素人目で見ても機神胎内は今も稼働しているのは明白である。魂であるメイナスも存命の為全ての機能が停止しているわけではない。機神は確かに生きている。あと何故か胎内は明るいので照明の類いは常に機能している。それらしいのは見えないが。どこにあるのだろう、照明。
照明はさておき、胎内が今も稼働していても機神界人が機神本体から姿を消してから数千年は経過している。人がいなくなってしまった地は意図せずともそれに適応した環境になっていくものだ。各層へと繋がるリフトはどの主電源も落ちてしまっていた。時には操作パネル周りが老朽化で一部腐食してしまっていたり、物理的にプラグの接続が外れてしまっていたりもした。
知識のない者ではその時点でお手上げであっただろうが、我々には大変心強い味方である機神がついている。更に機械には滅法強いシュルクまでいるときたものだ。必要な物や手順などはメイナスに指示してもらい、部品はこの場で調達する形式を取る。今に限っては無人の機神界フィールドを自動で警備している機神兵の存在が役に立った。遠慮も容赦もなく奴らを叩いて沈黙させ綺麗な各パーツを部品として取り出した。無論利用したい箇所への攻撃は避けてだ。
時間はそれなりにかかってしまうものの作業に詰まりはしなかった。着実にリフトや各設備の再起動を果たし、まずは機神大隔壁から一度外へ出ることを目標としながら進んでいく。シュルク達にとっては帝都への道を開く行為そのものであり、メイナスにとっては身体としての大地が再び本格的に稼働すること自体が完全な復活へのプロセスにもなっている。両者にとって確かな利益がある行動であったのは何とも嬉しいものだ。
機神胎内には陽の光が入ってこない。果たして何日ほどかけて大隔壁制御室に辿り着いたのか。一週間は流石に誇張しすぎだと思うが二日や三日ではないのも確かだ。いくら胎内が一定の明度を保っていると言えども、ようやく開かれた大隔壁から入り込んできた久しぶりの陽の光にはいたく感動したものだ。
外部へと向かう自動コンベアに乗って外へと出る。我々を出迎えたのは青空と薄雲、そしてその向こうにある巨神だ。
「おっきいも~。サイハテ村、見えるも?」
「マクナ原生林は巨神の背中だ。ここからでは生憎見えぬな」
「も~……」
「こうして巨神を見るのって初めてだよね。僕達は巨神に住んでるから、普通に生活してたら絶対に巨神の姿が見えないって考えると少し不思議な気分だ」
「そういやそうだな。なんか巨神の膝から機神を見たの思い出すなぁ。絶対許さないって思ってたのに機神自体は結構優しい人……人じゃねえや、神様か。まさかこうして機神界に来るなんて考えもしなかったぜ」
「ちょうどここも機神の膝くらいなんだって。シュルクとラインはちょうどその時の反対側にいるってことね」
「コロニー6はちょーっと見にくいかしら。股のあたりだから少し遠いわね。みんな元気ならいいんだけど……。ジュジュにも見せてあげたいわ」
「平和になってから来ていたらいい観光になっただろうな。今はどうしても手放しでは楽しめんが、それでもいい眺めだ」
「全部終わったらリキの家族もつれてみんなでまた来るも! 人いっぱい来たらメイナスも楽しいも! メリアちゃんのにーちゃんとかオトモのトリの人も誘っちゃうも!」
「ふふ、それは楽しそうだな」
幸せだと思った。機神兵の殺戮やエギルの行いは許せなくとも、機神界や他大勢の機神界人を憎むのではなく隣人として共に歩む未来を語る皆の言葉を聞けることが、ただ純粋に。
だから俺はこの幸せに報いねばならない。これ以上の命の犠牲を出してはならない。たとえそれが神であるメイナスであってもだ。命と世界を子——人のものであると言ってくれた彼女も笑って、生きていてほしい。心優しき機神界人達が再び愛する神と本来の大地の上で過ごしてほしい。
胎内を出た我々は次いで機神の外部を伝ってひたすら上へ向かった。膝付近であった隔壁から随分と登ってきたようで今は腿の辺りにいる。ここで機械化されたフィオルンよりも生身の六人の方が先に限界を迎えた。ダンバンは経験の差もありまだまだ行動出来るが他は随分と息も荒い。運良く野営に適した空間が見つかったので今日はここで一晩を明かすことになった。
意外であったのはフィオルンの体調が崩れていないことだ。調整してくれたリナーダの腕は確かなものだが、慣れない機械の身体ではフィオルンの負担はどうしたって大きくなる。その割に彼女は何か不調を隠す様子などもなく血色の良い顔でダンバンと会話を楽しんでいる。
「本当に大丈夫なのか? 俺が言うのも何だが無理して隠すもんじゃないぞ」
「もう、本当にお兄ちゃんが言えたことじゃないんだから。——でも大丈夫。嘘なんかじゃないよ」
