人理を照らす、開闢の星・破章〜almighty,grail,war〜 作:札切 龍哦
「開祖はこんな人」
名前 直江兼続
クラス セイバー
出身 日本(楽園時空)
ステータス
筋力 C 耐久 A 敏捷 C 魔力 D 幸運 E 宝具 EX
クラススキル
対魔力 C
魔術に対する抵抗力。一定ランクまでの魔術は無効化し、それ以上のランクのものは効果を削減する。サーヴァント自身の意思で弱め、有益な魔術を受けることも可能。
Cランクでは、魔術詠唱が二節以下のものを無効化する。大魔術・儀礼呪法など、大掛かりな魔術は防げない。
騎乗 C
乗り物を乗りこなす能力。騎乗の才能。乗り物という概念に対して発揮されるスキルであるため、生物・非生物を問わない。
Cランクでは正しい調教、調整がなされたものであれば万全に乗りこなせ、野獣ランクの獣は乗りこなすことが出来ない。
保有スキル
黄金律 C+
身体の黄金比ではなく、人生においてどれほどお金が付いて回るかという宿命を指す。
直江兼続は米沢藩にて新田や鉱山を開発し、結果として表高30万石に対して内高51万石と言われるまでに高い生産力を実現し、米沢藩政の基礎を築いた。
ただし、自身にはあまり還元されない。
心眼(偽) A
直感・第六感による危険回避。虫の知らせとも言われる、天性の才能による危険予知。視覚妨害による補正への耐性も併せ持つ。
直感 A
戦闘時、つねに自身にとって最適な展開を「感じ取る」能力。Aランクの第六感はもはや未来予知に等しい。また、視覚・聴覚への妨害を半減させる効果を持つ。
魔力視の魔眼 A
ライネス・エルメロイ・アーチゾルテが所持する魔力を視覚情報として詳細に認識し、精密解析を得意とする感受型の魔眼と同系統の魔眼。
また、限定的な過去視の魔眼としての力を内包しており、魔力の解析と併せて事象の原因を特定し、直感及び心眼(偽)によってもたらされる結果を予測する事が可能。
ただし、あくまでも視認した事象にのみ適応されるので、間接的かつ認識外の要素には適応されない。
宝具
愛宕権現誓願・金小札浅葱糸威二枚胴具足
ランク:D+++ 種別:対人宝具
レンジ:0 最大捕捉:1人
由来:直江兼続が身に纏っていた当世具足。
金小札浅葱糸威二枚胴具足とは
鎧の構造部材の一つとして「小札(こざね)」というものがあり。
これは小さな長方形の鉄板で、穴が開いており糸や皮で綴じ合わせることで鎧を形作っている。
「金小札」とは、金箔押しの小札を用いているという意味となる。
鎧の部品を綴じ合わせることを「縅(おどし)」といい、「浅葱縅(あさぎおどし)」とは薄い水色の糸で綴じている、という意味になる。
胴の構造は胴に体を入れる 引合(ひきあわせ) が右脇にあり。
反対側の左脇には 蝶番(ちょうつがい) が設けられており、前面と背面の2枚をここで繋ぎ合わせた「二枚胴」となる構造になっている。
以上のことから、「金色の小札を薄水色の糸で綴じた、二枚胴の鎧」を金小札浅葱糸威二枚胴具足という。
兜は錆地塗六十二間筋兜に分類される。
錆塗は、漆の技法である「錆漆(さびうるし)」を盛り上げて描く装飾技法。
筋兜は、南北朝から室町時代に用いられた兜の一形式。縦に細長い薄い鉄板を縦に順々に重ね並べ、それを小さい鋲で留め、鋲頭を平らに叩きつぶし、鉄板の重ね目(筋)だけを見せた兜である。鉄板の数により何間の兜と呼び、直江兼続の兜は六十二の鉄板数から六十二間となる。
最大の特徴は兜の前立てに金の愛字に銀の端雲の立物が施されている事。
これは当時多くの武将から信仰された軍神愛宕権現への信仰を表した兜である。
直江兼続を象徴する有名な甲冑ではあるが、あくまでもただの甲冑であった筈だった。
だがこの愛宕権現は愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した勝軍地蔵を本地仏とするのだが、神仏習合によって伊邪那美命も習合されており、その伊邪那美命が加護を与える事によって防御性能を初め各種能力が向上する。
この状態の時、真名を解放し愛宕権現誓願・金小札浅葱糸威二枚胴具足を身に纏うと耐久が+分の補正を常時受けた状態となり、耐久、幸運、宝具以外のステータスが1ランク向上する。
水神切兼光
