「黎元、鬼殺隊に入れ」
しばらくして再び訪ねてきた兄上はそう言った。そのころには私は起き上がれるようになっていた。
「鬼殺隊」
「鬼を滅殺する組織だ。非公認だけどな。この黒い詰襟を着てるやつはみんな隊士だ」
「天兄上もそうなのですね」
「そうだ」
そう言って腕を組む天兄上の服には袖がない。寒そうだ。
「お前は確かに戦いに向いている。才がある。忍なんて地味で時代遅れなモンに固執するより、鬼殺に活かす方がよっぽどいい」
「……ですが」
反論が許されるかどうかわからなかったので少し言い淀んだ。促す表情を見てぎこちなく口を動かす。
「鬼を殺すには力不足ではないかと……この通りまだ骨が細いので持久力がなくて。明け方まで待って奇襲すれば殺せますが、そのような鬼ばかりでないのは理解しました」
身をもって知った。切り折れた鎖骨はまだくっつかない。動かせない腕の筋肉が細っていくのがもどかしい。
「派手な秘密兵器があるから心配すんな」
「──」
「お、今ちょっとドキドキしただろ」
「
「心拍」
「……」
天兄上は私の左手首を掴んでいる。心拍を読むためらしい。『表情を作れだの地味な無茶は言わねぇから心拍抑えるな』とのこと。
兄上は空いている手の親指で背を指した。広い背中には二振りの巨刀が収まっている。
「これは日輪刀という。これで頸を斬り落とせば鬼は死ぬっつー特殊なモンだ。隊士になれば支給される」
……なにそれ。なんだそれ。
「やります」
「弟が派手にチョロくて俺は心配なんだが」
「入れと天兄上がおっしゃったのではありませんか」
「まぁな。それで秘密兵器もう一個あるんだが聞くか」
「
そこで天兄上は呼吸法という戦闘技術の話をしてくれた。呼吸法を会得すればあのような異能の鬼とも渡り合えるようになるらしい。他にも色々効果があるようだ。
「入ります。今すぐ」
「まず傷を治せ。派手派手にわっくわくじゃねえか」
「……心拍ですか」
「おうよ」
そんなつもりはないのに、まるで私がとても喜んでいるような扱いをされるのは不本意だ。
それはそれとして。
「天兄上」
「なんだ」
「骨って気合いでくっつきますか」
「落ち着け馬鹿野郎」
さらに詳しく話を聞くと、呼吸法を育手と呼ばれる師範のもとで会得してから、さらに最終選別に受かる必要があるらしい。
……道のりが思ったより遠い。
「落ち込むのはよせ。お前なら基礎体力も技術もあるんだ、一年とかからずに隊士になれるだろうよ」
「落ち込んでなどいません」
「自覚持て」
天兄上は呆れていた。何にもないと言っているのに。
傷が完治するとすぐ育手のもとに行った。天兄上は随分渋っていたけれど、行くなと明確に命令されたわけではない。どうせ鈍った身体は鍛え直さなければいかないのだからどこにいようと同じことだ。兄上づてに名前と居場所は聞いていたから、任務でいないときを狙って勝手に抜け出した。
「話は聞いとる。お前が宇髄だな」
「……黎元と申します」
壮年の男だった。里を捨てた身で宇髄の姓を名乗るのには抵抗があった。
男──師範と呼ぶべきか、は私をじっくりと眺めて鼻を鳴らした。怒りは感じられなかったが面倒そうではあった。
「病み上がりだからって手加減はせんぞ」
「
訓練で手加減とはなんだろうか。訊くことはせずに頷いた。
訓練を始めて三日で鴉が天兄上からの書状を運んできた。抜け出したことへの叱責と、投げやりな修行の許可が記してあった。墨のたっぷりついた豪快な筆致を、何とはなしにしばらく眺めていた。
「手紙か?」
「
「筆記用具と紙くらい貸してやろう。修行は遅らせてやる」
「……私がなにか、したでしょうか」
「兄御からの手紙なんだろう。その鴉も暇じゃない、五分で書け」
「……」
手紙に、返事を、書く。
頭になかった行為だったので少し硬直した。報告書なら経験があるけれど手紙……手紙。
そうかこれは手紙なのか、と納得する間に五分だ、と師範に怒鳴られた。そんなだったから初めての手紙は短く了承の返事だけになった。次があればもう少しましにしたい。
全身機能が回復するのに一週間かかった。右の握力と腕力が戻るのにさらに二週間かかった。その間に十度死にかけた。拍子抜けした。
ちょっと気絶するまで走らされるとか、ちょっと腰が立たなくなるまで投げ飛ばされるとか、大体がその程度でしかなかった。食事も睡眠も十分にとらされたから、毎日体力を回復するには十分だった。耐毒訓練も拷問訓練もないのでいっそうだった。何かができなくて折檻されることがなかったのが一番意外だった。
