【RTA】鬼滅の刃RPG『長い長い人の歴史のほんの一欠片』獲得チャート 作:バブ辻オギャン
(えー、頸斬られちゃった)
石の床の上に転がる頭部。
視界の端でゆらりと揺れていた氷像はもはや影も形もなく、微塵の残り香すら残さず灼熱の剣撃によって蒸発していた。
万が一の時には、敵を巻き添えで殺す、体内に密かに仕込んだ特大の爆弾。その圧縮された冷気の塊すらも、跡形もなく斬り刻まれて消え失せている。
それらの無惨な残滓を見上げながら、童磨は生首のまま、その底抜けに浅薄な内心で思っていた。
(こんな不意打ちの形で? しかも最後の冷気掠ってもいないし)
信じがたい光景だった。
上弦の弐として数百年の時を生き、幾多の優秀な柱たちを喰らい尽くしてきた自分が、まさかこれほどまで圧倒的に、何一つ見せ場すら作れずに斬殺されるなど。
童磨の七色に輝く虹色の瞳がゆっくりと上方を見据える。そこに立っていたのは一人の剣士。
夜の冷気にたなびく、艶やかな黒髪。
幾千幾万という連撃を叩き込んだ直後だというのに、彼女のその立ち姿には一切の乱れがなく、呼吸すら静まり返っていた。
折れた刀の柄を握りしめ、静寂の中に佇むその姿を目にした瞬間、童磨の記憶の引き出しが突如として引き出される。
(しかもよりによってこの子になんて……呆気なさ過ぎる。酷すぎる。ようやく無惨様に褒められると思ってたのに)
数年前の夜、まだ『柱』ですらなかった頃の彼女の記憶。
あの時の彼女は、自身の体内に潜む罠から他者を守る為に刃を引く選択をするしかなかった。なのに、まさかたった数年の時を経て、それを真正面から突破する程に成長するとは予想外だった。
童磨の頸の断面からは、肉体が崩壊していく音がほとんど響いていない。
大量に放出した冷気の副作用だろうか。急激に凍結した切断面が一時的とはいえ氷の楔となって肉体を繋ぎ止めており、僅かに崩壊速度が下がっている。
その僅かな死の延期の間、童磨は内心で思考を巡らせ続けた。
(こんな所で終わるなんて可哀想すぎる。これほど人に尽くし、世に尽くしてきた俺が……)
哀れな人間たちを愚かな苦しみから救うため、万教の極楽教の教祖として寄り添い、その肉体を喰らってきた。
そんな善行を重ねてきた自分がこんな場所でひとり、人間の娘に滅ぼされるなんて理不尽があって良いはずがない。
(そうだ、まだ諦めちゃいけない。無惨様みたいに死なないかもしれない、諦めちゃ……)
必死に抵抗する。願う。
頸を斬られたとしても、偉大なる鬼の始祖たる無惨のように、生への渇望で死を超越できるのではないか。
だが、そんな童磨の浅はかな願いを打ち砕くように、じわりと、退避壕の中に満ち始めた熱気が断面の氷を溶かしていく。
断面にある氷が解けていくと同時に、堰を切ったように肉体の崩壊速度も増していった。
黒い灰がパラパラと崩れ落ち、視界の輪郭が掠れていく。
死は着実に、そして絶対的な足取りで迫ってきていた。
(あー、駄目だ。死ぬんだ俺)
死ぬ。消える。
あらゆる生物に訪れる、永遠の無という当たり前の終わり。
それが自身の身に、今まさに降りかかっているというのに――童磨の内心は、やはり何一つ変わらなかった。
(……駄目だ、やっぱり何も感じないや)
死ぬことが怖くもない。
最高位の鬼として人間に敗北したことを、悔しいとも惨めだとも思わない。
胸を焦がすような執着も、消えていく命への恐怖も、驚くほど何も湧き上がってこなかった。
『死んだら無になるだけ、何も感じなくなるだけ』
これまで何度も、己に縋って泣き叫ぶ愚かな人間たちに向けて、内心でずっと冷ややかに思っていたその事実が、今まさに自分自身へと突きつけられているというのに。
やはり自分の中には、一滴の感情すら存在しなかった。
(ずっとこうだったなぁ俺は、ずうっと昔から……)
目を僅かに動かし、自らを見下ろす圧倒的な存在を見上げる。
夜風になびく黒髪。手にある折れた日輪刀。
そして何より――まっすぐに自分を見つめ返している、その瞳。
