pixivに掲載してるものをそのままハメに移したものになります。あっちはページの切り替えができるから場面転換がすごく楽。
──虫の音の響く諏訪の山中に、月光が静かに降り注ぐ。
時刻は、月が南の空よりやや西に向かって傾き始めた丑の刻。
自然が奏でる優しい音色と清涼な空気に包まれて、獣も民も強者も、皆が等しく深い眠りについていた。
…だが、たった一人
「お、ぬおおっ…!これは──!」
“神力”なる超常をその身に宿す信濃国の神官、諏訪頼重。
人智を超えたその力で未来を見通すことのできる彼だけが、夜の静寂を唐突に切り裂いた。今の今まで大人しく床に就いていた頼重は、夢で拾った“未来”と共に頭の中に流れ込んできた摩訶不思議な光景を解そうとして……刹那、苦悶の表情を浮かべる。
緋色と蒼と緑からなるピチッとした衣を纏いし仮面男や、全身が苔むしているかのような緑色の
そして極め付けは、右へ行ったり左へ行ったり縦横無尽に脳内を駆け回る艶やかな
正に混沌──カオスとしか言い表すことのできないその光景は、日頃より未来を先見し奇行と奇言に走りがちな頼重をして困惑せしめた。
されども彼は、諏訪明神を信仰する武士達が集う『諏訪神党』を束ねし長。持ち前の精神力を働かせ、数瞬の内に平常心を取り戻していった。
……いやぁ、でも。流石にあれはビビっちゃうというか、うん…。いくらなんでも刺激強すぎない?未来の人ってあんな格好してて恥ずかしくないのかしら…。
思わぬところで得てしまった未来の際どすぎる知識。それに対する動揺の言い訳を、頼重は心の中で何度も呟き続け、この情報だけはゆめゆめ逃若党や諏訪神党の者達には漏らすまい、と心に誓った。
──困惑と動揺を孕んだ眉間の皴がさっぱりなくなったところで、頼重は目つきと表情を鋭くする。今しがた拾った奇想天外な未来を反芻し、自分に言い聞かせるような落ち着いた声色をもって、彼は言った。
「“嵐”が、来る」
それもそう遠くない未来に───。
頼重の言葉は、虫の音色と夜の静寂に紛れて消えた。
☆
あーあ…たいくつだな~
春日部が誇る稀代の問題児こと野原しんのすけは、がっくりと肩を落としながら溜め息をついた。
現在野原一家は父ひろしの提案によって、長野県へ家族旅行に来ている。北海道や母みさえの出身地である熊本などを訪れたことはあるものの、埼玉と程近い長野へは何気に一回も行ったことがなかったため、しんのすけ含む家族全員が今回の旅行をとても楽しみにしていた。
月曜祝日の三連休を活かした長野旅行。一日目は、松本城や上高地といった迫力あるメジャースポットを観光できてしんのすけは大満足だった。城の中には野原家にとって思い出深い──刀や槍、鎧などの戦国時代の遺品が展示されており、しんのすけは天守閣から見える絶景もそっちのけでそれらの虜になっていた。
こうして旅行の一日目が濃密に感じられたからこそ、二日目への期待もそれ相応に高まるのはごくごく自然なことだと言えよう。
それなのに……
「なんでよりによってこんなボロッちい神社なのさ!」
「おいおい、なーに言ってんだしんのすけ。ここは日本最古の神社なんだぜ。いくらなんでも“ボロっちい”はないだろ。古き良き歴史のオーラがこう、ビシビシと伝わってこないか?」
「むぅ…そんなのぜんぜん感じないゾ」
ひろしの問いかけに対して、しんのすけは頬を風船のように膨らませる。
旅行二日目の行き先は、日本で最も古い神社の一つである“諏訪大社”。古事記にも記されるほど古い歴史を持つその社殿は全て木造であるが故、しんのすけの目には甚く古めかしい建物として留まってしまったらしい。前日の観光が充実していただけに、期待を大きく裏切られた気分になる。
そもそも幼稚園児に“神社”という場所の凄さを理解しろというのは酷なことだ。酸いも甘いも嚙み分けた大人であるなら話は変わってくるのだろうが、やはりしんのすけにはひろしの言う諏訪大社の良さを汲み取ることはできなかった。
みさえもひろしと同様、諏訪大社を満喫している様子なので、しんのすけは一人置いてけぼりの状態だった。
「お城とか広大な自然を見て回るのとはまた違った魅力があっていいわね。なんていうか、神聖な空気が満ち溢れてる感じ?素敵だわ」
