あれから幾年か過ぎた今、俺は二度目の人生を歩き始めていた
あの後俺は我が身に起きた出来事を自分なりに噛み砕くのに時間がかかり、しばらくは心あらずな日々が続いた。
あまりに放心してたせいか、ちょっと尊厳を破壊されるようなこと*1などもなされるがままで……いや、よそう。あまり思い出したい記憶でもないし
ただ、明確にわかったことはここが大正時代であること、そして俺が赤ん坊として生まれ変わったという事実だ。令和から遡る約百年の隔たりを体は知らなくとも、意識はあの頃のままだった。
しかしそれとは別にきつい試練があった──転生する前は影も形もなかったはずの、誰にも見えないはずの魂が視えるという、この奇妙な力との付き合い方だ。
──あれは、この世界に生を受けてしばらく経った頃のことだ。
成長して自分の意思で言葉を話せるようになり、食事もただ心を無にする必要がなくなったある日、母の胸元に目が留まった。野球ボールほどの大きさで淡く光る球体と、その周囲を取り巻く淡色の霞──それが、俺にだけははっきりと見えたのだ。
最初は錯覚かと思い、母に尋ねてみたものの、困惑した表情を返された。だが観察を重ねるうち、この光る球体こそ俗にいう「魂」なのではないかと俺は考えた
実際に家族や周囲の人々を見比べて確かめてみると、青みを帯びた靄は安らぎや幸福、赤い霞は怒り、黄色い霞は好奇心や期待を示しているようだった。
さらに検証を重ねると、靄の色が濃いほど感情が強く表れること、魂の気配を探知すればある程度離れた場所からでもその存在を察知できることも分かった。
以上のように生きている人の魂は胸元にある球体で、その周りにある霞によって個々の感情を映し出しているようである。だが、死者の魂は少し異なる佇まいを見せる。
まず死者の魂は魂の気配が生者より希薄で冷たさを帯び、胸元の
そのため感情を表す
だからか最初の頃の俺は生者の魂と死者の魂を上手く見分けることができず、寂しそうに蹲って泣いている"子"に話しかけたら実は……ということを度々起こして同年代の子供やご近所からは少し気味悪がられた。
まあ……仕方ないと思う
なんせ何もないところでまるで誰かのいるように話しかけてるガキだなんて客観的に見ても気色の悪いことこの上ないと思うし
それでも、今世の俺の両親も優しかった
魂の
母が俺の頭を撫でるたび、その手はほんの少し震えていた。だが、その指先から伝わる温もりと愛情は、どんな
たとえ我が子が「霊が見えた」と口にし、周囲から奇異の目を向けられても、彼らだけは違った。
言葉にならない不安を抱えつつも、二人は夕食の席でそっと手を重ね、俺の存在を家族の一員として受け止め続けてくれた。
その無償の愛を思うと、胸が熱く締めつけられるようだった。
その無償の愛に、せめてもの報いをするために、これ以上迷惑をかけないためにも
(せめて生者と死者を確実に見分けて、周りからは霊なんて見えないと取り繕えるようにしないと今世の父さんや母さんまで嫌な目で見られてしまう)
その日から俺は霊と話す時は人目を避けるため、申し訳なさを抱えつつも霊をフル無視して彼らを人通りのない場所へ誘導し、話す前には必ず周囲の魂の気配を探り、生者がいないことを確認してから話すように心がけた。誰かに異常者と誤解されないように──。
逆に生者と接するときは、相手が確実に生者であると精査した上で年相応の子供らしさを意識して振る舞った。肩の力を抜き、笑い、冗談を口にする。それだけで、近所の視線は少しずつ和らいでいった。
おかげで今はあれほど白い目で見られた日々が嘘のように、最近では「お前も大きくなったな」と声をかけてもらえることもある。
ただ、それでも同年代の子どもたちは依然として俺を気味悪がってまるでよそ者のように扱う。
彼らは何かに敏感なのか、俺の外見の幼さと内面の成熟度のギャップを本能的に察しているのだろうか……? そのため俺は今世において誰1人として友達がいない
だがそんな中でも、俺はいまなお死者たちとの縁を絶ってはいない。
確かに、死者と深入りしすぎることは好ましくないのかもしれない。
しかし、生者と死者を完全に見極める術を身につけ、余裕が生まれた今となっては、彼等の抱えた未練や無念と言った心残りを見てみぬ振りをすることができなかった
ある夕暮れの墓地で、息子に伝えそびれた感謝を震える声で託し、『これで生活の足しに』と古びた指輪を差し出す老婆の霊がいた。もちろんその指輪は俺が彼女の息子へ届けた。
また別の日には、火事で命を散らした少年が、震える小さな手で母との思い出を閉じ込めた写真立てを抱え、「お母さんに笑顔を返してあげて」と切なげな声で託してくれた。
