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「これは・・・毒ですね。」
「ど、毒!?」
「はい。恐らくヒ素かと。詳しいことは専門の方を呼ばないことにわかりませんが、井戸の水が使い物にならないことだけは確かです。残念ですが・・・」
夕刻に差し掛かる頃、俺たちは恋雪のかかりつけ医である薬師寺さんを呼んで井戸の水を調べてもらっていた。
案の定、井戸には毒を入れられており、一歩間違えば恋雪も師範も毒殺されていたであろうことは想像に難くない。
「えっと・・・本当に隣の剣術道場の連中が?」
「ああ、忘れたくても忘れられないですよ。二年前に恋雪を無理やり連れ出して危うく死なせるところだったあの男だけは。」
俺は拳を握りしめていた。腸が煮えくり返る。二年前の交流試合で約束させたはずだったのに。
「ということは・・・現状狛治殿の目撃証言しか証拠がない訳ですよね? そうなると奉行所に奴らを引き渡すのは難しいかも・・・」
「何!? 薬師寺殿!! そこを何とかならんか!? 流石にこんな真似されてお咎め無しなど納得できんぞ!?」
「はい。それは勿論。なので奉行所には被害届を出すしかありませんね。その結果調べが進み、奴らの悪行が明らかになる可能性もあるとは思いますが・・・」
「薬師寺さん。引っかかる言い方ですね。何を懸念されているのですか?」
俺は我慢できずそう問いかける。こんな真似までされて黙っているなど到底俺にはできなかったからだ。
「お気を悪くせず聞いてくださいね? 最悪の場合・・・狛治殿が疑われるやもしれません。」
「そんな!? 狛治さんがどうして疑われなくちゃならないんですか!?」
「仮にも狛治殿は元罪人です。狛治殿を奉行所の人が調べたらどう思われるでしょうか。この地に流れ着き、出来心で道場を乗っ取ろうとしたと思われても言い逃れができないのでは?」
「薬師寺殿!! 如何に恩義のある貴方でもそれ以上は我慢ならんぞ!?」
「ええ、申し訳なく思います。しかし残念ながらそう言った見方をされる可能性があるのも事実です。不本意ながら。」
俺達は黙り込む。薬師寺さんの意見は間違っていないからだ。しかしこのまま泣き寝入りなど到底俺にはできない。
「今度こそ俺が潰してきますよ。正々堂々やり合わず、井戸に毒を入れるなど、卑怯者のすることだ。卑劣極まりない・・・!!」
「待て狛治!! 以前にも言ったが暴力沙汰はいかん!! そうなれば今度こそお前を奉行所に引き渡さねばならなくなる!!!」
「じゃあ俺が道場破りという名目で乗り込んできますよ。せめてあの跡取り息子だけでも牢屋にぶち込んでやりたい。
他の連中も一人に責任を擦り付けられるのなら、俺に叩き伏せられるよりマシだと思って簡単に差し出すかもしれませんし・・・」
「・・・しかしだな狛治・・・そううまく行くだろうか?」
師範は俺を宥めようと疑問の声を上げる。するとふいに恋雪が俺の手を握って泣きながら懇願する。
「お願い狛治さん。行かないで。どこか遠くで生きていきましょう? 私、狛治さんとお父さんさえ居てくれれば他に何もいらないわ。」
「・・・恋雪・・・」
俺は迷う。恋雪に泣かれると居心地が悪い。それに漸く真っ当に生きようと決意したのだ。俺の中の憤りが徐々に薄れる。
「わかった・・・奴らとは金輪際関わりたくもない・・・遠方の地で人生をやり直そう・・・師範もそれでいいですか?」
「お? お、おう・・・狛治がそれでいいのなら・・・」
「狛治さん・・・!! ありがとうございます・・・!!」
「それでしたら新居が見つかるまで私の屋敷にお泊り下さい。慶蔵殿には散々世話になった。ここいらで恩義をお返しさせていただけるのならこちらとしても嬉しい限りです。」
そうして俺たちは荷車に乗せられるだけ要り用の物を乗せて、素流道場をあとにした。
恋雪は終始安堵の表情を浮かべていたので、俺も恋雪に微笑んだ。
しかし・・・俺の怒りは当然治まるものではなかった。恋雪が寝静まったのを見計らい、俺は一人で奴らの道場へと足を運んだ。
「ははっ! 来ると思ってたぜ? 狛治さんよおぉ?」
「正十郎・・・素流道場はくれてやる・・・だから金輪際俺達の前に姿を現すな・・・存在自体が癪に障る・・・虫唾が走る・・・反吐が出る・・・!!」
俺が赴くと、道場には70名ほどの門下生が真剣を持って集まっていた。俺を迎え撃つ気満々と言ったところか。
「しかしよく気づいたな? 俺がお前らの井戸に毒を投げ込んだってことを。」
「・・・隠す気もないのか・・・お前だけでも奉行所に連れ出してやってもいいのだぞ?」
「はっ! 奉行所は由緒正しき武家の俺と罪人のお前、どっちの証言を信じるかな? まあそれでもお前がおめおめと俺たちの前に姿を現したのは幸いしたぜ。死人に口は開けないからな?」
「俺を殺すか? 笑わせる。正々堂々真っ向から戦うこともできず毒物に頼る様な卑怯者の弱者風情がっ!!」
「じゃあその弱者に今宵蹂躙されるんだな!? いくらお前でもこの人数相手に太刀打ちできる訳ねぇんだから!! お前ら、一斉に掛かれ!!!」
そうして四方八方から真剣を持った剣士たちが俺に襲い掛かる。そこからは一方的な蹂躙だった。女中が鬼が出たと騒ぎ立てるぐらいには。
「ば・・・馬鹿な・・・」
俺は一人残らず剣士共を叩き伏せて道場の真ん中で立ち尽くしていた。息は乱れているが、一太刀も浴びていない。傷跡を残してしまえば恋雪を心配させてしまうからだ。
加えて一人も殺さないよう努めた。恋雪を悲しませるような真似だけは絶対にしたくなかったからだ。
一人腰を抜かし、刀を抜くこともなく震えている正十郎に歩み寄り、俺は根限り低い声を出して言い聞かせる。
「命が惜しければ金輪際俺たちに関わるな。もし次約束を破ればお前の命を以て償ってもらう。いいな?」
「うっ・・・うっ・・・」
震えて泣くことしかできない正十郎を置き去りにして、俺は剣術道場を立ち去った。
続く
筆者の見解としては、奉行所に突き出しても狛治の方が不利だろうなと思っています。もし仮に目撃証言と毒物の物的証拠を押さえたとしても、言い逃れされるか適当な下っ端を足切りにされるだけで跡取り息子の頸まで届かないと思っています。当時は賄賂とか当たり前だったみたいですし。ならもう縁を切る方がマシだと思い、このような展開にさせて頂きました。因みに殴り込みは跡取り息子に釘を刺す狙いもあります。奉行所に泣きつかれると面倒っちゃ面倒なので。しかしこの牽制が仇となり、例の臆病者を呼び寄せる羽目になってしまうのですが・・・少なくとも『狛治は』鬼にならないのでご安心ください。この作品の主題は狛治の救済なので、彼が原作のように不幸になる展開は書かない予定です。今後益々原作改変が進むので、その点についてはご容赦下さい。