【RTA】鬼滅の刃RPG『長い長い人の歴史のほんの一欠片』獲得チャート 作:バブ辻オギャン
その日の夜。
竈門禰豆子が太陽を克服して以来、鬼たちの出没はピタリと止んだことで、闇がもたらす恐怖が嘘のように失われた、静まり返った山中の夜。
虫の音と風のささやきだけが流れる穏やかな静寂の中、真菰は眠っている他の隊士たちを起こさないよう、細心の注意を払ってそっと掛け布団を押しのけ、小さな小屋の外へと抜け出した。
一歩、夜の冷たい空気の中へ足を踏み出した瞬間、真菰の目に彼女の姿が映り込む。
「…………」
月明かりの下、藍鼠色の髪が夜風にしなやかに揺れ、銀色の光を纏って輝いていた。
――煌柱・花柳麗はただ静かに振り返り、真菰の方を見つめたまま立ち続けていた。
「……どうしたの、急に」
真菰は音もなく彼女へ近づき、その端整な顔立ちを下から覗き込むように見上げた。
「話があるの?」
狭霧山でともに過ごしていた頃は、ほとんど同じくらいの身長だった。
だが、いつの間にか背を追い越され、こうして見上げなければならなくなっている。
けれど、その繊細でどこか浮世離れした顔立ちは昔と全く変わっておらず、成長と共にむしろ、その美しさに磨きがかかっているようにさえ思えた。
麗は真菰を静かに見下ろしながら、ゆっくりと右手を持ち上げた。
「……少し歩こう」
控えめな、掠れるような声が夜気に溶ける。
「昔みたいに、手を繋いで」
「……」
真菰は静かに麗が差し出してきた細い右手を見つめた。
それから、ふわりと自分の左手を差し出し、滑り込ませるように手指を絡め合わせる。
「うん。いいよ、歩こう」
そう言って麗の隣へと並んだ真菰は、柔らかく微笑んだ。
麗もまた、真菰の小さな手を壊れものを扱うかのように優しく握り返すと、『うん』と小さく呟き、静かに歩みを進め始めた。
鬼がいない夜の散歩。
普段は刀を握り、常に周囲の気配に神経を研ぎ澄ませなければならなかった夜の山道が、今はただ美しい星空と月光に満たされている。
見上げた夜空には散りばめられた、金剛石のような星屑が広がり、二人を静かに照らしていた。流れる空気の全てが穏やかで、ただ手を繋いで歩くだけの時間が愛おしい。
そうしてしばらく夜道を歩いた後、麗はふと足を止めた。
「…………」
そのまま、じっと夜空の一点を見つめたまま動かなくなる。
「麗」
真菰は繋いだ手に少しだけ力を込め、名を呼んだ。
「…………どうしたの?」
その言葉だけを投げかけて、真菰は静かに待った。
麗は真菰の声を聞いても、やはり身動ぎひとつしなかった。
だが、それは迷っているわけでも、真菰の言葉を無視しているわけでもなかった。
変わらない無表情のその奥で、胸の中に積もりに積もったあまりにも重く、切ない想いをどうにか言葉に変えようと必死に葛藤しているのだと、長年の付き合いである真菰は見抜いていた。
「…………」
真菰は握りしめた手を離さず、ただ静かに、麗に寄り添い続けた。
夜風が二人の髪を揺らし、時間だけがゆっくりと過ぎ去っていく。
やがて、ぽつりと、麗の口から言葉が零れ落ちた。
「僕はあと五年で死ぬんだって」
「……」
たった一言。あまりにも静かな告白。
「…………」
覚悟していた筈の言葉でありながら、あまりにも唐突な事実だった。
――ズキンと、真菰の胸を鋭い刃で貫かれたかのような痛みが走る。
心臓が跳ね上がり、息が詰まり、視界が一瞬だけ歪む。
だが、真菰はその衝動を胸の奥底へと力ずくで押し留めた。今、自分が取り乱してしまえば、勇気を振り絞ってこの告白を口にした麗の心を傷つけてしまう。
自身の弱さを隠し、真菰は深く、静かに息を吸い込む。
それから、努めて穏やかで、静かな声で問いかけた。
「……それは痣のこと?」
「うん」
「……そっか」
余命の告白。
痣を発現させた者に等しく訪れる、