聞けばメイナスがかなり配慮してくれていたようだ。機械の身体としての動かし方などを含め、歩いている間に二人の内で非常に多いやりとりを既に済ませていた。体力的な面に関してもメイナスがエネルギー出力を調整してくれたおかげで、感覚的には一般的な機神界人の身体と同程度の体力に合わせているのだそうだ。巨神界の人間からするとそれでもかなり高い基準だが、想定より早い目覚めのおかげでフィオルンに要らない負担がないのはとても有難い。彼女が不調に陥らない方が良いに決まっている。
但しエネルギーの調整という表現からも分かるように、今のフィオルンはエネルギーを外付けのデバイスから得ている。それが失われてしまえば途端に彼女の活動時間——端的に言えば寿命は恐ろしいほどに縮まってしまう。そのデバイスがどのパーツに当たるかはフィオルンでも分からない。というよりメイナスが敢えて秘密にしている。命の最重要事項であるから知る人は少ない方が良いとの判断であり全くその通りだ。
メリアとリキは二人で談笑しているようだ。聞こえてくる言葉から察するに、この戦いが終わったら本当に機神界観光に来るつもりらしい。メリアは公務で一層忙しくなるだろうから予定の調整もリキは本気で考えている。彼女の場合、観光ではなく視察の形になってしまう未来が見える気もするが今は考えないでおこう。
シュルクとライン、カルナは武器のメンテナンスの最中である。モナドは調整が要らない神与の武具であるから、シュルクは主にラインとカルナの手伝いだ。照準のブレや関節部分の小さな軋みなども時間の許す限り修正していく。
重要な話は出てこなさそうだと判断し、俺は一人で今後のことを思案している。旅に出てから何度も一人で最良の手を見つけようと考えてきた。成功も失敗も両方を経験し、時には周囲に打ち明けて更に良い結果を求めてみたり。今考えていることだって本当は多くの者から意見を募るべきなのだろう。それでもこれだけは俺一人でどうにかするしかないのだ。ガド、エギルが死なずメイナスも消失しない、純血のハイエンターがテレシア化しない——シュルクが撃たれない世界線に進むには自惚れでもなんでもなく、世界の外部から紛れ込んだ俺にしか出来ない。
いよいよその分岐点は視認できる範囲どころか指先に触れつつある。たった一発の銃弾を防げるかどうかで二つの世界の運命は変わってくる。
だからこそしばらくは意図的に大人しくしておきたい。シュルクとの意思疎通を行わないのではなく、肉体の主導権を握る回数をこれまでより減らす。内に宿る巨神に対し、奴の視点で"どうやらこいつは重要な点で何もしてこない。もしくは分岐点を見逃している"とぎりぎりまで思わせておきたい。シュルクが行動する方が良い結果をもたらすだとか、信頼しているからこそ表には出てこないと勘違いさせられれば上出来だ。
日常的な会話でラインやダンバンから呼ばれればそれには応じる。だがこの先それ以外は表に出ないつもりだ。出るのはただ一点、エギルに手を差し伸べる瞬間。その直前まで巨神が行動制御などしたりといった兆候がないかの警戒は怠らないようにしなければ。
『……エイル、起きてる?』
『起きているが……どうした?』
『いや、別に大したことじゃないんだ。なんか寝てるみたいに静かでちょっとだけ変だなって思っただけ』
『考え事をしていたんだが——。集中しすぎていたのかもしれないな』
『そっか。ならいいんだ。邪魔しちゃってごめんね』
珍しいこともあるものだ。
意思、思考の深いところは共有されない。俗っぽく言うなら精神面でも互いのプライバシーは守られている。性的興奮などが伝わっていたら居た堪れない。言い訳ではないが今のところ互いに第三者に対しそもそもそんな感情さえ抱いたことがない。本当だ。
それでも常時俺達は互いが何をしているのか、どんな感情を抱いているのかは薄らといえど感じ合える。今回ならばエイルが黙っていても何やら考え事をしていると特に深く意識せずともシュルクは知覚が出来たはずだ。それがシュルクには伝わっていなかったとは随分と深く考え込んでしまっていたらしい。思考を隠そうとした動きが繋がりを遮る壁にでもなってしまったのかもしれない。
不公平だとは思っている。シュルクの心の奥底にこびりついたものまで見ておきながら、俺は未だ彼に全てを曝け出していない。それなのに何か隠しているのならば理由があるからだと信じてくれてさえいる。
甘えに寄りかかっているだけ。故に薄氷の支えをシュルクの手で壊されてしまう瞬間は一秒先に訪れるかもしれない。相棒と呼んでくれたのにと罵られ、喚かれて、泣かれてしまうかもしれない。
後ろめたいのだ。隠し事をし続けている己が、今でも。
あと少しだけでいい。必ず、絶対に話すから、だからまだ俺を、見捨てないでくれ。
交代で数時間程度の睡眠を取った後に再出発となった。メイナスの案内によれば隔壁の上層から再び機神内部を進む予定になるらしい。フィオルンを先頭にし、
出発した直後のことだ。何の予兆もなくダンバンが振り返った。左手の指先は刀の柄に触れるか触れないかの辺りで静止している。
