「むむむ」
どうも、ぼくが音霧さんに向ける感情は恋ではなかったらしい。
「どうやったら音霧さんを好きになれるんだ……?」
「その言い方やめてくんない?傷付く、普通に」
「実際難問ですよこれは。人を好きになるって、どんな気分なんです?音霧さんも、誰か他の吸血鬼を好きになったんですよね」
「……吸血鬼になる以前の記憶は、どんどん薄れていくんだ。もうほとんど覚えちゃいないが……自分でも自覚してなかったのは確かだ。血を吸われて眷属になって、ようやく俺も向こうもそれに気づいた。よく笑い種にされたんで覚えてるよ」
「ほほう。全く参考になりませんね」
「そーだな。俺は眷属作らない主義だから、あんま気の利いたことも言えねえし……ま、地道に行くしかねえだろ」
そう言って、音霧さんはぼくをお姫様抱っこした。また空跳ぶのかな。うれしいね。
「まあ跳ぶけど、今回は目的地がある。空が好きなら、天体観測でもしようかと思ってな」
「天体観測! やった、久しぶりだ!」
「その様子だと、案外やってないのか?」
「はい。小さい頃にお願いして望遠鏡買ってもらったんですけど、ほら、子供ってすぐ眠くなっちゃうじゃないですか。それに、最近は二人とも喧嘩してばっかで集中できなくて」
「……悪いこと聞いたな」
「いいですよ、全然。倦怠期ってやつだと思います。人間なんだから仲悪くなることだってありますよ」
「ま、たしかにそういう言葉があるぐらいにはありふれたことなんだろーが……はあ。とりあえず出発するぞ、舌噛むなよ」
音霧さんは、そう言って地面を蹴った。
一日ぶりの空は、あいも変わらず最高だった。昨日より早い時間だから、町並みはひどく明るい。よくドラマで、夜景の見えるレストランで食事、なんてシーンがある。これまでは、夜空を覆い隠してしまう人工の光にロマンチックも何もあるものか、と思っていたけど……なるほど確かに、これはいい景色だった。
楽しいフライトはあっという間に終わりを告げ、僕たちは名前も知らない山の高台にいた。そこには一台の望遠鏡が置いてある。公共の設備のおっきい双眼鏡ではなく、市販のやつ。
「カナタと合流する前に、予め組み立てて置いといた。この時間なら人来ねえと思ってな」
言いながら、音霧さんは望遠鏡を覗き込んでがちゃがちゃと調整している。
「おー……? どうやって調整すんだこれ。説明書どこだ」
調整できてないらしい。説明書、と言いつつも特に探したりはせずにあれこれいじくり回している音霧さんだったが、突然。バキッ、と嫌な音がして、音霧さんの動きが止まった。
「あ」
「え」
やがて、音霧さんはぎこちなくこちらを振り向く。
「……壊しました?」
「……壊した」
しばしの間、ぼくたちの間に沈黙が流れた。それから、音霧さんが口を開く。
「あー…………マジかあ。なんか……悪いな。わざわざ連れて来といて」
「いえ、全然……誘ってもらっただけで嬉しいです。それに、ほら」
夜空を見上げる。満点の星空、とはいかないが……それでも、町中よりはずっとよく星明かりが見える。
「肉眼でも、天体観測は出来ます。お誂え向きのベンチもありますし、座って見ましょうよ」
ぼくは座って、音霧さんを呼ぶ。
「……」
なぜだか、音霧さんは黙ってしまった。そんなに気に病んでいるのだろうか?