「普段からガサツなかーちゃんが
「おい」
要らぬことを言うしんのすけにみさえが凄みをきかせるも、それを口にした張本人はそっぽを向いてどこ吹く風である。普段ならグリグリ攻撃が炸裂するところだが、神を祀る厳かな領域においては流石のみさえでも騒ぎを起こすのは憚られたようだ。
「ははは。しんのすけもみさえもそうカッカすんなって、折角の旅行なんだから。
………お」
「あら?あなたどうしたの」
「たいや?」
しんのすけ達を宥めるひろしの歩みが止まる。みさえとひまわりが不思議に思って振り返ると、そこにはスマホの画面を興味深そうに見つめるひろしの姿があった。
「へぇー、過去に諏訪大社でこんな人物が匿われてたなんてな」
「なになに?何見てるのよ」
「ああ。ここのことを調べてみようとしてネットで検索かけたら面白そうなウェブサイトがあってよ。なんでも昔、“北条時行”って武将が鎌倉からこの神社に逃げてきたのかもしれないんだと。諏訪の神官と一緒にな」
───北条、時行。
ご機嫌斜めな雰囲気を装っている最中のしんのすけは、ひろしが言ったその人物の名が無性に気になり、そっぽを向くのをやめた。なんかすごそうな人なのかなぁ、とほんの少しの疑問を抱いたのだ。
「その“とっきーゆき”って人誰?おとのさまなの?」
「“
「ほうほう〜」
「北条時行、ね。確かに教科書で読んだことあるかも。…でも、鎌倉時代の武将って言ったらやっぱり足利尊氏の方が有名なんじゃない?」
「大きな山犬に『黙れ小僧!』って言われる?」
「そりゃ、アシ◯カだよ…。
気づけば話の内容は時行から尊氏のものへと切り替わっている。当初の話題が完全に逸れたことに不満を持ったしんのすけは、未だ“足なんとか”とやらについて話しているひろしとみさえの目を盗み、一人諏訪大社の探検に出かけていった。
「…ふーんだ。もう“とっきー”のこと教えてくれなくていいもーん。足のクサいとーちゃんには、同じ
ひろしの悪口を言いながらむくれていると、しんのすけは鬱蒼とした木々が目と鼻の先に見える社殿のはずれへと辿り着く。森との境界線にはトラロープが張られており、どうやらこれ以上先に進むのはダメになっているようだ。なんか動物いないかな~、と境界越しにしばらく辺りを観察してみるもそれらしき影はなかなか見つけられなかった。
ここで遊ぶのにも飽きてきたのでどこか別の場所へ行こうとしたその時、声が聞こえた。
『わ─、このあ──なに──すか』
『みん──お─ごっこ──たい!』
『『『『『──です/だね』』』』』
『な──!?』
自分と同じ、子どもの声。それもちょっぴり年上の。
断片しか聞き取れなかったが男の子だけでなく女の子の声も混じっていたので、
『やまお─の──までにげら──かなわ───んなぁ』
『んぐ…』
『───ら、かわりに──へいきま──か?わがき──ゆみのうで───ぜひと─はいけん───たいです』
『おお!いい──あんだ─、───』
「ん~…みんな何話してんだろ。こっちかな?」
声が聞こえてくる方角に向かって進んでいる内、しんのすけは知らぬ間に森と社の境界線を越えて、山の奥へと入っていってしまう。草木を掻き分け…いくら斜面を登っても、声の主には出会えない。それから暫くすると話し声も止んでしまった。
小鳥のさえずりがきこえるなぁ~、と暢気なことを思っていたしんのすけはふと、自分が立ち入り禁止のエリアの中にいることに気付く。ヤバい…かーちゃんにおこられる。そう考えると背筋が凍った。
目的の人物は見つからなかったし、何より…急いで引き返して山を下りないと後が怖い。しんのすけは後ろ髪を引かれる思いでその場を後にしようとした。
「すぅー、はぁー。んじゃ、さっさと下りますか。───あれ?」
乱れた息を深呼吸で軽く整え、踵を返した瞬間。周りに生えていた木々が一瞬にしてなくなった。正確には、しんのすけが山の斜面の開けた草原の中に立っているだけなのだが…、そんなことは些事に過ぎない。
