【RTA】鬼滅の刃RPG『長い長い人の歴史のほんの一欠片』獲得チャート 作:バブ辻オギャン
刀鍛冶の里を訪れてから二日目の朝。
うっすらと朝靄が残る静かな山の中を、竈門炭治郎は歩いていた。
だが二日経ってもなお、炭治郎がこの里を訪れる事となった要因である男の鋼鐵塚蛍は見つかっていない。
里長の鉄珍によれば、鋼鐵塚はしばらく前。それこそ炭治郎からの刀を折ったという報告を受けた日からずっと行方不明なのだという。
里の人間たちも総出で捜索しているものの、未だに目撃情報の一つすら上がっていない状態だった。
だが、人一倍鼻の利く自分であれば探し出せるかもしれない。
そう考えた炭治郎は、人通りの少ない早朝のうちから行動を開始し、森の奥へと足を踏み入れていたのだ。
だが。
「うっ、匂いが強い……」
ふと炭治郎は足を止め、眉間を寄せて微かに顔をしかめた。
早朝とはいえ、すでに何人かの刀鍛冶たちは本格的な仕事の準備を始めており、山の中には鉄を打ち叩く熱気と焦げた煤の匂いが漂っていた。
しかしそれ以上に、炭治郎の鋭い鼻腔を猛烈に責め立てていたのは、里のあちこちから湧き出る温泉の匂いであった。
ツンと鼻の奥を突くような独特の硫黄臭。
それに加えて、温かい湯気が孕むねっとりとした湿り気と、地底から吹き出す濃厚な鉱物の匂いが混ざり合い、ずっしりとした空気の塊となって充満している。
まだ肉体が回復し切っていないのも相まって、鼻の感覚がどうにも乱れて頭が眩むような感覚に襲われる。
「体力が万全じゃないのもあって鼻が利きにくいのか……」
そんな温泉の匂いに深く苦悩しながらも、炭治郎は懸命に集中を高め、強い硫黄の香りの隙間から微かに届く『人の匂い』をなんとか辿っていく。
(この匂いが鋼鐵塚さんかな? うーん、いつもならすぐに分かるんだが……)
既に嗅いで覚えた筈の個人の匂い。
だが、それの確証すら持てないほどに効かない嗅覚に焦りを覚えつつも、炭治郎は一歩一歩を確かめるように匂いの元へと進んでいく。
そうして暫く歩いていくと、木々の開けた場所で、炭治郎の視界に二人の少年の姿が飛び込んできた。
「……ん?」
一人は、刀鍛冶の里に住む人間が皆つけているひょっとこの面をかぶった小柄な少年。
そしてもう一方は、白を基調とした美しい地に、澄んだ水色の霞文様が映える羽織を身に纏った少年であった。
「子供? それにもう一人は……」
どこか見覚えのあるその独特な佇まいを前に、炭治郎はかつて立ち会った『柱合会議』の記憶を深く手繰り寄せる。
あの時も、自分は彼をしっかりと見ていた事を完全に思い出す。
「カナエさんが言ってた……『霞柱』の……」
――霞柱・時透無一郎。
早朝の静けさが満ちる山の中で、炭治郎はそっとその名を呟いた。
「な、何があっても鍵は渡さないからな! どっか行け!」
前方では、ひょっとこの面を被った少年が、胸の前で両手をぎゅっと握りしめて必死に声を張り上げていた。
そして一方の無一郎は、少しばかりの困り顔を浮かべて佇んでいる。
木陰からその様子を見つめていた炭治郎は、思わず唾を飲み込む。
(どうしよう、揉め事かな? 盗み聞きはよくないけど……もしそうだったら……)
ハラハラと胸を痛める炭治郎の前で、二人の押し問答は続いていく。
「あ、あれは次で壊れるんだ! もう誰にも使わせない……!」
「……うーん」
ひょっとこの面の少年は頑なな拒否の姿勢を崩さずに一歩後ろへ下がる。
無一郎は困惑を色濃く滲ませた瞳で少年を見つめ、静かな声で語りかけた。
「そう言われても……僕はもっと強くなりたいし。師範もいない今は『あれ』が一番僕の訓練にぴったりなんだよ。だから使わせてくれないかな?」
「ッ、駄目駄目! もうあと何回か……にも耐えられないくらいに劣化してるんだ! 何を言われても絶対に貸さない!」
「乱暴に扱ったりしないよ、丁寧に使うから……」
「丁寧にやったって壊れる時は壊れるんだ! だから駄目!」
「……本当に駄目?」
「駄目!」
両手を振り回して拒絶する少年と、それに何度も言葉を重ねる無一郎。
そのやり取りに、炭治郎はぽりぽりと頬を掻きながら首を傾げた。
(『あれ』が壊れる? 使わせて欲しい? 話の流れはよく分からないけど、でも……)
嗅覚を研ぎ澄ませてみても、二人の間には激しい憎悪や悪意の匂いは一切漂っていなかった。
あるのは少年の必死な焦りと、無一郎の純粋で誠実な困惑の匂いだけであり、加えて『柱』である無一郎の方も、力を笠に着て奪い取ろうとしている訳ではない。
無一郎はただ愚直にお願いを繰り返しているだけで、少年もまた必死にそれを拒んでいるだけに過ぎない、揉め事という気配ではなさそうだ。
(悪意の匂いもないし……中に割って入るのは少し邪魔になるかな……?)
