【RTA】鬼滅の刃RPG『長い長い人の歴史のほんの一欠片』獲得チャート 作:バブ辻オギャン
全集中の呼吸。それは身体の中の血の巡りを爆発的に加速させ、人間に鬼と同等の筋力と身体能力をもたらす技術。
しかし、その呼吸が持つ性質――すなわち『適正呼吸』は、生まれ持った肉体の構造や骨格、筋肉の質によって人それぞれに定められている。これは後天的な努力や訓練によって変えられるものでは決してない。
故に、隊士を育てる『育手』の最初の、そして最も重大な役割とは、弟子がどの呼吸に高い適正を示すかを見極めることであった。
もし己の育てる呼吸に弟子が向いていないと判断すれば、育手は躊躇なく他の呼吸の育手へと弟子を紹介し、引き渡す。そうして隊士たちは己の限界を引き出し得る唯一無二の戦い方を定め、死線を潜り抜けていくのだ。
更に、稀に水・炎・風・岩・雷といった基本呼吸のいずれにも当てはまらない、異才の持ち主が現れることもある。
その際、彼らは己の骨格や癖、戦闘感覚に最適化させた『自分専用』とも言える独自の呼吸を鍛え上げ、それが後に新たな派生呼吸として、後世に継承されていく事もあった。
それほどまでに、人間の肉体と全集中の呼吸が秘める可能性の広がりは膨大かつ果てしないものなのだ。
「じゃあ次は型を見せて」
岩柱・悲鳴嶼行冥と煌柱・花柳麗による共同の柱稽古が開始されてから、六日目が経過したときの事である。
激流の滝打ちと呼吸矯正の壮絶なメニューが一区切りついた折、麗のひと声によって、道場前の平地に炭治郎をはじめとする隊士たちが集められた。
「水の呼吸使いはそっち、炎はそっち。あぁ、雷は一人だけだね。じゃあ後は……」
麗はてくてくと軽やかな足取りで隊士たちの前を歩きながら、その透き通るような漆黒の瞳で一人ひとりを観察し、グループ分けを行っていく。
村田を筆頭に、経験豊富な隊士たちが己の適合する呼吸ごとに手際よく並べ替えられていく。雷の呼吸のグループには、未だに呆然としたまま肩を上下させている善逸がぽつんと一人だけで立っていた。
そうして順々に指示を出していた麗の足が、不意に炭治郎の前でぴたりと止まった。
澄み切った漆黒の瞳が、まっすぐに炭治郎の顔に向けられる。
「……?」
麗は小さく首を傾げた。
「あれ、君のは……」
炭治郎を見下ろしながら、麗はほんの少しだけ眉を寄せ、顎に小さな手指を当てて考え込んだ。
「……変わった呼吸を使うんだね。初めて見る適正だ、有一郎のに似てるけど……あれより……」
消え入るような声でぽつりと呟いた麗の言葉を耳敏く拾い上げた炭治郎は、少し緊張した面持ちで尋ねた。
「あの、それってもしかして『ヒノカミ神楽』のことですか?」
「ヒノカミ?」
麗は首を傾げ返した。
「はい、家に代々伝わる舞と呼吸で……」
「……ふーん」
麗は炭治郎の言葉を聞きながら、またしばらく腕を組んで思案に耽る。
その無垢な瞳は炭治郎の胸の奥と脈打つ心臓を、まるで
そうしてしばらくの沈黙の後、麗は何かを思い出したかのように、ポンッと小さく手を叩いた。
「もしかして、それって『日の呼吸』?」
「えっと、それは……」
突然飛び出したその名称に、炭治郎は言葉を詰まらせた。
今は亡き父・竈門炭十郎から受け継いだ『ヒノカミ神楽』、そして煉獄家にて、杏寿郎の父・愼寿郎から出た『日の呼吸』という言葉。
この二つが同一のものであるという確証を、炭治郎自身も模索している最中だったからだ。
迷う炭治郎に対し、麗はあっけらかんとした様子で言った。
「とにかく、一回見せてよ」
そう言って、麗は脇に置かれていた木刀を一本拾い上げると、炭治郎の手元へ差し出した。