「ダンバンさん?」
「も? ダンバン、何か見つけたも?」
それに気付いたのはシュルクとリキの二名のみだ。リキは偶然近くを歩いていたが、シュルクがダンバンのすぐ前にいたのは俺がそう指示したからである。ガラハド要塞同様背後からの不意打ちに備えようとそれらしい理由をつけてここにいてもらっている。
「いや——何でもない。気のせいだったようだ」
真の狙いは当然ダンバンのこの反応そのものだ。緑の顔付きがこの世界線でも存在するならば既に行動を開始していなければならない。長距離射撃を得意とする緑が最初にシュルク達を捉えるのはこの地点だ。そして仮にスナイパーに狙われていようともその殺気を察知できるダンバンが彼の存在を逃すはずはない。
読みは的中した。機神兵が回収しエギルの
緑の顔付きの搭乗者——ガドは生きている。確証が得られただけで万々歳だ。なれば次の目標は単純明快、ガドの解放及び存命だ。
それにしても数百メートルどころかキロにも届きそうな距離の殺気を感知できるのは普通に考えておかしい。敬意を込めたものであり、全くもって貶したりする意図はないと前置きをしておくが言わせてほしい。化け物か。
機神大隔壁上部連絡橋からまた機神の胎内だ。特筆すべきところはない。各機能や電源の再起動を繰り返して上へ上へと進んでいく。
移動と巡回する警備機神兵の戦闘の繰り返しで会話や協力の機会が非常に多い。おかげでフィオルンもすっかり新たな仲間達と親しくなれたようだ。特にメリアとはマシーナの隠れ里で友人として踏み出したばかりであるにもかかわらず随分仲が深まっているように見える。思えばメリアに限らず、フィオルンもコロニー9でとても仲の良い同性同年代の友人は意外と少なかった。持ち前の明るさと社交的な性格から知り合いや友人自体は多いが、こんな世界である以上別れもまた頻繁に経験している。種族だとか恋だとか関係なく、見ている立場からでも二人がいずれ一生ものの親友になれると自然に思えるのが嬉しい。
左大腿骨高速リフトで更に上へ向かう。長いリフトの終着点は第1セブライ隔壁だ。七か八階建ての建築物と同等、下手をしたらそれよりもあるかもしれない巨大な隔壁は人感センサーでもあるのか、リフトから降りて近づくのに合わせ轟音を立てて開いていく。長い長い一本道の先に次の隔壁が見えるものの隔壁の大きさはこの第1と同じものだろう。それがまだまだ視界の半分にも満たないとなると、このセブライの道は相当な長さになる。
「リキ疲れたも~。おなかぐーぐーだも」
リキの発言を皮切りに他の面々も疲労を訴え出した。こういった時に意識して口火を切ってくれるリキにはいつも感謝している。性格上弱音を吐きたがらないメリアなどは特にそうだ。能天気なように見えてその実誰よりも皆の様子をしっかりと見ているのはリキだったりする。
「どこか安全な場所を見つけて一休みしよう……と言いたいがこの通路は外から丸見えだな。せめてあの隔壁から中に入ってからにするとしよう。フィオルンとメリアももう少しだけ頑張れるか?」
「うん。私は調子いいから問題なし」
「私も平気だ。この程度なら大した負担ではない」
「俺も腹減って来たなー。さっさと抜けて一休みしようぜ——」
「伏せて!!」
爆炎。
前方十メートルほどを真っ赤に覆い尽くす炎とそれより放たれた爆炎と衝撃が襲い掛かる。シュルクの叫びで一瞬ながらも意識を切り替えるスイッチが傾いたおかげか直接の被弾はない。得物を引き抜くと同時に周囲三百六十度に全神経を張り巡らせる。攻撃をしてくるのならば機神兵しかいないだろうが姿は見当たらない。
「
「いや——」
未来視は見ていない。シュルクもエイルも同じだ。ただ直感的に攻撃が来ると察知した、としか言いようがない。似た現象は実は過去に一度経験している。ヴァラク雪山でメイナスとの待ち合わせ場所に到着した際、黒い顔付きが不意打ち気味に現れた時のことだ。あの時は未来視を確認し行動を判断するまでの一瞬さえも命取りになるから、未来視そのものを省略して対象者に第六感的な感覚で伝えてきたものだと後々に思った。
今回も同じだと考えたかったのだが一点だけ違いがある。
シュルクが未来視さえ見ることなく近い未来を予知するようになるのはおおよそ今くらいからだと記憶している。理由は何だっただろうか。シュルクの意思、意志が強くなっているのは間違いない。意思に応じて出力を上げるのがモナドであり未来視にも深く関わる——関わるどころかエーテルとその集合体である未来の予測結果を視覚化する武具だ。
理由としては十分だろう。人並外れた意思は既存の神具に頼らず己のモナドを媒体として未来を見る力を得るまでに至る。そして最終的に意思の光という輪郭を持たない抽象的な概念を現実に物質として召喚し、次の世界を創生する神となるのだから。
——本当にそれだけか?