「オラ、森の中にいたはずだゾ。なんでこんなとこいるんだろ?……ハッ!もしかしてこれが、うわさの“しゅんかんいどー”ってやつなのかな?ほほ~い!ついにオラにもモノホンのちょーのーりょくがかいかしたんだね。アクション仮面に『しんのすけ君。君もヒーローになって共に世界の平和を守ってくれないか?』、なーんてスカウトされちゃったりして~、アヘヘ♡」
しんのすけは腰をクネクネと揺らしながら、かなり飛躍した内容の妄想をする。もしもここにみさえとひろしがいたならば、“んなわけあるか”と総ツッコミを食らっていたことだろう。
しかし、今この手付かずの大自然の中に居るは、野原しんのすけただ一人。他の人の気配は微塵もない。
「よっしゃあ!それならさっそくとーちゃんとかーちゃんに報告しよっーと!ほほほ~い」
しんのすけは勢いよく山を下りて行った。
☆
出発して数分が経った時。しんのすけは、森の中の雰囲気が
ずっと歩いていてもちっとも疲れない。空気がきれいな感じがするのだ。心なしか、葉っぱも木もみんなキラキラと輝いているように見える。どこか別の世界へ来たみたいな感覚を覚え、しんのすけはゴクリと唾を飲み込んだ。この感覚は身に覚えがある。
それに…さっきは興奮して気にも留めなかったが、本当に“瞬間移動”してしまったのなら、ここはもう諏訪大社のあるお山ではないんじゃないか、と今さらながら心配になってきた。
「山下りて知らない人ばっかだったらどーしよ。あ、でも美人なおねいさんがいっぱいいるなら、それはそれでオッケーかも~♡」
…心配に思う方向性も少々ズレているしんのすけは、やはりどこまでもマイペースなのである。
ガササッ
「お?──ああ!うさぎだ!」
近くの茂みから鳴る微かな音を辿って、野兎を発見するしんのすけ。社殿や山登りの道中では動物を見つけられずじまいだったので、ついつい大きな声を出してしまった。その声に反応してピョピョンと逃げていく兎の後を、しんのすけは本来の目的も忘れて必死に追いかけていく。
「待てー!…ん?あれぇ、どこいった?おーいうさぎさん、オラネネちゃんみたいにうさぎさんを殴ったりしないから出ておいで~?」
こわくないゾー、と優しく呼びかけるも、しんのすけの言葉が伝わるわけもなく…兎は姿を消してしまった。しんのすけは腕を組みながら真剣な表情をして考える。
「うんうん、ネネちゃんの名前を出すのが良くなかったのかもしれないですな。ハンセー、ハンセー。今度はもっと静かに近づいてみよーっと」
──ガササッ
どうしたら兎と距離を縮められるか改善点を導き出したところで…また、茂みが揺れた。さっきよりも大きな音だ。
──もしかしたら特大のうさぎさんが隠れているのかもしれない。それか他の動物だったりして?しんのすけの期待は大きく膨らんでいった。
抜き足差し足忍び足。先程のような失敗はすまいと意気込むしんのすけは、はやる気持ちを抑えて気配を無にし、件の茂みへと近づいていく。
そして、しんのすけと茂みとの距離がなくなったその瞬間。
突然青い葉っぱがぶわりと舞い上がり、中から“人影”が飛び出した。
「ああ、惜しい!あと一寸!あと一寸左に逸れていれば矢が当たったのに…!
はあ…。仕方ない、もう一度──?」
現れたのは、神社の装束を身に纏った幼い少年だった。片手に弓を、背には数本の矢を携えている。予想外の登場にしんのすけが呆然としていると、相手方もまた足元から注がれる視線の存在に勘付いて彼を視界に捉えた。
しばしの沈黙。遥か遠くの空より鷹の鳴き声が聞こえてくる。少年が何を話せばよいか思案に暮れていると、そんな戸惑いを吹き飛ばすようなノリの軽い挨拶が両者の間に流れる無音を掻き消した。
「よっ」
☆
頼重殿の座学と、弓の鍛錬。それから諸々の雑務といった今日為すべきことを終えた私は、郎党の皆を集め夕餉の時間まで何をして過ごそうかと話し合う。ちなみに──弧次郎、亜也子、吹雪の三人も既に鍛錬を終えているし、雫も自分の業務を済ませてきている。今日は珍しく頼重殿の仕事を手伝う必要がなくなったからいつもより多く暇を貰えた、と雫は嬉しそうだった。
…座学の時、あの人の顔が少しやつれていたことと何か関係があるのだろうか。雫に訊ねようとしたが、彼女の笑顔の圧に負けて詳しいことは何も聞けなかった。
玄蕃は………また何か良からぬ