ある夜、夕餉の鍋をつつきながら師範は言った。
「聞いてはいたが、確かに身体も戦い方もできとるな。少々対人に特化し過ぎているところが気にはなるが……」
師範が言わんとすることはわかった。私が忍として受けた訓練はあくまで人を殺すためのものだ。関節を砕くのも組み敷くのも延髄を突くのも、鬼相手ではさしたる意味はない。頸を落とすなどということは今までしたことがないから、身体に覚えさせるのに時間がかかるだろう。
師範は肩をすくめた。
「やってみなければわかりはせん。明日から呼吸法と型を教える。励むように」
「
呼吸法は革新的で素晴らしいものだった。全身能力が爆発的に上がる。これを四六時中できれば敵などいないのではないかと思う。
師範が私に教えたのは雷の呼吸だった。脚に重点を置く呼吸で、天兄上と違って膂力のない私にはよく馴染む。重さがないなら
型の習得も難しくはなかった。私が身体に叩き込んできた戦い方とは違うけれど、
「では、実戦だ。儂を斬る気でかかってこい」
そう言われて師範の命の心配をするほど私は愚かではない。殺しに向いている程度では熟達した呼吸の使い手には敵わないことを知った。
草地で向かい合って鯉口を切る。使い慣れた忍刀を使うことを許されていた。腰を深く落とし、踏み込んだ前脚に体重をかける独特の構え。シィ、と強く息をする。
全集中、雷の呼吸。壱ノ型・霹靂一閃。
五間はあった距離が瞬きで間合いに縮まる。抜き放った居合斬りは今までのどんな斬閃よりも
──師範のそれと比べれば蝸牛のように遅い。
師範は追っている。私の身体を追っている。腕の動きを追って、抜刀に余裕を持って対応しようとしている。それがわかる。それはわかる。
肺を絞る。鋭く息を吐く。吐けばその分多く吸える。地面を踏みしめた。音が鳴るほど。身体を前に投げ出す。低く。もっと低く。視界から消えるくらい。一歩、師範の予想よりも内側へ。刀の間合いよりも内側へ。脾腹が腕の届くところにある。抜いた刀の柄で殴り抜く。
天地が回った。右腕を取られている。前に回って肩から落ちる。受け身が取れない──
それがどうした。
左掌に手裏剣を滑り落とす。狙うのは胸。的は近く広い。手首を振るだけ。間に合う。当たれば
手裏剣を打ったのと背中を強かに打ち付けたのは同時だった。師範は当然のように僅かな動きで手裏剣を避けた。
「がはっ……!」
絶息して全集中の呼吸が途切れる。
……私は何をしている。
我に返って血の気が引いた。右腕を取られたままで師範を見上げた。僅かに細められた目から何かを読み取るのは難しかった。
「も、うしわけありません……」
このまま腕を折られても仕方ないと思った。途中から完全に型を放り捨てていた。ここは里ではない。私は何を学んできた。雷の呼吸ではないのか。
柄を握ったままの右手が震えた。捻り上げられているからだけではないのは明白だった。
「申し訳、」
「……もう一度」
「……」
そうして、何度やっても、私は型をまともに実戦で使うことができなかった。
求められたことがこなせないなんて、そんな恐ろしい真似はこれ以上許されない。
手の皮が剥けるほど刀を振った。のうのうと眠ることもできなかった。型を体に刻み込むためになんだってした。……それでも、いざ戦いになれば私は忍のやり方で刀を振った。とっくに忍ではないのに、それを捨てきることがどうしてもできなかった。身体が言うことを聞かない。
この感覚には覚えがあった。天兄上をどうしても殺せなかったときと同じだ。何をやっても無駄なのだと薄々わかっていた。認めると一層苦しかった。
途方に暮れるばかりで何一つ進展のない私を、とうとう師範は見限ったらしい。
「最終選別に行くことを許可する」
「師範……」
膝を折って頭を下げた。申し訳ありません、と言ったつもりの声は掠れていた。最近これ以外の言葉を話していない気さえする。
「顔を上げろ。責めてはおらん」
許可があっても顔を上げることなどできなかった。
「雷の呼吸がお前に合わなかった、それだけだ。気に病むことはない。全集中の呼吸は十分に使いこなせている。鬼の頸を落とすだけの技量もある」
「向き不向きで済まされることではありません……!」
「向いていないものをどうしろと言うんだ馬鹿が。自分に合った呼吸を派生させればいい。誰もが通ってきた道だ」
