Harry Potter Quatwizard Tournament 作:マクゴナガル命
(魔法処六年→魔法処七年)
四月一日、山を彩る花々は季節の移ろいと共に散り、あるいは、蕾を咲かせ、生命の息吹と呼ぶべきものが春風に乗って山間をゆるりと吹き抜けている。
魔法処へ入学する当日の朝は、特に事件もなく、あくまで日常のワンシーンとして僕らのもとを訪れた。
早朝の清涼な空気の中、明け方の空にかかる薄い雲を眺めながら息を吐く。この前までは白くなっていたはずのそれも、今は透明なまま風の中に解けていった。
用意は全て済ませてあって、ハンカチティッシュ、お弁当に水筒、必要ないとは思うけど筆記用具に教科書も何冊か一応持って準備は万端。
万が一、隣の子が緊張で気持ち悪くなっても対応できるようにエチケット袋も二、三枚入れてあるけど、父さんはあんまり良い顔をしていなかった。
そういったわけで、僕らはかれこれ十分以上、魔法処から迎えがくる瞬間を待ち侘びていた……わけなんだけど。
ただ、その迎えというのが問題で、いつ誰がどんなふうに来るのか明確なところがわからないでいる。
手紙の後ろのほうにちょこっと一言、
『早朝、使いが迎えに伺います』
と書かれてあっただけだったから、その“使い”ってのがどこの誰なのか、人かどうかも怪しいところだ。
時間も『早朝』ってだけじゃ、説明不足にも程がある。
魔法学校っていうくらいだから箒にでも乗ってくるのかもしれない。それか、かぼちゃの馬車とか猫型のバスなんかも有力だ。
もしも箒に乗ってくるのなら、柄の先には是非ともラジカセかウォークマンなんかが引っ提げてあってほしいな。赤いリボンの女の子で一緒に黒猫なんか乗ってたりしたら言うことないんだけど。
他に魔法と言われて思いつくものといっても何もなく、そんな僕にダンブルドアも父さんも、
「教えてやりたいのは山々じゃが、わしは君の楽しみを奪いとうない」
「まあ、当日になればわかることだな」
意地悪くそんなことしか言ってくれなかったんだから、推測のしようもない。
想像したことのひとつでも当たってたら嬉しいなと、ぼんやり空を眺めていたわけだけど、みている方向に関してだけ言えば間違ってはいなかった。
つまり、“使い”は空を飛んでやってきた。
「啓、見てみろ」
父さんが空の一点を指さした。少し遠くの空に何か見えてきた。最初は黒い小さな点見え始めた。少し経って、その点が本当は複数の影の集合だということがわかって、さらに近づいてくるにつれて影が何かの生き物だということに気づいたとき、父さんが口を開いた。
「ウミツバメだ」
影の集団から離れた一つの点が、ちぎれて流れる雲の縁取りを掠めるようにしながら、こちらに徐々に近づいてくる。
その影が山の稜線にかかりはじめたとき、ようやく僕の目にも見え始めた。翼の両端に白線を描いて、時折弾むようにこちらへグングンと鳥が近づいてくる。点だったのが数秒で豆粒サイズに、さらに数秒でゴルフボールサイズ、もう少し経った頃にはバスケットボールサイズ──まだまだ遠くにいるはずなんだけど、何でか大きく見える。
父さんが言ったからには、あれはウミツバメでいいはずだ。
でも、なんか、やっぱり……。
「でかくない?」
「そりゃあ」
魔法生物だからな、と父さんが言い終わらない内に目と鼻の先に巨大なウミツバメが着地して、反動で吹き荒れた風が強烈に打ちつけてきた。
服も髪もしっちゃかめっちゃかだ。せっかく丁寧に櫛かけたのに、一瞬で台無しになった。
「ウミツバメ……これが?」