一瞬、立ち入るべきか迷いの生じた炭治郎。
……だったが。
「すみません! ちょっとよろしいでしょうか!?」
しかし、その躊躇は文字通り一瞬で消え去った。
炭治郎は木陰から威勢よく飛び出すと、堂々とした足取りで二人の会話の輪へと割り込んでいった。
例え見知らぬ少年、そして『柱』が相手だろうと、困っている人間や問題の種を目の前にして素通りする事は、彼の人柄が許さなかったのである。
「君は……」
突如として現れた炭治郎に対し、無一郎は少しだけ目を丸くし、微かに首を傾げた。
「あの、遠くから少し声が聞こえてしまって……何か困りごとですか? 俺に手伝えることがあれば……」
真っ直ぐな瞳で二人を見つめ、炭治郎は何があったのかを尋ねる。
だが、そんな炭治郎の言葉が言い終わるより早く、空を切り裂くような音が鼓膜を刺した。
「キィイイイイッ――!!」
甲高い悲鳴のような鳴き声と共に、上空から一匹の鴉が凄まじい速度で飛来する。
そしてそれは迷いなくひょっとこの面の少年の頭上へと一直線に突撃し、鋭い爪と翼でガシガシと激しく叩きつけ始めた。
「ゴチャゴチャ言ワズニサッサト渡シナサイヨ糞餓鬼!! 目ン玉ホジクルワヨ!?」
「いだっ!? いだだだだっ――」
「柱ノ時間トアンタラノ時間ノ価値ハ違ウノヨ! ソンナ事モ分カラナイ訳ェ!?」
自分についている鎹鴉よりまつ毛が長いその鴉は、およそ鳥類とは思えぬ物騒きわまりない語彙を撒き散らしながら、猛烈な勢いで少年を突きまわす。
「壊レルカラ何!? ナラアンタガマタ直シナサイヨ! グダグダ言ッテル暇ガアルナラサッサト鍵ヲ――」
「ちょ、ちょちょちょ!?」
あまりの理不尽な襲撃と物騒な言葉の数々に、見かねた炭治郎が思わず両手を伸ばして鴉を制止しようと割り込んだ。
だが、その瞬間。
「ナニヨアンタ!!」
鴉はギロリと怒気を含んだ目を炭治郎に向け、攻撃の対象を瞬時に切り替える。
その直後。ぎちっ、と鈍い音が響いた。
「邪魔スンジャナイワヨ!!」
「うわ――――っ!!??」
鴉は止めに入った炭治郎の頬を、血が滲み出るほどの力でがっちりと嘴でつまみ、それから力任せに引っ張り上げた。
突然の激痛で炭治郎は情けない悲鳴を上げ、頬を引っ張られたまま悶絶する。
ひょっとこの面の少年が頭を押さえてうずくまり、炭治郎が頬を押さえて悶絶するという混沌とした状況を前にしても、無一郎は怒るでも焦るでもなく、相変わらず困り果てたような顔のままだった。
それから、再び静かにその口を開く。
「……銀子、やりすぎ」
「ハァイ♡」
無一郎がその名を呼んだ瞬間、先ほどまでの凶悪な気配は嘘のように霧散した。
銀子と呼ばれた鴉は、炭治郎の頬から即座に嘴を離すと手のひらを返したような甘ったるい猫撫で声を上げ、優雅に羽ばたいて無一郎の肩へと舞い降りる。
それから、うっとりとした表情で自身の頭を無一郎の頬へ、愛おしそうに擦り付け始めたのだった。
「フンッ!」
だがすぐに、あからさまにこちらを見下す気配を醸し出したまま。
「アノネェ、アンタガソウヤッテ駄々ヲコネル時間ナンカヨリ、コノ子ノ訓練ノ時間ノ方ガ大事ナノ!」
無一郎の肩の上で羽を休めた銀子が、勝ち誇ったように嘴を鳴らして叫ぶ。
「コノ子ハネ、天才ナノヨ! 次元ガ違ウノヨ次元ガ! ナンテッタッテ、アノ『日ノ呼吸』ノ使イ手ノ子孫ナンダカラネ!」
「えっ!」
痛む頬を押さえていた炭治郎。
しかし銀子の自慢話の中に飛び出したあまりに重要なその言葉に、思わず目を丸くして食いついた。
「日って……あの『始まりの呼吸』の?」
「ソウヨ!」
銀子はふんと鼻息を荒くして、胸を張りながら誇らしげに羽を広げてみせる。
だが次の瞬間、炭治郎の頭の中に素朴な疑問が浮かび上がり、その言葉がぽつりと零れ落ちた。
「……でも『霞』なんだね、使うの」
「黙ンナサイ!!」
「ア"――――ッ"!!??」
銀子は即座に激昂し、凄まじい速度で再び炭治郎の頭部へと突撃を喰らわせた。
頭を抱えて悲鳴を上げながらも、炭治郎は鋭い嘴の攻撃に耐え、目の前に立つ無一郎へと必死に問いかける。