「……基礎が、できないのに、」
「呼吸は習得できてると言っとるだろうが」
今日はもう休め、と強い調子で言われては、逆らうことはできなかった。
最終選別に向かったのは修行を始めてから一年ほどのことだった。血鬼術を使わない鬼がほとんどだったから、頸を落とすのは型を使わなくても容易だった。鬼を積極的に追うこともせず、ただ生き延びているうちに七日は過ぎた。
こんなことで鬼殺隊と言えるのだろうか、としつこい鎹鴉を払いながら茫洋と思った。
天兄上から手紙が届いたのは、最終選別が終わってすぐだった。合格を報告するだけのごく素っ気ない手紙の返事であるのに、細やかな祝いの言葉と、兄上の昇進の知らせと、屋敷への招聘が記してあった。
……合わせる顔がない、と思ったけれど、兄上の指示に逆らうという選択肢は、私にはなかった。日輪刀は天兄上の屋敷に届くことになった。
辿り着いた屋敷は新しく、大きかった。奥方殿らと共に住むのだし、天兄上は派手好きだから、きっとそう指示をしたのだろう。むしろ金銀細工で飾り立てられている可能性すらあったから、この程度は普通の範疇に入る。細かい彫り物や瓦は上等だ。本当に──それだけの物が家に使えるほど、天兄上は上の方まで行ってしまったらしい。
人の気配が少ないので勝手に門扉を押した。真新しい檜の匂いがした。
「……ごめんください」
「はァい!」
若い女の声だった。私は奥方殿を名前でしか把握していないから、誰だか判別できない。
足音はごくわずかしかしない。忍の走り方だ。
現れた女を視認する前に頭を下げた。
「天兄上、……天元さまよりお招きいただいて参りました。黎元と申します」
「話は天元様から聞いてます。水くさいなあ、顔上げて」
指示に従う。女はあたしはまきを、と言った。それで器量と苦無さばきで兄上に宛てがわれたくのいちだとわかった。
「天元様、ちょうど任務がなくて休まれてるんだ。あんたのことをずっと待ってたよ」
「……」
私はそれに返す言葉をもたない。旅装を解いたあと、ただ黙って案内される後についていった。
部屋についたあと、まきを殿は襖の向こうに声を掛けてさっさといなくなってしまった。私はしばらく目の前を見つめて迷っていた。
「どうした?」
「……」
招きがあったのだから腹をくくるしかない。失礼します、と断って戸を引いた。膝をついて礼を執る。
「黎元、ただいま戻りましてございます。──このたびは柱への昇進おめでとう存じます、音柱さま」
「おう、ありがとう。顔上げな」
手招きに従って正面に座す。一年ぶりにまみえた天兄上はぐんとたくましくなって、居るだけで強烈な存在感があった。座高からして違うので、座っていてさえ僅かに仰向く形になる。
にっかりと笑った顔に化粧はなく、装いも略式の着流しだ──派手ではあるけれど。
「無事最終選抜を突破したな。改めておめでとう」
「勿体ないお言葉です」
「何だァ? 地味に固いな。祝いは素直に受け取っておけ」
「……ありがとうございます」
「まったくお前は」
ため息をつかれてもどうしたらいいかわからない。畳にうろうろと視線を彷徨わせる。
膝を崩して胡座をかいた兄上は、右の膝に肘をついて身体全体を傾がせた。
「型の習得が上手くいかなかったらしいな。育手から聞いてるぜ。随分落ち込んでるようだと。……嘘じゃねぇみたいだな。実力だけなら選抜突破までこんなにかからなかったはずだ」
やはり来た、と少し息を詰めた。頭を下げる以外にできることはない。
「……
「謝ることじゃねぇよ。お前には合わなかった、それだけだろう」
「ですが……」
「俺も雷の呼吸は性に合わなかった」
驚いて許しもないのに顔を上げた。天兄上は咎めることもせずに続けた。
「日輪刀の色からして適性はあったんだろうが……どうもな。忍の道具が使える方がよく戦えた。それで作ったのが音の呼吸だ」
天兄上は左の指先に小さな黒い玉を挟んでひらひらと振った。里で使っていた火薬と似ている。
「呼吸の相性と派生ってのはそういうことだ。基本の呼吸ってのは源流って意味で、必ず修得すべきもんじゃねぇ」
頭がぐるぐるする。今まで思い詰めていたのは何だったのか。
いや、そんなことを、言われても。
「黎元、お前はどう思う?」
「どう、とは……」
「あー、例えば壱ノ型だな。俺はあれがまだるっこしくてよ……居合はいいがいちいち納刀してちゃ話にならん」