「『始まりの呼吸の剣士』が残した手記には、その型の名前と動きも書いてあった。だから、君の『ヒノカミ神楽』の動きを見れば全てが分かる」
手記――その言葉の重みに、炭治郎は背筋を正した。
かつて鬼舞辻無惨を追い詰めた『始まりの呼吸の剣士』
握りしめた木刀の感触を確かめ、深く肚を固める。
「……っ、はい! いきます!」
すうっと大きく息を吐き出し、肺の隅々まで酸素を充填させる。
体内の血流が爆発的に加速し、体温が一気に上昇していく。
木刀を両手で固く握り締め、腰を落とした炭治郎は力強く地面を踏む。
「ヒノカミ神楽
鋭い踏み込みと共に放たれた木刀の一閃。
炭治郎の身体を中心として、宙に刻まれるのは、まるで激しく燃え盛る日輪そのもののような円環の斬撃軌跡であった。
かつて身体能力がまだ追いついていなかった頃の戦いでは、ほんの数回型を繰り出すだけで猛烈な反動が肉体を襲い、激痛と極度の疲労によって指一本動かせなくなるほど強烈で、身体を苛む一撃。
過酷な修練と実戦を経て、筋力が向上した今でこそある程度は制御できるようになったものの、それでもこの技が秘める圧倒的な熱量と威力は、今も破格のものであった。
「ふぅ……!」
一閃を放ち終え、残心姿勢のまま荒い息を吐く炭治郎。その姿を、麗はじっと無言で見つめていた。
そして、どこか腑に落ちたように、深く頷く。
「うん、『日の呼吸』だね」
あまりにもあっけらかんと、麗は告げた。
「記録の通りだ。それに他にも『円舞』とか『碧羅の天』って技があるでしょ? 型の種類は全部で十二、違う?」
「っ、合ってます」
技の名も、十二という型の総数も完璧に言い当てられ、炭治郎は目を見開いた。
「そっか、じゃあやっぱりそうだ。なら……」
確信を得た麗は、近くの置台からもう一本の訓練用木刀を持って来た。そしてそれを両の手で静かに握り直す。
立ち姿を変え、肩の力を抜き、そして――呼吸を変える。
ゴォォォォォ――!
道場全体の空気が一瞬で激変した。
大気が目に見えて歪み、灼熱の渦が麗の華奢な全身から爆発的に噴き出すような錯覚。
それは炭治郎が繰り出す『ヒノカミ神楽』の気配などを遥かに凌駕する、圧倒的で、あまりにも重厚な熱量の奔流であった。
そして。
「日の呼吸
麗の可憐な声とともに放たれた木刀の一撃。
炭治郎の身体を中心に描かれたはずの円環の軌跡が、麗の手によって再現される。
しかしその速度、踏み込みの深さ、描かれる斬撃の範囲と密度は、炭治郎のそれとは全く比較にならない次元に達していた。
炭治郎の使う『ヒノカミ神楽』が『舞』として長い年月をかけ、滑らかに希釈されてきたものだとするならば、今目の前で麗が放ったものは、鬼の首をただ一撃で斬り落とす為だけに研ぎ澄まされた、純然たる『剣技』として回帰を果たした一閃。
空間そのものを焼き尽くすかのような、圧倒的な呼吸と剣技が生み出した紅蓮の虚像。その壮絶なまでの美しさと威力に、炭治郎は言葉を失い、ただ息を呑んで立ち尽くすことしかできなかった。
「どうかな?」
技を終えた麗は、木刀をすっと下ろした。
あれほどの圧倒的な熱量を放ったにもかかわらず、麗には全く疲弊した様子も、息の乱れすらも存在しなかった。
炭治郎が適正外でありつつも、身体に負荷が掛からない水の呼吸を使っている時のように、どこまでも静かで、泰然自若とした様であった。
「……どうかな?」
返事を待つように、麗がもう一度首を傾げて尋ねてくる。
我に返った炭治郎は、叫ぶように答えた。
「すっっごいですね!?」
身体の奥底から全身の毛穴が泡立つような感動と戦慄がこみ上げていた。
