Harry Potter Quatwizard Tournament 作:マクゴナガル命
金銀に輝くパルミノの巨馬が十二頭、馬車を引きながらホグワーツ特急の上を飛び越え、ホグズミードの広場に着地した。
翼を持つ巨馬。蹄を鳴らし、燃えるように赤い瞳で周囲を睥睨する。天馬が一斉に嘶くと、降りしきる雨が弾け、球を描くように空中で散った。
「あれが天馬……すごいな」
馬車は淡いパステル・ブルーに塗られている。雨空でも目を引きつけて、側面に描かれた交差する杖と星のマークは遠く離れた場所からも見て取れた。
ボーバトン魔法アカデミー、ダンブルドアの話では、たしかマダム・マクシームという女性が校長をしていたはずだ。美麗で気品のある女性だと聞いていたけれど、この登場の仕方を見る限りだと、見せ場を逃すような人でもなさそうだ。
戸建てが一軒、丸々飛んできたようなもので、圧倒された観衆が所在なげに馬車をじっと見守っている。多分、彼らの頭のなかでは、この後起こるだろうことが色々と思い浮かんでいたはずだ。
けれども、その期待に反して馬車はその場に佇んだまま沈黙を保っている。
枝葉の間から覗く広場の様子を、
駅からホグワーツ城へ行く道は大きくふたつに分かれている。馬車が通る平坦な道と、森のなかをぐるりと回り込んで湖へ続く小道。僕は後者を歩いていた。
小道は鬱蒼とした木々のなかを割るように途切れ途切れに続いている。人の足で自然と踏み固められてできた道なんだろう。下草も少なく灰褐色の土が露出していて、
雨粒を弾く葉の音。見慣れた山の景色とは趣の違う質感。
頬を伝う雫を拭って道の先を眺めると、暗い色合いの葉の中に、先の尖った、つば広の帽子を被った誰かがじっと佇んでいる。
「こんにちは」
静かに近づいていくと、向こうも気づいたのだろう。こちらから声をかけるよりも先に、端的な挨拶の言葉が雨越しに届いた。
「あなたが、ミスター・タチバナでよろしいですね?」
ミネルバ・マクゴナガルと名乗ったその女性は、“気高さ”を絵に描いたような佇まいをしていた。エメラルド色のローブに身を包み、黒い帽子に結い上げた髪を引き詰めている。四角い眼鏡は、厳格な印象を与えている。
その目が僕の背後をなぞるように流れ、雨の向こうを静かに見通す。
ぴくりと瞼が動いた。けれど、僕はそれを見なかったことにして、視線を戻したマクゴナガルにそっと微笑みを向けた。
「迎えにきてくださったんですね。ダンブルドア校長先生から?」
「ええ、慣れない土地でしょうから」
彼女の瞳が一瞬揺れた。それでも、こちらに合わせて微笑みを浮かべてくれる。
マクゴナガルは僕を手招くと、袖の中から一本の杖を取り出した。杖をわずかに傾けて振ろうとする。けれど、僕は小さく手を上げてそれを制した。
「大丈夫です」
指先をそっと振る。瞬間、降る雨の音がわずかに遠のいた。透明な傘の内側にいるように細やかな滴が宙で逸れ、僕らを避けて落ちていく。
額に張り付いた髪を指先で払っていると、眉を上げたマクゴナガルが「何故?」と問いかけてきた。
何故──こんな魔法が使えるのに、ここまで濡れてきたのか。
「雨に濡れるのも悪くないんじゃないかな、と」
その言葉に、マクゴナガルは目を瞬かせた。灰青の瞳がわずかに細まり、雨空を映すような静けさを帯びた。反論を探すようでも咎めるようでもなく、ただ静かにこちらの意図を測るような視線だった。
「でも、先生を濡れさせるわけにいきませんから」
僕は微かに笑って、マクゴナガルの反応を待った。黒い帽子の縁にひとつだけ雨の雫が留まっている。それがローブの裾に滴り落ちたころ、マクゴナガルの口元がほんの僅かに緩んだ。
嘆息にも似た小さな息が混じって、和らいだ声音で返される。
「……我が校の生徒にも見習わせたいものです」
雨の向こうに響く声の余韻が、空気の揺れを静めていった。
それからしばらく、マクゴナガルとの間に言葉はあまりなかったものの、不思議と居心地の悪い沈黙にはならなかった。
森を抜けるころには風の匂いが少し変わっていた。広い湖畔の向こう、正面にホグワーツ城を臨み、思わず息を呑んだ僕をマクゴナガルが小さく手で促した。
岸辺にとめられたボートの一艘に乗り込る。ボートは風雨に波打つ湖面を進みはじめ、するするとホグワーツ城に近づいていく。崖の上にそびえ立つ城の威容を見上げているうちに、僕らは崖下の蔦の間から地下の船着き場へとくぐり抜けていた。
「さあ、行きましょう」
マクゴナガルの後に続いて、石造りの階段をゆっくりと進む。そして、アーチ状の扉を抜けて僕らは広い廊下に出た。
外と違って城内は静かだ。外壁を打ちつけているはずの雨音もなく、ふたり分の足音だけが壁や天井に響いている。
いくつかの廊下と階段と、それから扉を潜って、迷路のような城内を進みながら少しずつ上へ向かって行く。ホグワーツ城を見たとき、いくつもの塔が見えたから、そのうちのひとつに僕らは登っているはずだ。
これだけ静かだと雨が降っていたことすら疑わしくなるな、なんて、そんな馬鹿げたことを考え始めた頃にマクゴナガルが口を開いた。
「シュガー・クィル」
もしかして、ジョークだろうか?
