Harry Potter Quatwizard Tournament 作:マクゴナガル命
「ほんに……久しいな」
「そうだね」
おじいさん──そう静かに呼ぶと、ダンブルドアがそっと僕の背中に腕を回した。
ふんわりとした髭が頬に触れて、ほのかな香りが鼻先をくすぐる。キャラメルみたいに甘くて、どこか懐かしさを感じる匂いだった。
背を叩く手のリズムに照れくさくなって思わず顔を上げると、こちらを見るダンブルドアと目があった。目元の皺を深め、冗談めかして言う。
「ここまでの
「え?」
声音には穏やかな笑みが滲んでいた。昔から変わらない調子に胸の奥が少しだけ温かくなる。
でも、そういう言い方はなんだか意地悪だと思う。だって、まるっきり雨の中を歩いて来たことの大変さが勘定に入ってないんだ。
「君の力量なら服をまったく濡れさせることなく、ここまで来ることも可能だったのではないかね? 少なくとも、わしはそのつもりだったがのう」
「ダメダメ。愚痴るにしても、多少濡れてなきゃ説得力がないもの」
どっかの誰かさんに、僕は頑張ったんだぞって見せつけてやらなきゃ気が済まなかったんだ。
そう言い放つと、ダンブルドアは朗らかに肩を揺らして、ベルトに挟んであった杖をゆっくりと引き抜いた。先端を僕の頭に当て、小さく波を描くように動かす。
「
その途端、杖先から温風が流れ出て、蒸気を立てながら全身が乾いていくのを感じた。
九月といっても、このあたりはもう随分と涼しく、雨が降っている今はいっそ寒いくらいだった。
服が乾くにつれて、くしゃみが立て続けに飛び出た。鼻水も出てきてしまって、ダンブルドアがハンカチを差し出してくるのをありがたく受け取った。
「君のびしょ濡れな姿を見て、マクゴナガル先生が気を揉んでおらねばよいのじゃが。今度、きちんと謝っておかねばな」
ダンブルドアが笑みを深めて言う。
「君にも、せめて温かいココアの一杯くらいは用意すべきじゃった」
「いいね」
できればシナモンなんか入れてくれたら、もっと良いんだけど。
「どうせ飲むなら、わしはちょっぴり濃いめだと嬉しいのう。歯がこれ以上悪くならんよう、磨かねばならんのは少々面倒じゃが」
片側の頬をさするダンブルドアに、僕は首を傾げた。
「虫歯、まだ治してなかったの?」
「魔法じゃ治しきれんと、マダム・ポンフリーに匙を投げられてしもうてな」
「そう……それはまあ、災難だったね」
マダム・ポンフリーが誰かは知らないけど、ダンブルドアのことだ。どうせ甘い物を我慢できずに食べ続けて、呆れられたに違いない。しつこく注意されてる姿が目に浮かぶようだ。
災難だったのは、むしろそのマダム・ポンフリーって人の方なんじゃないかなと口にしかけたけど──ふと視線が合って、言葉が喉元で止まった。
「しかし、君のこれまでの四年間に比べれば、さほどのことでもあるまい」
その一言の後、しばらく視線が絡んだまま、どちらも何も言わなかった。その沈黙の意味を、ダンブルドアはきっと察してくれたはずだ。
ふっと表情を緩めて、ダンブルドアは杖を一振りしてから腰のベルトに戻す。そして、そのまま一歩後ろへ下がった。
呼び寄せの呪文を使ったことはすぐにわかった。
「ん?」
硬いものが絨毯を擦る音がして僕も数歩後ろへ下がると、ダンブルドアとの間に丸いテーブルが滑り込んできた。
続いて、二脚の椅子がガタガタと跳ねながら向かってきて、まるでそこが定位置であると言わんばかりに、テーブルの左右にぴたりと止まった。
テーブルの上には小さな金色のベルがひとつ、静かに光っていた。
「疲れたじゃろう? 話はまず、一息ついてからにしよう」
ゆっくりと腰を下ろしたダンブルドアが、向かいの椅子を手で示して言った。その仕草に促されて、僕も腰を下ろす。
窓を叩く雨の音が、今になってようやく耳に届き始めた。
「さて、どこから話したものかの」
肘をついた手で髭を撫でながらダンブルドアが視線を窓の方向へ向けた。
いつのまにか日が落ち始めていて、暗くなりかけの空に雨の線が幾重にも流れている。秋の雨と同様に、ダンブルドアの思索もまだ止みそうにない。
ぼんやり室内の魔法道具や調度品に目を向けていると、止まり木の上で眠るフォークスの姿が目に映った。
そういえば──。
「そうだ……手紙」
