分かろうとすらしなかったらわからされた   作:Varss

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幼馴染とのデートは存外悪くない

 

 

 目覚ましが鳴るより少し早く、湊は目を覚ました。

 カーテンの隙間から差し込む朝の光はいつもと変わらないはずなのに、今日は妙に眩しく感じられる。天井を見上げたまま、湊は小さく息を吐いた。

 

 ――遊園地。

 

 頭の中でその単語が浮かび、同時に胸の奥がきしむように痛んだ。

 

 布団の中で寝返りを打つ。スマホを手に取ると、通知は何も来ていない。それでも画面を開いてしまう。

 

 昨夜、琴乃から送られてきた短いメッセージ。

 

『明日、九時半に駅前ね。遊園地行くから。チケットは私が用意してる』

 

 それだけ。

 余計な言葉は一切なかった。

 

 

 仮の交際。

 自分で受け入れたはずのその言葉が急に現実味を帯びて迫ってくる。

 

 本当に付き合っているわけじゃない。言わば恋人のふり。

 期限付きで終わりが決まっている関係。

 

 湊はゆっくりと上半身を起こし、ベッドの縁に腰を下ろした。

 

「……何やってんだ、俺」

 

 小さく呟く。誰に向けた言葉でもない。

 

 洗面所で顔を洗い、歯を磨く。鏡に映る自分の顔はいつも通り無愛想で、少しだけ疲れて見えた。

 

 服を選ぼうとして、クローゼットの前で立ち止まる。

 

 ――遊園地に行く服。

 

 普段なら適当に選んで終わるはずの行為が、今日は何故か躊躇してしまった。

 

 浮きすぎないか。気合いが入りすぎて見えないか。そもそも誰の目を気にしているのか。

 今更琴乃(あいつ)と出かけるのに着る服を一考するなんてことはなかったのに。

 

 まさか、今更自分は意識してしまってるのだろうか。

 

 幼馴染で一度は付き合ったことのある関係ではあったが、古くから付き合いのある仲の良い存在。ただそれだけ。

 

 ………そう思い込もうとしている時点で、もう答えは出ているのかもしれない。

 

 湊はクローゼットの中から無難そうなシャツを一枚引っ張り出し、手に取ったまましばらく動けずにいた。

 あったばかりの頃や付き合っている時期ならともかく、今まで通りなら琴乃と出かけるのにそんなに服装なんて考えなかった。

 適当でいい。どうせ気にされない。男友達と会うような感じと一緒。そう、勝手に決めつけていた。

 

 だが、今日はいつもと違う。

 

 仮とはいえ、恋人として会う。

 琴乃はきっと、その言葉の意味を自分よりずっと重く受け止めている。

 

 胸の奥に言葉にならない違和感が溜まっていく。

 

「……今更だろ」

 

 誰に言い聞かせるでもなく、そう呟いてシャツに着替えた。

 ジーンズを履き、腕時計をつける。普段と大して変わらない格好なのに、身支度を整えるたびに気持ちだけが少しずつ追い詰められていく。

 

 スマホを見ると時刻はまだ八時過ぎ。約束の九時半までは余裕があるはずなのに、家にじっとしていられなかった。

 

 玄関で靴を履きながら、湊は一瞬だけ立ち止まる。

 

 今日は、楽しい時間を過ごすべきなんだろうか。それとも、線を引くための時間なんだろうか。

 

 答えは出ない。

 

 ただ一つ、分かっていることはこの一日が軽いものにはならないということだけだった。

 

 

 

 

 外に出ると、朝の空気はひんやりとしていて肺の奥まで澄んでいる。

 駅へ向かう道を歩きながら、湊は無意識のうちに歩調を早めていた。

 

 約束より早く着いてしまうのはいつもの癖だった。

 待つ側でいる方がまだ楽だと思ってしまう。

 

 駅前に着くと、既に人の流れができ始めていた。

 家族連れ、カップル、友人同士。休日らしい空気の中で湊は柱のそばに立ち、スマホを取り出す。

 

 まだ琴乃はいない。

 

 そう湊が思った次の瞬間だった。

 

「……湊」

 

 聞き慣れた声が背後からかかる。

 振り返ると、そこに琴乃が立っていた。

 

 淡い色合いのトップスに黒のフレアスカート。短めの丈のスカートから伸びる脚はそのまま視界に入ってきて、上のトップスは身体の線が分かる作り。

 

