いつしか異物は喀血となる   作:坂野

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赤紫(クラレット)の涙は碧海に還る

 緑のフェイスの胸部で青白い光が弾ける。小さな火花を発しつつ装甲が開かれ、ガドの身体が機体から吐き出された。それが意味するものを誰よりも早く悟ったカルナは一目散に駆け寄り、力なく地面に倒れたままのガドの身を抱きかかえる。

 彼女の目尻には透明な雫が滲んでいた。心配と安堵と、ひたすらに真っ直ぐな愛情が詰まった雫が頬を伝い、ガドの左手がそれを拭う。消耗した身体をぎこちなく動かしながら彼は笑った。生きて叶った再会は泣くのではなく笑うのだと言われてカルナは頷いて笑い、でもやはり堪えきれずに大粒の涙を零してより強く恋人の身を掻き抱いた。

 ガドの右腕もまだ十分な力は入らずともカルナの背中に回された。二度とどこにも行かない、決して離すまいと優しく抱きしめていた。

 言葉で結果を聞くまでもない。二人の再会の抱擁が何よりの答えだ。

 

「メイナ、ス、って、言った……よねぇ……」

 慌てて鎖を握り込んだ。急ぎ意識をシュルクに固定——というよりカルナとガドから引き剥がす。モナドごと鎖を引けばサリゴは抵抗する様子も見せずに"攻(レイジ)"の力に従った。今の内にと目配せをしてラインとダンバンにカルナ達を紫から引き離すよう頼む。

「いいや……ゲロカスに答え、期待……する方が、間違ってるもんね……。アハ、はっ……なつかし……。あの赤いの、久々に見たな……」

 だらりとぶら下がった紫のフェイスの両腕はもう動きそうにない。腕に限らず脚部も頭部も、そしてサリゴ自身がいるであろう胴体も見るも無残な状態だった。

 機神界人である彼女ならば、フィオルンやガドとは違ってフェイスから降りても身体に影響は出ないはずだ。今にも壊れそうなフェイスに乗り続けるよりも降りた方が安全であるし、まだ戦い続けるにしても彼女ほどの実力であれば搭乗時と変わりない実力が引き出せるだろう。俺ですら推測が立てられるのだから、搭乗する彼女自身がこの考えに至っていないわけがない。

 それでも彼女は機体から降りてこない。

「サリゴ……もうやめましょう。人を傷つけ世界を否定し笑っていても、その行為で何より傷つき否定されてるのは貴方自身ではないですか。

 今でも里の者は貴方を待っています。貴方は今でも愛されているのですよ。……かつての貴方ならそのことを理解し、当然だと思い上がることなど一度としてなく与えられる愛に感謝し、それ以上の愛を貴方から周りに与えていたではないですか。

 貴方が愛する人々はまだ生きているのです」

 シュルクの右隣に並び立ったメイナスの声は震えていた。恐れか悲しみか。やっと機神の魂と依代として向かい合えた二人の間にはカルナとガドのとはまるで異なり、再会の喜びなど砂の一粒も存在しない。

「えらっそお~……。愛する人がまだ生きてるゥ……? あっはは、慈愛の女神ってマヌケ~……。慈愛とか抜かしてても、やっぱりお前も神サマってことか……。神って、人の気持ちなんて分かんないもんね……。アハ、お前の依代、してたの……恥ずかし。

 あ~あ……。白のアンタがメイナスなら、あの時に壊しとくんだったな、ァ……。なぁにィ……? アタシの時と違って、依代の自我乗っ取ったの……? おもしろ……。巨神と同じことしてんだ。やっぱり神ってクソだな……」

「違う! メイナスは私のことをいつも気にかけてくれてる! ううん、私だけじゃない。全ての人と生命を彼女は愛している。貴方も知ってるはずでしょ!?」

「な~んだ……ゲロカスの方も意識あんだ……。つまんな」

 一歩、また一歩と紫の脚が悲鳴を上げながら近づいてくる。歯茎がぞわぞわするような不快な金属の擦れが直接脳を鷲掴(わしづか)む。

 紫が予測できない動きをしようともフィオルンは護らねばならない。柄を握る手に力を入れ直し、防御アーツをすぐに発動できるように意識を集中させる。今や彼女の拳と蹴りは"鎧(アーマー)"一枚であれば易々と砕いてくる。モナドアーツだろうと何も考えずに全幅の信頼を置いていては簡単に殺されてしまう。

「本ッ当に、馬鹿なんだねぇ……。ゲロカスのホムスが二人並んで、モナド持って、メイナスいて……。ぜ~んぶ殺せるチャンスじゃん……」

 ——動く!

