Harry Potter Quatwizard Tournament 作:マクゴナガル命
城の回廊に足跡がふたつ響く。すっかり陽の落ちた城のなかは静けさに満ちて、篝火の届かない遠くの方からは時折、得体の知れない物音が聞こえてくる。
まるで、城そのものに惑わされているみたいだ。
回転しながら組み変わる階段、閉じた瞬間に消える扉、遠くから見た時と近づいた時とで向きを変える剥製── 魔法処も襲撃を受けた時のためだとかって複雑な構造をしていたけど、これほど気まぐれじゃなかった。
階段を降りながら興味深くあちこち見回していると、突然、足元の段が消えて、危うく転びかけたこともあった。
一体いくつ扉を抜けたかも、何回、角を曲がったかもわからない。とにかく、大広間に辿り着くってだけで十分以上かかったし、何度怪我をしかけたか知れない。
ホグワーツ入り口のホール右手に大広間はあった。大きな両開きの扉に隙間が開いて、そこから中の様子が覗いていた。
宙に浮いた蝋燭と、談笑をする生徒たち。もう少し全体の様子を見れたらと扉に近づこうとした、そのとき、
「──
不意に響いた深いアルトの声が、僕らふたりの足を止めた。
光沢のある黒繻子に身を包み、首元で切り揃えられた髪を揺らしながら女性が玄関口からホグワーツへ入ろうとしていた。後ろに淡い水色のローブを着た男女を十数名引き連れている。
「これはこれは、マダム・マクシーム。ようこそホグワーツへ」
ダンブルドアが握手を求めたその女性──マダム・マクシームを見た率直な感想としては、背が高い、その一言に尽きた。
ひょっとしたら亜人の血を引いているのかもしれない。長身のダンブルドアと比べても、その身長は倍近くあって、組んだ手がダンブルドアの頭近くにあるのを眺めていると、握手というより大人と子供が手を繋ぐようなアンバランスな光景だった。
「
「ピレネーの麓に比べ、こちらはいささか気温も低いでしょう。寒い思いをしてらっしゃるのではないかの?」
「しんぱーいいりませんよ。わたしたちも、寒さにはなーれてますから」
ひらひらと手を振るマダム・マクシームに合わせるように、後ろに控える生徒たちが背筋をピンと伸ばした。
けれど、生徒の多くが身体を震わせていることに当の本人は気づいていないのだろうか……?
優雅な所作で顔色ひとつ変えず、
「カルカロフ校長先生は、まだおいでではないようじゃの」
「ええ。もう少しあとに来ーるでしょう。湖の
ダンブルドアの問いかけにも、ぷっくらとした唇に指を当てて答える。
「わたしたちは、先に
「ふむ……」
ダンブルドアが首を振る。
「いや、他校の生徒がいきなり登場しては、我が校の生徒たちも腰を抜かしてしまうことじゃろう。すぐ隣に待合室を用意しておる。暖炉の火も屋敷しもべたちに言づけておいたゆえ、定刻まではどうぞ、そちらで温まっていてくだされ」
「しかーたありませんね。わかりまーした」
その声に、後ろでボーバトン生がほっとしたように息をついた。ぱあっと目を輝かせる少女もいて、それを見ていたダンブルドアがゆるやかに頷いた。
「あちらへ」と広間へ行く手前の扉を示されて、向かおうとした間際にちらっと、マダム・マクシームの視線が僕を捉えた。
「そーいえば、そちらは誰でーす?」
長いまつ毛に縁取られた大きな瞳が興味深げに瞬いている。私服を着たままの僕の格好に目を留めて、首を傾げながらホグワーツ生の集まる広間の方へ目を流す。
そういえば着替えるのを忘れてた、魔法処の制服だと気を引いちゃうと思って。
それじゃ不思議に思っても無理はない。まさか、魔法処から生徒一人しか来てないだなんて思いもしないだろうし。
「おお、ご紹介がまだでしたな。こちらはマホウトコロの生徒でケイ・タチバナ──
「よろしくお願いします。マダム・マクシーム」
軽く頭を下げて返答を待ったものの、数秒経っても返答がない。顔を上げると、マダム・マクシームはわずかに眉を寄せていた。その眼差しが僕の頭の先からつま先まで、品定めするようになぞって、私服の襟元で止まる。
「どうされました……?」
僕がそう問いかけると、彼女はゆっくりと首を傾げ、
「ほんとーに、あなたがマホウトコロの生徒でーすか?」
訝しげに言いながら、ダンブルドアに目配せをした。
意味が分からず、僕は思わずダンブルドアの方を見た。彼は短く息を吸い、こちらを一度だけ見やると静かに居住まいを正した。
「それはどういう意味かの? マダム・マクシーム」
「どーいう? わたしの考えていることが、ほんとーにおわかりでないのでーすか?」
「はて、まったく」
穏やかな声のはずなのに、どこかに芯のような硬さがあった。僕が感じたんだ。マダム・マクシームはもっと明確にそれを拾い上げたはず。
当惑げな表情を今度はダンブルドアに向けた。
「なーら、これがフェアだと思って? ダンブリー・ドール」
マダム・マクシームが僕を手で示した。
「四校の名誉がかかっているのでーす。遊びではありませーん。こんなに幼い子をさーんかさせるなーんて、正気とは思えないでーす」
「確かに危険な催しじゃ、マダム・マクシーム。あなたが危惧しておられるところは、わしも重々承知しておる。各校の名誉も、むろんのことじゃ──しかし」
一息置いて、ダンブルドアが言った。
「フェアかどうかを量るのは彼を送り出したマホウトコロの決めるところ。そして、彼は我が校の大切な客人じゃ。どうか、この場では、わしの顔を立てていただけぬか」