「音霧さん?」
「やっさし……」
「!?」
音霧さんはちょっと泣いていた。
「え、何!? 前触れもなく大人の人が泣いてるの怖いです!」
「ああすまん、ちょっと……スレた大人ばっか相手にしてたから眩しくて……」
「なるほど……?」
音霧さんは涙を拭って、ぼくの隣に座った。
「今の時期だと夏の大三角ってイメージだな」
「方角違うんでベンチからだと……うーん、木が邪魔ですね」
「あー。そうか、方角か」
「あ、あれさそり座ですよ」
「どれだ?」
「あれですって。あの明るいのがアンタレス」
「明るいの……あれか? さそりはどこだ?」
「アンタレスのすぐ右が頭で、左側に体と尻尾があります」
「どこだよ」
「いや、だから……」
ぼくはスマホを取り出して、さそり座の画像を見せる。
「こういう形です。あそこにあるでしょ」
「えぇ~? 想像力がたくましすぎるだろ」
「昔の人はすごいんですよ」
「納得いかねえ。じゃあ今からあそこはきゅうけつき座だ」
「子供ですかあなたは」
「分かってねえな、カナタ。大人ってのは手前勝手に決まり事を変えちまうもんなんだよ」
「なんでそんなキメ顔なんですか?」
「吸血鬼ってのはこうなんだよ。他人に惚れられるように……良く思われるように振る舞うのが染み付いてる。俺みたいなアンチ眷属作り派でもな。だからカッコつけたりかわい子ぶったりする」
「……」
「今ちょっとなりたくないと思ったろ」
「いや、まあ……」
「嫌になったらいつでも言え。俺が殺してやる」
「またそうやって悪者ぶって」
「心配してんだよ、俺は。まあお前かわいいし血吸うのに苦労はしなさそうだけど」
「そうですか?まあカナタさんが言うならそうかあ」
「……お前全然照れたりとかしないのな。別に自信あった訳じゃないけど傷付くぜ」
カシュ、と小気味良い音が響く。
「あ! お酒飲んでる!」
「実はクーラーボックスも用意してたんだなこれが。ほら、アイスココア」
「わーい」
「で……何の話だっけ」
「星座を作った人はすごいねって話ですよ」
ぼくは嘘をついた。
「そうだっけ……? まあいいか。確かさそり座の隣にはいて座があるんだよな」
「そうですね、左隣の……あそこです」
「……どこだよ」
「だからぁ……」
またもスマホで画像を見せる。
「……これがいて座ァ? わっかんねー……」
「音霧さんは頭固いですね」
「腹立つ~!」
「あはは」
「はは。楽しんでもらえてるようで何よりだ」
「そりゃもう。ぼくよふかし初心者ですから、何もかも新鮮で楽しいです」
「よふかししてやることが天体観測じゃちと健全すぎるけどな。ま、そのへんはおいおいとして……知ってるかい、カナタ」
「なんです?」
問われて、音霧さんの方に視線を向けると。眼の前に、彼の端正な顔があった。
「夜に、一日に満足した人間の血は、特別美味いらしいぜ」
そうして。今日、吸血鬼になれると思って会うなり吸ってもらったのとは違う、メインディッシュを。彼は口にした。
「───っ、あ」
襲い来る痛みと快感。やっぱりこれ、絶対ぼくには早い……!
「ふ、う、あっ」
声が漏れてしまう。怖くて、音霧さんにしがみつく。それを与えているのは、他ならぬ彼だというのに。
今、ぼくはどんな
「……ごちそうさま」
ようやく、食事が終わる。口元の血を舌で拭って、音霧さんは呟いた。
食欲を満たして上機嫌っぽい彼とは反対に、ぼくはひどい有様だ。呼吸は落ち着かなくて、頬は熱くて、汗だくで。力が抜けてしまい、ベンチに横たわっている。
「……?」
そんなぼくを、音霧さんが見下ろしていることに気づいた。食事は終わったはずだけど、なんだろう。
「カナタ。お前、ええと……体育のあととか、大丈夫か?」
「たし、かに、だいぶ息は切れてますけど……」
「……そうか。お前のクラスの男子、大変だな」
「?」
結局その発言の真意は分からないまま。息が整ったころに、音霧さんはぼくを抱っこして街へと戻ったのだった。