【RTA】鬼滅の刃RPG『長い長い人の歴史のほんの一欠片』獲得チャート 作:バブ辻オギャン
里にある宿の一室。
その静まり返った室内で、炭治郎の神経は極限まで研ぎ澄まされていた。
ゆっくりと開きかける襖の向こう側。そこからじわりと部屋の中に滲み出る、正体不明の違和感のある匂い。
嗅覚がその真実に到達した瞬間、炭治郎の全身は凍りつくような感覚に襲われた。
「ッ、玄弥逃げ――」
匂いの奥深くに隠されていたのは、内包された凄まじい濃度の腐臭と悍ましいほどの血の匂い。
「血鬼術
それに気づいた時には、もう既に遅かった。
「ム――ッ!」
視界が圧倒的な冷気と衝撃波によって白く塗りつぶされるのと同時に、炭治郎の身体は凄まじい勢いで後方へと吹き飛ばされた。
背中から激しく叩きつけられ、必死に体勢を整えながら、炭治郎は直前の出来事を脳内で知覚する。
自分を力任せに横合いから突き飛ばし、窮地を救ったのは妹の禰豆子。
視界を塞いでいた木屑と白い冷気の霧が晴れていく。
そうして炭治郎の目の前に広がったのは、惨劇としか言えない光景だった。
「な…………」
先ほどまで自分たちが居た宿の建物は完全に崩壊し、その大部分が分厚い氷の中に封じ込められ、白く凍りついている。
そして何より、炭治郎の目を奪ったのは宿を内側から突き破るように、天高くそびえ立つ巨大な氷山。
月光を受け、蒼白く不気味な光沢を放つ氷山には空気すら凍結させるほどの冷気が渦巻き、触れれば肉体ごと砕け散ってしまいそうな圧迫感を放っていた。
(この術の規模……何よりとてつもない血の匂い! 間違いなく上弦――!)
炭治郎の額に嫌な汗が伝う。
自分の嗅覚で事前にその襲来を完璧に予測できなかった理由。それはおそらくこれだ。
先ほど襖越しで感じたあの奇妙な違和感の正体――それは、この術を放った鬼が自身の気配や血の匂いを外部へ漏らさぬよう、巧みに誤魔化し、
(そして、それをしたのは間違いなく……)
炭治郎は息を殺し、そびえ立つ氷山の頂点へと視線を向けた。
そこに座っていたのは小さな人型。
――まるでガラスのように繊細な、何者かを模した『人形』だった。
それは全身が澄んだ氷で作られた、童子のような幼い佇まいの人形。
頭部には繊細に削り出された氷の髪が静かに揺れ、手に持たされた小さな扇までもが細工物のように美麗な氷で作られていた。
そこに生命の温もりなど一切存在しない。どこまでも美しく、どこまでも冷酷な氷の彫刻。
(おそらく氷を生み出して操作する血鬼術……それにしても、この規模は……!)
炭治郎が激しい警戒心とともに冷静に考察を深める中、その人型の人形はふいに立ち上がる。
そして、氷山の滑らかな頂上をてくてくと、小さな足音すら立てずに円を描くように歩き始めた。
何の感情も感じられない無機質な挙動。
人形が歩くたび、周囲の空間にシャリ、シャリと細かな氷の結晶が舞い散る。
ただ無心に氷の上を歩き続け、冷気をばら撒くその異様な雰囲気に、炭治郎は息を呑み、言葉にできない底知れぬ恐怖を感じた。
(里の人たちは無事なのか? いや、それより玄弥は……まさかさっきので……!?)
里の悲劇は、まだ始まったばかり――。
――カン! カン!
