをフィオルンに組み込む作業に取り掛かる。順調にいけば明日の朝には完了する見込みだ。
カルナは引き続きラボのあるジャンクスに滞在する。作業などを手伝いはしないが医療面での情報を共有する為に彼女がいてくれるとリナーダも助かるそうだ。勿論既に夜も遅い為基本的にはカルナには眠って休んでもらうことになる。
「あの、僕も一緒に……」
「気持ちだけで十分よ。貴方も疲れ切った顔をしているわ。フィオルンが目覚めた時に逆に心配をかけちゃうでしょ? シュルクもラインも今日はもう休みなさい。二人が休める場所は手配しておいたから安心して」
ハイネックなパーツで隠れがちなリナーダの薄紫の唇が覗く。医師として凛とした態度で患者と向き合う姿から少々厳しそうな印象をつい抱いていた。それがすぐに融解するほどに優しく、思いやりを感じさせるような弧を描いて静かに笑っていた。
「そう、ですね……。すみません、フィオルンのこと宜しくお願いします」
去り際、ちらりとフィオルンを見れば彼女は安心しきった顔で微笑んだ。
「シュルク。いつになるか分からないけど、また公園行こうね」
「……うん。僕、元気になるまで待ってるから」
「それはこっちの台詞。リナーダさんの言ってた通り顔色悪いわよ? シュルクの方こそしっかり休んでよね」
「う……。これからちゃんと寝るから大丈夫だよ」
「安心しろってフィオルン。俺が見張ってるからさ。添い寝でもなんでもしてやるぜ!」
「気持ち悪いこと言わないでよ! それになんで親みたいなこと言うんだよ、同い年だろ!」
「いや~シュルクだって小さい頃はダンバンにしてもらってただろ。代わりだよ、代わり」
「僕のこといくつだと思ってるのさ!」
「シュルクは結構子どもっぽいところあるんだから。ライン、お願いね」
「おう!」
「フィオルンまで……」
三人もカルナも、リナーダも笑った。夜の闇の中で先の見えない道の