Harry Potter Quatwizard Tournament 作:マクゴナガル命
「あっ!」
湿った土に足を取られて、勢いよく転んだ。膝を打ちつけた痛みが、じわりと遅れてやってくる。掌に小石が食い込んで指先が痺れた。
顔を上げた途端、鼻先に冷たいものがぽたりと落ちた。
「……雨」
見上げれば、灰色の雲が木々の梢の隙間を塞いでいる。
音はまだ細かった。けれど、ぽつ、ぽつと次第に粒が増えて、細い糸みたいな雨脚が林の緑を薄く曇らせていくのがわかった。肌に触れるたびに火照った頬の熱が奪われていく。
ここで濡れ続けるのは嫌だ。僕は泥のついた膝を引きずるようにして立ち上がって、目当ての場所へ足を向けた。
木のうろ──秘密の場所。
幹の中にぽっかりと穴が空いて、子どもひとりなら余裕で入れるほど大きい。少し前に見つけてから父さんにもダンブルドアにも教えていない、僕だけの隠れ家。
穴の縁をくぐると、雨音が少しだけ和らいだ。湿った木と土の匂いが鼻のなかに広がって、外より少しだけあたたかいけど、それでも濡れた衣服が冷たくて体が凍える。
膝を抱えてうずくまった。
寒いのと痛いのと、さっきまで胸の中で渦を巻いていた言葉の破片がぐしゃぐしゃに絡まって、身体全体にまとわりついている。そんな気がした。
「……」
気のせいか、雨音の層がふいに乱れた。葉の上を滑りおちる水の調子が一瞬だけ高く跳ねて、次の瞬間、うろの入り口に淡い影が差した。
息をひとつ飲む間に影は近づいて、
「痛っ!?」
頭を小突かれて、咄嗟に顔を上げる。と、深い瑠璃色の瞳が僕の目を覗き込んできた。
「……フォークス」
どうしてこんなところに……いや、僕を見つけ出してくれたのか。
賢い子だ。僕の気持ちを察したように目を伏せて、フォークスが胸元に身体を寄せてきた。思わず抱きしめても逃げるそぶりを見せず、ほっぺたに顔を擦り付けてくる。
目が近い。まぶたの上の細い睫毛まで見える距離で、僕の顔色を確かめるみたいに首を傾げる。
どうしたの、と言われた気がした。
「ねえ、今日は……やな日だった」
父さんとダンブルドアがぶつかったこと、僕が間にいて、でも何もできなかったこと。情けなく泣いてしまったこと。父さんに隠し事をしていた罪悪感と疎外感。
ここ数日の間に起こったことと感じたことを話す間、フォークスはただ黙って聞いてくれていた。
「魔法なんて知らないままでいれば、よかった……それか、最後まで隠したままでいたら、こんなことにならなかったのかもしれない」
でも、そんなことを僕が言った途端、ちいさく身を乗り出してきて、額を嘴でちょんと突いた。
「フォークス?」
驚いて腕のなかの鳥を見る。真っ直ぐな目が僕を射抜いている。嗜めるというより──“それでもいいじゃないか”と、背中を押してくれているように思えた。
胸の奥がちくりとする。
ホントは僕だって気づいてる。魔法を隠しておくことなんて、もうできない。使わずにいるなんて、もっと無理なんだ。
フォークスがひとつ鳴き、羽を震わせた。励ますように、勇気を分けてくれるみたいに。
「魔法を見せろって言うの? でも」
でも、何だろう。違うはずだ。催促されている気がするのは、僕自身がそう望んでいるからだ。
魔法は楽しいもの。楽しくて、キラキラしているはずのものだ。こんなときだからこそ使わないなんてもったいない──心の奥でそう思ってしまっている。
「でも、どうせやるなら張り切らないと」
膝を崩し、両手を湿った地面へ。指先に触れる土のぬめりと冷たさを確かめながら、ゆっくりと息を整える。