「そ、そうだ! 無一郎くん!」
「イキナリ馴レ馴レシイノヨッ!!」
金切り声を上げて頭上から邪魔をしてくる銀子の叫びを完全に無視し、炭治郎は期待を込めた視線を無一郎に注ぐ。
――『ヒノカミ神楽』と『日の呼吸』の繋がり、その真相への手がかりが得られるかもしれないと考えたからだ。
「『始まりの呼吸』の子孫なら、聞きたい事があって……」
『無限列車』での戦いの後、炎柱・杏寿郎に招待された煉獄家での一幕を思い出しながら、炭治郎は希望を抱いて返答を待った。
煉獄家で見つけた『炎柱の書』自体も、既に杏寿郎の父である愼寿郎がズタズタに破っていたせいでまともな情報は得られなかったのもあり、目の前の『日の呼吸の使い手の子孫』という存在に期待しないという手はなかった。
だが。
「あ、僕は何も知らないよ」
「え」
無慈悲にも、無一郎は困惑の色の残る瞳で即座に返した。
「鬼殺隊に入る前はただの杣人だったし、呼吸とか鬼殺隊の歴史も、隊士になってから初めて知ったんだ」
「そ、そうなんだ……」
「ぶっちゃけ『日の呼吸』に関しても、名前以外何も知らないんだよね」
あまりにも淡々とした告白に、炭治郎はがくりと残念そうに大きく頭を下げた。
期待が大きかっただけに、落胆の色は隠しようもない。
そんな炭治郎の様子を見つめながら、無一郎はどこか困ったような、けれど穏やかな調子で言葉を重ねる。
「それは兄さんも同じだからね、期待するだけ損だと思うな」
「……?」
唐突に出てきた言葉に、炭治郎は頭を上げて困惑の表情を浮かべた。
「お兄さん……って確か」
「月柱の有一郎。失伝した『月の呼吸』の唯一の使い手でもある」
無一郎は何でもないことのように、静かにそう口にしたのだ。
「つ、月!? それって日の……」
「だから知らないってば」
だが。
「それに意外と、名前が似てるだけで何も関係なかったりするかも?」
「ソ、ソウデスカ……」
すげなく言い放たれた変わらない答えに、炭治郎は再びがっくりと肩を落として項垂れる。
『ヒノカミ神楽』の謎、そして『日の呼吸』の手がかり。
今までで一番答えに近づける可能性の高い『日の呼吸の子孫』、加えて失伝からの復活を遂げた『月の呼吸』という重大な情報すら、彼らにとっては『その名前以外何も知らない』というあまりに素っ気ない事実。
だがどれほど期待しようとも、当の本人たちが何も知らない以上はどうしようもない。
(そっか……本当に何も知らないんだな……)
「……?」
こてんと首をかしげる無一郎。
目の前の彼が嘘をついてない事は、その様子を見れば匂いを嗅がなくとも分かってしまう
湧き上がった大きな期待の分だけ重い失望が胸を掠めたが、知らないものを問い詰めるわけにもいかない。
炭治郎は仕方ない、と心の中で自分に言い聞かせ、気を取り直すように深く息を吸い込んでパッと顔を上げた。
「あ、そういえば……」
いつまでも落ち込んではいられないと、炭治郎は努めて明るい声を出しながら、先ほどまで鴉に突き回されていたひょっとこの面の少年の方へと振り返る。
「君の名前はな……」
だが、話しかけようとした言葉は途中で途切れた。
先ほどまでそこにいた。
炭治郎が振り返ってすぐ目の前に居る筈の少年の姿が、そこにはなかったからだ。
「……に…………」
視線を少し遠くの木々の方へと滑らせる。
するとそこには、音を立てないよう息を殺し、抜き足差し足で自分たちに背を向けたまま距離を置こうとしている、あのひょっとこの面の少年の後ろ姿があった。
どうやら、自分たちが会話に集中している間にこっそりとこの場を離脱しようとしていたらしい。
『…………』
何とも言えない沈黙が流れた。
炭治郎と無一郎、そして肩に乗った銀子の視線が一斉にその背中に突き刺さる。
自身に向けられた気配に気づいたのか、少年はビクッと肩を跳ね上げると、それまでの慎重な動作を投げ捨てて一気に駆け出した。
「待ってー!」
「来ないでー!」
先ほどまでの雰囲気を一瞬で吹き飛ばすような、なんとも拍子抜けする勢いで追いかけっこが始まった。
兄が生きてるので既に穏やかな無一郎。