(俺とは真逆だなぁ)
かつて、自分を祀り上げた愚かな両親はこの瞳には虹が宿り、神の声を聞くことができる等と言っていた。
あの反吐が出るほど滑稽な妄言の意味が、この死の間際になって少しだけ分かるような気がした。
自分には虹の彩りがあるように見えるが、その実、中身は何も存在しないただの空洞。
そして目の前で静かに佇む少女の瞳は、まるで夜の深淵を切り取ったかのような、黒曜石のように深き黒の瞳。
――だというのに、その底知れぬ漆黒の奥底には、決して消えることのない、眩いばかりの温かな『光』が宿っているのだから。
「鉄珍様」
死の淵で一人、浅い感傷に浸っていた童磨のことなど微塵も意に留めず。
麗は静かな声で呟くと、すっと膝を折り、すぐ傍の床に倒れていた里長――鉄珍の容態を確認し、その小さな身体を優しく抱き上げた。
「遅れてしまい申し訳ありません」
「ぅ……」
麗の腕の中で、鉄珍は弱々しく身悶えし、ぽつりと漏らした。
「わ、若くて可愛い娘に抱き上げられて何だかんだで幸せ……」
「大丈夫そうですね」
麗は寸分の迷いもなく平然と言い放つと、すぐに身体の向きを変え、慌てて駆け寄ってきた近くの刀鍛冶の男に鉄珍をそっくり預けようとした。
「鉄珍様の事は頼みます」
「あ、はい」
「嫌じゃ……男の腕は嫌じゃ……」
「お願いしますね」
鉄珍が『嫌じゃ嫌じゃ』と子供のように駄々をこねて暴れるのも意に介さず、麗は何の躊躇もなくその身体を男の腕の中へ渡した。
男にしっかりと抱き上げられたまま、今もぐちぐちと『可愛子ちゃんが良かったのに……』と文句を吐き続ける鉄珍と、その対応に冷や汗を流しながら困り果てている周りの刀鍛冶たち。
(分かるなぁ……)
生首となった童磨は、床の上からその光景をぼんやりと見つめながら、思わず内心でそう呟いていた。
極限の死闘の直後だというのに、それはあまりにも拍子抜けで、どこか微笑ましい人間たちの営み。
そしてそれは、自分には一生理解できない、温かな世界のやり取りであった。
麗は腕を払うと、静かな口調で周囲に問いかけた。
「ところで、誰か予備の刀は持ってませんか?」
そう言いながら、彼女は片手に握っていた柄を顔の前に持って来る。そこにあったはずの刃は根元から見事に砕け散り、不自然な短さとなっていた。
それを見た刀鍛冶の男は、目を丸くして驚きの声を上げた。
「か、刀が! まさか先ほどの攻撃を防いだ時に……」
「はい。少し力を込め過ぎて……」
「そうですか、やはり上弦の力は凄ま……うん?」
男は言葉を詰まらせた。
攻撃を防いだ時に折れた? そこはまだいい、問題は次の台詞だ。
力を『込め過ぎて』?
「恥ずかしい限りです。次はもっと上手く力を調整しないと」
麗は至極真面目な顔でそう呟き、反省するように折れた柄を見つめている。
その悔しそうな反応を見て、男は確信した。
……あの刀は受けた攻撃が原因で折れたのではなく、彼女自身が放った技と、そして彼女の筋力に耐えきれず、刀の方が崩壊したのだと。
『刀』が『剣士』に負ける。その事実を前にして何やら背筋に冷たいものを感じ、強烈な違和感を覚えた男だったが――。
「あのう、花柳様?」
「はい」
「……いえ、何でもないです」
男は追求するのを即座に諦め、それ以上深入りするのをやめた。
そして大声で周りの職人たちに向けて声を張り上げた。
「おい誰か、予備の刀は持ってないか!? 色はこの際どれでもいい! とにかく刀、日輪刀を持って来てくれ!」
「おい! そっち、奥の方にある瓦礫をどかせ! もしかしたらまだ無事かもしれない」
「駄目だ、こっちのは逃げる途中で金魚みたいな鬼にやられてる! 使えない!」
「こっちのも駄目だ、まだ斬れる段階に仕上げてない!」
刀鍛冶たちは着物の裾をまくり上げ、必死の形相で崩れた荷物や瓦礫をひっくり返し始めた。
麗という戦力をすぐにでも動かせるようにする為、せめて刀をと、がむしゃらに手を動かしている。
そしてその時。