純粋な敬意と感動を表すように、麗の目を見据えて炭治郎は何度も両腕を上下に振る。
「凄いです! 本当に凄いです!!」
「でしょ?」
むふーっと自慢げに嬉しそうな顔をして、麗は可愛らしく胸を張った。
「僕ならこの呼吸も教えられるから、頑張ろうね。まぁ他の人のも見ないといけないから、付きっ切りは無理だけど」
「いえいえ! 見てくれるだけでも凄くありがたいっていうか……!」
「ふふっ」
炭治郎は何度も深く頭を下げた。
自分一人で手探りのまま、記憶に従って修練を重ねるしかなかった『ヒノカミ神楽』を、目の前で完璧なお手本を示し、指導してくれる存在が現れたのだ。これ以上の僥倖など存在しなかった。
「じゃあ僕が見に来るまでの間は呼吸を使わずに型を繰り返してね、無駄な動きがなくなるように」
「はい!」
「うん、頑張って」
麗はそう満足そうに頷くと、木刀を手に持ったまま、てくてくと別の呼吸のグループの隊士たちの下へ向かって歩き出していった。
既に他界した父・炭十郎以外、誰も正しい動きを教えられる者はいないと思い込んでいた『ヒノカミ神楽』。その本格的な指導と訓練を受けることができるという事実に、炭治郎の胸は期待と昂揚感で強く跳ね踊っていた。
木刀を固く握り直し、もう一度教えられた型の軌道を参考に身体を動かそうとする炭治郎。
――だが。
ふと、彼の脳裏に小さな違和感が立ち昇った。
『変わった呼吸を使うんだね』
(……あれ、でもなんで花柳さんは見ただけで呼吸の適正が分かったんだろう?)
――
その麗の言葉が脳裏に過ぎる。
爽やかな山風が、深く思案する炭治郎の頬を静かに撫で去っていった。
道場を渡る風が、汗をかいた肌を静かに撫でていく。
新たな修行が始まり、太陽が空の頂点から僅かに傾き、影が伸び始めた頃、ようやく一旦の休憩が告げられた。
隊士たちは荒い息を吐きながら木刀を置き、日陰の丸太や地面へと倒れ込むように腰を下ろした。竹の水筒から流し込む冷たい水が、乾き切った喉を潤していく。
極限まで酷使された筋肉が、じわじわと体温を取り戻していく心地よさの中で、自然と隊士たちの間で雑談の輪が広がっていった。
その話題の焦点は、自ずと煌柱・花柳麗へと集まっていた。
「なんというか、かなり予想外だったよな」
木筒の蓋を閉めながら、一人の隊士が何気なく呟いた。
「なにが?」
「いや、煌柱様だよ。よく聞く話からは想像できないお方というか……なんというか」
「え、何だよ『よく聞く話』って」
丸刈りにした頭を手ぬぐいでガシガシと拭いながら、長倉という隊士が首を傾げて問いかける。
すると、その隣に腰掛けていた村田が、周囲を少し気にするように声をひそめて代わりに答えた。
「噂話だけどな、あの人は鬼殺隊で一番力が強いって一時期話題になってたんだ。岩柱様より上だとか……」
「はぁ? いやいや、それは流石に……」
長倉は呆れたように笑い飛ばそうとした。
何せ、相手はあの岩柱・悲鳴嶼行冥である。鬼殺隊の隊士の中でも最高峰の体躯と筋肉を誇り、並の鬼なら腕力だけで叩き潰せるのでは? と言われる大男だ。
いくら同じ『柱』とはいえ、あの華奢な麗が行冥以上の腕力を持っているなど、冗談でも信じ難い話だった。
――だが。
長倉の脳裏に最近、目撃したばかりの光景が鮮明に甦る。
行冥が念仏を唱えながら押し進めていた巨岩。それよりも明らかに一回り大きい巨岩を、まったく呼吸を乱さず、軽やかに押し進めていた麗の姿だ。
しかもその速度は、行冥よりもほんの僅かに速かった。
あり得ない。そう言いかけた言葉が長倉の喉に引っかかり、そのまま口が固く閉じられた。