ランク:C 種別:対人宝具
レンジ:1 最大捕捉:1人
水神を斬ったとされる刀。
水神とは竜であり、その経緯から竜に対する特攻を持つ、装備した者に竜属性・天属性特攻を付与する。
水位開帳・清流一閃
種別:対人魔剣
位の一つであり、正確には宝具ではない為ランクは存在しない。
魔眼、直感、心眼を組み合わせる事で、原因と結果の因果の流れを見定め、原因と結果の間の経過、すなわち流れを断ち斬る事で結果を消し去る因果断絶の剣技。
害ある流れを断ち、穏やかな流れに引き戻す清流の太刀である。
水位真髄・水神一閃
ランク:EX 種別:対竜魔剣
レンジ:─ 最大捕捉:1人
由来:直江兼続が洪水で決壊しそうになっていた川に行き、水神を斬った逸話。
上杉家の家老として、領国の経営を任されていた直江兼続は、あるとき洪水で決壊しそうになっていた川に赴いた。
この洪水は水神が暴れた為に起きたものであり、直江兼続は濁流の川底に潜む悪しき水神(竜)を斬り伏せ、洪水を治めた。
通常、濁流に刀で斬り込むのは困難な上に、水神を倒すと水神の制御を離れた水が荒れ狂うところなのだが、因果の流れを断つ事で水神が水を操ったという事象を断絶し、濁流を整えながら原因である水神を両断する事で洪水を治める事に成功した。
この逸話と対人魔剣が複合し、竜属性特攻が上乗せされた竜殺しの剣技。
発動には条件があり、水神切兼光を装備している事、敵が直接的なものではない遠隔攻撃を仕掛けている事、それを満たして攻撃を斬り裂く事で因果を断絶し、攻撃が行われたという事象が消失、原因となる存在に斬撃を加える。
これが通常の英霊であれば、装備していた武器・宝具が弾き飛ばされるくらいで済むが、それらを用いていないもの。
例えば権能や攻撃器官が身体に備わった存在等に対しては直接斬撃が加えられる。
特に、竜属性を持つものであれば攻撃器官と霊核を中心にその身体を一刀両断する。
解説
直江兼続は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。米沢藩(主君 上杉景勝)の家老。
平安時代末期の武将・木曾義仲の家臣で巴御前の兄である樋口兼光の末裔。
永禄7年(1564年)に上田長尾家当主の政景が死去すると、上杉輝虎(謙信)の養子となった政景の子・顕景(後の上杉景勝)に従って春日山城に入り、景勝の小姓・近習として近侍したとも、仙桃院(謙信の実姉で景勝の母)の要望を受け幼い頃から近侍していた。
天正6年(1578年)謙信急死後に起こった上杉家の後継者争い「御館の乱」が収束し、戦後処理が行われる天正8年(1580年)から、景勝への取次役など側近としての活動が資料で確認され、同年8月15日(9月23日)には景勝印判状の奏者を務めている。
天正9年(1581年)に、景勝の側近である直江信綱と山崎秀仙が、毛利秀広に殺害される事件が起きる。兼続は景勝の命により、直江景綱の娘で信綱の妻であった船の婿養子(船にとっては再婚)となり、跡取りのない直江家を継いで越後与板城主となる。
以後、上杉家は兼続と狩野秀治の2人の執政体制に入る。
ちなみにお船は兼続の三歳年上の従姉。
従姉弟同士だったためか、夫婦仲は再婚ながらかなり良かった。
天正12年(1584年)末から狩野秀治が病に倒れると、兼続は内政・外交の取次のほとんどを担うようになる。秀治の死後は単独執政を行ない、これは兼続死去まで続くことになった。
当時の上杉家臣たちは景勝を「殿様」「上様」、兼続を「旦那」と敬称し、二頭政治に近いものであった。
天正16年8月17日(1588年10月7日)には景勝に従って上京し須田満親・色部真長らと共に豊臣秀吉から豊臣の氏を授けられ、豊臣兼続として改めて山城守の口宣案を賜る。
ただこれは兼続が諸大夫を従えられる清華の身分になった景勝に準じる扱いを受けただけで、秀吉の直臣になったわけではないし、「豊臣」の本姓も儀礼上の擬制的なもので、兼続がこれを名乗れたわけではなく、名乗った事実も見当たらない。
秀吉が死去すると、徳川家康が台頭するようになり、直江状の一件から関ヶ原の戦いの遠因となり、江戸時代には景勝とともに上洛して家康に謝罪、家康から罪を赦された景勝は出羽米沢30万石へ減移封となり、上杉家の存続を許された。その後は徳川家に忠誠を誓い、慶長13年1月4日(1608年2月19日)重光に改名する。