(――あっ)
童磨の頭部の断面を固めていた最後の氷が、完全に溶けて消失する。
そしていよいよ、肉体の本格的な崩壊が完全な速度で再開された。
『上弦の弐』という破格の立場に比例した、鬼舞辻無惨の濃密な血の力。それ故に完全に灰となって消滅するまでには残り数十秒という、首を斬られた鬼としては破格の長さが残されてはいた。
だがそれは同時に、所詮は死までの僅かな猶予でしかない。
「――ねぇ」
童磨はその時、思わず麗に向けて声をかけていた。
最後の抵抗すら叶わず、このまま惨めに無に帰すというのなら、いっそ――。
そんな、己の中にあるかどうかも分からない、気まぐれのような意識からだった。
「麗ちゃん久しぶりだねぇ、覚えてる?」
カラカラとした、相変わらず軽薄な声。
声を聞いた麗は静かに振り返り、足元に転がる童磨の頭部を見下ろした。
その黒曜石の瞳には怒りも、闘気すらも宿っていない。
数年前、初めて出会ったあの夜と変わらない、どこまでも物静かで凛とした佇まいだった。
「時の流れは早いねぇ、大人になったねぇ」
「そっちは変わらないね」
あの頃の幼さが残る声とは違う。
少し大人びた、そしてはっきりと彼女自身の芯のある感情が乗った声で、麗は淡々と返す。
「ずっとそう。今も、何も感じてないんでしょ」
「……やっぱり分かるんだぁ、不思議だね」
童磨は感心したように目を細めた。
どういう原理かは知らないが、彼女は童磨の空っぽの内心を見抜けるのだ。
自身がどれほど笑顔を張り付けようと、どんな言葉で飾ろうと、心にはずっと虚無が広がっている事を。
「それで、最後に何の用? もしかして鬼舞辻無惨の情報を吐いてくれるの?」
「そんな事できないよぉ」
童磨は崩れかけている喉を必死に動かし、掠れた声で言葉を紡ぐ。
「覚えてるかい? 昔、君に対して言った事を」
「覚えてないな」
「えー?」
童磨は心底残念そうな振りをして、わざとらしく眉をひそめてみせた。
そして、口元にいつもの笑みを浮かべる。
「死んだら無になるだけ、何も感じなくなるだけ。極楽なんてものはどこにもない」
「……」
「それから、俺と君は似た者同士だってこと」
虹の瞳を持つ童磨。
黒曜石の瞳を持つ麗。
確かに、両者は特殊な存在としてこの世に生を受けた。
強さという点だけで見れば、麗の方が特別だが話の要点はそうではない。
それは互いに、過程は違えども『弱い人間たちを助ける』という生き方を選んだこと。
だが、その中身は似て非なるもの――それどころか、天と地ほどに乖離していた。
「ねえ、麗ちゃん」
童磨は消えゆく舌を滑らせる。
「君だって分かってるだろう。人間がいかに愚かで、意味のないものに振り回されて死んでいくか。だから、俺はそんな哀れな彼らを救いたくて、喰らう事で救ってあげた。それが俺の『慈悲』だ。……過程こそ違えど、君の『慈悲』と似てるとは思わないかい?」
「……」
童磨の問いに対し、麗は足元の生首をただ静かに見つめ返していた。
そして、返す。
「違う。僕は哀れなんて、可哀想なんて思った事はない」
そこに侮蔑も憐憫もない。
「僕は違うけれど。人は皆脆くて、すぐに傷つくし傷つけあう。だけど、だからこそ誰かを想って泣いたり、笑ったりできる。隣に立って一緒に生きられる」
麗の声は、夜の涼風のように澄んでいた。
「確かに死んだらそれで終わり。この世に神も仏もいない、いたら鬼なんてこの世にいない。……死んで骨になって、土に還るだけだ」
「……」
「でも、だから生きる事は大事なんだ。死ねば苦しむ事もないけれど、同時に新しく笑う事も、誰かの隣に立つ事もできないでしょ?」
「……不思議だなぁ」
童磨は可笑しそうに笑おうとしたが、頬の肉が崩れ落ちて上手く形を作れない。
「本当に不思議だなぁ、君は。もしや俺みたいに、君の親も、俺の親みたいに特別だったのかい?」
「……いいや」
麗は首を振った。
「僕の父親は隙あらばずっと鏡を見てる人だし、それ以上に僕をずっと見るような人間だよ。会う度に顔がいい、顔がいいってうるさいもん」
