曇らせ絶対に許さない系神官の英雄譚with周囲を絶対曇らせる系女勇者 作:さらみパスタ
『レーヘンの日記帳』
勇者と称えられた極々普通の少女の繊細な感情が書き記された物語は、レーヘンがまだ地方都市に住む一人の村娘であった時期から、『魔王討伐』以降も続いていきます。
『神官長』と謳われたソルト王国王子ゾーニッヒとの出会いから、彼と結ばれるまで、そして王妃として過ごした日々の最晩年に至るまで。
その量は膨大で、記録の詳細な調査にはかなりの時間が必要でした。
他資料とのすり合わせ、各タイムスケジュールの精査、などなど。資料の公開から暫くは研究家は大変忙しかったそうです。
だからこそレーヘンの日記は多くの情報を現代に遺した、まさしく国宝と呼ぶに相応しい品でした。現代のソルト王室で行われる幾つかの慣習の元となった出来事、或いは当時起きた事件での聖王家内部の反応が詳細に記されている、だけにとどまりません。
レニヒ記を始めとした多くの一時資料の信憑性を高めたことで、副次的に明かされた歴史的事実はあまりに膨大なものです。
勇者パーティーの仲間であるライフズ。
人類を裏切り魔王の地位を継承した少年。
長らく神官長、いや聖王ゾーニッヒのライバルとして見做されていた魔王との確執は長年に渡って議論された命題でした。
しかし、『レーヘンの日記』、そしてそれによって浮かび上がった『レニヒ記』によって驚愕の事実が浮かび上がりました。
神官長はかつての弟分への親しみを絶えず持ち続け、影に日向にサポートしていたと記されているのです。
怪我をした魔王妃の治療。
魔王一行の逃走の補助。
そして機密情報の漏洩。
かつては一切の信憑性がないとされたレニヒ記が真実であることを証明したのも、『レーヘンの日記帳』の偉大な功績でしょう。
神官長ゾーニッヒと魔王ライフズの秘密会談はその最たるものでしょう。人類と魔族のトップは定期的な会談を繰り返し、世界を巻き込んだ大戦争が起きぬよう憂慮し続けていた。
まことしやかに囁かれていたそんな陰謀論が真実であったと証明されたのですから。
各国の歴史観を揺るがしかねない新事実の発見が相次ぎ、学校の教科書は数年の間に幾度の改訂を余儀なくされたほどでした。
また、長年の謎とされた魔国の異常とも言える諜報力の理由も明かされたのですから。
多くの人々が噂した『ヤムルの情報網』、『魔国情報局』。映画やドラマで取り沙汰されたそんな秘密組織の暗躍などではなく『聖王』その人によるリークだなんて、ただただ驚くばかりです。
聖王と謳われた人類の盟主。
そんな男のまさかの裏切り。
しかしゾーニッヒは非常に近代的な価値観の持ち主でした。
各国の自立を尊び、内政干渉を厭う、世界の王になれる立場でありながら、それを放棄した偉大なる聖王としての温情なのか。それとも融和こそが人類の利益を齎すとした、合理的な判断なのか。
或いは将来の人類同士の対立を見抜いたゆえに。
魔族という大義名分を残そうとしたのか。
残念ながらゾーニッヒが何を考えそうしたのか、明示する資料は存在しません。
ただ二つ確実なことはあります。
一つ目は『親の責任を子に問う必要はない』、レニヒ記に記された慈悲深い発言は『偉大なる』という称号が皮肉ではないこと。
これは他の指導者が保守的ではなく、彼らが非常に先進的な価値観を有しただけである何よりの証明です。
二つ目はそれが現代の人と魔の融和の礎であるという点です。
それによる経済の発展と平和な世界を生み出したのは、間違いなくゾーニッヒの偉大なる選択の結果であると言えるでしょう。
もちろん魔王ライフズ、魔王妃ベストール、女帝スピカなどの、他の多くの英雄の尽力があったことは言うまでもありませんが……。
その全てを一冊の本に認めることは困難と言わざるを得ません。ですから今回はその中でも特に勇者レーヘンの結婚後の数年間について記していきたいと思います。
勇者レーヘン。
神官長ゾーニッヒ。
そして連合王国。
三つの重りを同時に失った大大陸は、魔族との対立だけでなく、これからの覇権を睨んだ各国による対立が生じつつありました。
今後を見据えたいくつかの国は、魔族と通じることで復活を加速させていたのです。秘密裏に進められた魔族との交易。