夜の静寂を破り、甲高い金属音が里中に激しく響き渡る。
木造の見張り台の上に立つ男は汗と恐怖に顔を歪ませながら、無我夢中で木槌を警鐘へと叩きつけていた。
「敵襲――!! 敵襲――ッ!!」
裏返りそうな声を振り絞り、男は闇に向かって必死に叫び続ける。
「鬼だ! 各一族の当主を守れ! 柱の刀を持ち出せ! 長を逃がせ――!!」
視線の先、里の屋根の上にはおどろおどろしい異形の影が蠢いていた。
背中に妖しい花紋の入った壺を背負った、ぬらぬらと濡れた斑模様の胴体と、ぎょろりと見開かれた巨大な眼球。
金魚を模した異形の不気味な鬼たちが、生々しく生えた太い手足で瓦を砕きながら、蜘蛛の子を散らすように屋根の上を這い回っている。
「こっちだ! 早く!」
「駄目だ! もうこっちにも来て――ッ」
暗闇のあちこちから惨劇の悲鳴と阿鼻叫喚が湧き上がる。
里は一瞬にして地獄絵図へと変貌していき、昼間の平穏な空気はどこにもない。
恐怖で全身を激しく震わせながらも、男は狂ったように警鐘を鳴らし続けていた。
だが、その頭の中はすでに錯乱寸前だった。
(なんでだ……なんでこの里の位置がバレたんだ……!? 鉄治朗は無事なのか……!? 長は……里のみんなは……!)
答えのない問いが脳内を駆け巡り、恐怖で視界が歪む。
その時――。
「ギィ、ギィイッ!」
「ヒッ……!?」
見張り台の木枠が、嫌な音を立てて大きく傾いた。
男が引きつった顔で足元を見下ろすと、そこには木造の柱を力任せに登ってきた一匹の金魚鬼が、目と鼻の先の距離まで迫っていた。
「ギョッ、ギョッ!」
湿った気味の悪い声を上げ、ぎょろついた目を男に向けながら、鋭く研ぎ澄まされた爪を振りかざす。
次の瞬間、金魚鬼の圧倒的な巨体と重さに耐えきれず、見張り台はバキバキと音を立てて豪快に倒壊した。
「うああああああっ!!」
支えを失い、男の身体は木屑と共に夜の空中に投げ出される。
地面へ向かって真っ逆さまに落ちていく僅か数秒間。
その時、男の視界に里の全景が広がった。
そして男は見た。
立ち昇る火の粉と煙を閉じ込めるかのように、里の周囲をぐるりと完璧に遮断し、夜空へと向かってそびえ立つもの。
――圧倒的で、そして冷酷な『氷の壁』の存在を。
「逃げろ! 早く逃げろッ!」
「うわああああっ! こっちにも来たぞ!」
突如として里に現れた異形の怪物。
背中に
濡れそぼった鱗をヌラヌラと光らせ、ぎょろりとした巨大な眼球を蠢かせながら、怪物たちは圧倒的な巨体と暴力で刀鍛冶たちを追い詰めていく。
当然、里の刀鍛冶たちに戦う力などない。
「ぐあっ!?」
「鉄悟郎ッ!!」
先頭を走っていた男の一人が、金魚鬼の振り下ろした鋭利な爪によって背中を切り裂かれて地面へ倒れ込む。
すぐさま後ろを走っていた仲間が駆け寄り、血に染まる男の身体を必死に抱き起こす。
「しっかりしろ鉄悟郎!」
「ぐ、う……っ」
周囲の刀鍛冶たちは手にしていた鍛冶用の金槌や包丁、更には作品の槍を構え、震える手で金魚鬼を威嚇する。
だが、鬼の放つ圧倒的な異形と威圧感を前に、彼らの顔は恐怖で引き攣っていた。
「気を付けろ! この化け物は爪が刃物みたいに鋭いぞ!」
「くそっ、一旦建物の中へ避難しろ!」
男の一人が叫び、近くの大きな工房の扉を指さす。
だが、その期待は一瞬で打ち砕かれる。
工房の入口付近の陰から、また別の金魚鬼が姿を現したのだ。
その金魚鬼は背中の壺を不気味に揺らし、ぬめりけのある巨体で逃げ道を完全に塞いでいる。
「駄目だ! 下がれっ下がれ!」
前方を塞がれ、後方からは背中を裂いた金魚鬼がじりじりと距離を詰めてくる。
狭い路地に追い詰められた刀鍛冶たちに、もはや逃げ場はどこにも残されていなかった。
絶望が彼らの心を塗り潰し、誰もが死を覚悟した――まさにその時。
