よふかしとそら   作:あどべんちゃ

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第1夜:フライハイ

 鳥が、羨ましい。

 図鑑だったっけ、実物だったっけ。ともかく、鳥という生き物を知ったぼくは、そう思った。

 彼らは空に生きている。広くて、遠くて、自由な場所。生身の人には届かない場所。物心がついたときから、ずっとそこに憧れていた。虫が明かりに惹かれるみたいに。飛んで火に入る夏の虫、飛んで融け落ちるイカロスの翼。……これは不吉な言い回しだった、今後はやめよう。

 一度、両親にせがんで飛行機に乗ったことがある。そこに、ぼくの求めるものがあるのか確かめたかった。ただ、なんとなく違う気はしていたし……実際、違った。分厚い壁に阻まれて、小さな窓から空を見たって、何にも変わらなかった。

 だから、ぼくの将来の夢は鳥だ。過去形ではない。なれないのはさすがに分かってるけど、理屈ではないのだ。ぼくは、飛びたい。

 

 こんな調子なので、ぼくは変わり者だとよく言われる。きっと同志がいると信じて、自己紹介で空への熱い思いを語ったら、皆から遠巻きにされた。どこかにライト兄弟やイカロスのような人はいないだろうか。

 変わり者でいると、肩身は狭い。集団で生きる学校で遠巻きにされるというのは、そういうことだ。昔はぼくの夢を応援してくれた両親も、今はなんだか仲が悪くてそれどころではないって感じで。

 

 そうなると。ちょっとぐらい非行に走ったって、しょうがないんじゃないだろうか?

 

「ひゃう」

 

 予想外に大きい音を立てたドアに、ちょっとびっくりして。ぼくは真夜中の玄関前にいた。

 普通の住宅街。人っ子一人いない町並みになんだか違和感。同時に、不思議な万能感。

 

「よふかしするぞ。えい、えい、おう」

 

 小さく呟いて、ぼくは歩き出す。まずはコンビニだ。飲み物を買おう。

 

「あざしたー」

 

 けだるげなバイトさんの挨拶を背に、ぼくはコンビニを出た。

 見るからに子供だしなにか言われるかと思ったけど、何もなかったな……まあお酒でも買おうとしなきゃ、わざわざ首突っ込まないか。

 カフェオレを呷って、ぼくはまた歩き出す。公園でも行こうかな。駅前とか行っちゃったりして。駅前はさすがに危ないかなぁ? ちんまいとはいえ女の子だし。でも夜遊びって言ったら繁華街だよねえ。お酒飲めないからあんまり意味ないかな。あ、カラオケとか、漫画喫茶とかはいいかも。ご飯もあるし。でも中学生一人で入れるかな? まあいいや。行ってから考えよう。

 

 そんな風にハイテンションで歩いて、数十分。

 

「まよった……」

 

 ぼくは迷子だった。ショッピングモールにいたら迷子センターに連れて行かれそうなぐらい、不安げな迷子だった。ちなみにカフェオレはもう飲み干してしまった。だって、美味しいから……。

 現在ぼくは暗い路地裏にいる。これはこれで夜遊びっぽいけど、ぼくの想定からは外れていた。

 

「あ、でも向こう明るい……」

 

 まさに夏の虫のように、ぼくは弱々しい足取りで歩き出した。ぼくは体力が無い。

 よふかしって難しいんだな、と考えながら、ぼくは歩いて。なにかに足を取られて、つんのめるように転んだ。

 

「ぎゃう」

 

 幸い、転んだ先はゴミ袋の山だった。臭いけどクッションにはなる。そうして起き上がったぼくは、自然と振り返り、何につまづいたのか確認しようとして。

 

 そして。ぼくは出会った。

 

「んぐ、ぁ……子供……?」

 

 つまづいたのは、人の足だった。ゴミ袋の山の中に埋もれていた男の人は、今の衝撃で目が覚めたらしく、ゆっくりと起き上がった。

 かなり背が高い。眼鏡をかけてるけど、顔の輪郭が歪んでない。伊達かな。目は切れ長で、眼鏡と合わせてすごく真面目そう、というか……神経質そうな感じ。背広だけどネクタイは見当たらない。それから、シャツに大きなシミ……なんだろうこれ、お酒とかこぼしたのかな。あれ、脇腹のあたりのシルエットがなにか変だ。ええと、これは……ナイフみたいなものが突き刺さってる? あ、それなら説明がつくかも。シミは血なんだ。