泥の感触が想像に形を与え、手の動きに応えて少しずつ姿をとる。
「まずは、僕」
丸い頭、痩せた腕、大きな目。ぎこちないけれど、確かに自分を模した人形ができあがった。
続いて赤い羽を刻み込んだ鳥の人形。くちばしの先まで整えて、ほんの少し誇張した優雅さを添えてあげた。
「君の人形も」
指先をそっと弾くと、二つの人形がかすかに揺れ、動きに合わせてさらさらと砂粒が集まり動き出す。地面の上の二人──僕とフォークス──が並んでお辞儀をし、ちいさな輪になって踊り始めた。
踊るたびに撒き散らされる砂がベールのように広がって、でも、フォークスの形の人形が大きく翼を翻したとき、砂煙が狙い澄ましたように本物のフォークスの鼻面に盛大にかかった。
「ふふ……ごめんよ、フォークス」
楽しくなって、もうひとつ、ふたつ。
父さんの広い背を思い出して大きな腕を刻み、長い髭とローブをまとった老人の姿も作る。
先に作った二体と合わせ、四体の人形がくるくると回りはじめた。
これを全部、僕がやってるんだ。こんな不可思議でワクワクすることを、他でもない僕が。
それってどんなに素晴らしいことだろう!
そのとき、フォークスが鋭く鳴いた。
顔を上げると、雨脚が弱くなっている。葉に溜まった雫がぽたりと落ち、通り雨はもう終わりかけていた。
フォークスがうろを飛び出し、濡れた翼を震わせるように空中で強く羽ばたかせる。赤い影はくるりと回って僕の前へ戻ると、僕が伸ばした手を避けるように後ろへ跳び、また跳びずさり、
「待ってよ」
後を追って外に出た瞬間、世界の匂いが変わった気がした。
雨上がりの土、濡れた葉の青さ。涼しい空気の中に、確かな澄んだ温度が混じっている。フォークスの舞いを見ているうちに、指先が自然と空へ向いた。
「……」
水はたくさんある。枝先の雫、幹を伝う筋、苔に残った透明の玉。ひとつずつ意識を通わせると、ざわ、と森が応えた。
大小さまざまな水の珠が浮かび上がり、やがて頭上に幕を広げる。薄く透ける幕の縁には、微かな虹色が滲んで、指先でなぞれば波が走り、光の粒となって空気に溶けていく。
「もっと!」
幕は花弁に変わり、無数の水の桜が舞い上がる。風に逆らって散らず、重なり、離れ、空いっぱいに広がった花吹雪。
フォークスがそのあいだを縫うように飛び、羽先が触れた透明な花弁が虹色の光をはじいた。
さらに指を弾く。
花は蔦へ、透明な蔓を音もなく中空へ伸ばす。僕のまわりを旋回し、高く昇ったフォークスを追うと、翼の周りにクルクルと光の輪を描いて、また雫へ帰る。
その軌跡に残る煌めきが、森全体を薄明かりで縁取った刹那、ザアザアと木々の新芽に打ちつけた。
これだ。これが魔法なんだ。
風が止み、森が息をする。フォークスの歌う声が響くなか、木漏れ日に揺れる影を見て、僕はふと視線を向けた。
「これは──」
胸が跳ねた。そこには確かに父さんが立っていた。肩に濡れ葉を貼り付けたまま、目を見開いて視線を揺らしていた。
「あの魔法を……お前が?」
低い声。信じられないものを前にしたような響きだった。
父さんの喉がかすかに動く。次の言葉を探すみたいに、しばし沈黙が流れる。
僕が思わず一歩退くと、背をフォークスがそっと翼で押した。前へ行けと。
その瞬間、父さんの視線が揺れを止める。驚きの奥に別の色が宿った。何かの葛藤を捨て去るように、揺れていた視線がまっすぐに僕を射抜いた。
「お前に、見せなきゃならないものがある」
短くて、固い言葉。でも、それは逃げ道を閉ざすためじゃなく、開かれた道の先を指し示す声だった。