まだ、まだあったはずだ。今となってはもうしないと決めた視点ではあるが、かつてこの世界を物語として観測した時に何かしらの答えを出していた。それだけは間違いない。何かしらの要因があって未来視を超えた予知をしていたのだと納得した記憶は確かにある。
なのに肝心の答えが思い出せない。二年もこの世界にいるから記憶が薄れてきたのか? それはそれで変ではないか。機神界人の存在もエギルの本当の目的も緑の顔付きがここで現れるのも巨神の真名も機神の真名も元となった人間の存在もアルヴィースの正体さえも、そもそもこの世界の成り立ちだって覚えている。何故そこだけ思い出せない。些細なことだと無意識に判断して捨て去ったとでも言うのか。どう見ても重要なことであるというのにか。
ならば今から改めて答えを探せばいいだけだ。答えは手中にある情報を繋ぎ合わせれば必ず導き出せる。神剣モナドと使い手、未来視、未来を変えたい意思、絶望を破壊する為に産み落とされた
——繋がらない。どうしてだ。配線は見えている。これとこれを接続して電流さえ流してしまえば答えは輝くはずなのに。
結び合わせてスイッチを押す瞬間に配線が切れる。配線を再び繋ぎ合わせて戻ってくるとスイッチはオフになっている。明らかに誰かが、何者かが切断している。俺の目が離れた瞬間に見えざる手が邪魔をしているとしか思えない。
「ガド! ガドなんでしょ!? お願い答えて! 姿を見せて!!」
意識が現実に引き戻される。目の前には膝を突いた新型の顔付きの機神兵——緑の顔付きがいる。いつの間にか彼からの砲撃を掻い潜り、長いセブライの道を走り抜けてきたらしい。
カルナの懇願に応じたのか、それともただ命令に従っただけなのか。顔付きのうなじから現れたベリーショートの金髪の男は鋭い目つきで此方を見下ろす。彼こそカルナの婚約者であるガドその人だ。たとえ機械化されてしまっていても生きていてくれた、やっと会えたと顔を覆うカルナを見ても彼は動かない。それどころか恋人には目もくれず、ゆっくりと左の手を持ち上げたまま彼女の後ろを見てこう言い放ったのだ。
「モナドは破壊する。それがエギル様の望み」
信じられない、信じたくない言葉だった。混乱が場に広がっていく。まさかムムカと同じように自らの意思でエギルに従っているのか。何より大切であるはずのカルナを捨て去るほどの真実を知ったとでも言うのか。
少し冷静になれば自信を持って否定できる。誰よりもガドを知るカルナであればなおさらだ。しかし恋人との再会とあり得ない言葉を同時に与えられた彼女の脳は混乱で酷く熱を帯びてしまっている。理性が溶け切ってしまった頭は理由を聞かせてほしいとしか指示を出せなかった。
「この世界は歪んでいる。歪みの元を断ち、本来在るべき姿に昇華させるのが
故に、今ここで断ち切る。歪みを、モナドを。
振り上げられた右腕に連動し顔付きに青いエーテルが集約されていく。今のガドにはカルナの声は届かない。涙の混ざる悲鳴でやめてと泣き叫ぼうとも振り下ろされる右腕も、放たれた膨大なエネルギーも止まらない。
現実を受け入れられないカルナを庇うようにラインが腕を伸ばす。押し倒されていてもカルナの瞳はガドのみを見つめていた。どんな姿に成り果てていても、知らぬ思想を有していても目の前にいるのは愛する人以外の何物でもなかったから。
とても回避できるものではないと判断したシュルクが微かに目を細めて念じる。モナドを振る動作さえなく眼前に"
真っ白に染まり切った視界の中で、後ろからほんの僅かだけ紅い魂の光が映り込んでいた。