 紫が駆けだすよりも先、モナドのエーテルラインが巡りだすよりも先に動いたのは——未来視(ビジョン)だった。

 急加速しようと駆けた瞬間、紫のフェイスは遂に限界を迎える。各関節部の崩壊と爆発に巻き込まれてようやくサリゴ自身が機体から放り出される。偶然か必然か、落ちゆく先は自らが穿(うが)ったあの穴だった。

 酷く既視感のある流れだった。要塞の手前で落ちていった黒を思い出さざるを得ないほどに。

 どんな悪人であっても俺達に見殺しにして良い権利はない。命の行き先は人が一人で決めて良いものではない。死という終わりだけは見たくない。それは彼女であっても変わらない。

 故にシュルクに判断を聞くまでもない。未来視の終わりを待たずして二人の意識が同時に紫に向かって左手を伸ばす。

 紫の崩壊の衝撃は思いの外強かった。後ろにいたフィオルンを軽く吹き飛ばしてしまうくらいには。幸いだったのは飛ばされた先が他の仲間達が身を寄せていたところで、彼女は無事に受け止められたことだ。

 フィオルンの無事を確信出来たからその他は全て無視できた。顔のすぐ近くで感じた熱も、爆発で飛んできた細かな破片が頭部を掠めた痛みも。自分が受ける痛みなど安いものだ。少し痛くて泣くのとまた目の前で命が消えるのを天秤にかけるまでもなかった。 

 シュルクの左手はサリゴの左手首を掴んでいた。既に彼女の身は宙にぶら下がっており、シュルクもうつぶせで辛うじて踏ん張っている状態だ。左腕だけが穴の内側に投げ出されて、大した強さもない握力で必死に耐えている。手も肩も外れてしまいそうに痛むけれど、それでもやはり離すつもりは微塵も無かった。

「……なせ、はなせ離せ離せ離せ離せ離せ離せ!! 汚い手でアタシに触るなぁあああああ!!」

「暴れない、でっ!! 引き上げられない!!」

「頼んでないだろうがッ!! テメェのわがままで人を助けて満足とかふざけんじゃねえよ!! 自己中!! 偽善者!!

 死ねたのにっ……あのまま、落ちて、やっと……やっと死んでいいって、言われたと思ったのに……会いに逝けるって思ったのに……!! 人の最後の願いまで奪うとか何様だよカスがぁぁあああ!!」

 情報記録センターの映像にはまだ幼い彼女の姿しか残されていなかった。今泣き喚く彼女は確かにその面影を強く残している。少女の時の可愛らしさを失うことなく第二次性徴を終えた一人の女性が、左手の先でまだ生きている。

 一点だけ、身体中に刻まれた無数の傷痕だけは見る者の心までをも抉った。すらりとした身体も、可愛らしく整った顔にも、無傷でないところを探すのが難しいほどに。神話の戦いが終わった時から、疾(と)うに身体はその状態を維持するだけで精一杯だったのかもしれない。

「死んだらもう進めないんだ! 貴方も僕らと同じで外からの大きな力で沢山のものを失った! 簡単な話じゃないけど、同じような悲しみを知ってるなら、手を取り合えなくても、上げた手を下ろすことは出来るはずだ!!