麗は強い勇気を振るってこの事実を自分に打ち明けるために、こうして夜の散歩に誘い出した。……嗚呼、それが理由の一つであることは間違いないのだろう。
だが。
「僕は君に会えて良かったと思ってる」
麗は真菰の方を見ようとはせず、星空を見上げたまま言葉を繋いでいく。
「あの日、あの時に君と出会えて、一緒に過ごせて、友達になれて良かった」
「……麗」
「今日呼んだのも、こうして一緒に歩いたのも」
「麗」
真菰はその時、ぐっと手に力を込め、麗の身体を強く引っ張った。
両者の圧倒的な身体能力の差を考えれば、麗からすれば真菰の腕力など、蚊の止まった程度に過ぎない。
だが、麗は真菰の力に一切抗うことなく、促されるまま身体の向きをくるりと変えられた。
真菰は、まっすぐ麗の目を見つめてもう一度呼びかける。
「何年、友達だと思ってるの」
そして、麗の右腕を、自身の小さな両手で温めるように包み込んだ。
真菰の手は小さく、華奢だ。
だが、麗はその小さな体温の塊を前にして、微動だにする事すらできなかった。
真菰の手のひらから伝わってくるのは、生きた人間の確かな温もり。
脈打つ血の温かさと滑らかな皮膚の感触、そして何より――決して自分を恐れず、離さず、全てを受け止めようとする無条件の慈愛。
真菰は、包み込んだ麗の手の体温を確かめるように、少しだけ力を込め、瞳を緩めて微笑みかけた。
「……大丈夫だから」
安心させるように、どこまでも優しい声で、優しい瞳で。
「大丈夫だから、話して」
「…………」
二度目の呼びかけ。それは、麗が己の内に固く閉ざしていた心の城壁を優しく叩く音だった。
その優しい声を前に、麗は再び固まった。
思考が止まり、呼吸すらも途絶えたかのような完全な静寂。
夜風が二人の髪を揺らし、木々の影が地面で揺れる。
そして――。
「――――っ、僕は」
初めて、麗の鉄面皮のような表情が崩れた。
両目が僅かに見開かれ、漆黒の瞳が揺れ動く。
それは、これまでに一度も見せたことのない、弱く、脆い感情の揺らぎ。
だが真菰は決して怯むことなく、そんな麗の顔を見つめ続けた。彼女の奥底に眠るすべての本音を引き出し、包み込んで受け止める為に。
互いに見つめ合い、呼吸の音さえ聞こえるほどの静寂の中。
一体、どれほどの時間が経過しただろうか。
「…………僕は」
永劫にも思える沈黙が終わり。
麗は、喉の奥から絞り出すように声を張った。
「僕は、君と友達になれてよかった」
「……うん」
「一緒に遊んで、一緒にご飯を食べて幸せを感じられた」
「うん」
「僕は、君が好き」
溢れ出した言葉は、もう止まらなかった。
麗の唇が震え、言葉が次々と重なっていく。
「狭霧山で、君と一緒に落ち葉を拾った時のことも。一緒に団子を食べた時のことも、君が僕の髪を結ってくれた時のことも……全部覚えてる。君と一緒にいる時間が、僕の人生で一番温かかった。君の笑顔を見るのが好きだった。君の優しい声を聞くのが好きだった」
途切れることなく口から紡がれていく、真菰との愛おしく美しい記憶の数々。
真菰の目元が、少しだけ熱を帯びる。しかし真菰は何も挟まず、ただ微笑みを絶やさずに麗の声を聞き続けた。
「……僕は、君が好き」
だが、麗が思い出を語るたび、その顔には絞殺されるかのような苦痛の色が浮かぶ。
そしてその可憐な声は少しずつ、哀しく震えていく。
「僕は普通じゃないけど、君が好きだ」
「……」
「力も強くて、生まれつき生き物の身体も透けて見える。周りと同じ人間とは思えないし、僕は気味が悪い存在だ。だけど君は受け入れてくれた。友達として認めてくれた」
ただ『好き』という言葉を紡ぎ続ける。
「……だから、好きだ」
たったそれだけのことなのに。
麗はまるで、今にも胸が張り裂けて泣き出しそうな顔になって、真菰を愛おしそうに見つめて言った。