 そこまで考えて、ようやく。

 

「ひゃあああ────―!?」

 

「うるさ……」

 

 ぼくは悲鳴をあげた。刑事ドラマでしかお目にかかれないと思っていた見事な瀕死の重体が、そこに立っていた。どうして立てるんだろう。

 

「げ……ああクソ、そうか最近吸ってなかったから……どんだけ地雷なんだよあの女……」

 

「た、煙草ですか……? 火持ってないですよぼく」

 

「誰がこの状況で吸うんだよ、つかガキから火貰うわきゃねーだろ。クソ、どうすっかな」

 

 そう言いながら、男性は無造作にナイフを掴んで引っこ抜いた。血がどくどくと垂れる。

 

「うわー! 何してるんですかこういうときは抜いちゃだめなんですよ!? 刺さないと!」

 

「刺すのもそれはそれで変だろ……ああもう、駄目だ血が足んねえ……しょうがねえか」

 

「そりゃ足りないですよ今まさに流れ、て、る……」

 

 言いながら、男性はかがんで。

 

「後始末は」

 

 ぐあ、と口を開けて。

 

「後で考えよう」

 

 ぼくの首筋に、歯を突き立てた。

 

「あっ、えっ? なっ」

 

 パニックに陥るぼくを尻目に、彼はちう、と。何かを、吸い上げている。何かって、そりゃもちろん。血だ。

 痛い。当たり前だ。血が出るくらいに噛みつかれているのだから。たまらず彼の背中をタップするけど、全く意に介した様子はない。ぼくは力が弱い。あと、どうも力が入らない。なんでかっていうと、えっと、その。

 

 なんか、気持ちいい。

 

 ぼくは今見ず知らずの大人の男の人に血を吸われてて、それで気持ちよくなってるのか? ぼくは変態さんだったのか? 本当に勘弁してほしい、そういうのはまだ体育の教科書でしか知らないから──!

 

 そうしてぼくが痛みと気持ちよさに悶えていると、しばらくして彼はぼくの首元から顔を離した。多分血を吸われたせいだろう、クラクラする。焦点が定まらない。男の人はぼくを冷ややかに見つめている、気がする。ぼくは……どうなるんだ? 分からない。疑問が頭を埋め尽くして、やがてそれも消えていく。気絶、というやつだった。

 

 

 目が覚めると、知らない部屋だった。病院ではなさそう。なんというか、廃墟っぽい。

 

「目ェ覚めたか」

 

 寝かされていたベッド(かたい)の隣で、あの男性がパイプ椅子に座っていた。ぼくにペットボトルを投げて寄越してくる。

 

「あっ」

 

 キャッチ出来なかった。

 お兄さんは無言のまま、床に落ちたペットボトルを拾い、ホコリを払ってぼくに手渡した。

 

「……さて。今、嬢ちゃんは色々疑問に思ってるだろう」

 

「はい」

 

 嬢ちゃんって呼ぶ人初めて見た。

 

「まァ分かりやすいとこから行くか──俺は(おと)(ぎり)ソウ、吸血鬼だ。分かるか? 人の血を吸う、化け物」

 

「きゅう、けつき」

 

「さっきは緊急事態だったんで、咄嗟に嬢ちゃんの血を吸っちまった。一応健康に害はない程度のつもりだったんだが、嬢ちゃんが結構貧弱だったみてえでな。すまん」

 

 それから、音霧さんは色々なことを説明してくれた。吸血鬼の存在が知られるとまずいので、ぼくは眷属になるか死ぬかしないといけない、とか。眷属になるには吸血鬼のことを好きになって、その相手に血を吸ってもらわないといけない、とか。その猶予は一年以内だ、とか。

 正直信じ難かったけど、どうにか呑み込んだ──だって、ぼくには絶対に聞いておかないといけないことがあったから。

 

「あのっ」

 

