Harry Potter Quatwizard Tournament 作:マクゴナガル命
林道を下りて、舗装された道を進む。
苔むしたガードレールをなぞりながら緩く左右にカーブする道をしばらく歩くと、少し先にこれまた苔むした橋が見えてきた。
小川と土手の間の1、2メートルほどの隙間を埋める程度の本当に小さな橋で、名前のあるなしも知らない。
「ん、なんだ?」
ふと小川の水面から蛙が頭を覗かせたのが見えた。苔色の皮膚にイボが見える。
じっと見つめてくるまんまるの目ん玉に手を振って小走りで通り過ぎる。
「あれ……?」
二月の下旬に蛙がいる。
変だなと思った。だって、ほとんど虫の鳴き声だって聞こえない。雪解けで川の水もまだ冷たいはずなのに。
なんとなく引っ掛かりを覚えたけど、そんなこともあるのだろうと思って、わざわざ振り返りはしなかった。
夕焼けの真赤な林のなかにボトンッと何かが水を打つ音が聞こえた。薄気味悪さのようなものも確かにあったのかもしれない。
橋を渡ったあたりから周囲の木々がまばらになって道に勾配が生まれはじめた。
そろそろ家の近くだ。門限までもまだ日が落ち切っていないなら余裕はある。小走りのまま上り坂を越え少し進むと、木々に囲まれていた視界がにわかに開けた。
田畑が広がるなか、あぜの向こうに田舎造りの家がある。田畑と言っても藁のくずや刈り入れた後の株が枯れて残っているくらいだけど、それでも人里の気配にホッとした。
煙突から白い煙がたなびいている。裏から庭へ抜けると味噌や出汁の香りがした。
「ただいま〜!」
軒下で靴を脱いで、そのまま家の中へ入る。靴はそこに置いたまま、あとで叱られるとしても玄関までの数メートルを走る時間が惜しかった。
洗面所で手を洗い居間へ向かうと、おっきな背中が台所のほうでガチャガチャやっていた。なんだか、やっと帰ってきた気がする。肩に入った力が解けていくような。
「父さん、ただいま」
声をかけると、振り向いた顔が緩くほころんだ。
「啓? 帰ってたのか」
「うん、今さっきだけど」
玄関扉の開閉する音が聞こえなくて不思議に思ってるんだろうな。
「料理してたから、気づかなかったんじゃない?」
「ああ、そうだな」
それ以上何か聞かれる前に手伝いを申し出て、皿や料理を居間へ運んでいく。
最後に味噌汁を作り終えた父さんが鍋ごと居間に運んできたとき、ちょうど外から夕焼けのチャイムが流れ始めた。
フォークスの歌声とは感じる印象もまったく違うけど、揺れて聞こえるチャイムの音色は夕方の空気も相まって、どこか不思議だ。
この世のものじゃないみたいな、そんな、
「……」
窓の外、森のほうで何かが揺れた気がした。遠くて見えない。でも、黒いシルエットが不自然に膨らんだような。
じっと注視していると、後ろで父さんが呼ぶ声がした。
「どうした、食べないのか?」
味噌汁をよそい終えて、父さんが「ほら」と手で促す。
しばらくぼんやりと瞬きだけを返していると、そんな僕の様子を怪訝に思ったのか父さんが眉を寄せた。
「啓?」
普段通り、不自然なことなんて何もない。もう一度窓の外を見ても、暗くなりかけた景色のなかで森の木々は風に揺れるだけだった。
「なんでもない」
気を取り直して座布団に腰を下ろし、正座のまま手を合わせる。
「いただきま〜す!」
湯気の向こうで、父さんも同じように手を合わせる。
テーブルには焼き魚とほうれん草のおひたし、漬物、それに炊きたての白飯。湯気の立つ味噌汁は、油揚げと豆腐が入っていて、だしの香りがやわらかく鼻をくすぐった。
「魚、冷めないうちにな」
「うん」
一口かじると、ほろほろとした身が舌の上でほどけていく。焼きたての香ばしさと、ほんのりとした塩気。冬の終わりの空気の中で冷えて身体に、じわりと温かさが広がった。
父さんは箸を動かす手が早い。黙々と、ご飯と味噌汁を交互に口に運んでいる。僕もそれにならって口を動かす。
時々、箸の先で器を軽くたたくような音が響くほかは、二人の間にほとんど会話はなかった。それが当たり前のようになっているせいか、僕はその沈黙が嫌じゃなかった。
ただ、今夜は少しだけ頭のどこかに、山桜とフォークスのことがちらついていた。あの歌がいつもより長かったこと。川辺で見かけた、あの季節外れの蛙のこと。夕暮れの森の黒々としたシルエット。
「……今日、外は冷えたろう」
ぽつりと父さんが言った。箸を置くでもなく、湯気の向こうで目だけがこちらを見る。
「うん。でも、春みたいな匂いもしたよ」
「春の匂い、か」
父さんがわずかに口元をゆるめた。それ以上は聞かず、再び箸を動かし始める。僕もそれに合わせて黙った。
食事を終えると、父さんが片付けをするというので、僕はお茶をすすりながら座卓に残った。湯のみの縁から立ちのぼる香りが、まだ緩み切らない指先を温めてくれる。
居間の隅の古い時計が、コチ、コチ、と間延びした音を刻んでいる。
片付けを終えた父さんが戻ってきて、ちゃぶ台の横にどさりと腰を下ろした。
ラジオのスイッチを入れると、少しざらついた音のあと、柔らかな声のアナウンサーが天気予報を読み上げた。明日は晴れ、午後から雲が出るらしい。
「明日も山か?」
不意に問われ、思わず少し間を置く。
「そう、だね。行こうかなって」
「気をつけろよ。まだ雪の残ってるところもあるからな」
「わかった。大丈夫だよ」
短いやりとりのあと、ラジオの音だけが部屋に流れた。
やがて、居間の隅に置かれたストーブの火がぱちりと鳴る。炎の揺れが畳に小さく反射して、まるで水面の光みたいにきらめいていた。
風呂の支度ができたのは、それから少ししてからだった。浴室に満ちた湯気に包まれると、外で冷えた頬や手足がほぐれていく。湯に浸かりながら天井を見上げると、ぽつりと雫がしたたり落ちた。
変な日だと幼いながらに思った。色々なことに、やけに敏感になっている。
呼吸と遠くで風が家を揺らす音とが重なって、夢の手前のような感覚になる。それは布団に潜り込んでからも同じだった。
静かすぎて、じんと耳鳴りがする。
全部、何故か同じ糸でつながっているような予感がある。けれど、その正体には手が届かない。
目を閉じて、うとうとと。そうしているうちに夢を見ていたのかもしれない。
夜半、父さんが静かに起き上がった気配がした。床板を踏む鈍い音が廊下の向こうへ遠ざかっていく。
どうせトイレかなと思って、そうして僕はあっけないほど静かに、また眠りに落ちた。