「若、この後は何しますか」
「皆で鬼ごっこがしたい!」
「「「「「いやです/だね」」」」」
「なんで!?」
弧次郎の問いに即座に答えるが、それを却下されるのもまた一瞬だった。やはり主君の扱いが些か雑な気がする。郎党なのだから、もう少し返答を考えてくれてもいいんじゃないか…。
「坊に山奥の奥まで逃げられちゃ敵わねぇもんな」
「んぐ…」
「でしたら、代わりに狩りへ行きませんか?我が君の弓の腕前を是非とも拝見してみたいです」
「おお!いい提案だね、吹雪」
今すぐ行こう早速行こう、と吹雪の案が全会一致で採用されてしまったため、私は渋々弓と矢の用意に取り掛かった。今日もあんなに鍛錬したというのに、再び弓に触れることになろうとは思わなんだ。初めはあまり気乗りしなかったが、『いや…待てよ』と少し立ち止まって考えてみる。
──今の私は、以前の私とは違う。
小笠原貞宗との犬追物や血反吐が出そうなほどの厳しい鍛錬(?)を経て、弓の腕前は格段に上がっているはず。今なら皆に、獲物を仕留める私の勇姿を見せることができるかもしれない。
そう。これはまさしく、私の主君としての威厳を取り戻すための絶好の機会…!今は玄蕃と吹雪もいるのだ。この機を逃せば、今後私の印象を払拭することは困難を極めるだろう。
この
ザシュッ
「あっちゃー…今のも惜しかったッスね若」
「矢の精度は確かに上がってるんだけどな~」
「うん。本当にあと紙一重って感じ」
「うう…」
──絶対に負けられないと言ったのに、
なぜ…どうして!?今日の鍛錬はすこぶる調子が良かったはずなのに…!
「指先が僅かに硬直して震えています。我が君、緊張でもなさっているのですか?」
「俺らにいいとこ見せようとして気合い入れたら、却って力の制御が難しくなっちまったってとこだろ。大方」
「ぜ、全部バレてるぅ!?」
「たはは。薄々そうだろうなあ、とは思ってたッス。思ってましたけど…」
「綺麗に自爆したね。兄様」
最早私の自尊心はズタズタだった。狩りの途中から皆に自分の魂胆が見透かされていたと思うと、恥ずかしくて顔を上げられなかった。…だが、このままではいけない、一刻も早く戦果を挙げなければ。頼重殿にも顔向けできない。
「い、今から一人で獲物を仕留めてくる。皆はここで待っていてくれ」
「え?若様。まだ狩りするなら私たちも一緒に──」
「いや。皆がいてくれるととても心強いが、それだとつい…誰かの肩に寄りかかって甘えたくなってしまうんだ。郎党の主君としては何とも恥ずかしい限りだけれど。
…だからここは、私一人の力で行きたい。お願いだ」
そう懇願すると、皆はお互いの顔を見合わせ笑顔で私を送り出してくれた。
「わかりましたよ若。お土産楽しみにして待ってるッスね」
「どうかお気を付けて」
「…!ああ!ありがとう」
──彼らの信頼に、私も応えなくては。
☆
「居た」
最初に狩りをしていた場所からおよそ三十間ほど山を登ったところで、少年は[[rb:獲物 > 野兎]]を見つけた。茂みの中に息を潜め、やをら矢を番える。
移動する兆候は見られない。狙うならば……今。
「(──っ!)」
寸分のずれもなく放たれた一矢は空を切り、木々の間をすり抜けていく。…が、兎の胴を矢尻が通貫せんとしたまさにその瞬間、気まぐれな風が南方より吹き抜け、少年の矢の狙いを狂わせる。尖鋭な矢尻は兎の柔らかい体毛を掠め取るだけに終わり、虚しく地面へと突き刺さった。逃げ行く兎の後ろ姿と併せて己の矢の無様を認識した少年は茂みの中から勢いよく飛び跳ね、悔しさに満ちた思いを露わにした。
「ああ、惜しい!あと一寸!あと一寸左に逸れていれば矢が当たったのに…!
はあ…。仕方ない、もう一度──?」
再挑戦の意思を心に決めた時、少年はそれまで一切感じられなかった人の気配と足元から注がれる好奇の視線に気が付く。その気配と視線の主──野原しんのすけは少年と目が合うと親しい友人に会った時のように片手を挙げ、いつもの挨拶を披露した。
「よっ」
───激動の時代を生きる少年…“北条時行”の、嵐を呼ぶ5歳児に振り回される未来が確定した瞬間だった。
ストックあるので、このあとまた二話目も投下します。