 音霧さんが話し終わったタイミングで、ぼくはベッドを降りて彼に詰め寄る。

 

「吸血鬼って、空を飛べますか!?」

 

 ぼくにとっては、一世一代の問いかけともいえる重要事項だ。だって、きっとできないと、どこかで分かっていた夢が。叶うかもしれないのだ。

 果たして、音霧さんの返答は。

 

「あー……飛べるっちゃ飛べるけど多分想像してる感じではない……?」

 

「煮え切らない!」

 

 玉虫色だった。

 

「まあ、詳しく説明するとだな……アニメやゲームみたいな、コウモリの羽みたいなのは俺らには無い。俺らは脚力とかが凄いから、それで空に跳ぶことはできるし……多少慣れりゃ、うまいこと体を使って滑空なり急降下なりは出来る。でも、そんだけだ」

 

 なんだ、それ。そんなの、そんなのって──。

 

「最高じゃないですか今すぐぼくを眷属にしてください!」

 

「あ、いいんだ」

 

「良いに決まってますよ生身で空に触れられるんですからこの際鳥みたいじゃなくたって全然おっけーです妥協バンザイ!」

 

「そ、そうか……よくわかんないけど夢だったんだな……?」

 

「はい! 条件なら問題ないです、ぼくを空につれてってくれる人のことなんて秒で好きになりますよ!」

 

「……ちなみに、恋愛経験は」

 

「ゼロですけど」

 

 ぼくがそう答えると、音霧さんはなぜかためいきをついて、改めて話し始めた。

 

「嬢ちゃんの夢は尊重するがな。そのためだけに吸血鬼になっても、オマケでクッソ長くて退屈な暮らしがついてくるんだぜ? それに、血を吸わなきゃ俺らは生きていけない。そのへんもうまいことやんないとめんどくせえし……現に、俺は油断してあのザマだ」

 

「あ、そういえば刺されてましたね」

 

 刺されてたことがそういえば扱いになる状況のカオスさに今更ながら驚く。まあ空跳べるんなら些細なことだけど。

 

「ちょっと一晩……あー、不適切か? まあ、“後腐れのない関係”に留めるようにしてるんだが……あの女は一緒に酒飲んでる段階で完全に俺のことロックオンしやがってよ。出会って一時間とかだぞ? で、こりゃ面倒事になりそうだと思ってそいつから血を吸うのは諦めたんだが……どうも、それからずっと俺のことストーキングしてたらしい。で、ブスっと」

 

「こわ……」

 

「そういうこともあるって話だ。独占や束縛の欲は男女関係ないからな」

 

「勉強になります!」

 

「意思は曲げないのな」

 

「というか、その口ぶりだと音霧さんはぼくが死んだほうがマシと言っているように聞こえますけど」

 

「あー……まあ、そうかもな。眷属作らないの、あんま良くねえんだけど……俺はどうも、吸血鬼になる、というか、吸血鬼にすることを良く思えない」

 

「音霧さんは後悔してるんですか?」

 

「グイグイ来るなお前……俺の場合、ちっと状況が特殊だったからな。あんま後悔って感じでもねえ。けど、吸血鬼になったから良かったってことは無い。楽しいと思うことは、全部人間でも出来る……嬢ちゃんの場合、また話は変わるのかもしれねえが」

 

 神妙な顔で語る音霧さんを見て、ぼくは言う。

 

「意味深匂わせムーブやめてもらっていいですか?」

 

「急に真顔になんなよ。吸血鬼の過去話は割とタブーなんだよ……つか、そうだな。飛びたいってだけなら、何も吸血鬼になるこたねえ」

 

 音霧さんはそう言うと、ぼくを手招きする。

 

「ちっと跳んでみるか。屋上行くぞ」

 

 たぶんこの時のぼくは、これまでの人生で一番の笑顔だっただろう。

 

 音霧さんの後を追って、廃ビルの屋上までやってきた。もう深夜と早朝の境で、さすがに街の灯りは……うーん、結構点いてる。日本の労働環境に思いを馳せていると、音霧さんがぼくを抱えた。ちょうどお姫様抱っこの格好だ。

 

「じゃ、跳ぶぞ。舌噛まないようにしっかり口閉じろよ」

 