 貴方が巨神のせいで癒えない傷を負ったなら、モナドの後継者として傷の分だけ僕が謝る! それでっ……もしも、本当にもしも、貴方が少しでも大昔に巨神界と交流していた時の気持ちを思い出せたら!! これからまたその未来を作っていこうよ!! 巨神界と機神界がまた手を取り合って生きていく世界を、もう一度貴方に見せたいんだ!! ミゴールさんだって、貴方の罪を一緒に償おうって言ってくれたんだよ!!」

「甘……ったれてくッさいこと言ってんじゃねえぞガキがよォオオオオ!! んな未来なんて来るわけねェだろうが!! こんなクソみてぇな神が二つもいる世界でそんなことが実現出来るわきゃねぇだらぁああぁあああ!!」

「メイナスは今でも貴方を!!」

「クソ機神がいたからゲロカス巨神が手ェ出してきたんだよ!! クソさえいなきゃゲロカスが殴ってくることも無かったって分かんねえんだなゲロ脳みそ!! 巨神も要らない!! 機神も要らない!! 神が殴り合ってるのにアタシら神の垢やら鼻クソやらフケの人間が仲良くなんて笑い話にもならねぇよキャハハハハハハアハハハハハ!!」

 気付けばどこから取り出したのか、サリゴの右手には小さなナイフが握られていた。

「待って!! 早まらないで!!」

「ほらァ!! 自分の想像を勝手に押し付けてくるゲロカス思考!! 誰がアタシの首切るって言ったよォ!?」

 刃先がゆっくりと肌に押し付けられる。

 ひやりとした感触が、シュルクの、手首に。

「テメェの手首ごと持ってくに決まってんだろうが!! ほらァ!! 離してアタシを死なせなよ!! どっちみちアタシは死ぬんだからアタシが嬉しがる方にしたらどうお? ゲロ偽善者ァ!!」

「いや……だっ……! それでも、貴方を僕から見殺しになんて……したくない……っ!! 貴方もザンザの被害者だ!! 憎しみだけ残して逝かせたくない!!」

「なら言ってみろよ!! テメェは何に対して謝んだよ!!」

「巨神が……僕らの住む大地と神が、一方的にモナドを貴方達に向けたこと、そのモナドで機神界人が大勢死んでしまったこと……っ! 生き残った人達の心にも消えない傷を負わせたことも、貴方を人でありながら神であるメイナスと一緒に、身体が壊れる限界まで戦わせてしまったことも! エギルにも貴方にも、殺人の罪を犯させていることも!!」

「足りねェなァアア!! 本ッ当に本当に本当に本当に本当に本当になァァんも知らねぇ!! そんな無知無力無能暗愚唐変木魯鈍(ろどん)畜生に謝られるくらいなら死んで地獄に落ちる方がずっと幸せだなァアア!!」

「ねえ、お願いだ!! どうしたら貴方は死なないでいてくれるの!? 何をしたらまだ生きたいって言ってくれる!? 僕はまだ何も知らない!! 貴方が思うように愚かなのは変わらないけど、愚かだから教えてよ!! 貴方が本当に望むものを知りたいんだ!!」

 

「返して」

 

「……え?」

「あの人を返して。今すぐ、今、この瞬間、ここに呼んでよ」

「あの人って——」

 

「アガレスさん」

 

 ——そうか。そう、だったのか。

「だ、れ……?」

「知識もないんだ。ゲロカスホムスって最悪の底が無さすぎ。もういい、終わり」

「待って!! どんな人か教えてよ!! 探すから!! 貴方の会いたい人、僕が探し出すから!! 貴方に会わせるから!!」

 無理だ。何をどうしたって彼女の願いは叶えられない。

「隠れ里の人!? それとも行方不明になったままの機神界人!?」

 違う。前提からしてもう間違っている。

「ばあか。自分のこと賢いって思ってんならまずその脳みそ取っ替えるとこから始めなよ」

「どんな人!? 少しでも情報があればきっと見つけ出せる!! 協力したらいつか——!」

「アンタ、もう会ってんだよ」

「それなら尚更だ!! 何か聞けば思い出せるかもしれない!!」

 仮に思い出したとして何になる。あの人だと理解しても願いは叶わない。

 知って、彼だったと理解してその瞬間に絶望する。何故なら彼の肉体はもうこの世から完全に消え去ってしまったから。

 そして更なる真実を知って再び絶望を突き立てられる。彼の心は遥か昔に既に喰い尽くされて消滅しているから。

 命を繋ぐことを諦めない。和解の芽を己からは絶対に摘み取らない。シュルクの博愛は彼女であっても向けられる。その博愛が博愛である故に、この瞬間だけは何よりも愚かであるのが皮肉だった。