長倉は周囲の顔を見回すと、気まずそうにぼそっと付け加えた。
「いやあり得るな……あの光景を見た後だと」
「……うん」
周りの隊士たちも一斉に重々しく頷いた。
「普段の突きもさ、あれでもすっげぇ手加減してくれてるんだなって……」
「柱こえぇ……」
隊士たちは己の横隔膜の痛みを思い出して身震いし、しみじみと語り合った。
万が一にも、あの力で本気の突きを食らっていたら、肺どころか背中まで指が貫通していたかもしれない。そう思うと、あの激痛の呼吸矯正すらも、彼女の優しさによって手加減された慈悲の現れなのだと理解せざるを得なかった。
「というか俺、柱稽古で分かったんだよ。今の柱たちに継子がほとんどいない理由」
村田が膝を抱えながら、どこか遠い目をして呟いた。
「なんだよ?」
「……いや、訓練がきつすぎる」
「あぁ……」
満場一致の深い溜め息が日陰に響き渡る。
「でも、こういうのも当然のようにこなすからこそ柱なんだろうな……」
「霞柱様と月柱様も、元は煌柱様の継子だったらしいしな」
「すっげぇなぁ……」
十四歳という若さで柱に上り詰めた時透無一郎や、その兄の有一郎までもが麗の指導を受けて育った事実。
それに納得と畏怖の交ざった溜め息が漏れ、隊士たちの会話はさらに熱を帯びていく。
「にしてもさ、煌柱様って思ってた以上に話しやすいというか、優しい人だよな」
ふと、長倉が手ぬぐいを膝の上に置きながら新たな話題を切り出した。
「風柱様と蛇柱様に比べたら全員聖人だろ」
「花柱様は聖域だな」
「それはそう」
即座に返ってきた言葉に、周囲からどっと小さな笑いが漏れた。
風柱・不死川実弥の容赦のない稽古や、蛇柱・伊黒小芭内の威圧感を思い返せば、麗の佇まいは確かにどこか穏やかで、異質感こそあれど理不尽な恐怖を感じさせないものがあった。
「でも本当に、あの人は聞きに行けばちゃんと教えてくれるからありがたいよ。言葉数は少ないけど、どこが無駄か一目で見て教えてくれるし」
「分かる。威圧感がないなんて事は絶対ないけど、でも気配がなさすぎて最初ビックリしたよな」
「でもさ、質問した時じっと目を見て話を聞いてくれるの……なんか緊張するけど嫌な感じじゃないし」
「そうそう、俺らのこと見下したりなんてしないもんな」
真っ黒な瞳を思い出し、隊士たちは笑う。
「あと技の矯正もさ、風柱様みたいに『叩き潰して覚える』じゃなくて、『こう動かすと楽だよ』って身体で直接示してくれるだろ? 言われた通りにすると、本当に身体が軽く動くから凄いよ」
「……まぁ、そのあとの全集中矯正の突きは死ぬほど痛いんだけどな!」
「それを言うな、現実に戻るだろ!」
そうやって隊士たちが和気藹々と軽口を叩き合っていると、ふと誰かが視線を別の方向へと向けた。
「あ、向こうはまだ稽古やってるな」
「でもそろそろ終わりだろ、次は俺らの番だ」
彼らの視線の先では、休憩時間をずらして指導を受けている別の水の呼吸使いたちが汗を流しながら木刀を振るっていた。
そしてその中心に、一際目を引く二人の姿があった。
ほとんど身体を密着させた体勢で、型の動きの指導を受けている者――真菰と、その背後からぴったりと寄り添うように指導する麗である。
「ここ、左に重心が寄ってるから気を付けて」
「うん」
「それと、ここからの動きは腰よりも腕を意識して、その方が安定して移動できるから」
「分かった」
麗は真菰の背中に胸を押し当てるほどの近い距離感で立ち、真菰の手首や腰に細い手を添えながら、一緒に木刀の軌道をなぞっていた。