「そうだな」
「これが、“使い”?」
「そうだろうな」
「“使い”が、これってことはだけどさ」
「なんだ?」
「まさか、その……これに乗って通う?」
「爪で掴んで運ばれるよりは、いくらかマシだろうさ」
父さんはひとつ息を吐くと、いつの間にか取り出していた木の実を一掴み、ウミツバメに向かって放った。
「これひとつとっても、魔法使いって連中がいかに無茶無謀な奴らか分かるってもんだ」
おっきな身体を揺らしながら器用に嘴でキャッチして、ウミツバメは木の実を美味しそうに頬張っている。
羽毛が風に膨らんで丸々してるから抱き心地は良さそうだけど、取っ掛かりなんかないし……ベルトも手縄も命綱もなしに、あんな速度で飛ぶ鳥の背中に乗っていくって、ホントにそれでいいのかな。
魔法界って、こういうのが普通なところなのかな。
「父さん……」
「安心しろ、お前の思うようなことは起きんさ」
さあ、と父さんが僕の手を取る。
「騙されたと思って、そら、あいつも待ちわびてるぞ?」
その手に引かれて、おっかなびっくりウミツバメに近づく。黒目がちのまんまるの眼が僕の方へ向いて、にっこり笑うように細まった。
「え、えと……おはよう?」
ピィと返答するようにひと鳴きして、ウミツバメが顔を寄せてくる。戸惑いつつ、じっと見つめ返していると、突然、首元や頬の羽毛を僕の顔にぐいと擦り付けてきた。
「わっ、ちょっちょっと、な、何っ!?」
「はは、気に入られたな」
またひとつ、「そうだ」と言わんばかりにウミツバメが鳴く。光栄なことこの上ないけど、僕はまだ着いていけてない。
口に入った羽毛をこの場で吐き出して良いものか迷っていると、父さんが僕の身体をすっと抱え上げた。
「さあ、乗せてもらえ」
「乗るの? ホントに……?」
「大丈夫だから、な? ほら」
ウミツバメも頭を下げて乗りやすいようにしてくれている。躊躇っているのなんか僕だけだ。
ふたりの息ぴったりな様子に背を押されて、おずおず跨る。羽毛は思った以上に弾力があって、柔らかなのに奥はしっかりとしていて、こうしてみると人を乗せることが当然のように思えてくる。
胴回りの感じも収まりがいいし、乗り心地は悪くなさそうだ。
「安全に行ってやってくれ。頼んだぞ」
ウミツバメにそう声をかけた後、父さんがゆっくりと僕を見た。
その穏やかな目に、ほんの一瞬、離れがたい気持ちが胸の奥でちくりと疼く。
「……じゃあ」
「ああ」
短く交わす言葉は、どこか名残惜しさを含んでいる。
大したことはないし、お昼過ぎには帰ってくるのに不思議と寂しいような感じがして「行ってきます」の一言が出なかった。
すでに出発の時間は迫っている。
ウミツバメが首を傾げながら父さんを見て、父さんもまたそれに頷き返す。了承を得ているというか、合図だったんだろうと思う。
ほんの少し身を引き締めた瞬間、ウミツバメの全身がぐっと沈み込む。
そして、その次の瞬間には、大地が足元から弾かれるように遠ざかって、強烈な風が肌を叩きつけてきた。
「──っ!」
思わず目を閉じた。髪が逆立つみたいにばさばさと後ろに持っていかれ、その間もウミツバメは力強く羽ばたく。
耳の奥で風が鳴り続ける。けれど、落ちるような衝撃はなく、弾力のある羽根が吸いつくように僕を支えてくれている。
空の上にいるのだろうか? それとも雲の上? 父さんは? 家は? もう見えなくなってしまっただろうか?
目を閉じているせいで周囲の状況を見れずにいると、風を切る音の中でウミツバメの鳴き声が聞こえた。
目を開けてみろ──ってこと?