 肌の見える面積は多いのに下品さはなく、どこをどう見せるかを分かった上で選ばれた様な、そんな計算された女の装い。髪は軽く整えられていて、派手ではないのに明らかに普段とは違うデートを意識した格好だった。

 

 一瞬、言葉が詰まる。

 

「……おはよう、早いな」

「おはよう。それはお互い様じゃない?」

 

 そう言って琴乃は小さく笑った。

 その笑顔は落ち着いていて、どこか余裕がある。

 

 ――準備してきたのは、服装だけじゃない。

 

 そんなことを思ってしまう自分に、湊は小さく眉を寄せた。

 

「はいこれ、チケット」

 

 琴乃は鞄から二枚のチケットを取り出し、何のためらいもなく差し出してくる。

 

「……ああ、ありがと」

「うん。今日はいっぱい歩くから、覚悟してよね」

 

 冗談めかした口調。だが、その瞳は冗談ではなかった。

 

 この期間で少しでも自分をこちらに引き寄せる。そんな決意が、静かに、はっきりと滲んでいる。

 湊は視線を逸らし、改札の方へ歩き出した。

 

「行くか」

「うん」

 

 並んで歩きながら、会話は自然と途切れる。

 沈黙が気まずいわけではない。むしろ慣れすぎているのだが、如何せん今日の沈黙はいつもとは何処か違った。

 

 並んで歩く距離は近い。肩が触れるほどではないが、意識すればすぐに詰められる距離だ。

 それでも、どちらからも無理に話題を投げようとはしない。

 

 湊は無意識のうちに、隣を歩く琴乃の横顔を盗み見ていた。

 整えられた髪。落ち着いた表情。背筋は自然と伸び、歩幅は遅れないように湊に合わせている。遊園地に向かう途中だというのに、浮ついたところがまるでない。

 

 静かすぎる。

 

 付き合っていた頃の琴乃なら、こんな場面ではもう少し感情を表に出していたはずだ。

 楽しみを隠しきれずに歩幅が変わったり、視線が何度もこちらを向いたり、些細なことで笑ったり。

 

 それが今はない。

 落ち着いている、という言葉で片付けるには違和感が強すぎた。

 まるで感情を内側にきっちり押し込めて、必要な分だけを計算して外に出しているような――。

 

 人が変わってしまったみたいだ。

 

 そう思った瞬間、湊の胸の奥がひくりと鳴った。

 変わったのは琴乃自身なのか。それとも、変わらせてしまったのは自分なのか。

 

 ――仮で付き合う、なんてことを認めたのは結局俺だ。

 

 その事実がじわじわと重くのしかかる。

 

「……緊張してる?」

 

 ふいに琴乃が口を開いた。

 歩調はそのまま、前を見たままの問いかけだった。

 

「別に」

「その割にさっきから黙ってる」

 

 図星だった。

 湊は一瞬言葉に詰まり、視線を逸らす。

 

「……考え事してただけだ」

「ふーん、そっか」

 

 それ以上は踏み込んでこない。問い詰めもしないし、おちょくってこようともしない。

 その距離感がありがたいはずなのに。

 

 ――狙われてる。

 

 ふと、そんな言葉が頭をよぎる。

 

 感情を抑え、余裕を装い、逃げ場を与えない距離を保つ。逃げようとした瞬間に、どこへでも手を伸ばせる位置。

 

 以前の琴乃は感情が先に出るタイプだった。

 嬉しければ笑い、焦れば声に出し、想いを隠そうとしても隠しきれなかった。

 

 でも今は違う。

 

 こちらの様子を見て反応を待ち、必要以上に動かない。

 主導権を握った側の余裕が言葉の端々や沈黙の置き方に滲んでいる。

 

 湊は自分が誘っている側ではないことをはっきり自覚した。

 今日の行き先を決めたのも、時間を切ったのも、空気を支配しているのも――琴乃だ。

 

 自分はただ、用意された流れに乗っているだけ。

 

 それは不快ではなかった。

 むしろどこか楽でもあった。

 

 考えなくていい。選ばなくていい。

 ただ、差し出された手に応じていればいい。

 

 ――だからこそ、怖い。

 

 獲物が自分から檻に入っていく感覚に似ていた。

 逃げ道が塞がれていると分かっていながら、抵抗する理由を失っていく。

 

 隣を歩く琴乃は前を向いたままだ。

 湊の心の揺れなどお見通しだと言わんばかりに、落ち着いた足取りを崩さない。

 

 その背中を見て、湊は思った。

 