「あ、それは私も……」
ぽろりと言葉がまろびでたのに驚いて、思わず息ごと声帯を止めた。変に喉を鳴らした私を気にするでもなく、天兄上が続きを促す。
「お前も?」
「、あの、」
「言え」
「……溜めが、大きいので。霹靂一閃は」
「そうだな」
「一度、足を完全に止めなければなりませんから……踏み込みの音も、大きいですし」
「ああ」
「速い切り込みは素晴らしいですが、天兄上の言う通り納刀してしまうのがいただけません」
「やっぱりな」
「他の型に繋げることもできない。できるのは壱ノ型を連打することくらいでしょうか。構えも独特ですから経験を積んだ鬼にはすぐ看破されてしまうでしょう」
「わかるぞ。他の型は?」
「そうですね、稲魂や熱界雷は放った後の隙が大きいので避けます。首を飛ばせる見込みがあれば使えるのでしょうか。戦場に絶対はないと思うのですが。聚蚊成雷は途中で遮られた場合対応できません。格上に使うといたずらに隙を晒すだけです。師範ほどになれば違うのでしょうが、その境地に至るまでに死ぬ可能性の方が高いかと」
「そうかそうか」
「それから──……、」
我に返った。心臓が明後日の方に跳ねる。
「もっ……申し訳ありません、出過ぎた真似を……!」
「あ、こら、何言ってんだ馬鹿」
咄嗟に平伏した肩を強い力で引き上げられる。逆の手が頭に伸びるのが見えて殴られると思った。避けてよいものかわからずに結局硬直する。
「……ったく、お前はよ……」
覚悟した衝撃はなかった。厚い掌が頭頂に押し付けられて、ゆっくりと左右に動く。
「黎元──黎。それだけ喋ってくれて俺は嬉しい。お前はもう道具じゃねぇんだって確認できる」
伸ばされた腕の向こうに紅い瞳が見えた。ゆるりと弧を描くのが美しかった。
肩にかかっていた手が外れて、手首を取られる。脈拍を計られているとわかった。
「俺の求めに応えて、期待以上の返事を返した。よくやった」
「……」
さっき変な風に跳ねた心臓が落ち着かない。
できないことは欠陥で、できるのは当然だ。働きを認められるのは記憶にある限り初めてのことで、何と言えばいいのかわからなかった。
撫でくりまわされてぐらぐらと頭が揺れた。兄上は随分ご執心のようだ。
「……あの、天兄上」
「おう」
「雷の型……できなくても、良いでしょうか」
「実戦でなけりゃできるんだろ? 派手に許すわ」
「……」
ようやっと掌が離れて視界が安定した。手首は保持されたままだけれど、わざわざ取り返すほどでもない。
天兄上は一転、難しい顔で顎を撫でた。
「しかし、そうなると音の呼吸もお前は嫌いそうだな。継子にして俺の補佐にしようと思ってたんだが……」
「嫌いなどと」
「だってお前、火薬だぞ。煩いぞ。そこが派手でいいんだけどよ」
「…………さようですか……」
「ほらな、嫌だろ?」
嫌も何もないけれど、雷の呼吸の問題点を言語化した今となっては、確かに修得できるかどうか怪しい。
つぐこ、とは聞き慣れない言葉だけれど、文脈からして弟子のことだろう。……天兄上の。
「……」
「ん、どうした、黎」
まだ何も言っていない。でもどうやら、私が意見を述べる分には兄上は咎める気はないようだ。それくらいは私にもわかった。
「……新たな戦い方を学ぶことは、無益ではないと思うのですが……その、呼吸を派生させると言っても、私にはまだ何もわかりませんし……」
口を何度か開け閉めする。そうは言ってもこの先を口にしていいものか迷っていた。これは私の欲求に過ぎない。今までなら差し挟んではならないものだ。
「それで?」
……ままよ。
「……で、弟子には、してくださらないのですか」
「ん、ん、んん」
その咳払いは何ですか、天兄上。また撫でるのですか。お顔が見えないのですが。
「──呼吸が違っても継子にはなれるな! ド派手に鍛えてやるから覚悟しとけ!」
「は、
あ、あたまが、ぐらぐらする。
その後、「俺様の継子なら派手派手に飾り立てなきゃなァ!」と天兄上が祝いと称して持ってきた数々の品を見て、若干早まったかもしれないと思った。
隠形の役に立つといえば立つけれど……普段から派手でないと駄目か。いざというときに派手になるのでは駄目だろうか。
……駄目らしい。
ここすき——募集!
夢主を稚児みたいに扱ってますが、兄上と夢主は二歳差です(原作に登場するほうの「生き残った弟」と腹違いで同い年)。