「――大好きなんだ」
真菰の瞳をまっすぐに見つめて。
はっきりと、全身を強張りませながら告げた。
「大好きだよ、真菰」
そして、一瞬の溜めのあと。
麗の口から、彼女自身を苛み続けてきた罪悪感の正体が、最後に吐き出された。
「――女なのに」
しばらくの無言。
耳が痛いほどの沈黙が、二人の間に重く降り積もる。
夜風すらも止まり、月光すらもその青白い光を固まらせたかのような静寂。
それから麗は小さく、喉の奥から絞り出すように、真菰に決定的な言葉を向けた。
「女なのに、好きになってごめん」
――それは今まで築き上げてきた、純粋な『友愛』の絆を裏切ってしまう決定的な告白。
その一言が紡がれた途端、辺りの空気の密度ががらりと変質したかのように錯覚した。
それが麗自身の強い罪悪感と懺悔から来るものなのか、それとも真菰自身の内面から湧き上がった動揺によるものなのかは分からない。
しばらくの間、二人は言葉を失ったまま、繋いだ手と手を通した互いの体温だけを感じ合っていた。
「……」
風が、静かに二人の髪を揺らしていく。
夜空の星々さえも、二人を静観するように息を潜めていた。
「…………」
やがて、真菰はゆっくりと、両手で固く握りしめていた麗の手を持ち上げた。
そして、同じくらい小さな、消え入りそうな声で。
「…………いつから?」
真菰の問いに、麗は耐えかねたように目を下に伏せながら答えた。
「自覚したのは、最近」
「……やっぱり痣の寿命を知って?」
「…………うん」
「そっか」
それなら、柱稽古が始まってすぐ、久々に再会した際に麗が周囲の目もはばからず自分を抱きしめてきた、あの過剰なまでの態度も合点がいく。
自分の残された寿命を知り、感情の抑えが利かなくなったのだろう。
そんな真菰の納得を感じ取りながら、麗は途切れ途切れに言葉を繋ぐ。
「少し変わったのは、もっと前。……竈門禰豆子の柱合裁判の時、君が命を懸けたって知った時」
「……それで?」
「君に死んで欲しくないって思った時、君が僕に黙ってそういう事をしてたって知って、僕は……胸がはち切れそうになって、君を誰にも渡したくないって……」
「麗」
真菰はじっと、逃げようとする麗の漆黒の瞳を見つめつづけた。
「きっと、麗の『好き』が普通とは違うのは確か」
「――」
麗の身体が小さく跳ねる。
拒否の絶望が、麗の瞳を暗く陰らせる。
「私たちは女同士。生産性もないし、『間違ってる』関係だよ、きっと」
だが、真菰は麗の表情をまっすぐに見つめ、優しく微笑んだ。
「でも……それでも互いに『好き』なのは変わらない」
真菰の言葉に、麗は息を飲んだ。
「だって好きになったんだから、好きになっちゃったんだから仕方ないの」
「……」
「仕方ないんだよ」
真菰は繋いだ手にぎゅっと力を込め、慈しむように微笑む。
「ねぇ麗」
「……」
「私のこと好き?」
麗は胸の奥の情熱に突き動かされるように、小さく頷いた。
「……うん」
「どれくらい?」
「……たくさん」
「これからも好きでいてくれる?」
しかし、その畳みかけるような問いかけに対し、麗は突然ハッと正気に戻ったかのように首を横に振り、少しだけ後ろへ後ずさった。真菰と繋いだ手が離れそうになる。
真菰のあまりにも眩しく、あまりにも優しい笑顔から逃げるように、自分という存在が真菰を傷つける事を怯えるように。
「でも、僕は真菰に普通の『幸せ』はあげられない」
「…………」
麗は目を逸らし、自らの無力さと歪さを苦しそうに呪う。
「子供も作れない。孫だってそう。それに周りからの目だって……」
「麗」
「僕は君を置いて早死にするし、君を不幸に――」
だが、どれほど麗が己の運命と世間の道理を並べ立てようと、真菰は少しも表情を曇らせなかった。
さっきと同じ、全てを包み込み、許すような優しい微笑みのまま。