 自分は追う側じゃない。

 今日という一日は捕まえられる側の時間なのだと。

 

 

 

 

 

 改札を抜け、目的地へ向かう電車に揺られる時間はあっという間だった。

 遊園地の最寄り駅に降り立つと空気が一段階だけ浮き立つ。甘い匂い、遠くから聞こえる音楽、子どもたちのはしゃぐ声。

 

 入口のゲートをくぐった瞬間、休日の熱気が肌にまとわりつく。

 

 琴乃は特に気負う様子もなくパンフレットを軽く確認してからそのまま自然に歩き出した。

 人の流れを読むのが上手いのか、立ち止まることなく迷いもない。

 

「じゃあ、最初はもちろんあれだよね」

 

 そう言って、湊の返事を待つこともなく進んでいく。

 背中だけで決定事項を伝えてくるあたり相変わらずだ。

 

「おい、あんまり先行くとはぐれるぞ……」

 

 一拍置いて、湊は小さく息を吐いた。

 

「……って、こういうところは変わらないのかよ」

 

 小走りで追いかけながら、胸の奥にほんの少しだけ懐かしさが滲む。

 

 琴乃が最初に向かったのはジェットコースターだった。

 待機列に並んでいる間も彼女の足取りに迷いはない。最初から決めてきたみたいだった。

 

 座席に腰を下ろし、安全バーが下りる。

 カチリと、金属が噛み合う音がやけに大きく聞こえた瞬間、湊は無意識に肩に力を入れていた。

 

 身体が固定される感覚が逃げ場を奪われたみたいで落ち着かない。

 

「……顔、固い」

「別に」

「ふーん」

 

 

 ゆっくりと列車が動き出す。鎖が引き上げられ、ガタン、ガタンという音が背中に響く。

 

 湊は奥歯を噛み締めた。

 

 急に驚かされるのが苦手だ。

 絶叫系がすべて嫌いというわけではない。高いところも落ちる感覚も嫌いじゃない。だが、予測できない落差だけはどうしても身構えてしまう。

 

 そんな湊の様子を琴乃は横目で一瞬だけ確認してから、何事もないように前を向いた。

 

 引き上げられる途中、心臓が嫌な音を立てる。

 そうして、その時間はすぐにやってくる。

 

「う゛っ………」

 

 急降下の瞬間、思わず声が漏れた。

 隣から聞こえたのは楽しそうな笑い声。

 

「ほんと、絶叫系というより急に来るの苦手だよね」

「分かってるなら乗らせんな」

「あんたのそういう反応見たいから乗るんじゃん?こういうの苦手な人と乗るのも一種の楽しみなんだから」

「………性悪」

「なんだって?」

 

 軽口の交わしあい。それは不思議と嫌じゃなかった。

 昔と同じやり取りのようで、それが少しだけ救いだった。

 

 次に向かったのはお化け屋敷。

 

 暗闇、予測できない音、急に飛び出してくる影。

 視界が一気に奪われた瞬間、湊は反射的に肩をすくめて身構えた。

 

 床を踏む感覚が曖昧で、どこまでが通路でどこからが仕掛けなのか分からない。

 壁のどこかで何かが軋む音がして、耳の奥がひりつく。

 

「おい……お前、なんで俺が苦手そうなやつを最初に持ってくるんだよ」

「さあ? たまたまじゃない?」

 

 琴乃は白々しくも口角を上げる。

 暗闇の中でも分かるくらいその表情には余裕があった。

 

「(絶対わざとだろ……)」

 

 そう思った瞬間、前方で金属が擦れるような音が鳴った。

 反射的に足が止まり、心臓が一拍遅れて跳ねる。

 

「……今のなに」

「さあ。脅かす前振りじゃない?」

 

 あまりにも軽い言い方だった。

 

 湊は舌打ちしたくなるのを堪えながら、歩みを進める。

 だが、足取りはどうしても慎重になった。次に何が来るか分からないという事実が思考を鈍らせる。

 

 そのときだった。

 

 脇の壁から何かが突然目の前に現れた。

 

「っ――!」

 

 声にならない息が漏れ、湊の身体がびくりと跳ねる。

 思わず半歩後ろに下がり、気づけば琴乃との距離が一気に縮まっていた。

 

 琴乃は驚いた様子もなく、ただ一瞬だけこちらを見る。

 

「……ほんとに苦手なんだね」

「悪いかよ」

「ん~?別に悪くはないよ。私としては、ね」

 

 そう言って琴乃は自身の腕の方へと目をやる。そこには、琴乃の右腕にしっかりと掴まっている湊の手があった。

 