それは緩やかな融和の第一歩でした。
『慈悲の魔王ライフズ』はそれを見越して、多くの国々と秘密交渉を繰り返していたようです。
しかしそんな状況は一変します。
魔王軍残党がリークした『魔王の遺児』の存在は世界を恐怖のどん底に叩き落としたのです。
『魔王の後継者』に刻まれたトラウマは根深く『また、あのような悲劇があってならない』、まだ年若い幼児を排除するという議論は当たり前のように行われていました。
子どもを犠牲にするなんて……というのは平和な現代だから言えることなのでしょう。当時の人々は『魔王』にトラウマを持っていました。
何としても排除しなければならない。
そう考えたのは仕方ないことでした。
しかし、それでも人類は一枚岩に戻ることはありません。
スピカ姫のように幼児を犠牲にすることを厭う貴人も多くいたのです。それは皆さんご存知のように勇者レーヘンや、聖王ゾーニッヒもその一人です。
ゾーニッヒは魔族融和のため尽力しました。
例えば『ゾーニッヒ寄稿』なども、差別主義者がいうような魔族を侮蔑する意図などなく、人々の魔王への恐怖心を和らげるために彼が苦心した証明でしょう。
実際この寄稿により、多くの王侯貴族は落ち着きを取り戻した事が資料に残されています。当時の聖王ゾーニッヒの名声は極めて高く、彼の言葉ならと人々は安堵したのです。
しかし、それで各国の動きが止まることはありませんでした。『魔王への恐怖』というのは軍拡を正当化する大義名分として都合が良かったのです。
例えば、ワイセリアは魔族への恐怖心を用いて周辺地域を巧みに併呑し、一気に覇権国としての地位を確立したように。
魔族への脅威という重しさえ失われた大大陸では、遂に人類間の対立が顕現化しつつありました。
同年の十月、ワイセリアは突如魔国に向けて進軍を行います。
『ライフル事変』。
人と魔族の戦争の火蓋が落とされかけた危機です。
しかし、そんな暴挙は魔王ライフズの伝説的な決闘、謎多き流浪の神官の名采配、そしてスピカ姫の英断によりどうにか抑え込む事ができました。
『縁の下の錬成士』などで著名なあの一騎討ちです。
さて、実はここにもゾーニッヒの影があります。
女帝スピカが記した私小説『ゾーニッヒさまとわたし』の幾つかの内容は虚偽であることは明らかですが、それでも当時のスピカと密に連携し、陰ながら魔族融和に尽力していたことは間違いない事実です。
それはあの『ライフル事変』でも、ルクリスや魔国に皇国の動きを伝えた人物がゾーニッヒであることは確実視されています。
しかし一つの疑問が残ります。
『ライフル事変』の際には一切の音信を絶ったゾーニッヒ。果たして彼がどこで何をしていたのか、一切の情報は存在しません。
彼はこの事態を静観するような男なのでしょうか。
そんなわけはありませんよね?
もちろん『夜魔文書』が真実である、とまでは言えませんが。
どちらにせよ、彼が何をしていたのかを記した資料はどこにもありません。全ての答えが記されたであろう、ゾーニッヒが書き残したとされる資料の発見が待ち望まれるばかりです。
さて、死傷者を出すことなく終わった『ライフル事変』ですが、これはまさしく人と魔族との戦いではなく、人と人が争うようになった転換点とも言えます。
『魔王ライフズ』の武勇は、ワイセリアを撤退させる決定打にはなり得ませんでした。彼らが撤退を選んだ理由こそ、ルクリスの侵攻です。
この戦い以降、ルクリスとワイセリアは敵対していきますが、この時生じた領土問題は今日でも解決していません。
しかしこれはこの二国だけが特別というわけではなく、多くの国家が何処かの国と対立を深めていくことになります。
外交、貿易、領土、多くの事柄にて摩擦を生じさせては争い合う。
魔族という強大な敵を失った人類は、最早一枚岩には戻れなくなっていました。
その中で魔国と秘密裏に交易する国家も増加の一途を辿っていきます。魔族は最早敵ではなく。敵国に優位に立つために力を借りる第三国と化していくのです。
時代は確実に変化していたのです。
人と魔族の緊張状態が消えたわけではありません。
しかし人と人が敵対するようになった時代の中。
聖王ゾーニッヒと魔王ライフズはそれから幾度も極秘会談を重ね、人々の平和を守り続けていくことになるのです。