「蛇の呼吸」
暗闇を切り裂くように、低く冷ややかな声が響き渡った。
「壱ノ型
次の瞬間、うねる蛇の如き軌跡を描く斬撃が夜風を切り裂いて顕現する。
シュッ、と鋭い断ち切り音が連続して重なり、刀鍛冶たちを追い詰めていた金魚鬼の両腕と両足が一瞬で切断された。
「ギィ、ギィヤアアアアッ!?」
勢いよく噴き出す血飛沫とともに、金魚鬼は悍ましい悲鳴を上げながら地面へと倒れ込んだ。
「あ、あなたは……!?」
倒れた仲間を支えていた男が、眼前で起きた出来事に息を呑み、絶望から一転して救世主となった剣士を見上げて声を震わせた。
そこに立っていたのは、口元を白い包帯で覆った男だった。
黒髪を肩まで伸ばし、黄金色の右目と、澄んだ深緑色の左目という左右で色の異なる珍しい瞳。
白と黒の縞模様の羽織を肩に、そして男の首元には一匹の白鱗の蛇が静かに巻き付いていた。
そしてその手には、波打つ蛇のように奇妙に屈曲した一振りの日輪刀。
遊郭における激闘の末に戦場を退いた元・音柱の宇髄天元。その『柱』の空席を埋めるべく、新たに柱へと昇格を果たした『梁』が一人。
彼こそが新たな『柱』――蛇柱・伊黒小芭内であった。
「フン」
小芭内は刀を眼前に構えたまま、刀鍛冶たちへ視線すら向けずに言葉を吐き出す。
「お前たちは脳みそまで鉄でできているのか? こんな狭い路地で固まっていれば、鬼の図体で挟み撃ちにされる事ぐらい『隠』でも理解できるぞ」
男たちの反応を待たずに小芭内は続ける。
「現在、鬼どもは西と東に集中している。南の川沿いは今のところ手薄だ、故にそこの影を縫うように移動し里の退避壕を目指せ。途中で鬼に出会っても交戦などするな。お前たちのその矮小な刃物と腕力では薄皮の一枚も傷つけられんぞ」
一切の容赦もない正論。
ねちっこくも辛辣な説明だが、そこには明確な生き残りの道しるべがあった。
「さっさと行け、時間が惜しい」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
「本当にありがとうございました!」
「この恩は忘れません! 蛇柱様!」
小芭内の冷徹な命令が飛び、それを聞いた刀鍛冶たちは背中を打たれたように跳ね起きると、手負いの仲間を抱え直す。
それから言われた通りの場所へ向かって早歩きで逃げ去っていった。
その背中を小芭内が見送る間もなく、突如として背後から急激な殺気が膨れ上がる。
「ギ、ギャッ!」
四肢を切断されたはずの金魚鬼が凄まじい肉体再生を果たし、咆哮とともに小芭内の背後から躍り出た。
その刃物のように研ぎ澄まされた巨大な爪が、小芭内の頭部を粉砕せんと一直線に突き立てられる。
「遅い」
しかし、小芭内の姿はすでにそこにはなかった。
一瞬で横の死角へと滑らかに移動した小芭内は振り返りざまに屈曲した刀身を閃かせる。
ブンッ! と斬撃が放たれる。
しかし、その斬撃が炸裂したのは鬼の頸でも胴体でもなく金魚鬼の背中に固着されていた『壺』。
「ギ、ギギャッ…………」
刃が叩き込まれた瞬間、壺は粉々に砕け散った。
すると、勢いよく爪を振り下ろそうとしていた金魚鬼はピタリと動きを止め、弱々しい悲鳴と共に段々と黒い灰となって消滅していく。
「チッ、面倒臭い……」
黒い灰が夜風に舞い散る様を見下ろし、小芭内は不機嫌そうに舌打ちを打った。
(この金魚を模した鬼……おそらくは血鬼術によって作られた雑兵のようなもの……こいつ自体は壺さえ破壊すればそれで終いだが、問題は……)
小芭内の視線が、崩れ去った金魚鬼の残骸のすぐ近く、地面に転がる破壊された壺の破片へと注がれる。
破壊された壺の表面には、分厚く透明な『氷の膜』がしっかりと張り付いており、強度を底上げするように補強されていた。