 ――あ。

 

 気づいた瞬間、血の気が一気に引く。

 

 反射だった。

 驚いた瞬間、無意識に“何か”を求めて掴んだ結果がこれだ。

 

 湊は慌てて手を離そうとして、指先が一瞬もつれる。

 

「……っ、わ、悪い」

「いいよ」

 

 即答だった。

 あまりにもあっさりとしていて、逆に拍子抜けする。

 

 琴乃は腕を引くこともからかうこともせず、そのままの距離を保ったまま歩き出す。まるで最初からそうなることを想定していたかのように。

 

「ほら、行こ。止まってるとまた来るかもよ」

「……言い方が悪意しかない」

「気のせいでしょ」

 

 淡々とした声。だが、その歩調はわずかにゆっくりだった。

 

 湊は一歩遅れて隣に並ぶ。肩が触れそうな距離。さっきよりも確実に近い。

 触れてはいないのに確かにいると感じさせる距離。

 

 またどこかで音が鳴った。

 今度は低く、耳元を撫でるような呻き声。

 

 湊は肩を強張らせながらも、今度は腕を掴まなかった。

 代わりに、無意識に一歩だけ琴乃の方へ寄る。

 

 それを琴乃は見逃さなかった。

 

「……離れないんだ」

「……うるさい」

「ふふ」

 

 小さな笑い声。

 勝ち誇るようでも、嘲るようでもない。ただ、楽しそうに喜悦を交えた声音。

 

「無理しないで掴んだままでいいのに」

「してない」

「じゃあ今のはなに?」

「……事故だ」

 

 琴乃は歩きながら、ちらりとこちらを見る。

 暗闇の中でも分かるくらい、目が楽しそうに細められていた。

 

「事故にしては離れるの遅かったよ」

「……」

 

 言い返せない。

 

 琴乃は何も言わず、少しだけ前を行く。

 だが、その距離は決して広がらない。追いつけない距離でも離れられる距離でもない。

 

「(俺、情けな…………)」

 

 幼馴染といえど、お化け屋敷にビビって女子に頼るというのは何とも情けないことだと湊は考える。他人に見られれば笑われても仕方のない話だ。

 だが、今の湊にはその情けなさを憂いている余裕すらない。情けなさよりも今は、一刻も早くこの場所から抜け出したいという意識にかられるだけだった。

 

 

 

 

 

 昼過ぎには他にもいくつかアトラクションを回った。

 回転の緩い乗り物、軽いシューティングゲーム、売店での軽食。

 

「これ、半分」

「さんきゅ」

 

 差し出される食べ物。自然な仕草。

 恋人のふりという言葉を使うまでもなく、周囲から見れば完全に恋人のそれだった。

 

 そのことに、湊の胸の奥がじわじわと圧迫される。

 

 楽しい。少なくとも、不快ではない。

 むしろ居心地がいい。

 

 それが、一番不味い。

 

 ベンチに腰を下ろし、飲み物を飲みながら一息つく。日差しは傾き始め、園内の照明が少しずつ灯っていた。

 

「……思ったより、ちゃんと遊んでるな」

「何だと思ってたの」

「もっと、こう……いつもより気まずい感じかと」

「まあ、そうね」

 

 琴乃はそう言いながらも否定はしなかった。

 

「でもさ」

「ん?」

「楽しいでしょ?」

 

 即答できなかった。

 

 楽しい。

 確かにそうだ。

 

 だが、それを湊は素直に言葉にできなかった。

 

「……まあ」

「曖昧」

 

 琴乃はくすっと笑い、立ち上がる。

 

「じゃあ、最後に行こ」

「……どこ」

「観覧車」

 

 夜に向かってゆっくり回る大きな円。園内を見下ろす位置。

 

 逃げ場のない場所。

 

 

 列に並びながら、湊は自分の鼓動が少しずつ速くなるのを感じていた。

 ジェットコースターやお化け屋敷の時とは違う、嫌な予感を伴った高鳴り。

 

 ゴンドラが一つ、また一つと空へ上がっていく。

 

 ――ここで、何かが来る。

 

 そう思わずにはいられなかった。

 仮の交際。その真意をはっきりと思い知らされそうな場所。

 

 やがて、自分たちの番が来る。

 

 小さな箱。

 二人きりの空間。

 

 扉が閉まり、ゴンドラは静かに動き出した。

 

 夜の気配がゆっくりと近づいてくる。

 

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