「よお、お前が恋雪かあ? へえ、他の奴らに聞いた以上に整った顔立ちしてんじゃねぇか。こりゃああの余所者には勿体ないよなあ。」
「え・・・」
狛治さんがお父さんと素流の稽古で道場に行っている間、なんの前触れもなくその人は現れた。
上等な着物に袴の出で立ちで、見るからに位の高そうな武家の御仁。歳は私と狛治さんの中間くらいだろうか。しかし初対面の私を値踏みするようなその視線が酷く嫌悪感を感じるものだった。
「なあ? こんなところで一日中寝てても退屈だろ? 俺が特別に街に連れ出してやる。なあに、篭も呼んでやるから気にするな。多少身体が弱くても出歩くぐらいのことはできるんだろ? さあ、来いよ。」
「ま、待って・・・!!」
そう言うや否や、その人は私の袖を引っ張って敷地の外まで引っ張りだしてしまう。怖い。腕を握りしめる力が強くて思わず震えてしまう。
しかし、病弱な私がそんな彼に逆らえるはずもなく、成すすべなく素流道場の敷居の外まで連れ出されてしまった。
「こほっ、こほっ・・・待って・・・苦しい・・・」
「ああ? なんだよ、まだ家から出たばかりだろ? そんなんじゃ街までいけないだろうが。とりあえず俺の道場に・・・」
「けほっ! けほっ! けほっ!! ごほっごほっ!!」
「ああ? おい待てよ。なんでそんな咳なんてしてるんだよ。まだ大した距離歩いて・・・はあっ!?」
私は引っ張られるも足元がおぼつかず、つまずいて転んでしまう。倒れた時に舞い上がった土埃を吸ってしまい、一層咳が止まらなくなる。
「けほけほっ!! けほけほけほっ!!!」
「おいおい、ふざけんなよ・・・どんだけ虚弱なんだよ・・・おい! 聞こえてんのか!?」
「ひゅーひゅー・・・」
肺が痛い。胸が苦しい。息ができない。辛い。死にそう。誰か助けて・・・
「し、知らねぇ!! 俺は知らねぇからな!! さっさと家に帰れよ!! この病人女が!!!」
そう吐き捨ててその人はその場から立ち去ってしまった。私は門の前で取り残される。
苦しい苦しい苦しい・・・狛治さん・・・お父さん・・・
私は咳が止まらず呼吸を整えることもできず、その場で突っ伏したまま助けを呼ぶこともできない。
ああ・・・私・・・今日ここで死ぬんだ・・・せめて最期に狛治さんの顔だけでも見・・・
「っ!! 恋雪!!!」
私が死を感じた瞬間、私が会いたいと願った愛しい人がすぐさま駆け付けてくれた。その人は力強くも優しく私を包み込むように抱き上げてくれる。
「恋雪っ!? どうして外なんかに・・・」
「どうした狛治!! 恋雪は何故外に・・・」
「わかりません! とにかく今はすぐに薬を・・・!!」
朦朧とする意識の中、狛治さんに続き、お父さんの声も聞こえる。
私は狛治さんに背中を支えられながら、薬売りの方が処方してくれた頓服薬を飲ましてもらう。暫くの間、狛治さんが必死に背中をさすってくれる。胸が温かくなる。
やがて私の呼吸も落ち着き、咳も治まってきた。私は安堵と共に、狛治さんの腕の中に包まれるこの温もりを折角だと思い堪能していた。
「恋雪。教えてくれ。どうして門の外で倒れていたんだ? まさかとは思うが・・・誰かに連れ出されたのか?」
狛治さんはとても察しがいい。それは日ごろの看病の時からずっとそうで、私がしてほしいことを自然と察知することができるのだ。もしかしたらそう言った神通力を持っているのかもしれない。
私は呼吸を整えて狛治さんとお父さんに事情を説明した。隣の道場の跡継ぎの方が突然訪ねてきて私を連れ出そうとしたこと、そして私の発作が起きた途端その場から逃げ出したことを。
いつも穏やかなお父さんですら凄く怒っていた。日ごろ見ることがない表情に私はあっけに取られるが、すぐにそう言った感傷も消え去る。
狛治さんが私の話を聞き、みるみるうちに鬼のような形相に変わる。
「・・・俺が潰してきます・・・」
いつも優しい穏やかな声音の狛治さんじゃなかった。酷く低く冷たい声だった。私はその変貌に身震いする。
「だ、駄目!! 狛治さんっ!! そんなことしたら・・・!!」
私は狛治さんの襟を握りしめそう必死に懇願する。やめて。そんなことしないで。私の為に手を汚さないで。元の優しい狛治さんに戻って・・・!!
