追記 後から見返したら真菰の文章に幼い子供感がないなと感じたため文章を修正しました。展開そのものは変わらないのでどうかご了承ください
私の人生はふたつの季節みたいに分かれていた
春はお母さんや妹たちと花畑を歩いて、ふわふわのシロツメグサを摘んで笑ってた日々。ぽかぽかの太陽に白い小さな花がキラキラして、胸の奥がぽっと温かかった。
でも叔母の家に送られてからというもの、鉄を打つみたいににキーンと冷たい風がびゅうびゅう吹きぬける、心も体も凍りつきそうな冬の毎日が始まった。
あの日、故郷を襲った大きな病気で母さんも妹たちもふいっといなくなってしまったことを思い出す。ぽっかり心に風穴が開いたまま、私は誰の顔も知らない家へ連れて行かれた
そしてそこで待っていたのは、ぬくもりじゃなくて、叱りつけと平手打ち──。
「女のくせに飯ひとつ炊けんのか! 朝まで薪を割ってこい!」
初日の夕暮れ──叔母さんにぎゅっ、と耳をつかまれて、ドタドタという足音といっしょに土間へ連れ出された。薪が山みたいに積まれた暗がりで、ぶるぶる震える手に斧をギュッと握りしめる。ザラリと埃っぽい匂いがふわりと鼻をくすぐり、頬がキリキリ痛んだその瞬間、パシン! と鋭い平手の一撃が頬を打った。
夜になると、冷たい杉板にそっと頬を押しつけて、お母さんの「よく頑張ったね……」という小さな声だけを心の灯りにして、私はずっと震えていた。
翌朝、まだくたくたの体をずるずる引きずりながら台所へ行くと、待っていたのは湯気ひとつ立たない、ひんやりした粥の一椀だけだった。
「朝まで薪も切れないような役立たずにはこれで十分だろ?」
うなずくしかなくて、ざらざらの粥をひと口ずつ飲み込むたびに、胸がぎゅっと痛くなった。
それからは、ほんのちょっとした失敗でもすぐに怒られる毎日だった。
煮物の塩をひとさじ多く入れただけで叔母に頬をたたかれて、私の頬には見る見る青黒い痣が広がっていった。
鏡にうつる、怖さと痛みでゆがんだ私の顔見るたびに胸がぎゅーっと締めつけられて、心臓がドキドキで喉まで飛び上がるみたいだった。
夜更け、私は薄暗い天井をぼーっと見上げていた。すると、遠い日の小川のせせらぎが耳の奥でくすぐるように聞こえてくる。
土の匂いや雨上がりのしっとりした湿り気を思い出すたびに、胸の奥で春風がそっとふわりと吹くみたいだった。
でもすぐに、お母さんの「よく頑張ったね……」って小さな声が聞こえて、閉ざした心のすき間をひんやりした水でそっと満たしてくれた。
畑仕事は、まだ夜明けの暗さが残るうちから、夕方の薄暗さになるまでずっと続いた。膝は泥だらけで何度もズンと重くなってへたり込んだ。
叔母から井戸水をザバーッとかけられると、キューッて全身が冷たく刺されるみたいで、ぞわぞわっと皮膚がはがれるような痛みが走った。頬をつたう涙は、その痛さの本当の証拠だった。
夜は物置の隅で、薄い毛布にくるまりながら隙間風のヒューっという音を聞いていた。指先は感覚を失うほど冷たく、息をするたびにちくちくと胸の奥がひりついた。
「ねえ……お母さん……いつまでこんな毎日が続くんだろうね……」
ある日、思いがけず優しい時間が訪れた。檜の湯船からは白檀の香りがふわりと立ち、炊きたての白いごはんは湯気をぽこぽこと立てる。赤い絹の着物を着せられて、お姫さまみたいだなって胸がキュンとしたのに、心の奥ではずーっとチリンチリンって「危ないよ」って小さな鈴が鳴り止まなかった。
それからしばらくたった頃、しとしと降る雨に濡れた縁側で、叔母はまるで氷みたいに冷たい声で言った。
「お前を遊郭に売ることにした。迎えが来る前に支度しろ」
胸の奥でなにかがボキッと折れる感じがして、私は初めて声をあげた。
「ふざけないで! 私はあなたの“商品”なんかじゃない!」