 そして。ぼくたちは、跳んだ。

 

「────!」

 

 口を閉じていろ、と言われていなければ、きっと叫んでいただろう。風が冷たくて、ふわふわして、でも確かに落ちていて、けど明らかにゆっくりで、そう思っていたらまた跳んで。

 つまりは、最高だった。

 

 楽しい時間は短い。どれぐらい跳んでいたのか分からないけど、体感的にはすぐに、ぼくらは別のビルの屋上に着地した。

 音霧さんがぼくを降ろしたあとも、まだ心臓がうるさくて、頬が火照っている。

 あれが、空。ぼくの頭の中は、そのことで一杯だった。

 

「どーよ。まあ、こんなもんだ。嬢ちゃんがどう思ったかは知んねえけどよ……冥土の土産ぐらいにはなんだろ。俺的には、これで満足してくれるとありがたいんだが」

 

 音霧さんの声で、ようやく我に返る。と、同時に気づいた。

 眷属云々の説明のあたりから一度も、音霧さんと目が合っていない。

 嘘をついてる……あるいは、何かを隠してる、かな。

 

「確認なんですけど。音霧さんとしては、ぼくを眷属にするより、血を吸いきって殺したほうが都合が良いんですよね?」

 

 回り込んで、音霧さんと視線を合わせようとする。

 

「そうだな。殺しもあんま良くねえんだが……嬢ちゃんが同意してってことなら、まあ言い訳は立つ」

 

 やっぱり、目を逸らした。

 

「うーん。でもやっぱり、ぼくは今のじゃ満足できないです」

 

「ならもっかい跳んでや……あ?」

 

 後ろに下がる。一歩、二歩、三歩。

 

「おい、何考えてる」

 

「あなたに抱えられてじゃ足りない。自分の身一つで、空を味わいたい」

 

 四歩、五歩。

 

「待て、よせ」

 

「だから」

 

 とん、と。跳ぶ。身を投げ出す。空へ。

 

「こうやって──死ぬことにします」

 

 落ちる。思い描いていた空とは、程遠い。けれど。身一つで空に抱かれることの満足感は、確かにあった。

 屋上の縁が遠のいていく。重力に縛られていることを改めて痛感し──屋上からこちらへとやってくる彼の姿に、笑みがこぼれる。

 

「何っ……してんだ、お前!」

 

 音霧さんはぼくの体を乱暴に掴んで、そのままビルの壁を蹴って跳んだ。また、空に触れた。

 

「ははっ、あははははは!」

 

「何笑ってんだこのアホ! おい! 聞いてんのか!?」

 

 ぼくは笑い涙を拭って、音霧さんの隠し事を暴く。

 

「音霧さん、多分人殺したことないですよね? 吸血鬼になってほしくないのと、死んでほしいのは別のことですよ」

 

「……言葉遊びだろ。ルールとして、吸血鬼にならないなら死ぬしかねえ。俺は……その死に責任を持ちたいだけだ。勝手に死ぬな」

 

「なんでもいいですけど。ぼくは諦めませんよ、吸血鬼になるの。同意がなきゃ、言い訳は立たないんですよね?」

 

「……喋りすぎたか。分かった、分かったよ。今からお前は俺の……ああ、まだ名前聞いてなかったな。嬢ちゃん、名前は?」

 

 ついに白旗を上げた彼に、ぼくは満面の笑みで答える。

 

(うつ)()カナタです。それじゃ早速、ガブッと!」

 

「今のカナタから血ィ吸ったらそれこそ死んじまうわ。また明日な」

 

「えー」

 

 気づけば、すっかり空は白んでいた。ぼくが、生まれて初めて見る色をしていた。

 ぼくが吸血鬼になるための──つまり、音霧ソウさんに恋をするためのお話は、こうやって始まったのだった。

 

 翌日。

 

「……え、これ、吸血鬼になった感じですか?」

 

「なってねーだろうな」

 

「なんで!? 空に連れてってくれる人なのに!?」

 

「多分だけどさ、カナタが俺に向けてるのって尊敬とか憧れだろ。空が好きすぎるんだお前は」

 

「……そうかも!」

 

 前途は多難なようです。

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