「狛治・・・気持ちは痛いほどわかるが、暴力沙汰は良くない。うっかり一人でも殺してしまえばお前を奉行所の連中に引き渡さなければならなくなる。一旦落ち着け・・・」
「これが落ち着いていられますかっ!! 師範ははらわた煮えくりかえらないんですか!? 大事な娘が危うく命を落とすところだったって言うのに・・・!!」
狛治さんが私の為に本気で怒ってくれるのは正直言って嬉しい。でもそんなことしてほしくない。ましてや奉行所で刑罰を受けるようなこと・・・それで離れ離れになるなんて絶対に・・・!!
「・・・隣接する道場に試合を申し込む。」
お父さんが静かに狛治さんを宥める。良かった。少しだけ落ち着いてくれた。やっぱりお父さんは凄いなぁ。
やがてお父さんは道場の門をくぐり抜け、そのまま隣の剣術道場まで行ってしまった。私は不安で思わず胸に手を当てて握りしめる。
「大丈夫だ、恋雪。俺と師範ならあんな奴ら何人束になっても負けることは絶対にない。必ず正式な方法で決着させてみせる。俺たちを信じてくれ。」
「はい・・・狛治さん・・・」
狛治さんはいつもの優しい笑みを浮かべて、私の頭をそっと撫でてくれる。不謹慎にも、ずっとこうしててほしいと思ってしまう自分がいた。
夕刻に差し掛かる頃、お父さんは戻ってきた。いつもの満面の笑みではなく、とても真剣な表情で。
「狛治。明日、向こうの道場と交流試合をすることになった。お互いの道場の門下生同士で一本勝負の勝ち抜き戦を行い、片方を全員打ち負かした方が相手側に要求を吞ませられるように。急で悪いが明日の試合に備えてくれ。今日の恋雪の看病は俺が受け持つ。」
「ま、待って!? お父さん! 向こうは門下生が大勢いるのでしょう!? 狛治さん一人で相手するの!? そんなの無理に決まってる!!」
「いえ、看病も試合も全部やりきって見せますよ。例え、俺一人でも。」
私がお父さんの話を聞いて慌てふためいてるのに対し、狛治さんは酷く落ち着いていた。静かすぎて逆に怖いくらいに。
「狛治。師範として言う。今日はもう休め。型の確認も全部頭の中だけでするんだ。とにかく身体を酷使するな。もし負ければ俺たちはこの道場を立ち去らなければならなくなる。」
「えっ!? お父さんどうして・・・」
「でしょうね。向こうとしては丁度いい口実でしょう。それを要求してくるに決まっています。でも関係ありません。全部俺一人でできます。」
「狛治。今日も明日も俺はいる。お前一人で背負うな。気負い過ぎては勝てる勝負も勝てなくなるぞ? 俺の長年の経験則を信じてくれ。頼む、狛治。」
「・・・わかりました。それでは本日だけ恋雪を頼みます。俺は少し休息を取ってきますので。」
「ああ、任せろ。」
そう言って、狛治さんは道場の方に歩いて行ってしまった。私はその後姿を見てひどく焦燥に駆られる。
「・・・まさかあいつ・・・鍛錬する気じゃないだろうな・・・恋雪、少ししたら戻るから待ってるんだぞ?」
お父さんも不安になったのか、そのまま道場の方に向かってしまった。
やがて道場からお父さんの大声が聞こえだす。狛治さんはやはり休んでなどいなかった。
結果、その日はずっと、狛治さんを私の看病のついでにお父さんが見張ることになった。
「全くこいつは・・・鍛錬馬鹿にもほどがある。とにかく休め。これは師範命令だ。いいな?」
「・・・はい。」
その夜は珍しく狛治さんが私の隣でお父さんに見張られながら眠っていた。その寝顔がとても穏やかで、つい眺めて居るだけで私の不安は払拭されるような気がした。
続く
う~ん、これは狛治に肉塊に変えられても仕方がない程の悪行ですね。道場主の跡取り息子はマジで鬼畜だと思います。こいつのせいで狛治がパワハラ上司の下で100年以上働かされるとかマジで許せん。