兼続は義に厚い人物として知られるが、この義とは当時学問を指す言葉であり、現代に伝わる直江状の内容にも不可解な点が数多くある事からこの直江状は捏造されたものと言われている。
その後は上杉家と徳川家の融和を図るため、徳川家重臣本多正信の次男・政重を兼続の娘の婿養子にして交流を持ち、慶長14年(1609年)にはその正信の取り成しで3分の1にあたる10万石分の軍役が免除されるなど、上杉家に大きく貢献している。のちに政重との養子縁組が解消された後も本多家との交流は続いた。
米沢への転封の際に、上杉家は大変な財政難のため、老臣の中には家臣の減員を提案した者もいたが、兼続は断じてこれに反対し、「かくの如き際は人程大切なるものはいない、一同協力して復興を計るべきである」として新季奉公の牢人連の去る者は追わなかったが、旧来の家臣は一人も去る事を許さなかった。
米沢はかつての領国の4分の1の石高の地で、上杉家を待っていたのは厳しい暮らしであった。しかし、兼続はここで家臣と家族3万人を養おうと、自らは質素な暮らしをしながら、国造りに取り組む。米沢市の郊外には、兼続の指示で土地を開いた武士の子孫が今も暮しており、その家の周りには栗や柿そして生垣にはウコギが植えられている。いずれも食べられる食用の木である。兼続は実用的な植物を植えさせることで、人々の暮らしの助けになるよう心を配っていた。
慶長19年(1614年)正月には松平忠輝の居城高田城築城の際、伊達政宗の指揮の下に、主君景勝とともに天下普請を行なった。同年の大坂の陣においても徳川方として参戦し、鴫野の戦いなどで武功を挙げた。
その後は殖産業に力を入れ、十年かけて米沢の城下町を作り上げた。
この間、子供たちの相次ぐ死という悲しみを乗り越え、兼続は学問所建設、鉄砲の生産強化、直江版の発行など、黙々と上杉のために働き続けた。
だが長年の過労がたたったのか、兼続は病に倒れた。
景勝は必死の治療をさせたが、その甲斐なく江戸屋敷で静かに息を引き取った。
兼続は跡継ぎとなるはずだった娘婿や息子を、前者は妻であった娘が亡くなったために、後者は病気で亡くなったためにそれぞれ失った後、養子をもらって跡を継がせることをせずに直江家を断絶させているが、これは財政難に苦しむ上杉のために、高額な直江家の家禄を無くすことで少しでも財政が良くなるようにと考えた為である。
死後兼続本人に対して、米沢藩の礎を築いた功労者である一方、その米沢への減封のきっかけを生んだ事などもあり、死後しばらくの間はその評価はお世辞にも芳しいものとは言えず、酷い時には「主君を誤らせ上杉氏を窮地に陥れた奸臣」とまで評された事もあった。
そんな兼続への評価に一石を投じるきっかけとなったのが、米沢藩中興の祖とも評される9代藩主・上杉治憲(鷹山)の存在であった。治憲は藩政改革に当たって兼続の施策を手本としたとされ、さらに兼続の二百回忌法要に際して公式に香華料を捧げるなど、こうした動きは後年の兼続に対する再評価の礎となった。
さらに時代が下って近代に入ると、石田三成に対する再評価に伴いその盟友であった兼続に対しても、評価の見直しが試みられるようになっていった。
生まれつき魔眼を持ち、感等を組み合わせる事で限定的な未来予測が可能な異能を持つ。
ただし、目視したものについてのみ発揮されるので視認できていない要因については対処が出来ず、使い勝手はあまり良くない。
その代わり、目の前の事象のみを解決する場合には有効であり、洪水で決壊寸前の濁流の川底に潜む水神を斬って洪水を防いだりした。
聖杯にかける願いは愛妻お船と共に受肉し、のんびりとした幸せな家庭を改めて築く事。
これは最期が過労が原因である事と自身の亡き後苦労をかけた事が理由である。
余談だが、某円卓の騎士達やゼウスに未亡人は良いという様な話が振られると、未亡人ではなくお船が良かったのだと反論する。
基本的に身内には優しく敵に対しては冷酷に振る舞ったりするのだが、特別に某円卓の騎士達やゼウスついでにマナナン・マク・リールの妻と不倫をしたクー・フーリンにも冷たく振る舞ったりする。
彦斎「制作協力はヘビーアームズさん。ありがとうね」