手紙を梟に持たせたはずだ、ダンブルドアに宛てて。
あれは、どうなっただろうか。
「ふむ、これのことかの?」
ようやく思い出したように懐を探り、ダンブルドアが一通の手紙を取り出した。
見た瞬間にわかった。僕が送ったものだ。
「良かった。届いてたんだ」
「昨夜の時点で、君の梟がわしの手元に届けてくれた。ちょうどシャワーを浴びておったところでな。少々水を引っ掛けてしもうたが許しておくれ」
その言葉通り、手紙の端っこによれたところがある。でも、それくらいどうってことない。
「ごめん……あの子が迷惑かけちゃったみたいで」
入浴の最中に手紙を届けるなんて、あまりにも非常識だ。手間をかけさせたことを申し訳なく思っていると、ダンブルドアはゆるゆると首を振った。
「よいよい、気にしてなどおらんよ。むしろ楽しい訪問じゃった。おかげで退屈な夜が愉快に過ごせたのでな」
その言葉に思わず笑みがこぼれた。
「あの子は、今どこに?」
「西の塔のフクロウ小屋じゃ。城の管理人に掃除も頼んでおいたゆえ、今ごろは存分に羽を伸ばしておることじゃろう」
「そっか、ありがとう」
薪がはぜる音。それに気づいて目を向けると、いつの間にか暖炉に火が入っていた。
フォークスが止まり木からひらりと飛びあがり、天井近くを旋回してから暖炉の火のそばに着地した。燃える薪の上にゆったりと羽を広げ、火にかざしながら毛先を整えはじめる。
「しかし、日本魔法界は相も変わらずか」
吐息混じりの声が聞こえた。ふと見やると、ダンブルドアもまた同じようにフォークスの仕草を眺めていた。
「……全部が悪いってわけじゃないよ。結束の強さは、むしろ誇れると思う」
その分、一度でも輪を外れてしまえば、今度はその“結束”に阻まれる。
「最初から、疎外感みたいなものはあったんだ。魔法処に入学した日からずっと、意味もわからず避けられてるみたいな感じだった」
静かな部屋に言葉が落ちる。フォークスがチラとこちらの様子を見て、けれど、すぐにまた羽の手入れに没頭しはじめた。
「四校対抗試合は正直チャンスだと思った。他のみんなと距離が近くなるし、親しくなりやすいかなって」
でも、
「見てわかる通り、来たのは僕ひとりだけ」
自分でも驚くほど乾いた声が出た。口の端だけがわずかに吊り上がる。
「生徒はまだわかるけど、校長も来ないなんてありえないって言ったんだ。でも、ほら、うちの校長って西洋嫌いだし、なかでも、おじいさんのこと大嫌いだし。だから……仕方ないかなぁって諦めた」
声が途切れて、部屋の中にぱちぱちと燃える音だけが残った。薪のなかから吹き上がるようにして火花が散る。
しばらく何も言わず暖炉を見つめていたダンブルドアがふと息を吐き出した。まるで火のなかの灰をそっと払うような、柔らかな吐息だった。
「よくぞ、その眼差しを失わずにいてくれた」
青い瞳の奥に過ぎ去った日々を見ながら、それでも、その光は今の僕をまっすぐに捉えている。
……羨ましいな。
汽車で見た生徒たちは本当に楽しそうだった。諍いも少しはあるようだったけど、それだって、過ぎてみれば思い出になる。
そんな空気が生まれるのは、きっとこの人が見守り続けてきたからだ。
「僕も、ホグワーツに通えてたらなあ」
特別、熱を込めて言ったわけじゃなかった。
慣れない空気に少し心が浮ついているだけ。冗談めかして口にして……そのまま流れて行ってしまうくらいが、ちょうどいい言葉だったから。
「お父上が胸を痛めるのではないかの?」
「父さんが? まさか」
からかうような言い方に、肩をすくめて返す。
「魔法処だって11歳からは寮生活なんだ。たいした違いはないよ」
「子の巣立ちは、どの親にとっても寂しいものじゃ。君のお父上もまた、胸の奥でその日を思い描いておられることじゃろう」
ダンブルドアは静かに僕を見つめて、
「そうとも……君が思う以上にな」
それだけ言うと、再び暖炉の火を眺めはじめた。いつになく気遣わしげな声色だった。それだけじゃなく、何か含みがあった気がした。
僕は思わず眉を顰めて、その横顔を見つめた。けれど、ダンブルドアはそれに気づく様子はなく、あるいは、気づいていても応える気はないようだった。
「そろそろかの」
時計を見て、立ち上がる。
「そろそろ、時間じゃ」
「何の……」
