Harry Potter Quatwizard Tournament 作:マクゴナガル命
最初の記憶は、空の青。
真っ暗な霧を抜け視界いっぱいに広がった澄み切った空。快晴の日で、中天を飛ぶ飛行機が斜めに大きく雲を引いていたのをよく覚えている。
地平線は見えず、太陽は眼前にあった。
僕は飛んでいた。宙に向かって。
何かから逃げ出していたような気がする。けれど、最初に抱いていたはずの恐怖は空を見るうちに次第に薄れて、飛ぶことに夢中になるあまり忘れてしまっていた。
落ちるかもしれない不安なんて一切感じることもなく、遠く輝く太陽に手が届きそうなくらい高く昇っていることに、ただただ歓喜の声をあげて。
なんの拠り所もなく、身一つで飛んでいた。後ろから回された腕が僕の身体を押し留めるまで、高く、高く。
思い返すたびに不思議な感覚がする。本当に不思議な。
あまりにも日常からかけ離れた記憶だ。でも、それは僕にとって決して非日常なんかじゃなかったんだと今は思える。
1986年の早春、時計の針を戻すなら、ここが起点になるはずだ。
「寒い……」
まだ、二月も末の頃だった。
冷たい風に吐く息は白く、ふんわりと広がっていく。それでも、どこかしら空気の質が変わったように感じられたのは、それこそ春の兆しだったのだろう。
木立はまだ裸に近く、その根本に冬の名残の枯葉が残っている。いくらか集めれば人ひとり横になれそうなくらいの量は十分にあって、僕はひとり、枯葉をベッドに梢を見上げながら横になっていた。
というのも、
「はーるよ、こい!」
ポンっと軽快な音を立てて、枝の先端に花が咲く。
薄紅色の桜の花が蕾も育ち切っていないのに綺麗に開いて、風に揺れるのを眺めながら僕はさらに力を込めた。
枝がわずかにしなり、ポンっとまたひとつ、弾けるように花がほころぶ。まるで呼応するみたいに、あちこちの蕾が順番を争っているような感じだった。
「これ、やっぱり超能力だ……!」
樹全体が満開になるのを見て、思わずニマニマ上がる頬を抑えながら、僕はごろんと腹ばいになった。
「〜〜〜……っ!」
こんなのって反則だ。あまりにも楽しすぎる。
なんだか嬉しすぎて、とにかく何かを叫びたいような感じがする。でも、そしたら嬉しい気持ちも風船みたいに抜けて出ちゃうんじゃないかとも思えて、そのままじっと叫び出したいのを我慢しながら足をバタバタ動かした。
まるで、おとぎ話みたいだ。
いや、花咲か爺さんだって灰が無ければできなかったのに、まさか同じことを道具も無しにできてるんだ。もしかすると、おとぎ話よりすごいかも。
実を言えば、ここのところずっとこんな調子だ。
最初に「あれ?」と思ったのは5日前、落ち葉の中からちょこんと飛び出た小さな芽を見つけた時だった。
春だなあと思って大きくなった姿をなんとなく想像した瞬間、芽が一気に成長して、花が咲いて、それが落ちて、なんと実までつけちゃった。
それからずっと、山に来る日々。
その甲斐あって冬枯れの山のあちこちに紅梅やら山桜やらがポツンと咲いてる結構おかしな景観になってるけど。
しょうがないよな。だって、楽しいんだもの。
それに、不思議な縁もあった。
満開の桜を惚れ惚れと見上げていると、空を何かが横切ったような気がした。ハッと目を凝らすも、すでに視界から外れてしまって、気のせいかと息をつく。
けれども、ゆっくりと瞬きを数回した後、視界の隅に赤い羽がちらりと映り込む。素早く首を回すと、裏返った視界のなかで深紅の鳥が優雅に鳴いた。
気のせいじゃなかったのか!
「フォークス!」
思わず歓声を上げて抱きつこうとすると、フォークスはひらりと腕の届く範囲から退いて、小さくさえずった。
黒に近い瑠璃色の瞳がイタズラっぽく輝いている。優雅で美麗なこの鳥の特徴として、なによりも頭が良い。賢いと言うより頭が良い。そして、気位が高い。
最初出会った時、「ぴいちゃん」って呼んだ僕に対して、わざわざ地面に文字まで書いて“フォークス”と名前を教えてきたのにはびっくり仰天だった。
人に慣れてるから飼われてるのかなとも思ったけど、足環や名札の類はないし、それに鳥の放し飼いなんて聞いたこともない。
ペットだったのが逃げたのかなとも思いつつ、時々遊びに来てくれるフォークスは特別感があって大好きだった。綺麗だし品があるし、なんだか自分が認められているように思えて誇らしくもあった。
「これは、しつれーいたしました」
初手で抱きつくなんてナンセンス、そう言いたげに差し出された羽を軽く撫で、ゆっくりと頭に近づけながら首元を指先でかく。
フォークスは気持ち良さげに目を細めた。ピロピロ満足そうに鳴いているところを見るに、どうやら合格判定は貰えたらしい。
そのまま撫で続けていると、しばらくしてフォークスが頭をあげた。
山桜の木と僕とを交互に見やり、首を傾げる。
「ああ、これ? 僕がやったの」
「すごいでしょ」と鼻を高くして言ってやると、フォークスが今度は木立の向こう側を一瞥した。
視線の先、枝木の間から微かに見える紅色の花を見つけて鳴いた。空から山全体を俯瞰して来たのだとすれば、きっと全部知られているんだろう。
「はは、君の想像してる通りだよ」
やっぱり頭が良い。言葉が全部通じてるみたいに目を細めると、フォークスは軽やかに飛びあがって桜の枝にとまった。
木々の間から山並みをじっと見つめている。何を見ているのかと思えば、フォークスは身を翻し大きく羽ばたくと、木々の梢を超えてさらに上空へ飛びあがった。
頭上から聞こえる歌声が山々にこだまする。今日はもうお別れということらしい。
どこからか飛んでくる奇妙な友人は別れのたびに美しい歌を残してくれる。
だから今日もいつもと同じなんだろうなと僕は思った。
立ち上がって、裾を払う。自分もそろそろ帰らなくちゃいけない時間だった。門限を過ぎたら大目玉だ。
枯葉を踏みながら山を下る。林道に出てから少しして、僕はふと思った。
そういえば……。
「歌、まだ続いてる?」
いつもなら、数秒も経てば終わるはずなのに。
枝に隠れて空は見えない。歌の聞こえてくる方角をなんとなく振り返ってみる、何かが起こるような気がして。
そうやって、しばらく待ってはみたものの何も起こらない。枯れたススキが木枯らしに吹かれてガサガサと鳴っているだけだった。冬枯れの山、ところどころ花が咲いている以外には景色のもの寂しさは変わらず、春に向けて眠っている最中の気配。
次第に歌声も聞こえなくなっていって、数秒経つ頃には完全に消えてしまった。
なんとなくばつが悪いような、でも、不思議とワクワクするもするような、そんな気持ちを抑えて僕は帰路を急いだ。