囁くような低い声が、真菰の耳元で滑らかに紡がれる。二人の間には長年の信頼関係故か、どこか異質なほど自然で踏み込みがたい独特の空気が漂っていた。
何十人もの隊士を同時に相手取っている麗だが、時折こうして個々の身体の癖を見極めるため、信じられないほどの近距離で直接指導を行うことがある。
「あの距離感、最初に見た時はビビったよな……」
それを見て、隊士の一人がぽつりと呟く。
「あぁ……最初、我妻の奴が『羨ましすぎる!』って飛びつこうとしたもんな」
「で、そのすぐ後に胸の真ん中をドスッと突かれて、泡吹いて失神しかけてたっけ……」
「あの時の音だけ全然いつもと違ったよな……多分マジで痛いやつ」
「いやでも、あの距離で指導されたら誰だって緊張して心臓止まりそうになるだろ。あんな綺麗な人に密着されて、耳元で指導されるんだぞ? 褒美なのか拷問なのか分からねぇよ」
それから、ため息を一つ。
「あれ、真菰さんだから平然としてられるんだろうな。あそこまで距離が近くても、二人とも全然気にしてないみたいだし」
「まぁ、昔からの知り合いらしいからな……」
「竈門もそうだったよな、もう今じゃ普通にやってるし、慣れって怖いわ」
隊士たちがそんな感想を言い合い、少しばかりの羨望と、それ以上に叩き込まれる激痛への恐怖を噛み締めながら笑い合っていると、
「よし……そろそろ休憩時間終わりだな」
「やるかぁ」
「頑張ろうぜ」
誰かが立ち上がり、服についた草を払った。
それを機に、他の隊士たちも名残惜しそうに息を吐きながらも、引き締まった表情を取り戻し、置かれていた木刀を手に取るために立ち上がり始めた。
各自が己の練習場所へと戻るため、ぞろぞろと離れていく。
「……さてこっちも…………」
村田もまた、木刀を拾い上げ、肩を回しながら歩き出そうとした。
だが、その去り際にふと胸の奥で予感めいた引っかかりを覚え、もう一度だけ麗と真菰がいる方角へと視線を巡らせた。
指導が一区切りついたのか、二人は少し距離を置こうとしているところだった。
――だが。
「――――」
村田の動きが、ぴたりと固まった。
視線の先。そこでは麗の手がふわりと持ち上げられ、真菰の小さな顎に静かに添えられている。
「……――」
そしてそのまま、真菰の顔を僅かに自分の方へと向けさせると、麗は自身の顔を真菰の耳元へと、息がかかるほどの距離まで近づけたのだ。
周囲では、修行を再開した隊士たちの荒い呼吸音や、木刀が鋭く空気を裂く激しい音が響き渡っている。
その雑音の合間を縫うようにして。
小さく、本当に小さく、風に乗って村田の耳に届いてしまった声。
「……夜、外で待ってる」
時間が凍りついたかのような錯覚。
麗は指先を真菰の顎からすっと離すと、何事もなかったかのような無表情のまま、てくてくと別の隊士のグループへ向かって歩き出していった。
残された真菰は、その場に棒立ちになったままピクリとも動かない。
だがその横顔は――遠く離れた村田の場所からでもハッキリと判別できるほど、茹で上がった蛸のように鮮烈な赤に染まり上がっていた。
「…………」
村田は開いた口が塞がらないまま、数秒間、完全に呆然と立ち尽くしていた。
頭の中でいくつもの思考が高速で回転し、そして一瞬で全てを真っ白に塗りつぶす。
村田は大きく息を吸い込むと、何事もなかったかのように視線を空へと逸らし、引きつった顔のままボソリと独りごちた。
「……俺は何も見てない」
村田はその後、振り返ることなく。
そして何事もなかったかのような足取りで、速やかに己の修行場所へと戻っていくのであった。
次回、日和らずに書きます。
頑張ってそういうのを書きます。
お楽しみに。