「……――」
何一つとして、特別ではない家庭。
神とやらも、異質な崇拝も、特別扱いすらも存在しない。
ただ日々の小さな暮らしの中で汁物を分け合うような、そんな素朴で愛おしい『普通』の日々。
「僕の目が特別な事も知ってる。それに僕だって、自分が特別な存在だって事は自覚してる。だけど、人を見下すなんて事はしない」
「――――」
「だから、僕は君とは違う」
その言葉を聞いた瞬間。
童磨の胸の奥底、虚無の中心で何かが激しく弾けた。
生まれた瞬間から『神の子』として崇められ、信者たちのくだらない悩みや欲望、泣き言をぶつけられ続けた幼少期。
自分の瞳には虹が宿っている。きっと神の声が聞こえる特別な存在だと言われ、それを馬鹿だと思いながらも、哀れな人間を救うのが使命だと思い込んでいた。
人間を見下し、時に色に狂った父の真似事をして『恋愛ごっこ』もした。そうすればいつかは、己の空洞を埋められるかも知れなかったから。
――なのに。
目の前にいるこの女は、自分と違って何も特別じゃないと言ってのけた。
上弦の弐である自分を瞬殺できる程の異常な力を持ちながら、下らない神格化などされず、ただ『愛されて』育ったという。
どこにでもいる人間として、ただの小娘として、温かな手で抱きしめられて笑い合っていた。
どく……と。
消失しかけている童磨の頭部の中で、黒く濁った醜い熱量が渦を巻いた。
(……? なんだ、これ……)
胸が焼けるように熱い。
胃の底がひっくり返るような不快感、もう既にない筈のこめかみが軋み、喚きたくなるような感覚。
目の前の少女が持っていて、自分にはずっとなかったもの。
自分が『無価値』だと切り捨て、何も感じないと突っぱねたもの。
どこにでもある人間の温もりを、今になって――。
数百年を生きてきて、死の間際になって初めて、童磨という化け物の心に芽生えたもの。
それはあまりにも醜く、人間らしく歪んだ感情――『嫉妬』であった。
何も感じない筈だった心が、ずっと内側にあった虚無が、黒い炎に焼かれて悲鳴を上げている。
「……あは」
童磨の口から、掠れた乾いた声が漏れた。
頸の崩壊は既に最終段階に入っており、顎のあたりまでが黒い灰となって夜風に散っていく。
「最後に君とお話がしたくて、必死に口だけは残してたけれど」
童磨は、崩れゆく視界の中で麗の黒曜石の瞳を見つめた。
「それは間違いだったかもしれないなぁ」
知らなければ良かった。
どこにでもある当たり前のものを知らない、持っていなかった自分がどれほど虚しい存在だったのかなど。
こんな感情を知るくらいなら。
あのままいっそ、何も感じないまま消えてしまえば良かったのに――。
「あーあ。もし身体が、せめて腕さえ残っていれば」
童磨の虹色の瞳が、生まれて初めての『殺意』に歪む。
「君を今すぐ
――サァッ……。
それが、上弦の弐・童磨がこの世に残した最期の言葉。
頭部は完全に崩壊し、虹の瞳も、言葉を紡いでいた唇も全てが漆黒の灰へと姿を変えて、空に向かって昇っていく。
その昇っていく灰を静かに見上げながら、麗はぽつりと呟いた。
「極楽なんてない。そう言ったのは君なのに」
地獄はあるとでも言いたげな、彼の呪詛のような言葉。
最後まで人を貶め、虚無のままに生きて、感情がある振りをし続けた。
そんな嘘に塗り固められた命を、最後に全てひっくり返す言葉を前にして。
「最後まで君は嘘つきだったね」
冷たく、一筋の情も挟まずにそう言い捨てると、麗は一度も振り返ることなく背を向けた。
彼女の思考にはもう、童磨の事は微塵もない。
自分を頼りに集まってくる刀鍛冶たち、彼らの意思に応えようという覚悟だけがあった。
麗「この世に神も仏もいない」
神「は? 鬼とか許せんし産屋敷一族呪っちゃる」
実際は無惨様にも短命の呪いはかかってるけど、鬼パワーで相殺してるから平気なんじゃないかと作者は考察してます。
……なら無惨本人だけ呪えやで済む? それはそう。