「アンタも分かんない、クソ機神のメイナスもな~んも分かってない。もう無理なの。

 おら、離せよ。離さないんなら切り落とすよ。脅しじゃないからね」

 冷たい刃が押し当てられる。徐々に徐々に食い込んで、表皮、真皮、皮下組織——。

 血管が破れる。赤が手首から甲へ、指へ、その間から掌へ。ぬるりと摩擦が弱まる。滑り落ちそうな手を、もう一度力を入れ直そうとほんの一瞬だけ動かして——。

 

「あは……。——ざまあみろ」

 

 緩んだその瞬間に、ぱっ、と、渾身の力で振り払われて。

 その薄っぺらい博愛なんかじゃ救えない。零れ落ちる命の数を減らしたいなんて寝言で世界は動かない。

 夢と理想だけ見て、除菌された真っ白な部屋で大切に育てられたその綺麗な顔をぶん殴ってやった。お前が手を離したから人が死んだ。一生、永劫、白い部屋の隅に消えない真っ黒な染みと過ごしていけばいい。染みを見る度に思い出して、泣いて夜を越せばいい。

「——なんで……っ、なんでぇ……っ」

 眼下のエーテルの海は何も語らない。風に揺られ、降り注ぐものをただ受け止め、世界の基盤としてただ在るだけ。

 海に溶けてエーテルへ還元される少女の肉体は愛した存在と再会出来るのだろうか。監獄島で粒子となり、空気に消えていった巨人のエーテルと巡り合えるのだろうか。

 メイナスさえも理解していなかった彼女が求めたたった一つのもの。それを理解した——と自惚れているだけかもしれないが——のが神でも同胞でもなく少女が認知さえしていなかった出所不明の魂だなんて、あまりに滑稽で悲愴で哀れでやるせない話だ。

 結局、その出所不明の奴がいても彼女の手は既にない。離された、離してしまった命は二度と戻らない。天真爛漫で純粋なただの少女は機神の依代となり、被害者を経て加害者に変貌して数千年を生きた亡霊のまま世界を漂った。再びただの"人"に戻ることもなく、二神戦争の犠牲者の数字を一つ増やして根源元素の海に還っていった。

 

 手首から流れ出た深緋(こきひ)の涙が少女を追いかけ、あっけなく風に流されて、誰に届くこともなく天色(あまいろ)に吞み込まれて——いなくなった。

 

 ***

 

「また無茶して……。あの爆発を間近で受けて頬の軽い火傷だけで済んだのは奇跡よ」

「……ごめん」

「飛んできた破片も頭の皮膚をちょっと切っただけだから大したことないけど、頭部は血管が多いから浅い傷でも出血は多いのよ。私は衛生兵だから慣れてるけど、他のみんなは血まみれの貴方見て気絶しそうになってたんだから」

「……ごめ、ん」

「手首も同じよ。脅されてたのに離さないなんて、シュルクらしいというか……」

「……彼女だって被害者だったから、あそこで死んでほしくなくて……まだ、やり直せるかもしれないって思って……。もう少し時間が稼げれば、みんなも後ろから来て……一緒に引き上げられるって期待も……ちょっとだけ、あった」

「分かってる。その優しいところがシュルクの良さだもの。

 ——さ、これでオッケー。どれも軽かったから傷痕も残ってないわ」

「ありがとう、カルナ。それと……みんなにも、ごめん」

 傷自体は本当に大したものではなかった。ヒールブラストを一発散布してもらい、流れて肌に付着した血液を拭き取ってもらえば戦闘前の状態と何ら変わらない。変わっているのは掴んでいた命を離してしまった左手くらいだ。視認できない着色剤で一度は掴んだ命を手放した罪の入れ墨が深く深く刻まれている。

 二度と戻らないものだから失いたくないと願うのはそんなに高慢な考えだろうか。諦めの末に選んだ死によって辿り着く先には未来も希望も無いから、どんな苦界であっても現世で希望を見出してほしいと祈ることは許されないのだろうか。