そう言おうとしたときだった。壁の向こうから淡い光が漏れ、次の瞬間、白銀の猫が音もなく室内へと滑り込んできた。
ふたりの視線が自然とそちらへ向かう。猫は暖炉の前で立ち止まり、口を開いた。
『お話のところ失礼します、ダンブルドア先生。他の二校から来賓の皆様が到着されたようです。生徒たちもすでに広間に集まりつつあります。お早くお越しください』
厳格な口調、マクゴナガルの声だ。
広間にみんなが集まっている──つまりは、四校対抗試合の発表がてらに、生徒間の顔見せも済ませる予定ってことだろう。
猫は続けて言った。
『それと、あなたに限ってそういうことはないでしょうが、ミスター・タチバナのことも案内してくださいますね?』
「心配なさるでない。いくら、わしでも、客人の案内を忘れるようなことはせんよ」
微笑むダンブルドアの顔に向かって、猫は小首を傾げた。納得のいっていないようにヒゲを震わせながらも、自分の役目はここまでと思ったのか、しぶしぶ踵を返した。
そして、尾を揺らしたのを最後に、猫は霧のように消えしまった。
「さて」
ダンブルドアが小さく頷き、「行かねばな」と入り口へ向かう。
それに続こうとして椅子を引いたとき、不意に思い出したことがあった。
「あ、待って! そういえば、渡したいものが」
ポケットを探る指先が冷たい金属に触れる。取り出したのは一枚の古びた硬貨だった。手のひらに乗せると、明かりを受けて鈍く反射し、表面に描かれた絵が微かに浮かび上がる。
小高い丘。そこから空を眺めていた老爺と少年が、ふたりして振り返り、僕とダンブルドアを見上げてきた。
「これ、ずっと前にくれたものなんだけど、覚えてる……? ほら、“自分を驚かせてみせろ”って、あの宿題のとき」
表面はところどころ錆びているけど、描かれた星や月は貰った当時のままだ。淡い光をぼんやりと放つ硬貨を見て、ダンブルドアが頬を緩めた。
「もちろん、覚えておるとも」
「じゃあ、どんなふうに合格をくれたかも?」
ゆるりと頷くダンブルドア。そんな様子に、僕はほっとして、手の中の硬貨に目を落とした。
これを見るたびに、あの日の沢の風や父さんの表情まで思い出される。それが嫌で机の奥にしまい込んでいたら、いつの間にか錆びてしまっていた。
「あのとき、お情けで合格を貰ったみたいで、ずっと気になってたんだ」
言いながら、僕は硬貨を差し出した。
「……答え合わせがしたくてさ」
ダンブルドアが差し伸べる手にそっと載せる。
手のひらに触れた瞬間、硬貨のカタチに意識を向けると、その表面がふっと光を帯びた。淡い金色の光が波紋のように広がり、浮き出た錆を外に弾きながら、全体がぐにゃぐにゃと歪み始める。
それはゆっくりと形を変えていき、やがてダンブルドアの中指にするりと巻きつくと、部屋の明かりの下で金色に輝いた。
「これは、また精巧じゃな」
側面には、細やかに意匠を施してある。感心するように目を細めた後、ダンブルドアが何かに気づいたように目を瞬かせた。
指輪に刻んだ意匠を足場に──小っちゃな僕とダンブルドア、そしてフォークスがバタバタと追いかけっこをしている。
パルクールみたいにひょいひょいと移動しながら逃げる僕らをフォークスが追う形で、いたるところを駆け回る姿にダンブルドアがほぅと息を漏らした。
「充分すぎる答えじゃ」
「良かった……」
やっと、大きなしこりが取れた気がする。
「もし良ければ、つけてて欲しい。お守り代わりにさ」
「願ってもおらんことじゃ」
目尻の皺を深めて、笑って言った。
「これほど心を動かされるのは、いつ以来のことか」
「……去年、クリスマスにプレゼント贈ったとき以来じゃない?」
冗談めかして言うと、ダンブルドアの顔に茶目っけのある笑みが浮かんだ。その笑みのまま、指輪をはめた右手が僕の肩を軽く押し、入り口へと誘う。
「さあ、行こうかの」
頷いて、椅子を離れる。僕らが近づくとグリフィン像が素早く迫り上がり、階段が再び現れた。
足早に階段を降りながら、下りは楽だなと、そんなことをふと思った。
ヲシテ文字、ご存知でしょうか?
日本魔法界が存在した場合、興味深い要素かなと思って、それを装飾的にアレンジした感じが指輪のデザインかなって妄想してます。
ただ、神代文字ロマンなんですけどね……