廊下の突き当たりで、目の前にはグリフィンを模した像がある。意外に思って目を向けると、マクゴナガルは小さく咳払いをした。
変化は、すぐに起きた。
グリフィンの像がぎしりと軋んだ。重い石がこすれる鈍い音が廊下に響き、その瞬間、まるで床下から息を吹き込まれたかのように像の台座がゆっくりと持ち上がりはじめる。
僕は思わず一歩退いて上を見た。そうして初めて、天井が思った以上に高い位置にあることに気がついた。像は上へ上へと迫り上がっていく。
やがて鈍い振動とともに像は動きを止めた。像の下部から伸びる柱に巻き付くようにして、螺旋状の階段が現れる。
マクゴナガルがそっと階段の先を手で示した。
「足元にお気をつけて。ミスター・タチバナ」
僕は階段を見上げた。
こんな、いかにも秘密めいた場所に一体何があるっていうんだろう。
マクゴナガルは、そんな僕の考えを見透かすように落ち着いた声で返してきた。
「校長室へ通じています。ダンブルドア校長がお会いになりたいと」
螺旋を描く石段は思ったよりも狭く、壁との距離があまりにも近い。足音が石に反響して、ぐるぐる渦を巻いているような感じがする。
石壁を見つめながら上っているうちに、くらくらと目が回る感覚がしてきた。たまらず上を見ても、階段の段差に遮られて、どこまで続いているのかはわからない。
いつまで続くんだろう。足が重くなってきた。
対して、マクゴナガルはというと姿勢を崩さないまま淡々と上って、汗ひとつかいてないんだから凄いものだ。
ようやく最後の一段を上りきったときには、すっかり息があがっていた。とにかく、これ以上登る必要がないことに感謝しながら僕は背筋を正す。
湿り気を含んだ空気が乾いた香の匂いに置き換わり、広い空間が目の前に開ける。
そこは、思っていたよりずっと明るい部屋だった。
壁際には動く肖像画が並び、どれもこちらを値踏みするように目を細めている。棚の上に並んだ、いくつもの奇妙な道具……泡を吹くガラス瓶、時計の針を逆に回す砂時計、いくつもの輪が組み合わさった不可思議なオブジェ。
部屋の中央には大きな木製の机がある。古くはあっても丹念に磨かれて、木目が柔らかく光を返している。
そして、机の上の真鍮の止まり木には──。
「フォークス!」
思わず声が出た。朱金色の羽を持つ鳥が顔をこちらに向けている。短く鳴いて目を細める。まるで微笑みかけてくれているように。
数年ぶりに顔を合わせた友人は、あの日見たままの姿と眼差しを僕に返してくれた。羽先の金色が机の上に小さな彩りを落としている。
そんな再会の余韻を破ったのは、背後からかけられた静かな声だった。
「彼を……知っているのですか?」
はっと我に返って振り返ると、訝しげに眉を寄せて、マクゴナガルが僕を見つめていた。
気づかれてしまったのか……そんな思いが胸をかすめる。
「……あなたは」
マクゴナガルが何かを言いかけたその時、
「よくぞ、いらっしゃいましたな。このようにお呼びしてしまい、申し訳ない」
穏やかな声が、それを遮った。
僕とマクゴナガルの視線が同時に横合いの扉へ向かう。
そこには、銀髪を長く垂らし群青のローブをまとったダンブルドアがいた。扉を閉めながら、柔らかな笑みを浮かべている。
「マクゴナガル先生。ここからは、わしが預かりましょう」
その言葉に納得しきらないような表情を浮かべながらも、マクゴナガルは姿勢を正し、静かに頷いてみせた。
「そうですね……
そう言って踵を返し、足音を響かせながら扉の方へ向かっていく。去り際に一度だけ、その視線が僕の顔を捉えたけれど、そこにあったのは疑念よりも、どこか確かめるような色だった。
扉が閉じ、足音が階下へ遠ざかっていく。残された静けさの中で、不意に声がかけられた。
「久しぶりじゃのう。ケイ」
先ほどまでの他人行儀な口調と違って、いつも通りのあたたかな言葉に、部屋の空気がふっと変わった気がした。
ダンブルドアが深い皺の間に微笑を浮かべて、ゆっくりと歩み寄ってきた。銀色の髪が微かな光を受けて揺れる。
「ええ、お久しぶりです。ダンブルドア校長先生」
わざとらしく肩をすくめて真面目ぶった調子で言うと、ダンブルドアの目の奥にが灯った。口元がゆるみ、ゆるりと笑みが口端に浮かぶ。
「校長先生、か。『おじいさん』と呼んではくれんのかね?」
「ここで、そんな風に呼んだらまずいことくらい、僕にだってわかるさ」
僕がそう言うと、ダンブルドアの口元が愉快そうにゆるむ。
互いに視線を交わして、ふっと笑い合った。
「なんだか、昔に戻ったみたいだ」
「わしは一気に歳を取った気がするが……どうじゃ、少しは貫禄が出たかの?」
軽口のやり取りのあと、静寂が訪れた。燭台の炎がやわらかく照らし、深い皺の一本一本がはっきりと見えた。
時間が巻き戻るような感覚のなかで、胸の奥がじんと熱くなる。
「……ほんに、久しいな」
何ひとつ変わっていないその表情に、僕もまた自然と微笑みを返していた。
「そうだね。おじいさん」