声に引かれるまま、恐る恐る首の後ろに埋めていた顔を上げる。
風に揺れる羽毛の向こうに空が見え始め、そのままゆっくり目を開いていくと、一気に開けた感じがした。
思っていたより高く昇っていて、雲が見たことのないほど近くにある。
そして、下は、
「は、はははっ!」
絶景だ。
山々、森林、そして、その間を縫う細い川の流れ。山肌のところどころを霞が覆うように白や桃色の花が咲き、山の裾野に近いところは葉桜のようになっている。
上空にいるのに風が弱い気がする。羽ばたくたびに大気が震えているはずなのに身体も不思議と安定していて、まるで見えない薄膜に包まれているみたいに息さえ楽だ。
「これ、君が守ってくれてるんだ」
ウミツバメは答えず、少し振り返るように首を回して僕に合図を向けてきた。
そんことより、見るべきものがあるとでも言うように。
下をのぞき込むと、遥か眼下に僕の家と、その前に小さな影が見えた。砂粒のようにちっぽけなはずなのに、僕には不思議とそれが父さんだとわかった。
じっとこちらを見上げている。そんな気がする。
目を凝らしたまま数秒──気づいてくれるだろうか。気づいて欲しい。
「──ぁ」
父さんが片腕をゆっくりと上げ、ひらひらと振る。
声を張り上げたい衝動に喉の奥が熱くなって、自然と頬があがった。
「行ってきまーすっ!!」
聞こえたはずがない。
でも、代わりにウミツバメが澄んだ声を返してくれた。翼が大きく打ち下ろされ、その動きが全身に伝播すると同時に、風がまた顔を打ち付ける。
景色が後ろへ通り過ぎる。家も父さんの姿もあっという間に離れていって、反対に空と雲とがどんどん近付いてくる。
翼が一度、弾むように震えたかと思うと巨体がぐんと傾いた。視界がぐるりと回転して、ウミツバメが顔をなかぞらへ向けた。
胃の底が浮き上がるようで、慌てて羽毛を握りしめた。
「うわっ……! ちょっ、待ってっ!」
息が喉に詰まる。あんまり舞い上がらないでと言いたたかったけど、ウミツバメは得意げに声を鳴らしただけだった。
そのまま雲の切れ間を抜けて一気に上昇する。白いもやが頬をかすめ、冷たいしぶきのようなものが肌に散る。耳がきんと鳴る感じがした瞬間、視界の上下が青と白とでくっきりと二分された。
抜けるような青空の下で、白い綿みたいな雲海が際限なく広がっている。
平らなだけじゃない。丘のようになっていたり、林立する木々のようになっていたり、綺麗ではあるけど、どこか心臓を掴まれるような恐ろしさもあって、僕はそっと頭を引っ込めて前だけを見つめることにした。
そうして少し経った頃、黒い影が先の方に見え始めた。雲海の上に浮かんでいて、最初は小さな染みのようだったけど、すぐにそれがウミツバメの影だと気づいた。
徐々に近づくにつれて、その影が数羽、いや十数羽の群れだとわかる。僕の乗るウミツバメと同じように、みんな、大きく翼を打ち下ろして雲の上を滑るように進んでいた。
さらに驚いたことに、その背に人影がある。僕と同じくらいの大きさの子どもたちが、同じようにしがみつくようにして跨っている。
やがて、前方の群れが雲を割るようにして下へと降りていった。白い切れ目に飲み込まれていく姿を追うように、僕の乗るウミツバメもまた大きく身を傾け、掻い潜るように雲の裂け目を滑り抜ける。
雲を透かして光がチラチラと揺れて見える。眩しさに目を細め、しがみつく手に力を入れる。
雲を突き抜けたと思った瞬間、
「っ!」
眼下に広がる光景に息を呑んだ。
果てしなく広がる海原が波間ごとにきらめきを散らしていた。乱反射する光がまぶしいけれど、僕はそれでも周囲に視線を巡らせた。
海を見たのは初めてだった。潮の香りがする。海風はどこかしっとりとしていて、山に吹く風とは全く違うのだと、そのときになっては初めて知った。
周囲に島影がある。海の青に濃い緑を浮かべて、いくつも連なった群島の間をウミツバメたちは縫うようにして飛び抜けていく。
そういえば父さんが、魔法処はナントカって島にあるって言ってたっけ。とすると、もう近いのかもしれない。
そんな期待が胸を膨らませながら周囲を見回していると、前方から歓声が聞こえてきた。何かと思って視線を向け──。
そして、見た。
陽光を浴びてきらめく海の上、白亜の城が姿を現していた。煌めく天守、幾重にも重なる城壁。人の手で築かれたとは思えないほど荘厳で、空を押し返すみたいに屹立している。
空の青と海の群青を背景に、陽光を弾くその白さだけがひときわ鮮やかに見え、その姿が目に映り込んだ瞬間、僕は息を吸うのも忘れた。
他の生徒の歓声が風に散って届く。ウミツバメは城の周りを旋回しながら、速度を徐々に落としていた。
あの春の日の光景は、今もまぶたの裏に残っている。
けれど、物語はそこから八年の歳月を駆け上がり──英国、ホグワーツへと舞台を移す。胸踊る魔法処での日々については、いずれまた語ることにしよう。