マダム・マクシームは、わずかに顎を引いた。胸の前で重ねた指がほどけ、ため息ともつかぬ息が鼻から洩れた。
「わかりまーした……言うの足りてなーい気持ちはとてーも有りますけれど」
彼女は後ろに居並ぶ生徒へ向けて何事かをフランス語で合図すると、裾を払って向きを変えた。身長に違わず歩幅も大きい。淡い水色の列が去り際にダンブルドアへと会釈を向け、慌ててその後を追っていく。
香水と外気の冷たさが細く尾を引き、僕は離れていくボーバトン生の背中をしばらく目で追っていた。
最後尾まできたときだった。
列の一番後ろにいたプラチナブロンドの少女が会釈の後、歩みを緩めて肩越しにこちらを振り返った。
美しい少女だった。絹のように長い髪が腰まで流れて、大きな瞳は光を映して潤んで見える。なんてことのない所作ひとつとっても絵画のようで、不意のことに驚いていると、少女が唇だけで囁いた。
「
意味のわからない言葉だったけれど、彼女の表情で何となく、からかわれたことだけは察した。
「えー、ありがとう……?」
曖昧に笑って返す。そんな僕の様子に少女は肩をすくめて視線を外した。長い睫毛が影を落とし、つまらなそうに嘆息した。
歩き出した少女はもう振り返らなかった。
遠ざかっていく背中を見つめて、扉の向こうに消えていくのを見送ってから、僕は深く息を吐いた。
……疲れた。
廊下に残されたのは僕とダンブルドア、そして石床に揺れる松明の影だけ。広間のざわめきが扉の隙間からこぼれて、足首を撫でる風が少し冷たい。
「あの子が気になるようじゃな?」
こっちの内心を知ってか知らずか、ダンブルドアがそんなことを言っても特に違和感を覚えることもなく、僕はぼんやりと天井を見上げていた。
他校との交流が、こんなにも疲れるものだったなんて……。
言葉を選んで話すたび、まるで知らない場所に放り出されたような居心地の悪さがある。あの少女の目には、どんな自分が映っていたんだろう。
「ケイ」
「え?」
呼ばれて顔を上げる。ダンブルドアはいつもの穏やかな微笑を浮かべていた。
「わしも、そろそろ行かねば。あまり遅れてしまって、彼女らをこれ以上待たせるのも忍びないのでな」
「……まあ、だろうね」
生徒たちはともかく、マダム・マクシームの方は、すぐにでも広間で自分たちの姿を披露したくて仕方がない様子だった。
きっと、ド派手な登場シーンを考えてきてるに違いない。
例えば、マダム・マクシームの全身のオパールが膨らんで
「ダームストラングの一行が来るまでには、出迎える準備も終わっておるじゃろう。君も呼ばれるまでは、彼女たちとあちらで待つがよかろう」
それか、自分たちの肖像画を背負って登場するとか──。
自分でもくだらないとわかっていながら、そんなことを考えていると、何かありえないことを言われた気がした。
ハッと我に返って、ダンブルドアに目を向けた。
「ん? え、ちょっと待ってほしいんだけど」
けれど、すでに遅かった。
ダンブルドアは扉に手をかけ、こちらを振り返りもせず、それでも何かを伝えるように口の端をゆるめた。静止の声も虚しく、微笑みだけを残して大広間の中へと消えていく。
閉じた扉の向こうから漏れ聞こえる数百人分のざわめきに歓声が混じった。
ダンブルドアが何かを話し始めたらしい。
「えぇ……」
こんなのってない、あんまりだ……!
あんなやりとりした後に、ひとりで待合室へ行くのなんか、針の筵もいいとこじゃないか。
気まずいし、何か突っ込んで聞かれても困るし……想像しただけで、背中がむずむずしてきた。
待合室の方へ何度か振り返って、しばらくそのまま立ち尽くしていると、大広間の扉が少しだけ開いて、隙間からマクゴナガルがするりと抜けてきた。
「ミスター・タチバナ?」
驚いた顔を浮かべて、こちらを見やるマクゴナガルに苦笑を返す。
「ここで何を──いえ、今はそれどころではないのでした」
曲がった帽子を直し、マクゴナガルはすぐに姿勢を正した。
高いヒールの音が石床を軽やかに叩いた。待合室とは反対の方向へ、マクゴナガルはまっすぐホールを横切り、横手の扉の前で足を止める。
扉の先は小部屋のようで、入り口から中へと呼びかける声が静かなホールに響いた。
「新入生の皆さん、お早くこちらへ。大広間で組分けの儀を開始します」
マクゴナガルの背に続くように、十数人の新入生が小部屋の中から現れた。真新しいローブを着た子どもたちの顔には、不安と期待が入り混じっている。
その誰もが、まだあどけない。
僕を見るときも、何か特別な生き物でも見るような目をして、そっと目配せしてはすぐに逸らしていった。
マクゴナガルが扉を開け放つと、温かな光が溢れ出した。大広間の中から、椅子の軋む音と拍手、ざわめきが聞こえてくる。
彼女はまっすぐな姿勢をさらにピンと正して、新入生たちの顔をひとつひとつ確かめて頷くと、一言だけ口にした。
「さあ、皆さん。まいりましょう」
列が動き出す。拍手が膨らむ。
松明に照らされた、幼い顔が緊張で強張っている。
小さな足音がホールを渡っていくにつれて、拍手が一段と大きくなった。扉が閉まったあとも、それはやむことなく、
「アッカリー・スチュワート!」
微かに聞こえたマクゴナガルの声に、組分けの儀が始まったのだと、すぐにわかった。
ため息をひとつ。
「……しょうがないか」
誰にともなく呟いて、ゆっくりと待合室の方へ歩き出す。遠くで響く声と笑い声を背に、僕は静かに扉の取っ手へ手をかけた。