Harry Potter Quatwizard Tournament 作:マクゴナガル命
少年が眠りについた後、深夜の暗い家のなかで廊下を渡った影がつっかけを履き、庭を挟んだ向かいの小さな小屋に入ってゆく。
遠目にそれを眺めながら、男はじっと木陰で息を潜めていた。月明かりに照らされた建物の窓にぼんやりと光が灯る。
夜山に灯りといえば、そのひとつだけ。あとは星と月が光るのみで、虫も獣も草木すら早春の夜風の寒さを嫌って夢路を辿る静かな夜。
もしも、それが普段通りであったなら、風の吹き抜ける以外に、山中に音などないはずだった。
「こんばんは。精が出ますな、道真公」
背後からかけられた声に男は素早く振り返った。
木々の間の暗がりは不自然なほどに深く、見通しが効かない。けれど、男はその闇を見透かすようにじっと見つめ続けた。
ふと、落ち葉を踏む音がした。暗がりから浮かび上がるように一人の老爺が現れ、男に微笑みかける。
背が高く、総白髪の長髪と長い髭とをベルトに挟み込んだ上に濃紺のローブを纏っている。そんな奇妙な格好をしている老人の登場に、男は思わず息を呑んだ。
その現れる様があまりにも突然で、まるで霞が寄り集まるような静けさを伴っていたからだ。
「おふざけにも程がある。あまり人を驚かせるものでもないと思うがね。ミスター」
低く抑えた声には、明らかな苛立ちが混じっていた。
「はは、これは失敬。じゃが、あまり派手な登場をして近所迷惑になってはいかんと思いましてな」
「こんな人気のない場所で、迷惑も何もあるまい」
「では、かように
掴みどころのない声音だった。問いかけなのか、挑発なのかも判然としない。梢から零れ落ちる月明かりに青い瞳が霧がかった月のように光を湛えている。
「どの口が」
男は半眼で老人を睨みつける。吐き捨てるように言葉を返し、一歩踏み出した。
「貴殿の入国に関して英国から申請を受けた覚えはない。何故この国にいる、アルバス・ダンブルドア」
「さて? 申請を出しておらん以上、わしはイギリスにいるのではないかのう。ホグワーツの椅子の上で夕食を待ちながら居眠りでもしておるやも」
「ふざけるな!」
怒声が周囲にこだました。
男はハッと遠方の窓を注視する。風すら息を潜めるように音のない林のなかで、小屋の窓に映る影に動きがないのを確かめてから、ゆっくりと息を吐き出した。
ダンブルドアといえば、焦った様子は欠片もなく落ち着き払っている。
それがどうにも、腹立たしく思えてならなかった。
「ふざけてなどおらぬよ。むしろ、真剣に話をさせていただきたい」
男の眉間に深い皺が刻まれる。吐き出す息が夜気に白く散った。沈黙が刃のように張りつめ、どちらが先に口を開くかを量る。
「これで5年前の借りを清算すると……そう受け取って良いのだな?」
ダンブルドアの口元に、一瞬だけ笑みが浮かんだ。言葉で返されるよりもよほど明確に、その笑みは肯定の意を示している。
気に食わない。すべてが手のひらで転がされていて、それを当然のように思われていることが癪に障る。だが、
「いいだろう。貴殿がここにいることは不問とする。だが、ひとつ聞きたい。ここへ来たのは予言のためか?」
「──“あの子の”ためじゃ」
“あの子のため”、意外な言葉に男は一瞬目を見開き、腹の底から込み上げる不快に思わず笑った。
あり得ない、そんなのは詭弁だろう! 歯の浮く台詞とはまさに、このことか!
「世紀の魔法使いと言っても、結局は実寸大の人間にすぎんだろう。ホグワーツにこもって祖国に注力していれば良いものを、随分とまぁ、好色に過ぎるようだな」
「あの子を想うことが予言の成就につながると、忠告したものと思っておったがの」
「では、その忠告に意味などなかったということだ……あれは藪だ。内側に何が潜んでいるかもわからん類のな。排除か不干渉か、選べるのはふたつに一つ。それを、愛? 想い? 誰にそんなことを口にする資格がある?」
声は淡々としていたが、言葉の端々に鋭い刃のようなものが潜んでいた。自分の言葉が鋭く相手に突き刺さっていく感覚を覚えながらも続ける。
「あの男だけだ。少なくとも貴殿には無い」
吐き出す言葉に混じる冷たさが、夜の空気をさらに沈ませるように思えた。
ダンブルドアは目を伏せるだけで答えず、男もまた、しばらく押し黙ったまま、足先で地面の枯れ葉を払った。
煙のようなものが地面から立ち上っている。意識しないうちは目に見えず、意識して初めてわずかに気づくことができる程度。
触れないよう慎重にそれを確かめると、男は深く息を吐いた。
「人払い、認識阻害、気配探知、魔力秘匿……元闇払いとはいえ、恐れ入る。探し当てるのには苦労させられた」
これが人が人を想う気持ちの強さと言われれば、納得せざるを得ないほどに強力な結界が幾重にも張られている。
この煙に微かにでも触れようものなら、どうなるかは火を見るより明らかだった。
「では、あの子の魔力を感知して、この場所を?」
「ああ。癇癪でも起こしたのかもしれんが幸いだった。貴殿も同じだろう?」
「しかし、そのわりに顔色は優れんようですな」
返ってきた言葉に、男は口元だけで笑った。顔色の悪さなど、指摘されるまでもない──これから背負う重みを思えば、血の気など引いて当然だ。
だが、少なくとも、今日この夜においては、ただ監視する以上の責任を負う必要はない。それがわかっただけでも本当に幸いだ。
「ダンブルドア、少なくともこの近辺にいる限りはこちらから干渉することはないと約束しよう。その代わりに、貴殿もまた、こちらに干渉してくれるなよ」
「ええ、約束しましょう」
外套の裾を払って踵を返し、数歩歩いてから、ふと思い直して足を止める。
「……」
窓の灯りがゆらりと揺れて、ふっと消える。それだけ最後に見届けると男は“姿くらまし”をした。
ひとり残されたダンブルドアが少年が眠っているのだろう家のほうへ視線を向ける。大臣に言われた言葉を無意識に反芻しながら。
眼鏡のレンズがぼんやりと曇ったような気がして、ゆっくりと外し袖口で拭いてから、ダンブルドアはゆったりと踵を返す。
小さく言葉をこぼしてから、ヒュッと風を切る音ともにその姿を消す。
後に残されたのは言葉だけ。
「それでも……」
と。
誰にも知られず、届け先を見失った老人の言葉を夜空の星だけが聞いていた。