確かに、この力は時に孤独と痛みを伴った。何もいない空間に向かって声をかけ、子どもたちや大人から白い目で見られる辛さもあった
夜には
だがそれでも、霊たちの無念を晴らし、彼らの想いを遺族へと届けられた瞬間──
老婆の指輪を息子に渡したとき、少年の写真立てを母親へ託したときに、「ありがとう」と涙ながらに語りかけられる言葉は胸が暖かったのだ
魂の色で感情を察せるおかげで、こうした遺族の人たちの痛みや悲しみに以前より自然に寄り添えるようになった気がする
そういった生きる人々の痛みや喜びに寄り添い、亡き者の無念や心残りを晴らしてあげられる力だと思うと……この力にも意義はあるのかもしれない
そしてもうひとつ──
俺には魂以外にも他の人には感じないものを感じることが出来る
それは、いわば死の気配と呼ばれるものだ
──その日は、いつものように霊の依頼を終えた帰り道だった。
降りしきる雨に濡れた石畳を、傘を手にゆっくり進む。此度の依頼は広大な森のどこかに隠された鍵を探し出し、霊の家族へ届けるというものだった。だが、鍵のありかを覚えているのは霊本人ですら曖昧で、散々彷徨った末に最初に訪れた場所でようやく見つかるという散々なオチに終わった。
その代わりと言うべきか、霊は生前こっそり貯めていたへそくりの在りかを教えてくれた。家族にも知られていないその金を、報酬としてそのまま受け取ってよいという。俺は驚いて「本当にいいのか」と確認したが、霊は笑いながら「遠慮無用だ」と告げ、さらりと場所を書き残してどこかへ消えていった。
そんなことを思い返しながら紙に示された竹林の奥へとたどり着く。濡れた枯れ葉を踏み分け、手製のスコップで土を掘ると程なくして小さな木箱を掘り出すことができた。
土を払って手に取ると、そのずしりとした重みがただの金銭以上の価値を胸に伝えてきた。両親にささやかな恩返しができる──その想いだけで、雨粒さえ祝福に思えた。
しかし、喜びも束の間、胸の奥がざわつく。竹の隙間の向こう、山の方からあの馴染み深い、冷たく重い不穏な気配を感じ取ったのだ。加えて感情を表す霞の色は魂の光をかき消すほど深い寂しさと痛みを湛えている。
「なんであんな場所に──いや、急がないと」
思わず内心の声が漏れ、俺は木箱をそっと地面に置いて傘を閉じ、死の気配のする方へ駆け出した。
“死の気配”とは、死に瀕した者から放たれる冷たく重い気配だ。このまま放置すれば、あの先にいる誰かは間違いなく命を落とす。さらに、霞の色は衰弱していて弱まっていながらも、深い痛みと孤独を滲ませている。あんな想像を絶する苦しみの中で、死んでいく人を見過ごすことなどできなかった。
滑りやすい山道を躊躇なく駆け上がり、木々を抜けて斜面をよじ登った先……苔むした岩陰に、小さくうずくまる影を見つけた。
それは、小さな女の子だった。
淡い花柄の着物は裾から膝まで泥にまみれ、袖口は擦り切れている。裾付近には青黒い打撲痕が広がり、幾度も殴打を受けたことを物語っていた。ひじとひざの擦り傷は乾いた血と土で濡れたように見え、頬には手のひらで叩かれたくっきりとした赤い痕がくっきりと浮かんでいる。額にも鈍い痛みを示す紫の痣があり、その痛々しさに胸が締め付けられた。
肩まで伸びた黒髪は泥水を含んで重く貼りつき、隙間からうつろに光る青碧色の瞳がかろうじて世界を見つめている。ひび割れた唇には腫れの痕が残り、細い手は泥まみれの岩をかすかに握りしめ、小刻みに震えていた。
「……おい、大丈夫か?」
怒りと苛立ちが胸を駆け抜ける。誰がこの子にこんな酷いことを──。落ち着け落ち着け、まずは助けないといけない。俺は雨に濡れた彼女の肩を優しく抱き起こし、背中に回した腕に力を込めた。
冷たい──体温は低く、震えから低体温症の危険がうかがえる。小柄な体はすぐに冷え切ってしまうだろう。傷口に雑菌が入れば、命取りにもなりかねない。
「すまないが、しっかり捕まっててくれ。多少揺れるだろうが、死ぬよりはマシなはずだ」
俺は女の子を背負い、来た道を駆け下り始める。普段から霊の頼みを聞くために鍛えた足腰だから、雨に濡れた山道でも躊躇はなかった。ただ──軽いな、この子。家に着いたらこの子には何か食べさせてあげないといけなさそうだ
「……あなたは、誰?」
かすれた声で彼女が問いかける。その声はひどく儚げで、胸を締めつけた。
「俺か? 俺は鬼灯──
そう言いながらも、俺は背中の彼女に優しく微笑みかけた。
大正こそこそ噂話
鬼灯冬夜が同年代の子供から嫌われてるのは目や髪が藍色混じり、年齢の割にやけに上背がデカい、何を考えてるかよくわからない、おかしなこと(幽霊からの頼み事)をしていて気味が悪いから