涙がぽろぽろ頬を伝っても、私はひるまず声を響かせた。小さな拳を胸元でぎゅっと固めて、「ここは私が守るんだ」って、自分にそっと言い聞かせるように。
「穀潰しが偉そうに……!」
でも叔母の手はいつも以上に重くて、バシンと何度も頬をはたかれ、髪をぎゅっとつかまれて、ひんやりした床板に叩きつけられた。鉄と血のにおいが鼻をついて、くらくらした。
息をするのも苦しくなる直前、わずかな隙を見つけて叔母の腕に噛みつき、そのまま雨の降る外へと走り出した。
雨粒がビシビシ顔を打ち、泥の道がべちゃっと靴底をからませる。すりむいた膝にしみ込む冷たい雨に、私の泣き声は水音に溶けていった。それでも、暗い山道の向こうにぽっと灯る“安らぎ”を探して、必死で駆け上がった。
ぬかるみにズルッと何度も転んでは、ヨタヨタと立ち上がる。だけど急な斜面ですべってしまい、ころころころと崖へ転げ落ちた。
足首にキューッと痛みが走ると、視界は真っ暗に染まった。濡れた岩にそっと背中を預け、小さく丸まってしまった。雨と涙がぽたぽた頬をつたって、ぽつんと一人、誰にも抱きしめてもらえない、ひんやりしたさみしさだけが胸いっぱいに広がっていった。
お母さんのあったかい手のぬくもりも、小川のせせらぎのやさしい音も、もうずっと遠い遠い昔のことみたいだった。
時間なんて、もうわけがわからなくなってた。死ぬのを待つみたいに、薄暗い岩かげでそっと息を数えていた。
そのとき、背中でバサバサって何かが動いて、泥まじりの雨粒がまぶたをパシパシ叩くから、私はそっと目を開けた。
熊……? 野犬……? それとも、昔お母さんが話してくれた鬼……?
どれだって、怖くて怖くて、「どうか一瞬で終わってほしい」って小さな祈りがわき上がる。
でも目の前にいたのは同じくらいの背丈より高くて、深い藍色の瞳をした男の子だった。その瞳がキラリとひかるたび、わたしの胸の奥でぽっと小さな灯りがともり、「まだ生きたい」っていう気持ちがふわりと戻ってきた。
どうしてこんな山の中に……って胸がいっぱいになる前に、彼の低くてやさしい声がそっと響いてきた。
「……おい、大丈夫か?」
その言葉には、怒りと優しさがそっと混ざっていて、私を傷つけた“誰か”への憤りがひしひしと伝わってきた。
一歩、また一歩と近づかれるたびに体がガチガチに固まってしまったけれど、次の瞬間には背中からふんわりと腕に抱き起こされて、すっと背負われた
しっかり支えてくれる肩と腕のぬくもりに気づいて、思わず息が止まりそうになった。
「すまないが、しっかり捕まっててくれ。多少揺れるだろうが、死ぬよりはマシなはずだ」
肩越しに届いた声は、雨に冷えた体にそっとしみこむぬくもりみたいだった。ゆらゆら揺れる視界のすき間から、ほんのり朱に染まった頬とやさしい横顔が見えて、胸がふわりとほぐれた。
ぐいっと背中に身をあずけて、かすれた声でそっと問いかけた。
「……あなたは、誰?」
「俺か? 俺は鬼灯──鬼灯冬夜だ。あまり喋るんじゃない、舌噛むぞ」
そう言いながらも、彼がぽんと柔らかな笑みを浮かべた。その笑顔は、ひび割れた私の心にそっと差し込む朝日のようで、私は目を細めてギュッと彼の背中にしがみついた。
シトシト降る雨音だけがこだまする山道で、はじめて──ほんの少しだけ──生きるんだっていう小さな希望が胸にポッと灯った。
目が覚めると、見知らぬ部屋の淡い光が障子を透かし、畳の上のふかふかの布団がからだをそっと包んでくれた。朝日がじんわり温かいはずなのに、ここがどこなのか思い出せずに、胸の奥がざわざわした。
そっと体を起こそうとすると、ぎゅっと締められた包帯が左足首に鈍い痛みを走らせた。唇をかみしめて大きく息を吸い込み、動かせない足をかばいながら、また布団にもぐり込む。
──障子の隙間から、ひそやかな足音がする。戸がゆっくり開くたび、私の鼓動はバクンと跳ねた。