 高慢とは言い切れないかもしれないし、許されはするかもしれない。しかし全てにおいて正解ではなく、生きること自体が絶望である人も存在するのだ。少なくとも彼女はそうだった。何らかの魔法で巨神が己の非を認めたとしても、彼女の罪が無条件で赦されたとしても、身体の治療がなされ数千年で開いた穴を物質で埋めても、彼女を満たすものはどうやったって戻らない。それを彼女自身が誰よりも分かっていて、死ぬ寸前の瞬間まで彼女しか知らなかった。

 彼女は巨神界の命を狩り尽くして死ぬことを生きる糧にした。死ぬ為に生きる彼女を否定しようとすれば、今度は生きる目的を捨てて死ねと彼女に懇願せざるを得なくなる。投げた球がどこへ転がろうとも、絶対に死ぬ結果を得る為に彼女はルーレットの"自分が生きる"という目を一つ残らず埋めた。第三者がどれだけ声を荒げて手を伸ばそうとも、神話の争いが終わった時から彼女の望む結末だけは既に決められていたのだ。

「……メイナス」

「はい」

「アガ——」

 口を塞いだ。

 メイナスならば間違いなく知っているだろう。アガレスという人物も、その人がどのような存在であったのかも。でも彼女はアガレスがサリゴにとってはどんな存在であったのかまでは知らない。知らない、というより気付けなかったのだ。

 別に気付けなかった彼女を責めるつもりはない。推測の域を出ないが、サリゴが自身の想いを誰にも打ち明けずにいたのならば無理もない話だからだ。自分一人で育てていた想いの芽を隠すことだって何の罪でもない。

 だからメイナスには気付かないままでいてほしい。少なくとも今はまだ。

 知ってしまえばメイナスは深く悔やむだろう。数千年を経て変わり果ててしまったと言えど、かつては共に世界を見た依代だった子の本当の哀しみを全く見抜けなかった己を呪うだろう。

『頼む……。答えを知りたいという我儘でメイナスを苦しめたくない。優しい彼女のことだから、サリゴがいなくなっただけでも苦しいはずなんだ。俺達が追い打ちなんてかけるのは……あんまりだ』

『……そうだね。今更アガレスが誰だったか知っても……彼女は、もう帰ってこない』

『ありがとう。……知っているのは俺達だけで十分だ』

「——シュルク?」

「ううん。……ごめんね、貴方の以前の依代だった人を助けられなくて」

「貴方が気に病むことはありません。私は彼女の言葉を聞いて何も……何も分かっていなかったのだと、今になって思い知らされました。愛する子一人の涙さえ止められず、そもそも泣く理由さえ知ろうとせずに意味のない言葉を並べて、無理矢理押さえつけようとしていた。

 それなのにまだ……あの子の想いが分からないのがあまりに恥ずかしくて、悲しくて……。神と名乗りながら、何もしてあげられなかった……」

 透明な雫が頬を伝った。

 造物主より生まれ落ちたとしても、世界に誕生した時点で子は一人の個として生命活動を開始する。その先を決めてどこへ向かうかは子の自由で、何人(なんぴと)たりとも犯すことの出来ない意思でなければならない。依代であろうともサリゴの心は彼女のもので、彼女だけが内に秘める想いがある。知らなかったことでメイナスが心を痛める必要はない。

 権利を持たぬ者が秘めたる部分まで覗こうとする行為は心への強姦と何ら変わりない。酷い表現かもしれないがメイナスはまず純然たる神ではない。この閉じられた世界において特殊な生まれ方をしただけで彼女も本来は人なのだ。メイナスの根幹が人の域を出ない以上、誰かの心を知りたければ相手が心を開かなくては彼女だって理解は不可能だ。

 もし人が知覚し得ぬ高次元に本物の神がいるのならば、人の心を覗き見る権利を有するのはきっとその存在だけ。人に試練を与え、より高潔な魂へ至らしめて全ての生命を神の待つ楽園に向かわせる為に心を覗く。

 本当にいるならば言ってほしい、保証してほしい。悲しみも空虚さも、未来を掴み取る為の試練だと。ただ無意味に苦しんで消えただけではないと、弱い人間達に少しくらいは光を与えてほしい。

 そう願うことさえも、人の身では傲慢なことだろうか。

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