そしてそれは、先ほど刀鍛冶たちを救う際の一撃で、小芭内がこの鬼を屠り切れなかった理由でもあった。
(この壺は氷によって補強されている……単純な強度の底上げもそうだが、ある程度の破損を氷が瞬時に接着する事で補っているのか)
血鬼術は一体の鬼につき基本一つ。
この氷の異能が、金魚鬼を生み出した鬼の血鬼術から派生した別技の可能性自体はゼロではない。
が、今回に限ってはそれは違うだろうと小芭内は確信していた。何故なら――。
(この氷から感じる気配からして、氷の術と壺の術は別物だ。つまりこの里に来ている鬼は――)
小芭内は、自身が『柱』へと昇格した際、産屋敷邸で事前に共有されていた『ある鬼』の能力と特徴を脳裏に浮かべた。
鬼狩りにとっての武器であり、生命線でもある『呼吸』の天敵。
数多の『氷』を生み出し、散布する事ができる異能の持ち主、それは――。
(間違いない、これは上弦の弐による血鬼術……全くふざけた奴らだ)
以前、宇髄が遊郭で討ち取った上弦の陸のような二体で一つの扱いだった鬼とは訳が違う。
能力も意志も全く異なる二体の上弦――壺を扱い異形の兵を生み出す鬼(おそらく同じ上弦)と、絶大な冷気と氷を操る上弦の弐。その二体が手を組み、この刀鍛冶の里という極秘拠点を狙って襲撃を仕掛けてきた。
そんな最悪という言葉すら生ぬるい現実に、小芭内は言葉を失いかける。
(そして何より……)
小芭内は緩やかに首を動かし、里全体を隙間なく囲い込み、夜空を遮るようにそびえ立っている巨大な
それは誰がどう見ても、里の人間をここから一人も生かして返さないという意思表示。
避難こそ続けてはいるが、あの氷壁をどうにかしない限り、いつかは鬼の物量に負けて生存者がゼロになるだろう。
里の人間の保護と避難、そして鬼狩りに加えて更に氷壁の破壊まで強制されるのだ。
「忌々しい鬼め」
冷徹な瞳に激しい憎悪の炎を宿し、そう低く吐き捨てる。
そして次の瞬間、小芭内の姿は一瞬にしてその場から掻き消えた。
「なるほど南かぁ」
里を見下ろす高台の暗がり。
そこにある静寂を割って、ぽつりと間延びした呑気な声が響き渡る。
声の主は片目を静かに瞑り、遠く離れた里の各所に解き放った自身の分身――『結晶ノ御子』から送られてくる視覚映像を、脳内で楽しげに反芻していた。
「新たな柱、それに初見の呼吸……うんうん、ちゃんと記録しておかないと」
頭から血を浴びたかのように、紅く染まった白色の頭髪。
白磁のような白い肌と、万華鏡のように怪しく揺らめく美しい虹色の瞳。そしてそこに刻まれた『上弦』と『弐』の文字
その男――上弦の弐・童磨は屈託のない少年のような笑みを浮かべながら、流れ込む膨大な情報を悠然と処理し続けていた。
「蛇のように曲がる刀と変幻自在な斬撃の軌道……へぇ、結構面白いねぇ」
童磨は手にした黄金の対扇を軽やかに弄び、まるで極上の芝居でも鑑賞しているかのように目を細める。
「うん。よしじゃあ刀鍛冶が逃げ込む先も把握できたし、追加で二体はこの子を送っちゃお」
そして、軽快な調子でその恐ろしい決定を下す。
童磨がふっと細い息を吐き出し、対の扇を使い練り上げる。吐息は瞬時に白く凍りつき、シャリシャリと音を立てて空中に美しく、そして凶悪な結晶を形成し始めた。
冷気が凝縮し、絶対的な殺意を秘めた幼子姿の氷の人形――『結晶ノ御子』が新たに二体、静かに産み落とされる。
「玉壺殿の技もいいけど、やっぱり汚名返上は自分の手でやるのが一番だからねぇ」
生み出された二体の御子は無音のまま歩き出し、夜の闇へと飛び降りていく。
その行き先は、里の人間が集う退避壕。
「さてさて、あとどれくらいで殲滅できるかな?」
童磨は黄金の扇をパチンと静かに閉じて胸元に添える。
それから万華鏡の瞳を爛々と輝かせ、『見』に徹するのであった。
『結晶ノ御子』とかいう(以下略)