振り向くと、山道で私を背負ってくれた鬼灯冬夜……冬夜が立っていた。彼は驚きとほっとした気持ちが入り混じった笑顔を浮かべ、「ああ、目が覚めてくれて本当によかった……心配したんだからな」と低く優しい声で言ってくれる。
そのひと言で胸の奥にくすぶっていた重たい不安がふわりと消えていった。思い返すのは、ざあざあと降るあの日の雨──血と泥にまみれ、痛みと疲れで心がギュッと折れそうだった私を、冬夜がそっと背負いながら「大丈夫だよ」と優しく励まし続けてくれたこと。
意識はもうろうとして、全部は覚えていないけれど、あのとき胸にポッと小さな勇気の灯がともった感覚だけは、今でもはっきり残っている。その後どうなったかは、全部冬夜が教えてくれた
あの後冬夜は私を背負って急いで家まで運んでくれたようだ。それから、冬夜のお母さん……春奈さんに助けをお願いしたとも話してくれた
春奈さんはびっくりした顔をしながらも、私の血と泥でびしょ濡れの着物を脱がせて身体を洗い、そのまま暖かいお湯に入れて体をじんわり温めてくれた。それが終わるとこのお布団に寝かせてくれたらしい。
そしてそれからほどなく駆けつけたお医者さんには「かなり危険な状態でしたよ」って言われて、気づいたら三日間も深い眠りを続けていたそうだ。
説明を終えると、冬夜は布団の縁にそっと腰かけ、布団越しに肩を寄せながら「今の具合はどうだ? 辛いところや苦しいところがあったら遠慮なく言ってくれ」と心配そうに問いかけてきた。
「まだ少しだるいけれど……息苦しさはだいぶ楽になったよ」
私はゆっくり息を吸い、小さな声で答えた。
その言葉を絞り出したとたん、胸にずしりと空腹がのしかかり、肩がぶるりと震えた。俯く私を冬夜は藍色の瞳で静かに見据え──胸の奥まで読み取るように視線がふっと揺れると、何も言わずすっと立ち上がり、低く優しい声で「ちょっと待っててくれ。すぐ戻る」とだけ囁いて、障子をそっと開けて部屋を出て行った。
数歩先の台所からは、とろりとしたお粥の煮える優しい気配が伝わってくる。熱々の湯気が、痛んだ身体の芯へすっと染み込むようで、瞼の裏がじんわり安らいだ。
しばらくして障子が再び開き、冬夜がお盆を抱えて戻ってきた。お碗に盛られたお粥は白銀の海のようにきらきらと輝き、ふんわり立ちのぼる湯気が淡い甘い香りを運んでくる。
「冷めないうちに。ゆっくりでいいからな」
ほのかな湯気をまとったお碗から、一匙ずつそっと口に運ぶ。お粥はまるで、冷え切った身体のすき間をふんわりと埋めてくれるみたいで、飲み込むたびに「あったかい……」って小さくつぶやいてしまった。
少しずつ力が抜けていくのを感じながら、横顔に目をやると、冬夜は穏やかな笑みを浮かべて、ただ黙って見守ってくれていた。
やがて碗が空になると、冬夜はそっと席を立った。
「よし、食べ終わったみたいだな。それじゃあお前さんはこのままゆっくり休むといい。俺は別の部屋にいるからもし何かあれば……」
その言葉がまだ途切れないうちに、私は思わず冬夜の袖をぎゅっとつかんだ。彼は何も言わずにそっと手を伸ばし、小さな指先を優しく包み込んでくれた。
そのまま冬夜は布団のへりに腰をおろし、朝日のやわらかな光と小鳥のさえずりがふんわり満ちる中、わたしがまたすっと眠りに落ちるまで、となりでそっと寄り添ってくれた。
大正こそこそ噂話
真菰の叔母は姉で真菰の母が妹です
叔母は真菰の母が美人で気立がよいことに昔から嫉妬していて、当時叔母が好きだった男(真菰の父親)が妹を選んで結婚してしまいました
ですので叔母は妹の生き写しであり、娘でもある真菰を使って憂さ晴らししていました。引き取ったのもそのためです
ちなみに叔母はあの後真菰を遊郭に売る約束を反故してしまったため借りていた借金を払えず、それはもう因果応報な目に遭いました