「これからも、私を好きでいてくれる?」
首をちょこんと傾げて、ただそれだけを問いかける。
その真っ直ぐで一切の迷いがない瞳、そしてどこまでも柔らかい声に、麗は全ての言葉を失った。
世間の常識も、残された寿命も、性別の壁すらも、真菰の目の前では何の意味も持たないのだと知らされた。
そして麗の喉の奥から、やっとの思いで絞り出された唯一の答え。
「……永遠に」
「…………へへっ、そっかぁ」
真菰は心底嬉しそうに目尻を下げ、可憐に笑い、そして――。
「じゃあ私、永遠に幸せ者だね」
「――――」
空間が、時間が、空気の震えさえも完全に停止した。
あまりにも過剰な、絶対的な肯定の言葉。
それは自身が真菰に背負わせようとしていた罪も、早世の呪いも、女同士という世の理から外れた歪みも――それら全てを『幸せ』という一言に転換させて、真菰は鮮やかに、そして誇らしげに受け入れてみせた。
「…………ぁ」
麗の瞳からぽろりと、一つの大きな涙の粒がこぼれ落ちた。
自分という歪な存在を、性別の壁も、余命も全てを受け入れてくれたという奇跡。
罪悪感に苛まれていた心に、その純粋な愛がじんわりと染み渡り、麗の胸の中にあった冷たい葛藤を溶かしていく。
それは、産まれて初めて知る、切なくも美しい恋情の歓喜。
一度溢れ出た涙は止まることを知らず、麗の目からポロポロと途切れなくこぼれ落ちていく。
真菰は少し困ったような、けれど愛おしくてたまらないといった顔で背伸びをし、麗の頬に手を伸ばした。
「もう、泣かないでよ」
「…………違う」
「違わないよ」
「違うんだ」
真菰に優しく頭を撫でられ、小さな指先で涙を丁寧に拭われながら、麗はしゃくりあげるような嗚咽交じりの声で必死に訴えた。
「ちっとも悲しくなんてないのに、涙が止まらなくて……っ」
まるで幼子のように感情を露わにして泣きじゃくる麗。
真菰は愛おしさに胸をいっぱいにさせながら、麗の首元に両手を回し、その華奢な身体をぎゅっと優しく抱きしめた。
「ふふ、分かってるよ……」
真菰の体温が、抱擁を通じて伝わってくる。
麗はその温もりに包まれながら、真菰の肩に顔を埋め、子供のように背中を震わせて泣き続けた。
そしてしばらくして、真菰は抱きしめていた身体を少しだけ引き離した。
涙で濡れ、赤くなった麗の頬を両手で優しく挟み込む。
「ねぇ、麗」
そして。
「……避けないでね」
差が開いた身長を埋めるように、真菰はすっと背伸びをする。
そして真菰は麗の柔らかく重なる唇の上に、自身の唇をそっと重ね合わせた。
月明かりが二人を優しく照らし出す中紡がれた、あまりにも密やかで愛おしい接吻。
数秒の後、真菰がゆっくりと唇を離すと、麗は目を丸く開けたまま、何が起きたのか理解できないといった様子で呆然と立ち尽くしていた。
だがすぐに、つい先程まで涙で濡れていた麗の肌が、耳の先端から首筋に至るまで、みるみるうちに真っ赤な朱色に染まっていく。
あまりの胸の高鳴りと恥ずかしさに、麗は両手で顔を覆い隠すようにして俯いてしまった。
「……真菰」
「なぁに?」
「…………見ないで」
赤面し、消え入りそうな声で口籠る麗の姿。
それがあまりにも可愛らしくて、真菰はふふっと心底楽しそうに声を上げて笑った。
「だって、恋人同士になったんだから当たり前でしょ?」
「…………でも」
「柔らかいね、唇」
「……ぅっ」
真菰は真っ赤になった麗の手を再び取り、今度は恋人として指をしっかりと絡め合わせる。
「ほら、散歩の続きしよ? まだ夜は始まったばかりなんだから」
静まり返った美しい夜の山道。
月光と星々の祝福を浴びながら、手を繋ぎ直した二人は互いの温もりを確かめ合うように、今度は寄り添うようにして再び歩き始めた。
「…………南無、尊……………………」
※主人公はこのあと九十二歳まで生きます。