ユウリにとって、それは豪運というほかなかった。
パルデア地方でのレジェーナのバトルを分析しようと、隣町のソニアさんのいるポケモン研究所を訪ねたところ、なんと、その日にチャンピオン本人が現れたのだ。
偶然にしては出来すぎているなとユウリは感じたけれど、後から聞く限りソニアさんは分かってそうしてくれたみたいだった。
研究所の奥で、ソニアさんとレジェーナちゃんが話し込んでいる間。ユウリは、半ば緊張しながらも、彼女のポケモンたちのそばにいた。
触れていいのか迷う。けれど、ヌオーのほうが先に近づいてきた。
「……」
ユウリはそっと、つん、とヌオーの頬をつつく。
ぷに、とした感触。反応は薄い。だが、逃げない。
「やっぱり、鍛え方がちがうのかな」
思わず小さく呟く。
ホップはというと、グライオンに軽く翻弄されている。飛び上がったかと思えば、ひらりとかわされ、からかわれているのか遊ばれているのか分からない様子だ。
ヌオーやドオーは、穏やかだ。毛並みも良く、体つきも健康そのもの。
だが、それ以上の違いが、目に見えるわけではない。
素早さや爆発的なパワーが売りのポケモンではないのだから、実力の差がそのまま雰囲気に出るわけでもない。
それでも……何かが違う。
立ち方。呼吸の安定。視線の動き。
攻撃的ではないのに、隙がない……のかもしれない。
ユウリは、ヌオーの目を覗き込む。
そこには焦りも誇示もない。ただ、落ち着きがある。
“任せられている”ポケモンの目だ。
レジェーナのバトル映像を何度も見た。削られても慌てず、倒れそうになっても崩れない。
それは能力値の問題だけではないのかもしれない。
信頼。
その二文字が、頭に浮かぶ。
ユウリは、もう一度ヌオーをつついた。
今度は、わずかに体を預けられる。
重い。
けれど、嫌ではない。
ホップの笑い声が響く中、ユウリは静かに考えていた。
満席のスタジアムで行われているエキシビションマッチ。
歓声は絶え間なく波打ち、巨大スクリーンには目まぐるしく情報が映し出される。
熱狂の渦の中にあって……ユウリは、自分だけがひどく冷めているように思えていた。
興奮していないわけではない。ただ、処理が追いつかない。
ダブルバトルという手数の多さは、ユウリにほとんど限界に近い思考を強制していた。
二体ずつの位置関係。
技の選択肢。天候。持ち物。
次の一手と、その次の一手。
観客の歓声に乗るだけのエネルギーが、まったく残っていない。
バトルはすでに序盤を抜けていた。
ペリッパーの雨展開を、グライオンが“にほんばれ”で強引に切り返す。
空の色が変わる。一瞬で主導権が揺らぐ。
そしてポリゴン2が“ソーラービーム”。雨前提の構築を、晴れという異物で貫く。
緑色の光が収束して放たれ、撃ちぬかれたヌオーが倒れる。
両者一進一退の攻防のなかで、レジェーナが仕掛けた急襲だった。
「すごい……だけど、どうして……」
ダブルバトルは一つ一つの指示や把握が雑になりがちだ。情報量が多く、完璧な同調は難しい。
なのに、レジェーナの指示が異様なほどに、タイミングが揃っている。
晴れの発動。射線の確保。攻撃対象の固定。防御側の動きを縛ったうえでの撃ち抜き。
戦略で見れば、受けに回るレジェーナが不利なのは間違いない。
ダブルバトルはそもそも攻撃優位のルールで雨による攻めが可能なルリナが有利といっていい。そしてそのルリナの攻めが、特段悪いわけでもない。
なのに最初に倒されたのは、ルリナ側のポケモンだった。
もちろん、レジェーナは多くの仕掛けを事前に使っている。
不意打ち的な“にほんばれ”による晴れ。アーマーガアからポリゴン2の展開。リフレクターによる防御強化。
対してルリナは、要のペリッパーもエースのカジリガメもまだ健在だ。盤面だけ見れば、致命傷ではない。
それでも……ルリナの動きが、わずかに鈍っているように見える。
戦いにくさ。数字では測れない不快感。
ユウリは考えを進める。
ルリナは攻撃指示が多い。すなわち、自分から離れた位置にいる自分のポケモンと、相手二体の位置関係を同時に確認し、最適な攻撃対象と技を選ぶ。
それは広い視野と高度な判断能力を同時に要求する。
対して、レジェーナは防御の指示が多い。
守る。引く。受ける。寄せる。
ポケモンを自分の近くへ引き寄せ、的確な防御指示を与える。
攻撃は本質的に散らばる。防御は本質的に収束する。
雑になりがちな攻めに対し、レジェーナはリソースを一点に集中している。
その差。
距離と采配のリソース差。
相手を観察し、相手の動きに反応する受けという戦略で鍛えられた資質。
それによって相手の択を減らし、処理すべき情報を削り、一瞬のリソース差を作る。
その空白に、ギミックを差し込む。
さきほどの“ソーラービーム”もそうだ。ヌオーが攻撃に移る一瞬の硬直を、撃ち抜いた。
それは偶然ではない。こうなるとルリナは余計に忙しくなる。
盤面把握。攻撃指示。天候管理。そして防御指示にも意識を割かなくてはならない。リソースが削られ、選択が荒くなる。
荒れた選択は、さらに防御側に情報を与える。
ユウリは息を止めたまま、盤面を追う。
これは単なる火力勝負ではない。処理能力の削り合いだ。そして、それは明らかに意図されているとしか思えない。
レジェーナは、戦略上の不利を、観察と集中で埋めようとしている。
受けとは、ただ耐えることではない。相手の思考を削ることだ。その輪郭が、今ようやく見えてきた。
「でも、それでルリナさんが終わるはずがない……」
ユウリは、ほとんど無意識にそう思っていた。
盤面は、依然としてレジェーナが主導権を握っている。晴れを絡めた切り返しから、流れは確かにそちらへ傾いている。
ポリゴン2とグライオンが“トリック”によって持ち物を入れ替え、グライオンはポイズンヒールを始動。同時にポリゴン2は進化の輝石で完全体になった。
さらにグライオンによってステルスロックが展開され、交代を妨害する。
交代の多いダブルでステルスロックにまで気を配る必要が出るのは厄介だ。
それでもルリナは、崩れない。
ペリッパーが“ワイドガード”を見せてポリゴン2の“ほうでん”を牽制して全体技の圧力を封じる。
さらに、グソクムシャが“ききかいひ”を利用して被弾後に退き、下がっていたペリッパーを再び繰り出す。
ステルスロックをペリッパーの厚底ブーツで無効化しつつ、天候を取り返す。削りを前提にした盤面操作を、あっさりと受け流す。
さらにはアズマオウとともにペリッパーをもクイックターンととんぼ返りで交代させ、レジェーナに対応する暇を与えない猛攻を見せる。
盤面は、均衡を取り戻しつつある。
ユウリは、喉の奥で息を飲んだ。